ブラッドリーは、を人質にしたことがあるらしい。
「人質っつーか、盾っつーか」
「ミスラに対してですか?」
「いや、俺に恨みを持ってる北の奴らに囲まれた時だな。なあ、雪ん子?」
街にあまり出たことのないを連れ出した、その帰り道の出来事だったのだそうだ。ブラッドリーに水を向けられ、はこくんと頷く。の手元にあるのは、彼女のアミュレットだという水盆だ。賢者が見せてほしいと頼んだら、快く頷いて持ってきてくれた。本当に、北の魔法使いらしからぬ善良さだ。ブラッドリーは雪ん子と気軽に呼ぶが、雪の妖精や精霊と言った方が相応しい儚げな雰囲気を纏った可憐な少女。こんな少女を盾にするなど人の心が無いのではと思ったが、ブラッドリーはそんな賢者の内心を見透かしたかのように肩を竦めた。
「こいつに怪我させねぇためだよ。俺は戦ってもよかったけどな、巻き込まれて怪我でもしたらミスラがうるせえだろ」
「帰った途端に第二次大戦が起きそうですもんね」
「おうよ。だから教えてやったんだよ、こいつに手ェ出すのはミスラに手ェ出すのと同義だってな」
「それで、襲ってきた人たちは帰っていったんですか?」
「はっ、帰れるわけねえだろ。こいつの呪いが全部食ったよ」
「……え?」
「襲われたら殺せって、ミスラに教え込まれてっからな。呪いの人形持たされてるし、一瞬だったぜ」
は、ミスラの元で育っている。その手にある水盆が示すように、彼女のマナエリアはミスラと同じ夜の湖で。得意な魔法の系統も、彼に師事するうちに似通っていったらしい。空間魔法と――土着呪術。
「食った、って……」
「そいつの腰に趣味の悪ぃ人形がぶら下がってるだろ、ミスラに持たされてる呪具だよ」
「賢者様の見たがっていた、魔法具、です。ミスラ、つくってくれました」
がベルトに下げた人形に触れると、瞬時に部屋を埋め尽くすほどの大きさに変わる。が言霊を込めればもっと大きく強くなるのだと、たどたどしくも丁寧に説明してくれた。歪な縫い目の口は、昏い昏い「何か」に繋がっている。はすぐに人形を元の大きさに戻したが、この人形が魔法使いたちを「食った」光景が容易に想像できてしまった賢者は俯いた。
「殺されそうになったら、みんなこの子に食べさせなさいって。ミスラが」
「……ミスラの言うことを、ちゃんと守ってるんだね」
賢者の言葉に、はこくこくと頷く。のこういうところが――良い子なのは間違いないし良心だってある一方で、常識に疎く善悪の基準が曖昧なところが時折どうにもちぐはぐで恐ろしい。氷の花が触れた掌を裂くような、冷ややかな恐ろしさをも有している。北の魔法使いは、恐ろしいほどに美しい。大切な人たちの幸せを、自身をすり減らしてでも願うことができるなのに、大切ではない人には残酷なまでに無関心で。
「こいつはてめぇが思ってる百倍えげつねえからな、賢者」
「…………」
「妖精だの何だの、んな可愛らしいもんじゃねえよ。ミスラが育てたガキだぜ?」
人のナリをしてまともに話ができるだけ上等だと、ブラッドリーはシニカルに笑った。
「けだものに決まってんだろうが。北の魔法使いなんだからよ」
「そんな、こんな女の子にけだものとか……」
「……ミスラがけだもの、なら、私もけだものがいい、です」
「ほらな」
鼻を鳴らしたブラッドリーと、人形の頭を撫でて俯く。他人にどう評価されるかを意に介していないところは、やはりミスラの身内なのだと感じた。
「ミスラさん、ちゃんには熱心に魔法を教えてるんですよね」
「熱心……? ミスラが……!?」
「ああ、他の人と比べて。という意味です」
「なるほど、当社比ね……」
「?」
賢者の世界の言い回しに首を傾げたルチルは、魔法舎の庭で何となく集まってに訓練をつけているらしい北の面々を見て何かを思い出すように目を伏せた。親戚の集まりで年少の子のお守りを任され屯っているヤンキーの集団のようだな、とよくわからない例えが浮かぶ。
「ちゃんのお手紙にも、ミスラさんは魔法をいっぱい教えてくれるって書いてあったんです。本当に良くしてもらってるんだなって、思ってたんですけど……」
「魔法のこと以外、書くことがなかったのかもしれないですね……」
「師弟としては意外とちゃんとしてるのに、他はどうしてああなんでしょう」
ルチルには到底言えないことだが、ミスラはいずれを石にして食う気でいる。魔力が強くなるに越したことはないから、魔法についてはちゃんと教えてやっているのだろう。
(なんてこと、絶対に言えないけど……)
