「爆豪と付き合ってんのか?」
 が相澤の呼び出しから戻ってくるのを待っていたのは、ほんの少しのお節介だった。轟の問いに真っ青になった顔を見れば、そういう関係ではないことなど明らかで。「悪ぃ」と頭を下げた轟に、はわたわたと手を振った。
「……かっちゃんは、」
 違うよ。それだけ言って、俯いてしまう。戦闘訓練のときのただならない様子や、日頃のふたりの態度。それと、空き教室に連れ込まれるの死にそうな顔。何となくもやもやとした嫌悪感を覚えて要らぬ世話を焼いたが、どうやら正解だったらしい。ありがとう、とぽつりとこぼしたは、少しだけ震えていた。
「よくわかんねぇけど、」
 拾ったネクタイを渡すと、はやはりおろおろと礼を言って震える手でネクタイを首にかける。中々上手く結べないようで、悪戦苦闘を眺めながら轟は口を開いた。
「ああいうの、まずいんじゃねぇか」
「……そうだね」
 俯くの苦笑を浮かべようとして失敗したような表情に、ちくりと胸が痛む。ボコボコの結び目もそのままに鞄を持ったを制して、轟は結ばれたばかりのネクタイを解いた。驚いたに代わりに結ぶことを申し出れば、意外そうにしながらも頷く。
「不器用なんだな、
「……うん」
 個性の使い方ひとつ見ても、あまり器用なタイプには見えない。緑の髪は肩にもつかない長さだし、顔立ちは幼い。それなのに、どうしてか母の姿が重なる。いつも泣いていた母と、母を虐げていた父。あまり首を突っ込むものではないとわかってはいたが、放って置くには寝覚めが悪そうだった。
「個人的に、ああいうのは気分が良くねぇ」
「うん……ごめん」
「謝ってほしいわけじゃねぇよ」
 こんなに手が震えるほど怯えているのに、どうして自分自身を責めるように轟に謝るのだろうか。こういう類の人間が追い詰められた果てにある傷を、轟は知っている。深入りすれば同情では済まないとわかっていたから、曖昧な距離を保ったまま言葉をかけた。
「あいつ、案外みみっちいから人前じゃ無茶しねぇだろ。飯田とか麗日とか、一緒に帰った方がいいんじゃねぇか」
「……うん」
 先ほどから生返事ばかりだが、責める気にはなれない。は轟が言葉をかけるのが、クラスメイトを案じるがゆえのものだと理解していないように思えた。見苦しいところを見せてしまった。手間をかけさせてしまった。迷惑をかけている。そんな思考回路に陥る、異様なまでの自己肯定感の低さ。学校内で強姦騒ぎでも起きそうなほどの危うい空気だったのに、気にかけるところが根本的にズレている。月並みな言葉ではあるが、「もっと自分を大切にしろ」と言いたくなった。それはきっと、轟の口を出すべき領分ではないのだろうけれど。USJでただひとり、オールマイトを庇おうと飛び出した姿とはまるで違って見える少女。妙な個性と、不可解なオールマイトとの繋がり。一方的に越えるべき壁として認識していたが、思わぬところで母と重なって調子が狂う。キュッと綺麗な形に結び直されたネクタイに、は含羞んで礼を口にする。どうにもやりづらいと、轟はその緑から目を逸らした。

