春の訪れを祈る祭り、なのだという。北の国のとある街の祭りに、警護として呼ばれた賢者の魔法使いたち。長い冬が続く中、雪に閉ざされていても大地への感謝を忘れないように――そして、「神様」への祈りを忘れないように。
「お願いします! 貴方様だけが頼りなのです、何卒、何卒お慈悲を……!」
 縋りつかれているのは、賢者……ではなく、だった。表情には出ないがすっかり困り果ててしまっているをどうにか遠ざけようとしながら、賢者はミスラが今双子やブラッドリーたちと街の外を見に行っていてこの場にいないことを感謝する。ミスラがこの場にいたなら、の靴に縋りつくその腕が地面に転がるか。あるいは空間の扉でどこぞに飛ばしてしまうか。面倒ごとを力技で解決するきらいのある北の魔法使いは人間の被害や痛みなど慮ってくれないし、あれで一応保護者としての自覚があるのかが何かに巻き込まれるとミスラはさっさとその元凶をどうにかすることで片付けようとする。は基本的に騒動に巻き込まれると自身が空間魔法で退避するか魔法具のぬいぐるみに全て食わせてしまうかの二択だが、賢者が依頼を受けてやってきたここでそのどちらをとっても迷惑になると思っているのだろう。人間に縋り付かれるという滅多にない現状に、どうしたものか混乱して固まってしまっていた。
「大丈夫、ちゃん」
 おろおろと動けずにいるの腕を引いたのは、柔らかい笑顔を浮かべたルチルだった。一言二言、ルチルがに耳打ちをして。一瞬目を丸くしただったが、きゅっと唇を噛み締めるとゆっくりとしゃがみ込む。できるだけ柔らかい表情を浮かべて、自身に縋り付いて嘆く大の大人の肩をぽんと叩いた。
「『大丈夫』『落ち着いて』」
「……あ、」
 の声に乗った魔力が、街の代表者であるというその男性に落ち着きを取り戻させる。があまり使いたがらない言霊だが、信頼するルチルが背中を押してくれたことで無事町長だけを対象に正しく使えて、は安堵の表情を浮かべていた。自身が年端もいかない少女に身も世もなく泣いて縋っていたことを自覚した町長は、我に返ると恥じ入ったように襟元を正す。町長が平静を取り戻したのを見て、賢者とルチルがそっと前に出た。
「何があったのか、お伺いしても?」
「それが……」

「祭りの主役が逃げた?」
 胡乱げな顔で賢者の言葉を繰り返したのは、見回りから戻ってきたブラッドリーだった。他の面々も、似たような表情を浮かべている。
「じゃあ、帰っていいよね」
「祭りは中止ということで」
「「こらこらこらこら!!」」
 早速身を翻したオーエンと、さっさと空間の扉を繋げようとしたミスラ。それを止めてくれた双子に感謝しながら、賢者は部屋に集まった魔法使いたちに事情を説明すべく口を開いた。この街には、長い冬の中で春の訪れを祈る祭りがある。街で一等美しい乙女が「山の神様」に祈りを捧げ、街の者たちは大地や神に感謝を捧げながら一晩踊り明かす、という祭りなのだそうだ。祭りの主役であり巫女役とも言える「美しい乙女」は、毎年投票で選ばれるのだが。
「駆け落ちしちゃったんだそうです」
「駆け落ち!?」
「そんな、『しちゃった』で気軽に済ませるなよ……」
 沈痛な面持ちで賢者が伝えた事実に、ミチルは顔を赤くして驚愕する。ネロが呆れたように肩をすくめるが、まったくの同意見であった。
「じゃあ、二番目の美人でいいじゃないですか」
「わざわざよそ者であるに巫女役を任せる理由がない」
 面倒くさそうに肩に手をやったミスラと、腕を組んで難しい顔をするオズ。二人の言うことは至極もっともだし、賢者やルチルも(もう少し婉曲な表現ではあるが)町長にそう提案したのだ。深いため息を吐いた賢者の横で、ルチルが物憂げに目を伏せる。
「街の女の子がみんな、怖がって嫌がっているんだそうです」
「何を恐れておるのじゃ?」
「魔物です。俺たちがここに呼ばれたのも、元々『祭りを行う山に魔物が出没するようになったから警護をしてほしい』って依頼でしたし」
「巫女役の子が駆け落ちして逃げちゃったのも、魔物が怖かったからだろうって……それで、誰もやりたがらなくて」
