最初にキスをしたのは、何歳のときだったか。ふにりとした柔らかい感触を無理やり奪って、満足気に口を離したことは覚えている。普段どんなことをしても生意気に立ち向かってくる幼馴染が、呆然と座り込んだまま爆豪を見上げているのがひどく滑稽で。胸のすくような思いだった。大きな緑色の瞳が、こぼれそうなほど見開かれて。じわじわと篭もるような暑さも、煩い蝉の鳴き声もその時は気にならなかった。ただただ、その目に爆豪だけが映っていることが愉快だった。しばらく何が起きたのか噛み砕くようにぼうっとしていたは、ハッとして俯いて。堪えるように、唇を噛んでいた。ぽたりと地面に落ちた雫に、泣いているのだと気付いて。面白かった。あれだけ煩く爆豪を咎めていたが、何度倒してもしぶとく立ち上がってきたが、たった一度キスされただけで黙って座り込み俯いて泣いている。虫や小動物を捕まえて、カゴに押し込めたときの高揚感にも似ていた。綺麗なものを貶める仄暗い心地良さを、は爆豪勝己に教えてしまった。それ以来、爆豪はを人前で虐めなくなった。の静かな泣き顔の価値もわからない有象無象に、それを見せるのは勿体ないと思った。
「寝んなブス」
「……っ、」
 ゆさゆさと揺さぶって、気絶しかけていたを引き起こす。距離の近い男女の幼馴染、それも一方はいじめっ子で他方はいじめられっ子と来れば、成長とともに倫理的によろしくない関係に落ち着くのは当たり前のことだった。今しがた処女を奪った相手に優しさの欠片も見せず、なよなよとした体を雑に組み敷く。今日も蝉がうるさかった。篭もるような熱と異性の体への興味を、幼馴染を部屋に引っ張り込んで発散した。蝉よりも、痛い痛いと泣くの方が煩い。じわりとした熱さよりも、ぐったりと脱力して気を失いそうなの方が腹立たしい。薄い体。まな板のような、あるのかないのかわからないような胸。鬱陶しく伸ばされた癖っ毛。女としての魅力をまるで有していない幼馴染を組み敷いたのは、それが爆豪にとっての当然であったから。の初めては自分がもらって当たり前だったし、自分の初めてはに与えられて当たり前だった。爆豪にとっては、疑いようもない当然の摂理だった。貧相な体に散々罵りの言葉を浴びせたが、同時にこの体を抱けるのは自分だけだろうと思った。自分以外の誰が、このじめじめとした暗い女を好き好んで抱くというのか。「卑屈」「根暗」「そばかす」「ブス」「まな板」「鶏ガラ」「不細工」などと、常日頃に向けている罵声は確実にの自尊心をぺしゃんこに押し潰していた。は鬱陶しく泣いて抵抗したし最後まで嫌がっていたが、爆豪に犯されたことを誰にも言わず泣き寝入りした。訴えたところで自意識過剰という言葉を四方八方から浴びせられるだけだという諦観が、の口を噤ませた。それは爆豪の言葉だったが、爆豪の罵倒は呪いの言葉のようにを縛っていた。一度抱いてしまえば後は惰性で、爆豪は何かと理由をつけてを部屋に引っ張り込んだ。苛立つことがあったから、教師に小言を言われたから、雨が降ったから。どうでもいいような鬱憤を、すべてにぶつけた。セーラー服のタイをぐいっと引っ張って歩き出すのが、「ヤる」という意思表示になっていた。抵抗すればするほど酷いことになると理解してからは、は抵抗しなくなった。爆豪の手や指の形をした焦げ跡が背中や太腿に広がって、下手なキスマークや噛み跡よりよほど所有している実感があった。その頃のはもう、従順な爆豪の人形のようで。ゾッとするほどの意志の強さを見せることもあるが、概ね爆豪に逆らわないのはやはり面白かった。綺麗なものを屈服させるのは気持ちいい。そんなの、当たり前のことだった。
「いやだ」
