ありがとう、小さな可愛い魔女さん。ルチルたちと出かけたが、高いところに登ってしまった猫を言霊の魔法で下ろしてやって子どもたちに感謝されているのを見かけた。
子どもに近寄るな、言葉で人を操る魔女め。ルチルたちが庇っても、大人たちの言葉がを傷付けるところを見てしまった。賢者の制止は間に合わず、は黙って空間の扉を繋げて帰ってしまった。
「そこで売られた喧嘩を買わないだけ、北の魔法使いとしては埒外の『神対応』かと」
「それはそうなんですけど……」
 シャイロックがグラスを磨きながら、にこりと意味深な笑みを浮かべる。前の賢者から教わったであろう単語を使って茶化しているが、言外に込められているのは物騒な展開にならなかっただけ幸いだという憐憫だ。そもそも猫を助けていたかはともかく、彼女に空間魔法を教えたミスラであれば自分が去るのではなく相手を空間の扉に放り込んでいる。行先は遥か沖合いか、北の雪深い山奥か、はたまた活火山の火口か。強さが全ての北の魔法使いは、人間に舐められることを良しとしないだろう。ましてや、親切を誤解され仇で返されれば尚更だ。
「噂をすれば、小さな大魔女様がいらっしゃいましたよ」
「? ああ、ちゃん。珍しいね」
「……こんばんは、賢者様」
 きょろきょろとバーの中を見渡したは、賢者しかいないカウンター席で隣に腰かける。普段ミスラに持ち歩かれている彼女がひとりでバーにやってきたことも、人見知りの傾向があるのに賢者の隣に来てくれたことも、大事に育てられているよその家の仔猫が懐いてくれたようで嬉しかった。ひとり静かに感動に打ち震えている賢者を、シャイロックはにこやかに見守っている。とりあえず、面白がられていることだけはわかった。
「賢者様、その」
「何かな?」
「恋愛について、教えてください」
「え」
 ここにいたのがシャイロック以外だったなら、賢者の間抜けな顔を見て吹き出していただろう。至極真面目な顔で恋愛相談を持ちかけると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まった賢者。賢者は魔法使いを導く存在だというが、はたしてこれは職務の範疇なのだろうか。いや、求められれば否やはないが。間違った受け答えをすれば自分が火口行きなのではないかと思ってバーの中を見渡すが、ミスラの姿はやはりなかった。
「どうしたの、ちゃん」
「……その、ミスラと」
「付き合い始めたの!?」
「賢者様、早とちりはいけませんよ」
 ガタッと立ち上がった賢者を、シャイロックが窘める。「そ、そうだよね」と座り直した賢者との周りに、何だ何だと魔法使いたちが集まってくる。ファウストにネロにヒースクリフにシノ、つまり東の魔法使いの大集合であった。
「どうしたんだ、賢者さん。でかい声出して」
「虫でも出たのか」
「あ、もいたんだね」
「……こんばんは」
 心配して集まってくれた彼らに、の恋愛相談と言っていいものかしばし悩む。けれどの方から「賢者様に恋愛相談をしていました」と打ち明けていて、東の彼らはびしっと凍り付いた。
「解散していいか?」
「ファウスト先生……俺たちで力になれるなら、なってあげたいんですが……」
「恋愛相談はファウストには向いていないんじゃないか」
「それを言うなら、シノも賢者さんも似たり寄ったりじゃないか?」
 好き放題な言い分である。人に気を遣うとか他人に合わせるとか、そういう東の国の美点はどこへ行ったのやら。けれど確かに賢者ひとりでは持て余す話題だったので、逃げないでくれという意図を込めてファウストの腕を掴んだ。
「……恋愛相談なら、シャイロックが適任だろう。僕らが口を出す必要も無い」
「私が彼女に提案したんですよ。いろんな人から意見を聞いてみるのがいいと」
「君でも持て余すような色恋を、僕たちが解決できると思うのか」
「残念ながら、まだ色恋にすら至っていません。だからこそ、貴方がたのお力もお借りしたくて」
「……恋じゃない?」
「ミスラのことじゃないのか、
 怪訝そうな顔をして、シノがを見下ろす。ネロやヒースクリフも似たような顔をしていて、東の彼らから見たら少なくともはミスラへ恋をしていると思われていたらしかった。おそらくファウストがあまり関わりたくなさそうにしていたのは、ミスラとの痴情のもつれなど厄介極まるという理由だろう。
