「忘れ物を取ってきます」
 魔法舎での共同生活が始まったばかりのある日、どこかに扉を繋げて出かけたミスラ。それから間もなく彼と共に魔法舎にやって来た「忘れ物」に一部の者は驚愕し、また一部は呆れ、また一部は慄くことになった。賢者である彼の反応がどれであったかは、言わずもがなである。
「あの、ミスラ、『忘れ物』って……」
「これです」
「人間のことを『これ』とか『物』とか言っちゃいけません!」
 ミスラの「忘れ物」は、紺色の髪に赤い瞳の少女だった。そのカラーリングにはどうにも既視感があったが、今はそんなことはどうでもいい。「どっかから攫ってきたんじゃないだろうな」「呪術の材料にするつもりじゃ……」などとカインとヒースクリフがヒソヒソしていたが、大いに同意であった。意外なことに、その疑いを晴らしたのは日頃ミスラと殺し合いまがいの喧嘩をしているブラッドリーとオーエンで。
「あ? てめぇ、じゃねえか。まだミスラんとこいたのか」
「こ……んにちは、ブラッドリー」
「まだ生きてたんだ、。とっくに食べられたかと思ってた」
「……二人とも、知り合い?」
「おう、こいつはミスラの……何だ?」
 賢者の問いかけに鷹揚に頷いたブラッドリーは、と呼ばれた少女とミスラの関係性を説明しようとして何故か首を傾げる。問われたミスラが「さあ」とどうでもよさそうに視線を逸らしたため、若い魔法使いたちがまたヒソヒソと慄いていた。事もなげに口を開いたオーエンの言葉が、一段と誤解を深める。
「奴隷じゃない?」
「奴隷!?」
「違ぇよ。けど、子分っていう感じでもねえしな。妹みてえなもんだろ」
「ミスラおじさんの妹……?」
 北の魔法使い同士で首を傾げ合っている中、ブラッドリーの言葉にルチルが反応を示す。「兄様?」と不思議そうにするミチルの横を通り過ぎて、ルチルがそっと少女に歩み寄った。
「もしかして、ちゃん? 私のこと、わかるかな。南の国の、ルチルだよ」
「……、ルチル、お兄さん?」
「ああ、よかった! やっぱりちゃんだ、大きくなったね」
 少女の小さな丸い頭を、ルチルの手が優しく撫でる。ミスラの影に隠れながらもどことなく嬉しそうにその手を受け入れたという少女に、ミチルもリケも同年代ということもあり興味津々な様子で近付いた。
「ルチル、この方は……」
「兄様のお知り合いですか?」
「うん、この子はちゃん。母様の養い子だった子だよ」
「母様の?」
「ルチルの母親っていうと、大魔女チレッタ?」
「はい、賢者様。ミチルはまだ生まれる前だから、知らなかったね。訳あって、母様が亡くなるまで私と一緒に育っていました」
「訳って……」
 首を傾げる賢者に、ルチルは曖昧に微笑む。何かを言い淀んでいるような雰囲気のルチルは、丁寧に言葉を選びながらを見下ろした。
「少し、魔力が強くて。ちゃんがまだ小さいうちにお別れしてしまったんですが……フィガロ先生を通して、時々お手紙のやり取りをしていました」
「じゃあ、ミチルと同年代?」
「はい、私の三つ下だったかな」
 確認するようにルチルがに視線を向けると、はこくりと頷く。物静かを通り越してルチルが代弁しているような様子を訝しむと、ルチルは苦笑して「すみません」と言った。
ちゃんは、その……言葉に魔力が乗りやすいんです。だからあまり、話すのが得意じゃなくて」
「言葉に魔力?」
「――言霊か。呪いとも言うが」
「オズ様……」
 横から口を挟んだオズに、ルチルは何か言いたげに眉を下げる。は少し怯えたようにミスラの上着の裾を掴んだが、ミスラは「そういえば」との首根っこを掴んでオズに差し出した。
、あなたオズに会いたがっていたでしょう。この陰気な男がオズですよ」
「ミスラ……!」
「私に……?」
 最強の魔法使いに対する無礼な物言いに賢者が青ざめるが、オズはただ怪訝そうに眉を顰めただけで。オズの目の前に突き出されて緊張している様子のを、オズの隣からひょこっとアーサーが覗き込んだ。
、と言いましたか。オズ様に、少し似ていますね」
「そういえば、確かに……」
「隠し子なんじゃない?」
「オーエン、オズ様に隠し子などいるわけがないだろう」
「……言霊に、その容姿……あの女の娘か」
「心当たり、あるみたいだけど」
「そんな、オズ様!?」
「本気で隠し子だったりするのかよ!」
「……ちが、います」
 誤解を招くようなオズの呟きに、オーエンが茶々を入れ。動揺するアーサーと面白がって身を乗り出してきたブラッドリーにオズが何か言う前に、がおずおずと隠し子疑惑を否定した。色めき立った空気は、の遠慮がちな声で静まり返って。ミスラを頼りにするようにちらちらと視線を泳がせたは、ぐっと息を呑んでオズをどうにか真っ直ぐ見据えた。
「そのことで、生みの母がご迷惑をおかけしました……申し訳ありません」
「…………」
「オズ様には、必要以上に接触しません、ので……その、ここにいることを、お許しいただければ……」
「お前の謝罪を受ける謂れはない」
「オズ、そんな言い方は……」
「お待ちください、賢者様」
 素っ気ない返答に見えたそれを窘めようとするが、アーサーが賢者を制する。ミスラに雑に掴まれたままの首をそっと解放してやったオズは、を見下ろしてほんの少し、極寒の表情を緩めた。
「哀れまれるべきはお前自身で、咎められるべきはお前の母だ。それを違えるな」
「……オズ様」
「お前の罪ではない」
 はっきりとした口調で告げると、オズは広間から姿を消す。それを追おうとしたアーサーは、くるりと振り向いてに笑いかけた。
「気にしていないそうだ」
「……!」
「事情はわからないが、オズ様がああ仰っている以上避けたりせずとも大丈夫だ。誤解されることの多い方だが、臆せず慕ってやってくれ」
 オズを無邪気に慕うアーサーのきらきらとした笑顔に、はぱちぱちと眩しいものを見たように目を瞬く。アーサーを見送ったの首を再び掴んで、「もういいですか?」とミスラが退出の許可を求めるように賢者を見た。
「その子は……」
「オズの子じゃありませんよ」
「あ、いや……そういうことじゃなくて」
「似ているのなんて、髪と目の色くらいでしょう」
「陰気なとこも似てねぇか?」
「ブラッドリーから見れば、大抵の人間は陰気だと思いますよ」
「ああ?」
 どこか蔑むような響きを含んだ言葉にブラッドリーが凄むが、今は争う気分ではないらしいミスラはを掴んだまま自分の部屋へと帰っていく。オズと話したいというの願いこそ叶えてやったものの、その結果には全く興味が無かったらしい。何やらオズと因縁があるらしい少女がオズに拒まれたときのことなど、全く考えていなかったようだった。或いは拒まれようと関係なく、魔法舎にを置くつもりだったのかもしれないが。『忘れ物』と称して北の住処から「持ってくる」程度には、関心や思い入れがあるようだ。
「ミスラの家族、ってことなのかな……?」
「家族? 所有物ですよ」
 当面の用途は抱きまくらです、と言い捨ててミスラは広間から去っていく。「けだもの……」と呟いた彼に、「賢者よ、何か思い違いがあるようじゃな」とスノウが生暖かい眼差しを向けたのだった。
 
200618
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