「嫌がってる子に無理矢理やらせてもそれを見抜いた神様が怒るかもしれないって、お年寄りたちが言ってるんだそうです。祭りを中止にするのもやっぱり、神様の怒りを買うんじゃないかって」
 北の国は雪に閉ざされた厳しい土地で、明日の糧を得るのにも苦労する。特に昔は、長い冬の間に餓死者が出ることも珍しくなくて。隣人同士で食べ物の奪い合いすら起こったほどだ。そんなある日、街の娘が山でたくさんの食べ物を見つけた。冬に生えるはずのない青菜、見たこともない果実を実らせる木々。自ら寄ってきて眠るように命を絶つ獣たち。これは山の神様からの贈り物だと思った信心深く美しい娘は、街の人々を呼んでそれらの食べ物を持ち帰ったのだそうだ。そうして街は厳しい冬を食い繋ぐことができ、それからも娘が時折何かに呼ばれるように山に入ると不思議な食べ物が手に入った。娘を始めとする街の者たちは山の神に深く感謝を捧げ、それが祭りの元となったという。それから世代を経ても、厳しい冬には美しい娘が山に呼ばれて食べ物を得るということがあった。近年では食糧難が起こっていないために若い世代は伝承に懐疑的だが、実際に山に呼ばれたという母や祖母を持つ老人たちは神の怒りに怯えていて。魔物は確かに恐ろしいが、何よりも祭りの失敗により『山の神様』に街が見放されることが恐ろしいようだった。現実の魔物を恐れる若い世代と、伝承の神を恐れる老人たち。その板挟みで胃を痛めに痛めた結果が、まれびとの少女に縋り付く町長の姿だった。
「魔物を片付ければ、代役は立つのか」
「そうだとは思うんですけど、もう今晩のことだっていうんです。お祭り……」
「今晩とな……今からでは確かに、魔物を見つけられるかも怪しいのう」
「でも、お祭りの主役ってことは何かやることがあるんじゃないですか? 今からじゃ、も覚えられないと思うんですけど……」
「それも言ったんですけど、『祭事は街の人間で代わるから、座っているだけでいい』って……」
 ミチルの言葉はもっともだったが、賢者は苦い顔をして首を横に振る。は生い立ちのこともあって人見知りだし、注目を集めるのも苦手だ。それをいきなり祭りの主役になど、にとって負担だろうと思ってどうにか穏便に断ろうとしたのだ。それに、懸念はもう一つあって。
「気に食わねえな」
 どっかりと、用意された椅子にブラッドリーが腰掛けた。その隣で、ネロも考え込むように俯く。ブラッドリーとネロは、賢者と同じ懸念を抱いているに違いなかった。
「魔物が怖いからって誰もやりたがらないところに、嬢ちゃんを突っ込むってのはさ……」
「外から来た魔女なら、魔物に襲われてもいいって言ってるようなもんだろ」
「ブラッドリーさん、そんな……彼らは、そんなふうには考えていないと思います」
 ただ、自分たちが何を言っているかもわかっていないのだと思う。飢えも、魔物も恐ろしい。追い詰められたところに現れたのは、彼らには及びもつかない力を有しているであろう小さな魔女だ。少なくとも人間の娘よりは、はるかに強い。縋りたくもなるだろう。たとえ、自分たちの胸の奥底に汚い打算があるかもしれないということに気付いていなくとも。
、お前はどうする」
 静かな声で問いかけたのは、オズだった。賢者の後ろで魔法具を抱き締めて、何か思案していた雪の妖精のような少女。ならば、祭りの主役である「美しい乙女」に相応しいだろう。もしかしたら、駆け落ちしたという少女よりもずっと。雪の造花が花開いて生まれたと言われても信じてしまうような、人間離れした雰囲気を持つ可憐なかんばせ。小さな魔女は、クロエが作ってくれたコートの裾を握り締めて顔を上げた。
「その……やり、ます」
「何故。少なからず、身の危険はある」
「魔物、こわくないです。ミスラ、います」
「……言ってくれますね」
 ミスラは少し怖いけれど、その強さをは知っている。世界最強と呼ばれるオズよりも、最も古い魔法使いである双子よりも、ずっとずっと近くにいて。ミスラが強くて怖いのは、の中では自然の摂理よりも当たり前のことだ。ミスラがいてくれるのに、魔物を恐れる必要はない。だって、魔物などではミスラに勝てない。ミスラがいるのに魔物に害されるはずがないと、当然のこととしてそう認識しているに、ミスラは挑発を受けたときのように口端を吊り上げて酷薄な笑みを浮かべた。