「ミスラのこと、です……」
 魔法具のぬいぐるみを抱きかかえたは、言葉を選びながら事情を話した。ミスラが将来的にを石にすることは、主に北の面々と賢者しか知らないことだ。あまり他人にいい顔をされない話であることはにもわかるから、が自らそれを打ち明けることはない。から向けられる好意をミスラが自覚していること、恋や愛をが望むならそれに少しの間付き合ってくれる気でいること、けれどそれを言われたが自身の好意を愛とも恋とも定義づけられなかったため、何が欲しいのかわからないこと。正直他人の色恋沙汰に介入することに向いていない東の面々はそれぞれに微妙な面持ちになったが、遠慮を知らないシノが真っ先に首を傾げた。
「そんなの、好きだから一緒にいる、でいいんじゃないのか」
「……もう、叶ってます」
「それもそうだな。じゃあ、結婚したらどうだ」
「ちょっと、シノ……」
「お願いを叶えてくれるんだろ」
 何もシノは、適当に言っているわけではない。彼はそもそも、好意を細かく区切って仕分けることの必要性を感じていない。昔ヒースクリフの母親に求婚したように、感じたままに求めることができるのがシノだった。
「結婚……」
 の知る『結婚』とは、『仲良く暮らしました。めでたしめでたし』だ。つまるところ、物語のエンディングとしてしかそれを知らない。結婚とはどういう愛の形なのか首を傾げるに、自然と視線は年長者の二人に集まった。
「僕は未婚だ」
「いや、俺もだけど……まあ、一緒に暮らして相手のために飯作ったり、子どもを産んで育てたり、一緒に年取ったり、そんな感じじゃないか?」
「子どものことを除けば、わりと現状維持のような……」
、お前ミスラの子どもが欲しいのか」
「……?」
 単刀直入すぎる問いかけに、ではなく賢者が真っ赤になった。鈴を転がすように笑ったシャイロックが、賢者の前に水を置いてくれる。は子どものことなど考えたこともなかったとでも言いたげな表情で考え込むが、いまいちピンと来ないようで。結婚式だとか指輪だとか記念日だとか新婚旅行だとか、「結婚といえば」と思い付くものを並べていく若手二人を止めたのはファウストだった。
「先の選択肢を色々と与えるより、出発点を見直した方がいいんじゃないか」
「出発点?」
「この二人は色々と特殊すぎて、一般的な恋愛の例を出しても自分のことのようには思えないだろう。それなら、ミスラのことをどう好きなのか掘り下げる方が先だ」
「ミスラのことを好きだと思ったきっかけは何だったのか、とかな」
 ファウストの言葉にネロが続き、何だかんだ言いつつも真摯に相談に乗っているファウストたちに賢者は感心する。「チレッタさんの魔法具が好きだったんだっけ」と賢者が水を向けると、はこくりと頷いた。
「母様の魔法具、安心して……気が向いたときには見せてくれるって……ミスラが言うから、北にいました」
 突然南から北へと連れてこられて、帰りたくても帰れなくて。ミスラが持っている魔法具だけが、南の家族を思い起こさせて安心をもたらしてくれた。チレッタは亡くなったのだという言葉を信じたくなかったけれど、「私はもうすぐ死んでしまうから、これからはミスラおじさんと仲良くね」というチレッタのお別れの言葉が現実を思い出させた。はチレッタが亡くなったことをしばらく知らされなかったし、葬式にも行けなかった。棺に縋ってでもチレッタを留めるために魔法を使うことを、危惧されていた。言葉をまだほとんど知らなくとも、魔力だけはある。純粋な感情のままに、魔力が溢れ出したら何をしでかすか。それは、ミスラに封印されかけたり叩きのめされたりして正気に返ったあとに周囲の惨状を見て自覚してしまったことだった。ミスラは、チレッタから譲られた魔法具にが唯一執着を示していることを見て取ると「あげませんけど、たまに見せるくらいならいいですよ」と言うことを聞かない幼子を釣り上げる餌にした。その頃のは、ミスラをどう思っていたのだろう。母様とも父様とも、ルチルお兄さんとも違う。少し怖くて、あまり優しくなくて、けれどちょっとだけ優しい。置いて行かれた、という漠然とした寂寥感を常に抱いていたが、怖くとも頼れるのはミスラしかいなかった。おそるおそるミスラの服の裾にしがみつくと、理解し難そうにしながらも振り払うことはしなかった。撫でることも抱き締めることもしなかったけれど、の好きにさせてくれていた。少し大きくなってが外に遊びに出るようになると、何か思うところはあったようだが指摘も面倒だったのか黙って護符だけ持たせて外出を認めてくれて。
