「…………」
「この俺様に目をつけるとは、案外男の趣味がいいじゃねえか」
ぺたぺたと、ブラッドリーの腕に触れる。掃除の後だったからか袖を捲っていて腕が剥き出しになっているのが珍しかったのだろう、歴戦の記憶を物語る傷には興味津々の様子だった。ブラッドリーも満更でもない様子で、好きに触らせてやっている。あれで結構子どもには構ってやるタイプだなあと、賢者は雑巾を片付けながら微笑ましく見守っていた。
「これ、火傷で……こっちが、銃創……?」
「へえ、わかんのか」
「ミスラ、撃たれて帰ってきたことある……ので、」
「それ、俺が撃った痕じゃねえのか。厄災との戦いの後に殺り合った覚えが何度かあるぜ」
「……ミスラ、機嫌悪かったです……」
「俺もそんときゃ土手っ腹抉られたから、お互い様だろ」
一気に血なまぐさい話になり、賢者は顔を引き攣らせる。そういえば基本的にブラッドリーとの面識は厄災の夜の前後だったかと、以前尋ねたことを思い出した。会った回数のわりに親しげなのは、そもそもの交友関係が恐ろしく限定的だからだろう。
「火傷はオズの稲妻じゃねえか」
「オズ様の……」
「興味あんのか? こっちとかもすげえぞ」
躊躇いなくボタンを開けて傷の経緯を語っていくブラッドリーと、物語のような激闘の話とその傷痕に気を取られて異性の肌を見ているという意識が薄れている。さすがに止めるべきだろうかと、ブラッドリーの胸板にぺたぺた触るを見て賢者は思い悩む。互いに他意などないことはわかっているが、絵面が妖しすぎるのだ。均整の取れた体付きの逞しい男の胸に、白く柔らかい手のひらを当てる美少女。ブラッドリーは子どもには興味が無いし、はミスラの他に目も向けないが。二人とも顔面偏差値やスタイルの良さが狂っているせいで、まるで恋愛映画のワンシーンのようにすら見えてしまうのだ。目を逸らすべきか、止めるべきか。ミスラが来て目の前で殺し合いを繰り広げるような展開になる前に、引き剥がしておいた方がいいだろうか。普段はの動向に関心がないようでいて、所有物の自覚が薄れていると判じたときミスラはあからさまに機嫌を悪くする。独占欲の強い子どものような悋気の被害に遭うのは主にだが、今この状況の場合確実にブラッドリーが巻き込まれる。そしてブラッドリーは、自分に向けられた攻撃を大人しく受け流すタイプでは決してない。簡単に予期できてしまう乱闘を避けようと、賢者は咳払いをして声をかけようとするが。
「何してるんですか、」
もう少し早く止めておけばよかったと、まさに後悔先に立たずである。気だるげで、しかし冷たい声が背後から聞こえて賢者はビクッと肩を跳ねさせた。はといえば、ミスラの姿に嬉しそうに頬を緩めて。
「ミスラ、すごいです、ブラッドリーの傷」
「はあ……この状況でよくそんな呑気なことが言えますね」
「?」
「男の嫉妬はみっともねえぞ、ミスラ」
「ブラッドリー、煽らないで……! ちゃんも、ゆっくりブラッドリーから離れて」
「は、はい」
「獣の対処みたいに言うのやめてくれますか?」
「獣だろ」
無邪気にブラッドリーの傷の凄さを報告しようとするに、ミスラの機嫌は下降しかけたが。間に賢者が入ると、本格的に機嫌が悪くなる前だったからか一応気を収めてくれた。ブラッドリーに茶化されて眉を寄せつつも、魔道具を取り出す様子はない。ブラッドリーから離れて駆け寄ってきたを見下ろして、呆れたようにため息を吐いた。
「傷くらい、飽きるほど見てるでしょう」
「でもブラッドリー、傷のお話もしてくれて」
「俺だって話してるじゃないですか」
「ミスラ、途中で寝たり、話変えちゃったりします……」
「……おい、行くぞ賢者」
「え?」
痴話喧嘩にも満たないやり取りを見ることに飽きたのか、ブラッドリーが賢者の背中をどつく。ブラッドリーなら煽るくらいのことはしそうだと思っていたばかりに、その行動は少し意外で。ぐいぐいと半ばブラッドリーに無理やり押し出されるように、倉庫裏から離れていく。くぐもった声が聞こえて思わず振り向こうとした賢者だったが、呆れたようなブラッドリーに前を向かせられた。
「馬鹿。鈍感か?」
「えっ……」
「雪ん子がいつ、ミスラの傷を見てると思ってんだよ」
いつ。そう問われて、一瞬頭を空白がよぎる。さっき自分はブラッドリーとを見て、恋愛映画のワンシーンのようだと思わなかったか。さっきの話のようなきっかけでもなければ、早々他人に肌を晒すような機会はない。けれど、は見飽きるほど傷を見ているとミスラは言う。
「……あっ」
「あいつ、ガキの躾に場所選ぶタイプじゃねえぞ」
ピロートークに色気どころか血なまぐさい話を選ぶ上に、その話すらまともに語り切らない気まぐれなけだもの。腕の中にいる獲物が余所見をすると気を悪くする様は、まさに子どもが臍を曲げたときのようで。そのくせ、力は人並み以上に持っている。茶々を入れる程度なら良いが、深入りすると面倒どころの話ではない。今からがどんな目に遭わされるかぼんやりとだが予想がついてしまって、賢者は顔を青くして振り返る。建物の陰になっている二人の姿は、見えなかったけれど。
「助けに行った方が……」
「あ? 死にてぇなら止めねえけどよ」
「それって、ちゃんも危ないんじゃ……!?」
「噛み跡山ほどこさえて帰って来るだけだろ」
の危機感の薄さはミスラの距離感の無い接触が大半の原因だろうが、そんなことなど棚上げでミスラはに悋気をぶつけるだろう。強者が弱者を従わせる北の魔法使いの中でも、飛び抜けてミスラは自身の欲求に忠実である。は多少痛い思いをするだろうが、下手に第三者が割って入った方が被害が大きくなる。けだものが今まさに捕食している最中の獲物を横取りするような愚行に付き合う気はないと、ブラッドリーは肩を竦めた。
「じゃあ、俺はあいつの酒盗んでくっから」
「え? お酒?」
曰く、ミスラが最近上等な酒を手に入れて帰ってきたという。ブラッドリーが好む銘柄のそれはシャイロックでも融通が難しいが、ミスラはどうせその酒の価値など気にしていないしこだわりもない。自分が飲んだ方が酒のためでもある、とブラッドリーはその酒に目をつけてミスラの隙を窺っていたらしいが。
「……どの時点からブラッドリーの策略だったんですか?」
「馬ぁ鹿、たまたま起きたことを利用してこその盗賊だろうが」
悪どい笑みを浮かべたブラッドリーが、ひらりと身を翻して屋根に飛び乗る。深々とため息を吐いた賢者は、オズと双子を呼ぶために駆け出したのだった。
200808