「お姉さんがいるんですか?」
 賢者の言葉に、ヒースクリフははにかんで頷いた。年相応の少し幼い笑みを浮かべるヒースクリフの横で、シノが得意げに胸を張る。
「ああ、お嬢様はヒースとそっくりな奥様似の美人だ。お優しくてお美しい、ブランシェットの花と謳われる姫様だぞ」
「姉上は好奇心が強くて勉強家で、編み物が得意で手先も器用な人です。弟の俺が言うのもなんですが、品があって綺麗で……理想の令嬢なんです」
「お前、お嬢様のことはそんなに褒められるのにどうして自分のことになると全然なんだ」
「だって、姉上は俺と全然違うだろ」
「馬鹿言え。瓜二つの姉弟だって、ブランシェット領民なら子どもだって知ってる」
「よく似た姉弟なんですね」
 子どもじみたやりとりに賢者がくすりと笑うとシノは満足げに頷き、ヒースクリフは曖昧に微笑む。姉と似ていると言われるのが嫌なのだろうかと賢者が首を傾げると、ヒースクリフは慌てて「とんでもないです!」と否定した。
「ただ、俺なんかよりずっとずっとお綺麗なんです。姉上の髪は金砂みたいにきらきらしてて艶やかで、指なんかすごく細くて白い、繊細な陶器みたいなのに温かくて、瞳はブランシェットで一番の宝石職人が磨いたサファイアより深くて綺麗な青色で……俺、小さな頃はずっと姉上のことを天使様だと思ってたんです」
「……す、すごいですね。ヒースクリフの口から、こんな情熱的な言葉が聞ける日が来るなんて」
「な、面白いだろ」
「面白いで済ますところか……?」
 ぽかんと口を開けていた賢者の肩を、シノがぽんと叩く。ネロも賢者と似たような顔をしていて、自分ばかりが驚いているのではないのだと賢者は安堵にも似た感情を抱いた。
「僕も最初はヒースが何か変な薬でも飲んだのかと思ったくらいだ。けど、彼女が関わるといつもこういう調子なんだ。気にしない方がいい」
「あ、そうなんですか……」
 淡々と言うファウストは、姉のことになると人が変わったように話すヒースクリフに慣れているようで。これは早々に慣れてしまったほうが楽なのだろうな、と賢者も納得したのだった。

「姉上!」
 珍しく声を張り上げて駆けていくヒースクリフの姿に、なるほどと賢者はひとり頷いた。とある用でブランシェット城を訪れた賢者と東の魔法使いたちを出迎えたのは、線の細い淑やかな女性で。薄青のシックなワンピースを着た、柔らかな金髪のその女性が先日話題に上がったヒースクリフの姉だというのは一目瞭然だった。楚々として儚い、陽の光が少し眩しそうな令嬢。彼女に駆け寄っていくヒースクリフの頬は薔薇色に染まっていて、まるで恋い慕う人にようやく会えた物語の王子のようだとすら思えた。
「おかえりなさい、ヒースクリフ」
「姉上、……もう、お体に障りますよ。お部屋で待っていてくださいって、言ったじゃないですか」
 花の綻ぶような微笑みを向けられ、満面の笑顔で応えたヒースクリフは、賢者たちの視線を気にしたのか少し取り繕ったように姿勢を正して甘やかな小言を口にする。魔法でサッとストールを出して姉の肩にかけるヒースクリフの姿に、賢者は隣にいたシノにこそりと問いかけた。
「お姉さん、体が弱いんですか?」
「ああ、お嬢様は病弱でいらっしゃる」
「それにしたって過保護そうに見えるけどな」
「そうか? 普通だろ」
 中々目新しいヒースクリフの姿に肩を竦めたネロだったが、シノは至極当たり前のことを問われたように首を傾げる。ブランシェット家の者を強く慕うシノからすれば、そうおかしくは見えないのかもしれない。そのシノなら今も姉弟まとめて面倒を見たがりそうなものだが、と抱いた疑問を口に出すと、シノはぶすりと視線を逸らした。
「ヒースのやつは、昔からお嬢様の世話を焼きたがるんだ。自分がいるときに他の誰かが世話をしようとすると、決まっていい顔をしない」
「なるほど……」
 きっとシノがこうしてヒースクリフを黙って見守るようになるまで、幾度となく小さな口喧嘩があったのだろうと推察できる口調だった。それに頷きながら何となく、先程からずっと黙っているファウストに視線を向けて。賢者と目が合ったファウストは、小さく息を吐いて玄関の姉弟を見遣った。
「僕たちもそろそろ出て行った方がいいんじゃないのか」
「あ……それもそうですね」
 何やら恋人の逢瀬じみた雰囲気に、気後れしていたのを見透かされたのか。ファウストに促されて姉弟の元へと向かった賢者たちを迎えたのは、ヒースクリフとよく似た穏やかな微笑みだった。
「お初にお目にかかります、賢者様」
 続いてネロにも挨拶をした女性は、・ブランシェットと名乗る。ファウストとは面識があったようで、「お久しぶりです、ファウスト先生」と柔らかく笑んだ彼女にファウストは気まずげに目を逸らした。
「僕は君の先生じゃないと言うのは、これで三度目だが」
「すみません、ヒースからいつもお話を聞いているものですから……何だか、先生とお呼びするのが自然に感じられてしまって」
 ふふ、と口元に手をあてて微笑むは、以前ヒースクリフから聞いた話だと魔法使いではなく人間らしい。家族の先生をそう呼ぶのは別段変わったことではないが、この繊細な人形のような令嬢に言われるのは特にファウストのような者にとってはすわりが悪い心地なのだろう。シノに視線を移して「おかえりなさい」と告げたに、安堵したような空気さえあった。嫌いではなさそうだが、単に話していて落ち着かないタイプの人間なのだろう。慈愛に満ちた笑みを浮かべると、満更でもなさそうに頬を少し赤らめるシノを見守るファウストの目は優しい。ひと通りの挨拶を終えて「ご案内します」と賢者に向き直ったの背後から両肩に手を置いて、ヒースクリフは心配そうにその顔を覗き込んだ。
「姉上、案内なら俺がしますから……もうずいぶん長く外にいましたし、姉上はお部屋に戻りませんか?」
「あら、このくらい大丈夫ですよ。それに、今日はずいぶん調子が良くて」
 ヒースや賢者様方に会えるのを楽しみにしていたからかもしれないですね、と笑うに、賢者はやや引き攣った笑顔で応える。ヒースクリフは「ずいぶん長く外にいた」と言うが、出迎えは来訪の知らせを受けてからのことで数分も経っていない。彼の過保護具合を鑑みるにが出歩くことすら一大事のごとき扱いのようだが、そんな彼女に案内などさせてしまっていいのだろうか。比較的感性が賢者に近いネロも、ヒースクリフがいい顔をしなさそうだ、と何とも言えない表情を浮かべていて。「姉上のお体が心配なんです」と捨てられた子犬のような面持ちで見下ろすヒースクリフを、しかしはあっさりと「本当に大丈夫ですよ」といなしてしまう。庇護欲を煽るタイプの美青年にああも弱った顔を向けられて陥落しないのはさすがに姉といったところかと、賢者は妙な感心をしたものだった。

