「頼まれたんですよ、チレッタに」
日を改めて賢者がの話を聞きに行くと、ミスラは面倒くさそうな様子を隠しもせず投げやりに答えた。は部屋の隅で、何やらミスラに言い付けられたらしい作業を黙々と行っている。目を悪くしそうだと思ったが、「視力低下防止の魔法はかけてやっていますよ」と先手を打つように言われて面食らってしまった。どうやら口に出ていたらしい。
「は約束の対象外なんですが、それとは別に引き取って面倒を見てやってくれと言われまして」
ミチルとルチルを、守る約束。魔法使いは約束を破れば魔力を失う。だからミスラはあの兄弟を守るのだと聞いたことがあったが、はチレッタの養い子とはいえその約束の範疇には入っていないらしい。ただ、ルチルから話を聞く限りチレッタは実の子ではないからと差別をするような母親ではない。何か理由があるのだろうと、そこについては何も訊かないことにした。
「チレッタの友人の娘なんですよ」
「それはまた……微妙に他人のような、そうでもないような……」
「他人ですよ、俺からすれば。それにその友人、頭がおかしくなっていたんです」
チレッタの友人であるその魔女は、オズに叶わぬ恋をしたのだそうだ。一方的に押し付けられる恋心に振り向くはずもないオズに、恋焦がれて。燃え続ける恋の炎で、理性も溶かして。心は千々にちぎれて。どこの誰ともわからない相手と作った子どもを、「あなたの子よ」と抱いて迫ったのだとか。生まれたばかりの頃、の髪と目は母親と同じ色をしていたのだそうだ。魔力も、そう特別強かったわけでもなく。抱いた赤子を「くだらない」と一瞥もしなかったオズに、魔女は更に狂気を募らせた。言霊を操る彼女は、我が子に呪縛の言の葉を与えたのだ。
あなたはオズの子。あなたは最強の魔法使いの子ども。あなたの髪はオズと同じ。あなたの目はオズと同じ。あなたの魔力も、オズと同じ。同じ。同じ。同じ。オズと同じ。だってあなたは、オズの子。
思い込みの力とは恐ろしいもので、その言霊は一時的な上辺を装うものではなくという存在そのものを作り変えてしまった。髪の色も目の色も、オズの色に。魔力は、赤子には到底制御しきれないほど膨大なものに。そうして、自身の全てを注ぎ込むようにしてを「オズの子」に作り変えた魔女は事切れた。魔力を全てに注いでしまったのだろうと、チレッタは結論づけていたそうだ。狂った友人を止めることのできなかった自責の念と、母親に存在を歪められ独り置いて行かれた赤子への憐憫。チレッタは、友人の遺した子を引き取った。
「壮絶な話ですね……」
「オズのせいですよ。受け入れないなら、殺してやれば良かったのに」
産みの母の狂気も、オズを詰るミスラの言葉も、にはさして関心のないことのようで。相変わらず、は淡々と手元に集中している。ファウストの受け持ちだったなら、良い生徒だと褒められていただろう。
「けどまあ、チレッタは息子を産んで死ぬことになりましたから。俺が後を頼まれたんです」
「どうして、ミスラに?」
「近くに強い魔法使いがいないと駄目だったんですよ。元々の器に収まらないほど魔力が大きくなってしまって、到底制御なんてできませんでしたから。『あんたなら力尽くでどうにかできるでしょ』と」
「フィガロとか、双子は……?」
「なんか、関わらせたくなかったみたいなんですよね。『善良な魔法使いの喧伝に使われそうで嫌だ』って」
「ああ、それは何となく察することができます……」
ふと、時の洞窟で聞いた声を思い出す。愛らしい幼子に見える双子も、穏やかで少し頼りない町医者を自称するフィガロも、目的のために手段を選ばない。盗賊団の首領としてわかりやすく『悪』の魔法使いであるブラッドリーを見せしめにし、おぞましい拷問を与えて約束を取り付けさせようとする残酷さを持ち合わせている。昔馴染みの忘れ形見ならともかく、その友人の娘にまで情で気を遣ってくれるとは思えない。良くて『善良な魔法使い』として働かされるか、悪ければブラッドリーの二の舞だ。彼らであっても手の出しにくいミスラの元へを預けたチレッタの決断の影にはやはり、への確かな愛情があったのだろう。