 ――ちゃんと遊びたくない。
 人間の村の子に、そう拒絶された。がミスラの養い子と知っている大人たちは顔を真っ青にしたけれど、がミスラに言いつけて我儘を通すような性格ではないことを知っていたためやんわりともうここに来ない方がいいと子どもたちの肩を持った。それは決して意地悪や仲間外れなどではないのだと、泣いて帰ってミスラの脚にしがみついたときに知った。
 ――ちゃんといると、ちゃんのしたいことばっかりしなきゃいけないから嫌だ。
 『当たり前でしょう、あなたは言霊の魔女なんですから』
 鬼ごっこがしたい。ままごとがしたい。はただ、みんなが遊びを話し合っているときに他の子どもたちのように自分の希望を口にしただけだった。けれどミスラとは違い、魔法に少しの抵抗力も持たない子どもたちはが無自覚に言葉に乗せてしまった魔力に従ってしまう。いつも自分の希望が通っていたことに気付いたのは、それを糾弾されたときが初めてだった。
 『別に、従わせればいいじゃないですか』
 みんなと普通に遊びたい、そう泣いたにミスラが返した言葉を聞いてそれまで沈痛な面持ちをしていた東の面々と賢者は頭を抱えた。いくら何でも子どもに北のやり方は教育に悪すぎる。北の魔法使いにとって、が問題視したことは何も問題ではなかった。むしろ、北の魔法使いとして正しいやり方だったのだろう。自分のやりたいことに自分の力で自分より弱い他人を従わせる、それは彼らにとっては当然のことであった。
 『弱いんだから、従わせればいい。あなたの好きなようにすればいいじゃないですか』
 北の地では、強さが全てだ。子どもとて、その例外ではない。むしろ何を人間の言うことなど聞いてすごすごと帰ってきたのだとでも言いたげなミスラの態度は、記憶にはほとんどなくとも南の家族の元で過ごしたには恐ろしいものに思えて。けれど同時に、北の血が流れる本能がそれに納得していた。ミスラの言っていることは正しいと、ここではそれが当たり前なのだと、北の魔法使いである自分が理解していた。そのまま、人間を『遊び相手』として割り切ってしまえればいっそ楽だったのだろう。けれど、それはとても虚しいことだとわかっていた。みんな、の魔法に従っているだけだ。一緒に遊んでくれているわけではない。と本心で仲良くしてくれることは、もう不可能だった。は、ミスラに魔法を教わることにした。ミスラは言霊で子どもたちを従わせるためだと思ったらしく、それなりにきちんと教えてくれたが。が言霊で人形を動かして遊ぶようになったことに、未確認生物でも見るような顔をしていた。
「けど、ミスラが優しいの、魔法のせいじゃない、から……」
 近くに強い魔法使いがミスラしかいなかったにとって、本心でと一緒にいてくれることを疑わないでいられるのはミスラだけだった。ミスラはの魔法など効かないくらい強いから、のお願いを面倒くさそうにしながらも聞いてくれるのは言霊のせいではない。ミスラが叶えてやってもいいと思ったから、そうしてくれている。ミスラといる時間は、嘘や作り物ではない。本心ではそうしたくないのに魔法のせいでそうしているのだと、言われることはない。倫理観が僅かなりとも育っている子どものドン引きするようなことをサラリと言うし、何も疑問に思わず生肉を渡してくるし、大抵のことは魔法で解決してしまえるせいで魔法ではどうにもならないの教育については雑もいいところだったけれど、それでも。ミスラのことは信じられたし、一緒にいて虚しくならなかった。やがて成長するにつれ、魔法を教わる片手間のように生い立ちについても告げられた。ミスラが単なる情でを育てるわけがないとわかっていたから、逆に安心できたのだ。今更理由などどうだって良くて、ただ魔法でも言霊でもなくミスラがそうしてもいいと思ったからを手元に置いていてくれたことが嬉しかった。