「なんだかすごいですね、ヒースクリフ」
「えっ?」
 無事の案内を受け、応接間に通されて。ヒースクリフとの父であるブランシェット領主から、依頼についての話を聞いた後。最近東で流行っているという紅茶に若干緊張しつつ口をつけた賢者は、ほうっと息を吐いてへにゃりとした笑みを浮かべた。今は賢者と東の魔法使いたちだけになった応接間で、ふと思ったことが口を突く。さすがに唐突すぎたのかきょとんと目を見開くヒースクリフに、少し前まで姉の前で頬を赤らめていた時のような様子は微塵もない。
「いえ、ヒースクリフは本当にお姉さんのことが大好きなんだなって思って」
「あっ、ええ……そうですね、俺は姉上のことが好きです。賢者様に改めてそう指摘されると、なんだか気恥しいですね」
 驚いたようにぱちりと目を瞬かせ、少しバツが悪そうに目を逸らし、けれど幸せそうに照れ笑いを浮かべて。美青年はどんな表情を浮かべていても様になるなと感慨を浮かべる一方で、姉の前でなければわりといつものヒースクリフだな、とも思う。がいた時のヒースクリフは何というか、心がふわりといつもより高いところに浮かんでいるような様子で。普段の何倍も表情豊かで、珍しく落ち着きがなく。の一挙一動をじっと見つめ耳を傾け、微笑みかけられれば福音を受けたかのように満たされた顔をする。件の案内の間は、城の扉から応接間までの距離すらの腰を抱いてしっかりとエスコートしていた。とても姉のことを想って大切にしているのだなと感じる一方、「シスコン」という言葉が思わず脳裏を過ぎる。とヒースクリフの間にある空気はいたって平和で落ち着いているから「微笑ましい」で済ませられる範囲だが、あまりにわかりやすい好意全開の態度をこの「弟」は自覚しているのだろうか。どうにもその自問には、否と自答するしかないようだ。
「すごく大切なんですね、お姉さんのこと」
「はい……姉上は、昔からお体が弱くて。よく熱を出して、何日も寝込んだりしていたんです。だから俺は、姉上のことを守らなきゃってずっと思ってて」
 もじもじとしながらも、宝物をそっと見せるように姉のことを語るヒースクリフ。幼い頃からずっと病弱だった、綺麗な姉。守らなければ、大切にしなければと内気な少年の胸の中でぎゅっと固め続けられてきた想いは、とても強くて大きなものに育ったようだ。憧れと思慕と庇護欲と、少しの独占欲。それらが混ざり合って固まった感情は、恋と呼んでも遜色ないほど柔くて綺麗で危うい熱を持っていた。
「俺、約束したんです。姉上に、小さい頃……」
 約束。魔法使いにとってのその言葉の重みを、賢者はよく知っていた。ハッとして姿勢を正すも、ヒースクリフは膝の上で指先を合わせてはにかんで。賢者より余程重く約束の意味を理解しているはずの青年は、シノとの約束を口にしたときとは全く異なる表情を浮かべていた。物憂げで、少し悲しそうで、けれどどこか過ちめいた幸福を感じている表情。何も知らなかった子どもの頃のことなのだと、気恥しげにヒースクリフは語った。
「『大人になったら姉上と結婚します』って。約束したんです、だから」
 姉上はどこにも嫁げないんです。そう言って微笑んだヒースクリフの顔は、皮肉なほどとよく似ていた。
 
201104
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