「チレッタはを可愛がっていましたよ。名前をつけたのも、チレッタですし。ルチルととミチルの、三人兄弟を夢見てたみたいです」
優しく芯の逞しい兄と、引っ込み思案だが思いやりのある姉、そしてしっかり者で少し生意気なところも可愛い弟。広く美しい南の大地で、きょうだいが仲良く駆け回る未来を夢見たのだと。けれど、チレッタが望んでいた未来は彼女自身の死によって潰えることになった。
「双子が、が喉を潰す未来を視たんだそうです」
「え……」
「家族とか、周りの人間とか、そういうものの幸せのために言霊を使って。その未来を変えようとしたのもあるんだと思いますよ」
大切な家族の元にいては、家族の幸せのために喉を潰し続けてしまうから。チレッタたちは、の力や存在を食い潰すために愛したわけではない。家族のために、自身をすり減らす必要は無い。それでも突然家族と引き離されたは泣いて泣いて手もつけられなくて。物心がつけば戻りたがって、チレッタの死を聞いてまた泣いて、魔力を暴発させて。その度に、ミスラが抑えつけた。いくら人並みより魔力が強いと言っても所詮は幼い紛い物、ミスラに敵うほどのものではない。面倒だとは思いながらも、「死なせないでよ」と言われたを一応守り続けてやった。そうしているうちに、ようやく力関係を理解したようで。今のは大人しく、ミスラの言うことを聞いている。
「そこで力関係って話に行き着くんですか……?」
「他にあります? が俺の手元にある理由」
「例えば懐かれたとか、好かれたとか、情が湧いたとか……」
「石にできるまで、従わせて一応守ってるだけですよ。今更他の魔法使いに横取りされるのも、癪ですし」
「え? 石?」
「は、チレッタにもらったマナ石ですけど」
「いや、えっと、ちゃん、生きてますけど……」
「石になるまででしょう?」
オズがアーサーを、同じ理由で拾ったことを聞いた。けれどオズは口ではアーサーに素っ気ないことを言うこともあるものの、アーサーを慈しみ愛している。石にする気など、今はもうない。彼を害するもの全てを薙ぎ払ってでも、守ろうとしている。けれどミスラは、そうではない。オズのように、照れ隠しにも似た何かで言っているわけではない。本気で、ただ将来食らうマナ石としてを手元に置いているだけなのだ。とても良質な石になるはずのを他人に取られたくないから、守っているだけで。
「チレッタさんは、そんなつもりでちゃんを頼んだわけではないと思うんですけど……」
「けど、約束したわけじゃありませんから。上等な石を寄越してくれたとしか、思っていませんよ」
約束もさせずに託す方が悪いのだと当然のように思っているミスラの言葉に、賢者は絶句する。そう遠くはない未来自分が殺されるという話であるのにには少しも動揺した様子はなかった。
「まあ、便利ですよ。今は大人しくて従順ですし、あれこれ雑用をしてくれますし、柔らかいので抱きまくらにできますし」
「抱きまくら……?」
「傷のせいで眠れませんが、を抱きまくらにして死ぬほど頑張らせればたまに眠れます」
「何させてるの!?」
「何って、言霊を使わせているだけですけど」
「抱きまくらにする必要ありますか!?」
「特に無いですけど、抱き心地がいいので」
「一々言葉選びが際どい……さすがけだもの……」
よくよく見れば、の手元にある瓶のひとつは蜂蜜だ。鉢の中で混ぜている薬草も、喉に効くものばかりなのだろう。
「より強い魔法使いには、ほとんど効かないんですよ。言霊」
「そうなんですか……」
「まあ、だから一緒にいても問題ないんですけど」
「え?」
「喋るたびに呪いを振り撒くようでは、自分より弱い人間と暮らせないでしょう」
「あ……」
言われて、気付く。が全く声を発しないのは、この場にいる賢者を気遣っているからなのだと。思えば昨日も、ブラッドリーやオズたち北(出身)の魔法使い以外にはほとんど声を出そうとしなかった。昔より制御できているとはいえ、いつ言葉が呪いになるかと思えば会話すら躊躇ってしまうだろう。昨夜ミスラに死ぬほど魔法を行使したことが原因で黙っているわけではないのだと、いやもしかしたらそれも一因かもしれないが、けれどやはり大半は賢者のためなのだろう。
「その、ありがとう。ちゃん」