「魔法じゃないから、好き、です」
 の言葉に、シノとヒースクリフはそれぞれ痛みを堪えるような表情になった。この二人は、互いを守ることを約束させられている。そんな約束がなくとも守りたい友人なのに、約束があるせいで時にすれ違う。が子どもながらに感じた虚しさに、覚えがあるのだろう。そして賢者は、チレッタがミスラにの庇護を約束させなかったことについてルチルに尋ねたときの答えを実感する。言霊があるからほとんどの相手の好意や優しさを信じられないの、いちばん近くにいる大人。ミスラまで約束に縛られていたら、は何も信じられなくなっていただろう。がオーエンやブラッドリーを怖がりながらも避けないのは、ミスラ同様がうっかり呪いを吐いてもそれに影響を受けないからだ。恐れてはいても、信頼しているのだろう。そして、その信頼を築く元になったのはの言葉では何も変わらないミスラだ。に一切合わせる気のないところも、その気になれば他人をいいように動かしてしまえるには安心できるところでしかなかったのだろう。には欲求が薄いように思えるとルチルが心配していたことがあったが、何を望んで手に入れても虚しいのであれば欲も薄くなるだろう。けれど、手にしても虚しくないものであれば? 普通の人間なら多くのものに分散される欲求が、虚しくないたったひとつに集約されるなら? 何を賭しても、失いたくないと思うだろう。たったひとつに対してだけは、強欲になるだろう。たとえ自身が石になったとしても。対価に差し出すのが命だとしても。唯一で全てである存在に、所有してもらえるなら。
(家族愛じゃないかもしれない)
 がいずれ石になるということを知らない東の魔法使いたちが出した結論と真逆の答えを、賢者は出した。ファウストたちは、雛鳥の刷り込みのような好意だと結論づけたらしい。たったひとり本心から信頼できる大人は、幼子にとっては紛うことなき『親』だろうと。だからは、もう少し他愛のない甘えをミスラに向けていいのではないかと。の好意は、自分を傷付けず自分に嘘をつかない保護者に向ける信頼なのではないかと、巣から地面に落ちてしまった雛鳥を見るような面持ちだった。
「しんらい、」
「……心の底から信じられる相手と過ごせるというのは、幸福なことだ」
「あんたが言うと洒落にならねえな……」
 は、生真面目にファウストたちから教わったことを紙に書き留めている。賢者はその様子を見て、もう少しの様子を見守ろうと思った。信頼という、の「好き」の幼気で寂しい部分。それは確かに、ひとつの真実だと思うのだ。けれど全てではないと、この場の誰にもわかっている。他人行儀なようでいて優しい彼らは、もっとも柔らかく優しい形で答えを示すことを選んだ。
「ありがとう、ございます」
 おずおずと頭を下げるに、東の彼らはそれぞれ「らしい」反応を返す。ファウストはフンと鼻を鳴らしながらも満更でもなさそうな顔をし、ネロは苦笑じみた中に面倒見の良さが現れた表情を。シノは得意げにふふんと小生意気な笑みを浮かべ、同い年の少女を相手にお兄さんぶるシノに呆れながらもヒースクリフは涼しげな目元を細める。
「ミスラと、仲良くね」
「はい」
「お前、趣味悪いよな。ヒースの方がずっといいと思うぞ」
「こら、シノ!」
「ヒースクリフはかっこいいです」
「お?」
「えっ」
「話がわかるな、
 直球で男の趣味が悪い、つまりミスラを貶しているとも取れる発言をヒースクリフが窘めるが、はさらりとシノの意見に同意するようなことを言う。面白がるように眉を上げたネロと、動揺するヒースクリフ。得意げなシノの様子を見て「まだまだ子どもだな」とぼそりと呟いたファウストに、シャイロックと賢者は生温かい笑みを浮かべた。
「ヒースクリフはかっこいい、けれど、ミスラが好きです」
「わざわざかっこよくない方を取るなんて、変なやつだな」
「シノ、いい加減にしてくれ……」
「それが『好き』ってもんだよ、シノ」
 わいわいと賑やかに、バーでの夜は更けていく。あまり他人に心を開かない者同士、けれど内面を覗き込む目には深みをたたえた二日目の夜だった。
 
200706
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