マナエリアが同じだからとはいえ、自分が行く必要のないときにも連れて行って。その湖に咲く花の浮いた水盆を、手ずから作ってやって。呪文もミスラが決めてやったのだそうだ。魔法具だって、ミスラが作ったものを与えている。おまけに、の身を守る機能までつけて。それらの事実だけ見れば、ミスラは本当に良い師匠をやっているのだ。例えそれが、の石としての質を上げるためだとしても。何とも言えずにルチルの隣で彼のスケッチを見守る賢者は、聞こえてきた会話に目を剥くこととなった。
「ねえ、オズの足元を海に繋げたら面白いんじゃない。」
「どうせなら毒沼にしませんか」
「いいな! オズは雪ん子に甘ェし、思いっ切りやらせようぜ」
「ちゃんに物騒なイタズラさせないでください!?」
訓練にかこつけて、オズへの嫌がらせを話し合っていただけであった。北の魔法使いがまともに授業などするはずがないのである。に訓練をつけていると言えばちゃんと修行していることになるため双子にとやかく言われない、というのが彼らが集まっている理由だった。ミスラとオーエンは特にそうだが、普段殺伐としているくせにオズに対抗するときだけ生き生きと団結するのは何なのだろうか 。が大人しく聞いているだけなのをいいことに、和気藹々と物騒な相談を進めていく。仲良きことは美しきかなとは到底言えない何かが、そこにはあって。賢者が止めに入ると、彼らは一様に不満げな顔をした。
「止めないでくださいよ、賢者様。の教育に悪いじゃないですか」
「教育に悪いのはミスラたちですよ!? オズにちゃんけしかけるとか、危ないじゃないですか」
「大丈夫でしょ、どうせオズはに怒らないし」
「過保護は良くねえだろ? 冒険させるんだよ」
「北の英才教育やめて!? それにそんなことちゃんにさせたら、みんながけしかけたのがバレてオズはそっちに怒ると思うんですけど……」
「…………」
「……それもそうか」
「問答無用でこっちに雷落としてきそうだよな」
「オズの子どもでもないくせにね」
「人の教育にはケチつけるんですよね、あの男……」
口々に勝手な文句を言いながらも、ひとまずオズに対してをけしかけることは断念してくれたらしい。ほっとしながら、の教育の方向性をもう少し平和なものにしようと賢者はスケッチに勤しむルチルを指す。
「情操教育とかはどうですか? ルチルに絵を教わるとか……」
「あの絵が情操教育になると思ってるの、賢者様」
「…………」
「おい、そこでお前が黙り込むなよ」
「ルチルお兄さんの絵、すき、です」
「子どもに気を遣わせて、ひどいね賢者様」
「えー……」
「いえ、は気を遣ったわけじゃないと思いますよ」
昔からよくわからないものが好きですから、とミスラは肩に手をやる。「変なものに可愛いとか好きとか言うんです」と言うミスラに、ブラッドリーが呆れたように唸った。
「絶対てめぇのせいだろ。魔法具だの魔除けだの、変な人形ばっか持たせてんじゃねえか」
「なんか、が気に入るんですよね」
「陰気で不気味なミスラの住処で育ったから、趣味が悪くなったんじゃない」
「?」
「やっぱり情操教育、必要なんじゃ……」
ミスラの部屋を思い返せば、の美的感覚のズレも納得できてしまう。ミスラが土着呪術を好んでいるため必然的にそうした物の多い部屋になるのは仕方のないこととはいえ、子どもが育つのに適した環境では絶対にない。
「ちゃん、今大丈夫かな?」
「ルチルお兄さん、」
賢者の後ろから、ひょこっと顔を出したルチル。話を聞かれていただろうかとビクッと肩を跳ねさせたのは賢者だけで(北の彼らはそんなことを微塵も気にしない)、は心なしか嬉しそうな顔でルチルを見上げた。にとって素敵な絵を描くルチルは、かつてルチルが「ミスラおじさん」に憧れていたようにに慕われている。幼い頃に別れたきりだったとはいえ、と南の兄弟の関係は良好だった。
「今日はちゃんを描いてみたんだ。よかったら、見てほしいなと思って」
「それ、呪われ……もがっ」
失礼極まることを言おうとしたオーエンの口を塞いだ賢者の横で、がルチルに礼を言っていそいそとスケッチブックを覗き込む。賢者も怖いもの見たさでその手元にちらりと視線を向けたが、案の定そこには抽象画というにもあまりに前衛的な光景が広がっていた。画用紙の舞台で、踊り狂っているかのような呪いの人形。全体的にホラーな雰囲気であるのに、と思われる人形が浮かべる笑顔だけが眩しいほどに純真無垢で。その落差が恐ろしく、背筋が凍るような見事な怖気を醸し出している。少なくとも、これを幼子に見せたら確実に泣き出すような。