「……どう、いたしまして」
少し掠れた声は、穏やかな響きだった。穏やかだけれど、意図してそうしているかのようにどこか空ろで透明な響きだ。できるだけ、感情を乗せないように気をつけているのだろう。賢者は、魔力に対する抵抗力など持っていないに等しい普通の人間だ。北に暮らしミスラの元で過ごしていても、は心優しい魔法使いなのだろう。基本的に北の彼らは、人間を慮るということを知らない。
「好きに暮らせばいいと思うんですけどね。呪いをばら撒こうが、弱い人間にしか害はないわけですし」
「ちゃんは優しいんですよ」
「ふうん。そういうところは南の魔法使いみたいですね。生まれも育ちも北なのに」
、とミスラに呼びつけられて顔を上げる。物心つく前にはミスラに引き取られていたは、けれどあまり所作がミスラに似ていない。聞けば、ミスラが気まぐれに人間の好む物語の本を与えてやっていたらしい。黙って本を読んでいる間は手間がかからなくていいという面倒くさがりがきっかけとはいえ、かろうじて常識や良識に似た何かをは身につけることができた。ルチルとの緩やかな文通でまともな人間との関わりがギリギリ繋がっていたこともあり、今のところ魔法舎でのの評価は「少し世間ずれしている」程度で済んでいる。ミスラの振る舞いのだらしなさを知ったルチルが何かとの教育を気にかけているようなので、の将来はそう悲惨なことにはならなさそうだった。綺麗な顔立ちの少女であるだけに、生肉を素手で食べていたりしたら目も当てられない。とはいえ結局はミスラと同じ食生活なので、生肉をナイフとフォークで食べるといったチグハグなこともしていたらしいが。(自分が食べたいから)肉料理のレシピを時々教えていたブラッドリーや、(自分が食べたいから)お菓子作りのレシピを時々渡していたオーエンのおかげで料理という概念自体は獲得していたらしく、昨日はネロやカナリアに教わっておっかなびっくり料理を手伝っている姿を見かけた。
ミスラに連れられてブラッドリーやオーエンたちとの食事に行けば、いちばん行儀が良かったのはだったそうだ。もっともそれは、彼女は彼らに自分の取り分を奪われても文句も言わなければ勿論殺し合いにも発展しないからなのだが。とっくの昔に成人している男三人はともかく育ち盛りのがそんな偏食生活に置かれていたことに真っ青になったのは、ルチルだけではない。ちゃんと食べていたのだろうか、と雪の妖精のごとき儚さを周囲に案じられては一日三食バランスよく食事を摂るようになった。誰にも奪われない、彩り豊かな食事に戸惑うの様子にシノやクロエは自らの過去を思い出したらしく、「これも食え」「大丈夫、全部ちゃんのだよ」と励ましている様子すら見受けられた。オズはアーサーを育てるようになって意外な父親の才能を見せたが、ミスラはやはりミスラだったのだろう。本当に、をいつか喰らうマナ石としてしか認識していない。薬指の指輪より重いもので、の未来は塞がっていた。
「、フィガロには近付かないでくださいよ」
「……?」
「何かあったんですか?」
ミスラの命令に不思議そうにしながらも大人しく首を縦に振ると、今更フィガロを警戒する理由は何だろうと首を傾げる賢者。気だるそうに顔を上げて、ミスラは遠くを見るような目をした。
「思い出したんですよ。チレッタがをフィガロに預けなかったもう一つの理由」
「もう一つの理由?」
「『自分好みに育てて弄んだ上に、面倒くさくなったら捨てそう』だから嫌だったんだそうです」
「そ、それはまた……」
無いとは言い切れないのが、フィガロがフィガロたる所以である。北に生きる魔法使いにしては珍しく双子ともフィガロとも関わりをほとんど持たないは、こうしてミスラが守っていたのだろう。それが良いことなのか悪いことなのか、わからないが。
「双子はまあ、関わらずにいる方が難しいですから……適当にやり過ごしてください」
「…………」
こく、と大人しく頷くの、内心がわからない。
「あなたは俺の食べる石になるんですから、忘れないでくださいよ」
そんな言葉にさえ躊躇わず頷くの気持ちが理解できなくて、賢者は渋い顔をして二人の部屋を辞したのだった。
200618