「どうせ、南の魔法使いみたいな心配をしているんでしょう。人の助けになりたいだとか、賢者様を困らせたくないだとか」
「ミスラ……」
「南の魔法使いじゃなくても、普通の人ならそう思うんです!」
「まあ、我らが雁首揃えて魔物の一匹に遅れをとることはあるまい」
「たかが街の一つ、魔女の一人、守れぬということはなかろう?」
 双子の言葉は、強さに並々ならぬ矜持を抱く北の彼らを刺激したようで。面白くなさそうな顔をしていたブラッドリーも、話に興味のない様子で窓の外を見ていたオーエンも、ぴくりと反応して顔を上げる。本当に単純だなあと、双子が思っているであろうことを賢者も思った。
「俺様がガキのお守りもこなせねえわけねえだろ」
「……強い魔物だったら僕の鞄に入れるけど、いいよね?」
「好きにすればいいんじゃないですか。死んでなかったらですけど」
 元より人間に協力的な双子と南の兄弟、がやると言うのであれば尊重するネロ。と双子の言葉でやる気を出したらしい北の三人に、賢者は胸を撫で下ろす。未だに難しい顔をしているオズも、が代役になること自体には異論がないようだった。まだ昼下がりとはいえ祭りの準備があるだろうと、賢者はを連れて町長の元へ向かうことにする。夕暮れ前には一度この部屋に集まろうと声をかけて、賢者はの手を引いて部屋を後にしたのだった。

「オズ、何か心配事ですか?」
「……心配、というべきか」
 感謝しきりの町長たちに連れて行かれたを迎えに、街の集会所へと向かった賢者とオズ。昼の話し合いのときからずっと難しい顔をしているオズに賢者が問いかけると、オズは言葉を選びながら口を開いた。
「お前が聞いてきた伝承だが、ああいった話にあるべき『対価』が触れられていないのが気にかかった」
「対価?」
「こういう話で神とされているものは大抵、魔物や精霊、魔法使いのいずれかだ。信仰などという曖昧なもののために、人を助けることはない」
 オズの言葉に、賢者は目を見開いた。確かに、賢者の世界にもこういった伝承はある。けれどそういった話はほとんどが人ならざるものとの「取引」で、受け取ったものの代わりに人間は何かを差し出している。例えばーー
「賢者様、オズ様」
「あ、ちゃん……!?」
「…………」
 集会所の扉を開けてぱたぱたと駆け寄ってきたの格好に、賢者は言葉を失う。隣のオズも、面食らったように口をぽかんと開けた。
「その、巫女の格好、なんだそうです……」
 恥ずかしそうに裾を握って視線を泳がせるは、真っ白な衣装に身を包んでいた。白いだけなら、神事の主役である巫女としておかしいところはないのだが。その衣装には精緻な刺繍が施され、ふわりと長い裾が清楚ながらも可愛らしいラインを描いて翻る。淡い雪の光のように輝く飾り布が、幾重にも重ねられて。細かい花の模様のレースが、二の腕から指先まで覆っていた。白い造花の花冠や薄く透ける長いベール、しゃらしゃらと涼やかな音を立てて紺の髪を彩る白銀の細い鎖。世間知らずなは丸め込まれてしまったのだろうが、どう見てもそれは巫女などではなく花嫁のそれだった。
「あ、いたいた、賢者さんとオズと……嬢ちゃん……!?」
 賢者たちの背後から、ネロの声が聞こえて。その声色が驚愕の色に染まり、やはりこれは幻覚などではないのだと賢者は肩を落とした。振り向くと、ネロとミチルがの格好に目を丸くして立っていて。
「すごい、、とっても綺麗ですよ……!」
「あ、ありがとう、ミチル……」
「……いや、確かに綺麗なんだが……すっげえ綺麗だけど……参ったな、ミスラは来てないよな?」
「あ、ああ、うん、ミスラは来ていませんよ。オーエンたちと一緒に、魔物を探しに出ています」
「何かあったのか」
「困ったことになったっていうか、なりそうっていうか……」
 歯切れの悪いネロの様子に、賢者たちは首を傾げる。見るからに寒そうな格好をしたに、ミチルがコートを貸してあげていた。
「このお祭りの主役、巫女さんじゃないんだそうです!」
「まあ、今の嬢ちゃんの格好見たら予想はつくだろうけどさ……」