「わぁ……! ミスラの人形と、おそろい……!」
「ふふ、ちゃんならわかってくれると思った。魔法具のお人形さんを気に入ってるみたいだから、絵の中で一緒に遊べたら楽しいかなって」
「たのしい、です……すごく……! ありがとうございます、ルチルお兄さん……」
「この絵、よかったらもらってくれると嬉しいな」
「! いいんですか、嬉しい……」
「ちょっと、……」
心の距離は遠巻きにルチルとのやり取りを見守っていたミスラたちだったが、がルチルから喜んで絵を受け取ろうとするのでミスラが止めに入ろうとする。ミスラとは同じ部屋だから(というか、ミスラの部屋にが「置かれて」いるのだが)、寝付きが更に悪くなりそうな絵を置かれるのは嫌だったのだろう。けれど、オーエンがミスラの肩を掴んで前に出る。
「良かったね、。オズに自慢しておいでよ」
「オズ様に?」
「そう。素敵な絵を描いてもらったんだから、きっと『おとうさん』は喜ぶよ」
「……いいですね、それ」
「でも、わたし、オズ様の迷惑……」
「おいおい、中央の王子も言ってただろ? オズと仲良くしてやってくれってな。北の魔法使いならビビってんじゃねえよ」
「…………」
止めに入るべきか否か、賢者は迷っていた。オズは自らに話しかけることはほとんど無かったが、ミスラの後ろを追いかけて歩くを気にかけているのは知っている。オズの育て子であるアーサーも、「妹になっていたかもしれない存在、つまり妹のようなものです!」とに構う機会を探している。はオズに対する罪悪感が強いようだが、それでも自分のルーツの一端であるオズにやはり関心があるようで。本当の親子でも家族でもないけれど、きっかけさえあればきっと彼らは親しくなれるのだろう。ミスラとよりも、よほど人間的な関係に。一方的に寄せられた恋慕を拒んだだけとはいえ、それが一人の子どもの人生を捻じ曲げたことをオズは気にしている。は、自分の存在そのものがオズにとって迷惑なものであると思い近付くことを躊躇っている。互いに互いを慮るその気持ちは、きっと優しい関係に育っていくと思うのだ。だから、がオズに近付くきっかけを潰したくはないのだが。
「でしたら、オズ様も一緒に描きましょうか?」
「……!」
「ええ、いい考えだと思いますよ」
「いいんじゃない? もっと喜ぶと思うよ」
「喜びすぎて泣くかもしれねえな」
(適当なこと言って……)
「あれ、賢者様は喜んでくれないの? せっかくとオズが仲良くなる機会なのに」
オーエンに名指しされ、賢者は頭を抱えたい気持ちになる。オーエンもミスラもブラッドリーも、「とオズが仲良くなるため」などとは微塵も思っていない。この前衛的な絵を見せられたオズが反応に困るのを楽しみにしているだけだ。だがそれを理由に止めるためには、とルチルにこの絵がオズへの嫌がらせになる理由を説明しなければならず。つまるところ、「お前の絵は嫌がらせだ」とルチルに言うということである。そんなことできようはずもないし、わかっていてオーエンはニヤニヤと笑っている。ちょっと男子ー、純粋な二人を使ってオズに嫌がらせするのやめなよー、と言いたいところではあるのだが。今この場では、賢者こそが空気を読めていない存在になってしまっている。賢者はあまり快く思っていないのだろうかと不安そうにするの瞳は、ゆらゆらと頼りなく揺れていて。ちょっと賢者ー、ちゃんのこと泣かせるのやめなよー、そう脳内の双子が頬を膨らませた。
「いや、いい考えだと思うよ……」
「そうだ、賢者様もついて行ってあげなよ」
「一人だと緊張するでしょうし」
「俺たちだと警戒されるしな」
「君たち、本当にこういう時は仲良いですよね……」
賢者が肯定すると表情の明るくなったを前に、今更否定などできるはずもない。それはそれは楽しそうなオーエンが賢者の同行を勧め、ミスラとブラッドリーも賛成する。つまりオズに叱られるときは、賢者も連帯責任で盾になれということだ。とルチルの笑顔を壊す勇気が無かった賢者への、当然の代償である。「わかりましたよ」と肩を落とすと、それぞれ北の魔法使いらしい酷薄な笑みを彼らは浮かべた。オズに冷たい目で見られるのは嫌だなあ、と思うものの。
「賢者様、ルチルお兄さんの描いてくれるオズ様、たのしみです、ね……!」
「……うん、そうだね」
こんな風に、穏やかに雪が積もるように少し溶けた温度の笑みを浮かべるが見られたのなら。きっとそれも安い代償なのだろうと、賢者は思ったのだった。
200622