「、生活費です」
思い出したように、ミスラが財布から札束を雑に抜き出してに渡す。黙々と焼きそばパン(元不良校の生徒から貢がれた)を朝食に食べていたは、そのあまりの無造作加減にさすがに慣れることはできずビクつきながらおずおずと受け取った。食費だ何だと計算して渡すのは面倒らしく、ミスラは不定期にまとまった額をに渡してくる。正直使い切れない額を渡されているため貯金に回される一方なのだが、これといって将来設計のない無収入の学生であるは恐れ多くもありがたく受け取っていた。バイトか何か働きに出ようと思ったこともあるのだが、「もっと金が要るんですか」とミスラに通帳を投げて寄越されそうになったためそれもできないでいる。どうやらミスラは、が働きに出るのは自分が渡す額が足りないからだと思ったらしい。養われている現状が不安定だから収入源を確保しておきたいという考えは理解されず、「足りてないわけじゃないならいいでしょう」とバイトに出ることを却下された。チレッタに任されたを働きに出して何かあっては面倒だという考えが根底らしいが、このままではニートまっしぐらである。そのことをミスラがまるで問題視していないのが、いちばん不思議なのだが。が自立してミスラの元を離れるという未来は、ミスラの中にはないらしい。二人で住んでいるアパートにいつまでいていいのかと尋ねたことがあったが、「出ていく必要があるんですか」とどうでも良さそうに答えられたことがあった。とはいえさすがにヒモのような生活には危機感を覚えているため、最近は双子の厚意で二人の仕事の手伝いをさせてもらっているのだが。
「あなた、焼きそばパンが好きなんですか」
「い、いえ……」
「最近そればかり食べてるから、好きなのかと思いましたよ」
ミスラのことを恐れている元不良校の生徒たちが、なぜかに焼きそばパンを始めとした購買のパンを貢いでいるだけである。供給に消費が追いついていないため、リケやミチルに分けたり家でもご飯代わりにしているのだが。それを見たミスラはが好きで食べているのだと思っていたらしく、「それならそうと言ってくださいよ」とぼんやりとした顔を少し歪めた。
「あなたが好きなんだと思って、うちの生徒に買い出しに行かせたところですよ」
「え」
「あれが欲しいとかこれが欲しいとか、あなた言わないでしょう。ちゃんと面倒を見てるのかと、あの人がうるさいんですよ」
好物だと思った焼きそばパンを手っ取り早く与えることで、ちゃんと面倒を見ていると報告するつもりだったらしい。食に関心の薄いは、別に三食焼きそばパンでも困ってはいないけれど。生活費を使い切れないほど渡されているのに、それに手をつけずとも食に困らないほど周りが焼きそばパンを恵んでくれている状況で、面倒を見られていないなどと思うはずがない。チレッタには自分が日頃どれだけミスラの世話になっているかということを改めて伝えておこうと、は焼きそばパンを飲み込みながら思った。それをミスラにも言うと、「そうしてください」と頷かれる。早速チレッタに送ったメッセージには、焼きそばパンを食べ終える前に返信がきた。
――ちゃんと甘えさせてもらってるの?
チレッタの言葉の意図がわからず、はスマホを持ったまま首を傾げる。もそもそと飲み込んだ焼きそばパンの味を、これまた不良校の生徒から貢がれたパックの牛乳で流し込む。は、十分甘やかされていると思うのだが。その後いくつかメッセージのやり取りを交わしているうちに、チレッタの言いたいことがようやくわかって。彼女にとって「面倒を見ている」というのは、生活で不自由をさせていないかという意味だけではないらしい。兄のように、家族のように、が信頼し頼ることのできる存在でいてくれているのかと、チレッタは案じてくれていた。
(それでも、きっと)
やっぱりは、甘えさせてもらっている。ミスラはいつだってを手元に置いていてくれる。どこかに置いていくことはない。喧嘩のときや仕事のときは適当な場所で放っておくけれど、帰る前にはちゃんと回収しに来てくれる。一度も、忘れて帰ったことはない。
――ひとつだけ、あなたのお願いを聞いてあげます。
二人で暮らし始めるとき、ミスラはそう言った。自分には何も要求するなと。その代わり、ひとつだけはの要求を叶えると。だから、は置いていかないでほしいと頼んだ。一緒にいる間は、可能な限り置き去りにしないでほしい。要らないものになるのも、置いていかれるのも、寂しい。ミスラは、ずっとの願いを叶え続けてくれている。いろんな都合で一時的に手元から離れるときがあっても、必ず取りに来てくれる。周りはがミスラに振り回されていると思っているようだけれど、ミスラはの願いを叶えていてくれているだけだ。何も要求するなと言うミスラは、要求など思いつかないほどにきちんとの生活を保障してくれている。それが自分の面倒を省くためであっても、が甘えさせてもらっているのは事実だった。そんな内容のことを要約してチレッタに送ると、何やら面白がっているような返事が届く。ミスラのことが好きかと訊かれて、悩むようなことでもないので肯定の返事を送った。スマホを置いて焼きそばパンの続きに取りかかると、自分の朝食をとうに食べ終えていたミスラがテーブルの向かいから手を伸ばしての手首を掴む。そのままぐいっと手を引いて、の手にある焼きそばパンを齧りとった。
「あなた、食べるの遅いですよね」
「ごめんなさい……?」
「別にいいですけど……俺のひと口の半分もないですよ」
ひと口の大きさの違いに呆れながら、ミスラは残りの焼きそばパンをがつがつと口に入れていく。あっという間に平らげたパンの欠片がの手のひらに落ちたのを、べろりと舐め取って。牛乳のパックを掴んで中身を喉に流し込むと、ガタリと席を立った。
「行きますよ」
「あ、はい」
わたわたとゴミを片付けて手を洗って、鞄を持って玄関に向かう。ミスラは学生だというのに鞄のひとつも持たず、ポケットに手を突っ込んでぶらりと姿勢悪く立っていた。改造されたハイウエストの学ランが、その脚の長さを強調している。けれどこの長い脚が、を置いてすたすたと歩いて行ったことはない。そういうところが、ミスラの甘さなのだと思った。
200701