どうしようね、と目の前の彼は言う。さも困ったように、途方に暮れたように、取り繕った声音で。
「どうしようか」
君のこと。『アレ』のこと。どうもこうもない、とは思う。どうしようもないのだ。なるようにしかならなかった。それなりに困った事態だというのに、まるで他人事のようだ。そしてまさしく他人事である彼はといえば、目隠しの下の綺麗な瞳を悪戯っぽく輝かせているのだろう。彼は実際、相当な悪ガキだ。
「まあ、それでもジジィ共は君を使うんだろうけどさ」
男にしては綺麗だけれど大きな手が、そっとの腹を撫でる。とんとんと、胃のあるあたりを指先でつつかれた。
「安心してる? がっかりしてる?」
「……いえ、特に何も」
「『どうでもいい』、うん、らしいね」
でもそれじゃダメだよ、と『先生』は言った。
「これからどう生きていくのか、考えなくちゃ」
担任の言葉に、はいよいよ眉を下げて途方に暮れた顔をする。困ったことになったと、顔も知らない『虎杖くん』を呪いそうにさえなってしまったのだった。
根っこの腐った大樹など、飽きるほどに見てきた。権力と血統の肥溜め。それが呪術師という世界だと、悟は知っている。『五条』という家に生まれたからには、尚更だった。
「何、これ」
だからといって、それらを諦め受容したわけではない。むしろ腐った根を切り、新しい枝葉を茂らせることこそが彼の希望だった。だからこそ、悟は五条の家に運び込まれた「それ」を目にして盛大に顔を顰めたのだ。
「『魂蔵』です。適したモノが分家におりましたので」
それは、既にヒトとしての扱いを受けていなかった。トランクに詰められて、呪具で縛られて。呪術師から淡々と発せられた固有名詞に、悟は苦々しい顔をして記憶の底から単語の意味を引っ張り出した。確か、五条の家が主導していた黴臭い計画だ。祓うことの困難な呪い、封印しかできなかった呪物。それらを人間という牢獄に閉じ込め、容量がいっぱいになった時にその牢獄ごと処分する。つまるところ、人柱だ。隠しもせずに顔を歪めた悟は、トランクの中から「それ」を引っ張り出す。勝手をされては困るだとか何だとか呪術師が喚くのは無視をして、顔まで覆う包帯のような呪具を剥ぎ取った。
「……子どもじゃんか」
「それは魂蔵です、五条悟」
「いいや、子どもだよ」
のっぺりと表情の削げ落ちた、気味の悪いほど静かな子どもがそこにいた。視線が合うことすらない瞳を見下ろして、悟は残りの呪具も剥がす。着衣さえ与えられていないのを見て取って、悟は上着を脱いでその子どもに被せた。それでも子どもは、何も反応しない。こういう手合いは、正直気に食わない。諦め切って、救いなど無いのだと知った顔をして、心を閉ざしてぼんやりと死を待つ。腐った木の肥料にされるのがわかっていて逃げようとしない、「家」の暗いところで育った人間。少し、虐めてやろうと思った。その何もかも諦めたような顔に、達観するのは百年早いと知らしめてやりたかった。
「僕が管理する」
「……は?」
「呪いを喰うだけの引きこもり生活なんて、人間ひとり浪費するようなことじゃないでしょ」
荷物を担ぐように、ひょいっと子どもを肩に乗せる。慌てたような男の声を無視して、すたすたと歩き出した。悟は、自身が多少我儘を利かせられる立場にあることを自覚していた。分家の子どもひとりの処遇について多少横槍を入れたところで、強く咎められることはあるまい。『五条悟』の有用性は、この子どもなどより遥かに上であるのだ。
「君、名前は?」
「…………」
「知らないのか、答える気がないのか、どっち」
「……ない」
「ふうん、そう」
じゃあ名前もつけなきゃいけないね、と一人頷く悟に、子どもは訝しげな視線を向ける。どうせ、戸籍を抹消されたのだろう。お前はもう人間として存在しなかったことになっているのだと、告げられたのだろう。天与呪縛。自らの望んだように呪力を扱えない代わりに、常人より多くの呪力を生み出せる。それらの呪力を全て、植え付けられた術式に喰われている。体内に異空間を作り、呑み込んだものを封ずる貯蔵庫にして牢獄。呑んだ呪いの力を自らのものにはできないが、同時に呪いからの干渉も受けない。自分が死ねば、体内の呪いが如何に強くとも自分の一部として道連れにする。呪物を溜め込み、まとめて処分するためだけに整えられた人生。人の形をした、呪具だった。
「けど、そうやって人生を諦めるのはまだ早いと思うんだよね」
「……?」
「縋るものがまだあるのに、世の中全部諦めたような気になるのはちゃんちゃらおかしいって話」
そうして、人の形をした呪具は再び人間として生きることを決められて。五条悟に、と名付けられて。呪いを喰うという役割こそ変わらないけれど、人として行動することを許された。それが幸せだったのか不幸だったのか、にはまだわからない。いつか失うのなら、道具のまま何も知らずに生きていた方が良かったと悟を恨むのかもしれない。五条悟は傲慢で、その傲慢さ故にを『助けた』。悟の行為が救いだったのか、余計なお世話だったのか、答えは出せていない。それでも、一つだけ確かなことがある。
「……高専の、制服は好きです」
悟が勝手にデザインしたけれど、詰襟とスカートの制服は気に入っていた。だから、まだ呪高専の生徒でいられた方が嬉しい。虎杖悠仁という少年が食べた呪いは、が食べるはずだったものだ。宿儺の指を八本ほど取り込めば、『容量』はいっぱいになるだろうと言われていた。だから宿儺の指を喰うことが、絞首台への階段だったはずなのに。遠からず死ぬつもりでいたのに、突然未来が開けてしまった。悟は、開けた未来を考えろという。どうしたいのか、考えろと。そこは広すぎて、今すぐには決められない。戸惑いながらも出せた答えは、まだこの制服を着ていたいというつまらない望みだった。なのに、悟は満足気に口の端を吊り上げる。
「上出来」
ぽん、との頭を悟の手が叩く。それじゃあ虎杖悠仁に会いに行こうかと、悟は朗らかに告げたのだった。
200120