「悠仁、同級生をもう一人紹介しておくよ」
 悟の言葉に顕著な反応を示したのは、呼ばれた虎杖ではなく部屋に戻ろうとしていた伏黒だった。まさか、と言いたげな顔で悟を凝視している。伏黒の表情がよほど面白かったのか、悟はにやにやと愉快そうな表情を浮かべていた。この場で唯一の大人のまったく大人気のない表情に、「うわぁ」と心底呆れたような声が響く。虎杖の心情とシンクロしたかのようなその声は、けれど虎杖の発したものではなく。三人の誰が発したにしても些か高すぎる声は、悟の背後から聞こえた。
「えっ、?」
「……はい」
「今僕にドン引きしてなかった?」
「気のせいだと思います」
「すごく情感のこもった声だったよね?」
「気のせいだと思います 」
 振り向いた悟の後ろに、ちょこんと佇む姿。女の子だ、と視線を向けた虎杖に、ぺこりと軽く会釈をする。黒目がちの大きな瞳と、さらりと長い黒髪。虎杖のタイプからは外れているが、綺麗だと思う女の子だった。
「呪高専一年の、。五条先生は親戚のおじさん。よろしく」
「おう、よろしくな!」
「ねえ、今おじさんって言わなかった?」
「言ってません」
は堂々と嘘を吐くのをやめようね?」
「……いつから高専生になったんですか、は」
「伏黒?」
 微妙な面持ちで固まっていた伏黒が、ずいと前に出る。虎杖が訝しげな声を上げて呼び留めるが、伏黒はそれを無視して悟を真っ直ぐに見据えた。その表情は、怒っているようにさえ思える。
「深入りさせる気はないって、言ったのはあんたでしょう」
「うん、まあ、事情が変わってね」
 責めるような視線を向けられ、悟は降参するように両手を上げる。それでも変わらない伏黒の表情に、悟は口の端をへにゃりと曲げた。
「元々、は高専生ではあったんだよ。恵と会ったときは諸事情で休学してたけど。任務について出た回数だけなら、恵よりずっと多いよ?」
「『ついて行った』だけでしょう。戦闘力のないに、任務の遂行能力はない」
「……なあ、俺、さっきから置いてけぼりなんだけど」
 剣呑な雰囲気の伏黒に、そろそろと話しかける虎杖。温度差に多少冷静さを取り戻したのか、伏黒は目を逸らして大きく息を吐いた。
「あのね、私、後始末用」
「……?」
「……せめて補助監督になるべきだろ」
 と呼ばれた同級生の言葉の意味がわからず首を傾げる虎杖と、目を逸らしたままぼそっと吐き捨てる伏黒。あまり積極的に説明する様子のないの肩を叩き、悟がひらりと手を振った。
「この子はね、呪いを食べることができる」
「……それって、俺が宿儺を喰ったみたいにか?」
「少し違うけどね。は対『呪い』専用の牢獄みたいなものかな。取り込んだ呪いの力を使うことはできないけど、干渉を受けることも乗っ取られることもない」
「なぁ、もしかしてさ……俺の喰った宿儺の指って」
「うん。何事もなく恵が持ち帰ってきてたら、が食べてたよ」
「えっと……ごめん?」
「ううん。どうしようかなって、思ってはいるけど」
 何と言うべきか考えあぐねて何故か謝る虎杖と、気にしていないというよりは関心が無さそうに首を振る。微妙な表情をしている伏黒の横で、虎杖の頬がパクリと開いた。
「――何だ、つまらん」
「おい宿儺、勝手に出てくるなよ」
「その肉の柔らかそうな小娘に指を喰われた方が、幾分かマシだったというものだ」
「出てくんなって」
 バシンと虎杖が頬の口を叩くが、今度はその叩いた手に口が現れて言葉を続ける。そこにあるのは口だけなのに、まるで宿儺に値踏みされているような気がしては眉をひそめた。
「おい小娘、次の指は貴様が喰え。身の程知らずの褒美にその胎を喰い破ってやろう」