 たとえば。もし、自分が爆豪に勝てたら。「ちゃんのことは私が守るよ!」と言ってあげられるだろうか。もし、爆豪に勝てた自分が、「対等にちゃんに挑むよ」と臨んだら、の呪いはひとつ解けるだろうか。麗日は、と一緒にヒーローになりたい。いつも麗日を助けてくれるのように、麗日もの力になりたかった。大切な友人は、ずっと幼馴染の放った言葉に呪われている。爆豪に対する畏怖や羨望、憧れや劣等感が、の背にのしかかっている。
 ――お前には勝つぞ。
 クラスの中でもトップの実力者にそう宣言されたは、どうして自分などが宣戦布告されているのか本気でわからないという顔をしていた。それでも顔を上げて、全力で挑むと応えていた。
 ――君に挑戦する。
 飯田がを尊敬するように、も飯田を尊敬している。自分より上の実力だと思っていた飯田に「対等な」宣戦布告を受けて、は何を思ったことだろう。
ちゃんはすごいんよ)
 障害物競走で個性を使わず一位になったのは、まぐれなどではない。騎馬戦で轟を追い詰めたのも、トーナメント一回戦で洗脳を解いて踏みとどまったのも、の力だ。麗日は誰よりもの凄さを知っている。すごいと思うから、対等でいたい。俯いているその頬を包み込んで、顔を上げさせてあげたい。麗日のいちばんの友達は誰よりもすごい憧れのヒーローなのだと、全世界に胸を張って主張したい。だから。
 ――決勝で会おうぜ。
 たとえば。雄英で一番の晴れ舞台で、大好きな友達と最高の試合をする。全力でぶつかって、どちらが勝っても互いの健闘を讃え合う。肩を組んで、いい試合だったねと笑い合う。きっとは、あの控えめに咲く花のような笑顔を浮かべてくれる。こんなに可愛くて強い友人は最高のヒーローになると、麗日は胸を張るのだ。
(私もちゃんみたいに)
 に頼らずとも爆豪を倒せるくらい、強くなれたら。麗日自身が、自分もすごいと思えるようになったら。そうしたら、あの優しい緑に麗日の手は届くだろうか。上からでも下からでもなく、真っ直ぐ前から差し出した手なら、は掴んでくれるだろうか。こんな石くれ、少しも重くはない。の心にのしかかる瓦礫に比べたら、あまりに軽い。今までの心を押し潰してきた重さのほんの一部でも、浮かせてあげられたなら。
ちゃん……」
 麗日の落とした流星群を呆気なく爆破した爆豪の目は、ゾッとするほど冷たかった。

 の策ではないだろう。「優しくて友達思いのちゃん」が、麗日の身を危険に晒すような策を取らせるとは思えない。通路で出会した爆豪に真っ青になったを見て、その予測は確信へと変わった。
「なァ、てめぇのせいだろ」
 あいつ、ちゃんみたいにってずっと言ってたぜ。捨て身の博打に賭けたのは、無鉄砲なに感化されたせいだと。そう笑った爆豪に、は唇を噛み締めて俯いた。思い当たる節があるのだろう。言い返すこともできず、震える手を握り締めている。
「決勝までさっさと上がってこいよ、引導渡してやらァ」
 の全力を、正面から叩き伏せて。無様に蹲うを超えて、完膚無きまでの一位になる。そうしたら、きっと。
(――きっと、何だ?)
 わからない。けれど、全力のを打ち負かしたら、この苛立ちは消える気がする。麗日に「友達にもなれなかったくせに」と挑発されたことが、尾を引いているのか。馬鹿馬鹿しい。自分はの友人になりたいわけではない。そんなものではなく、自分は。対等など甘っちょろい。下など論外だ。常に上にいなければ意味が無い。自分は、より上だ。
「……君と、対等に」
「あ?」
「対等に戦いたい、から、挑みに行く」
「……は、やってみろや」
 だから、対等などではないと言っているのに。それでも、怯えながら見上げられるのは存外悪い心持ちではなかった。「のオトモダチ」である麗日に若干ムキになって応戦したことは思い返せば苦い気持ちになるが、の表情を翳らせることができたなら悪くはない。はそういう人間だ。自分の腕でも脚でも躊躇わず壊してしまうくせに、他人が傷付くことにはめっぽう弱い。爆豪を見上げる目は真っ直ぐだったが、隠し切れない怯えが滲んでいる。わけのわからない「借り物の個性」とやらが、ずっと目障りだった。そんなもののせいで、思い上がりが現実になった。だから、叩き伏せてやりたい。今度こそ、完膚無きまでにその夢を砕いてやりたかった。
「『がんばれ』って感じの、なぁ……」
 腕を掴んで顔を覗き込むと、がビクッと体を震わせる。それを嘲笑って、爆豪はを突き飛ばした。木偶は木偶でしかない。忘れたのなら、思い出させればいい。クッと喉の奥を鳴らして、爆豪はその場を後にした。
 
191023
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