 それでも爆豪に逆らうことが全くなかったわけではない。何を思い上がったのか、無個性のくせにヒーローになると幼馴染はのたまった。の意思を折るのは爆豪にとって最も愉快な娯楽だったから、当然のようにその夢も否定した。身の程知らず、無個性のクソナード、来世に期待して屋上ダイブ、下手をすれば自殺にまで追い込みかねないような言葉ばかり。果てには、引っ張って顔を上げさせるために掴んでいたの髪を爆破した。鬱陶しくも腰まで伸びていた髪は、肩につかないほどの長さになった。「お母さんが綺麗だと言ってくれるから」と大切にしていた髪が独特の異臭と共に焼き切れても、は意思を曲げなかった。「おとなしい」が逆らうことが面白くなく、意地になっての意思を叩き潰そうとした。けれど生意気にもは爆豪を避けるようになり、タイを掴んでも何か言いたげに唇を噛み締めるようになって。のノートを焼き捨てたあの日、とうとうはまた爆豪に逆らった。
「君が、救けを求める顔をしてた」
 不細工な泣き顔で笑ったは、叶うはずもない敵を前にして爆豪を助けようとした。その笑顔に、爆豪は心底ゾッとしたのだ。心身を虐げ、日常的に犯し、髪を焼いた男。見捨てるどころか、敵に加担したとておかしくない。ざまあみろと、笑われるはずだった。爆豪は自分がに何をしているのか、よく理解している。どんなに最低なことをして幼馴染を貶めているのか、誰よりもよくわかっている。だからこそ、一も二もなく救けに来た幼馴染が、心底理解できなかった。
「どういうつもりだよ」
 怒りで爆発しそうなのを無理やり押さえ込んで、地を這うような声で問いかけた。
「俺を見下してやがんのか、無個性の分際で」
 いつだって、そう、本当に幼いときからその目が気に食わなかった。届かない夢を見て輝く様も、正しくないことをしている爆豪を責めるように睨むのも、何もできない無個性の分際で人より強い爆豪を心配するのも。反吐が出そうなほど嫌いだった。その目を潰してやりたいと何度思ったか。その緑が曇るのが気分が良かった。台無しにしてやるのが心地良かった。現実を見据えて絶望するのが面白かった。そんなものに出会った日から惹かれて心奪われている、自分自身がいちばん腹立たしかった。
「かっちゃん、」
 に呼ばれたのは、ずいぶん久しぶりのような気がした。それでも振り返らずにその場を後にした。その日からはいつにも増して妙に何かを気負った様子で、何もかも眼中に無く根を詰めていた。気に食わなかったが、自覚してしまった恋心が喉を塞いだ。今更、ああ今更だ。どうせ何もできない無個性だ。雄英合格を志したところで、春には現実を知る。そうなったら笑ってやってまたその泣き顔を拝んでやろう。身の程をわきまえたら、また構ってやってもいい。かっちゃんかっちゃんと煩いを、隣に置いてやってもいい。そう思っていたのに。
「言ってもらったんだ」
 ――ヒーローになれるって。勝ち取ったんだって。だから行く。雄英に行く。
 いつも俯いていた顔を上げて、爆豪の腕を掴んで。惨めったらしい泣き顔で、それでも真っ直ぐに爆豪を見上げた。ぞわりと震えた胸が、気持ち悪くて。その日は一番手酷くを抱いたけれど、はとうとう「他に行け」という爆豪に従うことはなかった。
「…………」
 爆豪の手元にあるのは、庭から掘り出したタイムカプセルだ。にキスした夏の初めに、ふたりだけで作ったタイムカプセル。どうせもう、は忘れているだろう。覚えていても、どうでもいいはずだ。疎ましいはずだ。
 ――とけっこんする。
 くだらない夢を描いた手紙を、手のひらの上で爆破する。古い紙は、あっという間に燃え尽きて塵になった。
 
191022
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