 憤慨しているようなミチルと、肩を落とすネロ。二人は伝承に疑問を持ったオズに頼まれて、街で正しい伝承について聞き込みをしてきたらしい。魔法使いを畏れ、また今回の神事の主役を代わってくれたに感謝している街の住人たちは、ありがたがって色々と話してくれたそうだ。
「『神様の花嫁を引き受けてくださってありがとうございます』、だとさ」
 その言葉を皮切りにネロとミチルが話し始めた内容に、賢者たちは絶句した。
 ーー曰く。山の神への感謝を捧げる娘のもとに現れたのは、『氷のように冷たい美貌を持つ、燃えるように赤い髪の青年』だったのだそうだ。普段は獣の姿をしているという彼は、娘たちが『山の神』と呼ぶ存在だと名乗った。娘に与えたものの代わりに、次の冬まで自分の元で暮らすことを求めたという。信心深い娘は躊躇なく頷き、一年間神の元で身の回りの世話をして過ごしたのだそうだ。それからも冬に食糧難が訪れると、娘は山の恵みと引き換えに季節が一巡りするまで神の元で過ごした。最初の花嫁である娘が老いて亡くなってからも、その街で最も美しい娘を見初めて神は恵みを施したという。やがて時代が進み、祭りが毎年の神事になる頃には青年が姿を見せることはなくなって。花嫁役の少女は迎えに来ることがなくなった神との結婚生活という体で、山に建てられた社で一年を過ごすことになったのだとか。
「待って、じゃあちゃんは……」
「一年間この街……っていうか山の中で過ごさなきゃいけないことを隠されたまま、役目を引き受けさせられたってことだよ」
「…………」
 話を聞いた賢者とは、青い顔で黙り込む。魔法舎の魔法使いは長命ゆえに時間感覚が狂っているが、賢者とは一般的な時間感覚を有している。一年間の『結婚生活』は、十七歳のにとってあまりにも長い。一晩の神事ならともかく、この街の人間でもないがそれに付き合う義理はなかった。けれど、彼らが心配しているのはそこではなく。の持ち主であるミスラがそのことを知ったら、という想像に彼らは顔を青くしていた。
「……町長をなんとか説得して、一年間の花嫁生活は無しにしてもらおう」
「その、説得できなかったら、空間魔法でこっそり、帰るので……」
「多少強引だが、最悪の場合それで納得させるしかあるまい」
「いくらなんでも、黙って一年間はあんまりですよ!」
「そんなことになったら、ミスラが黙ってねえだろうしなあ……」
「ーー俺が何です?」
「「「!!?」」」
 この場に一番来て欲しくなかった者の声に、一同はぎょっと目を見開いて振り向く。空間の扉を開けて、気怠そうなミスラが出てくるところだった。その後ろからは、ルチルも顔を覗かせている。扉の向こうには木々が広がっていて、どうやら魔物探しをしていた山から直接扉を繋いだようだった。
「魔物、捕まえましたよ」
「えっ」
「ですが、ちょっと気になることを言ってるみたいで……わあ、ちゃん、綺麗な格好だね」
 思わぬ知らせにわたわたと慌てふためく賢者たちをよそに、ミスラは空間の扉にもたれかかる。ひょっこりと扉から出てきたルチルは賢者やオズに事情を説明しようとして、神事の格好に着替えさせられたの姿に感嘆の声を上げていた。何が何やら混乱してきたところに、困った様子の町長が姿を見せて。
「魔女様、そろそろ神事の場に向かうお時間なのですが……」
「えっ、あ……」
「ちょっと待ってもらえますか、お話が……!」
「賢者様、こちらの話もあるんですが」
「……には私がついていこう。お前はあちらを頼む」
「俺も嬢ちゃんについてくよ。ミチルは賢者さんを頼めるか?」
「ま、任せてください!」
 今からでは、町長たちに話をつけて代役を立て直すこともできない。道中で何とか一年間の拘束だけは無しにしてもらうよう説得するしかないと、オズとネロがに同行することを申し出て。ひとまず捕まえた魔物の方の騒ぎを解決してくるようにと、オズは賢者の背を押す。ミチルにコートを返して慌ただしく連れて行かれるにミスラがチラリと視線を向けたが、特に何も言うことはなく扉へと戻ったのだった。
 
200709
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