「…………」
「貴様の見目は悪くない、一度は屍を愛でてやるぞ」
 悪辣な戯れ言を並べ、ゲラゲラと下卑た笑いを溢れさせる口。虎杖が今度は反対の手でバシンと叩くと、宿儺はようやく沈黙した。宿儺の物言いに気を悪くしていないかとを心配する虎杖だが、伏黒が黙って首を横に振る。「あいつは頭が少しおかしいから、あの程度は気にしない」と肩を竦めた。
「でも、ごめんな。
「?」
「宿儺の言うことなんて、気にすんなよ」
「……ああ、うん、大丈夫」
 まるで他人事のような、ぼんやりとした返事だった。「だから言っただろ」とでも言いたげに虎杖を見る伏黒と、どこを見ているのかわからないぼうっとしたの表情。どうにもこの二人には虎杖にはわからない確執があるらしいと、虎杖は助けを求めるように悟に視線を向けた。さっきまでニヤニヤしていたはずの悟は、宿儺の言葉に何か思うところがあったのか。そこそこ真剣な顔をして、顎に親指の腹を当てる。
「宿儺はどうにも、の術式を破れる気でいるみたいだね」
「そうですか」
「他人事みたいに言わないの。実際どう? 。悠仁を見てみてさ」
 悟の言葉に、が小首を傾げて虎杖を見た。最初に見たときからどうにも引っかかっていたが、の動きはどうにも人形じみている。
「先生の想定している本数までなら、喰えます」
「そう。じゃあ残りの指は、悠仁じゃなくてに食べてもらおうか」
「わかりました」
「……うーん、ここは嫌がるなり躊躇うなりするように育てたはずだったんだけどな」
 悟の言葉に、虎杖は首を傾げる。伏黒にしろ悟にしろ、に対しては態度がどことなく「ズレて」いる。基本的に人の良い伏黒がにはわかりやすく噛み付いているし、いつも人を食ったような悟はポーズではなくに手を焼いているように見える。どうしたものかと暫し悩んだ虎杖だったが、すぐに考え直した。とはまだ出会ったばかりなのだから、これから知った上でどう付き合っていくか考えていけばいい。誰にだってそうするように、にも。
「改めてよろしくな、
「……うん」
 虎杖が手を差し出すと、は意外なことに柔らかく笑んで虎杖の手を握り返す。温かい人間の手の感触に安堵したのも束の間、が「痛っ」と眉を顰めて弾かれたように手を離す。ぱた、と床に落ちた赤い円に、虎杖は目を瞠った。
「血……!?」
「おい、大丈夫か!?」
 真っ先にに駆け寄ったのは、伏黒だった。先程までのツンケンとした態度を忘れたかのように、血相を変えての手首を掴み上を向かせる。の白い掌に、滲む赤い点線。それが歯型だと気付いて、虎杖は呆然と自らの掌を見下ろした。
「――なんだ、避けたか。肉を千切り喰ってやろうかと思ったが」
「……宿儺」
「ちょっと、こういうのはやめてほしいんだけどな」
 虎杖ではなく、宿儺に向かって悟は苦言を呈する。の傷が浅いことを確かめると、ハンカチを当てさせて宿儺に視線を向けた。威圧を向けられているのは自分ではないとわかっていても、虎杖の背筋に冷たいものが走る。
「僕の可愛い生徒に手を出さないでくれる?」
「……つまらんな」
「何?」
「貴様のような人間の周りには、常に庇護すべき弱者がいる」
「…………」
「重荷を抱えて戦うのは面倒だなぁ、人間」
「生徒を重荷だと思ったことなんてないよ」
「ハッ」
 乾いた声で笑うと、宿儺は掌についたの血をべろりと舐めて口を閉じる。「……悪ぃ」と俯いた虎杖に、「気にしないで」と声をかけたの表情は、見れないままだった。
 
200421
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