「もう一枚書いてこようか」
 が賢者に七夕の願い事を書いた短冊を手渡すと、中身を確認した賢者はにこやかな顔でもう一枚短冊をに握らせた。最初の願い事を書いた短冊は、賢者が中庭の木に吊るしてくれる。
「優しいお願い事で、ちゃんらしくて素敵だなって思うよ」
 の願い事は、「ミスラの傷が治りますように」だった。他に願うようなことも無かったのだが、賢者はもう一枚「自分のための願い事を書いておいで」と言う。賢者が言うなら、とはもらった短冊を手にテーブルに戻った。
「…………」
 とはいえ、自分のための願い事というとなかなか思いつかない。ミスラの傷が治るのは、にとっても嬉しいから(例え傷が治ったらもう要らないと思われるとしても)、一応自分のための願い事でもあったのだけれど。欲しいもの、と考えても思いつかない。リケは「食べたいネロのご飯を書きました!」と言っていたが、ネロはだいたい頼んだものは作ってくれる。メニュー表のようになったリケの短冊を眺めながら、はぼうっと空を見上げた。
「……あ」
「流れ星ですね!」
 紺碧の夜空をすうっと流れた、星が一条。それを見て、は万年筆を握り直した。

「素敵な願い事だね」
「ありがとう、ございます、賢者様」
 にこにこと嬉しそうな賢者が短冊を結んでくれると言ったが、何となく自分で吊るしたくなって中庭の木に向かった。自分の身長で結べる精一杯の高さに手を伸ばし、結わえていく。結び終わって、何となく気恥ずかしくなって。ちょっとだけ隠そうと短冊を裏返そうとすると、爪を黒く彩った大きな白い手がにゅっと背後から伸びてきての手を掴んだ。よく知っているその手が誰のものかなど、振り向かずともわかる。の頭に顎を乗せたミスラが、の手の上から短冊を掴んでまじまじと眺めた。
「……俺に言えばいいんじゃないですか? これ」
 ミスラと一緒に、流れ星が見られますように。の短冊を読んで、ミスラは不思議そうに首を傾げた。確かに、ミスラに頼めば済むことだ。気が向いた日にはきっと付き合ってくれるだろう。ミスラは案外、他愛ない願い事は叶えてくれる。けれど何となく、星に願いをかけてみたくなったのだ。ねだって叶えるよりも、いつか共に星を見ることが当たり前の関係になれたらいい。そんな、淡い強欲。
「わ、」
 腹に腕を回されて、ふわっとした浮遊感。慌ててミスラの腕に掴まると、次の瞬間には視界が開けていて。魔法舎の屋根の上に連れてこられたのだと、一拍遅れて理解した。
「流れ星、でしたっけ」
 を抱えたまま、ミスラが屋根に腰かける。下のテーブルからくすねてきたのか、いつの間にか酒の瓶を片手に持っていた。黒く塗られた爪が、すっと空を指す。綺麗な長い指がついっと空を撫でるように動くと、夜空に一条白い軌跡を描いて星が流れた。
「あ……」
「幻術ですけど、これでいいですか」
 瓶のまま酒に口をつけたミスラに、はこくこくと何度も頷く。今日のミスラは、機嫌が良かったりするのだろうか。単に流れ星が現れるまでじっと星見をするのが面倒だったのだろうが、魔法まで使ってに流れ星を見せてくれて。きらきらと星空と同じくらい瞳をきらめかせて流れる星に見入るを腕の中に閉じ込めて、ミスラは酒を煽った。中央の国の酒は、どうにもお行儀がよすぎる。悪くはないが、寒さに対抗するように度数を上げていった北の酒に慣れた身にはつまらなく感じるときもあった。夏の入りとはいえ、雨も降るこの時期に夜は肌寒く感じることもある。抱きまくらは湯たんぽにもなるのだなと、を抱えてミスラは思った。魔法を使って流れ星を見せてやったのは、単なる気まぐれだ。のくせにこそこそ隠し事をするように短冊に願いを書いていたのが、目について。書き上げたときに短冊をきゅっと握って幸せで溶けそうな笑みを浮かべていたから、一体何が面白くてそんな顔をしているのかと思えば願い事は「ミスラと星を見たい」と他愛もない内容だった。そんな願いを想像してあんなふうに笑うこの子どものことは、理解し難いが。それくらいなら別に叶えてやってもいいと、興が乗って魔法を使ってやればはそれはもう嬉しそうにはしゃいでいた。呼吸さえ忘れたかのように、ミスラの作った幻影に見惚れている。目玉を集める趣味はないが、星屑を閉じ込めたように幻影の空を反射するその瞳は、抉り出して手元に置きたいと思うくらいには綺麗だった。
「……?」
 ぐ、と顔を掴んで目の下をなぞる。そのまま指に力を込めようとして、まったく抵抗しようとしないに興が削がれた。この子どもは、ミスラに対して危機感というものを失くして久しい。それが侮りから来るものならとうに縊り殺していただろうが、はミスラの強さも恐ろしさも骨の髄まで理解している。自分より遥かに大きな存在に、自らの全てを明け渡してしまっているからこその無防備さだった。今更抉るまでもなく、その瞳も髪も、心の臓や血の一滴に至るまではミスラの所有物で。この小さな美しいけだものは、本能よりも深いところでそれを理解している。手を放してやると、何事も無かったかのようにまた星を夢中で見ていた。
「…………」
 屋根の下から、賢者たちが何か自分たちを指して手招いている。今はこの子どもの願いを叶えてやっているところだと、ミスラは無視を決め込んだのだった。
 
200708
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