痛い、とは涙の滲む目をぎゅっと強く閉じて耐える。壁に押し付けられて背中が痛くて、ぎりぎりと締め上げるように握られている手首が痛くて、源石の刺さった腕が痛くて。苦しさに、ぐっと眉を寄せた。舌を絡め取られて口の中をかき回されて、上手く息ができない。脚の間に膝を入れられて、不安定な体勢がますます呼吸を難しくしていた。
「んん、……ぅ、」
「……ふ、」
姉弟ですることではない、とまともに考えられたのも最初だけだった。経験はなくとも、本来そういった関係にある男女がする行為だというのはわかっている。親愛や家族愛のそれだなどと、勘違いができるわけもない。口の中を余さず舐め回すような、執拗で粘着質なキス。口蓋や歯列の形を確かめて覚えるように熱い舌が這いずり回り、ぴちゃぴちゃと水音を立てる。二人の唾液が混ざり合って口の端から伝い落ちていくのを、惜しむように舐め上げ口内に押し戻して。後頭部を支えている手が、ぐいっと上を向かせてそれを飲み込めと強いた。「んく、」と必死に嚥下している間にも、弟はぴったりと唇を合わせて蹂躙するようなキスを続ける。生き物のように器用に動く舌がの舌を引きずり出し、吸い上げて。どちらのともつかない熱い吐息が近すぎる顔の間に篭もり、体温が上がってくらくらする。痛いのか苦しいのか熱いのか、全部がめちゃくちゃに混ざり合ってわけがわからなくなっていた。ちゅぷ、とまた舌を絡められてビクビクと肩が震える。酸欠でもうまともに立っていられないのに、くたりと力の抜けた体を弟は解放してくれない。どころか脚の強ばりがなくなったのをいいことに、膝をぐいぐいと脚の間に押し付ける。もぞりと身を捩る程度の抵抗しかできないのに、それすら叱るようにぐりっと膝でそこを擦って。もう力など入らない手首を離され、頬に手を添えられる。思ったよりも優しい手付きだったけれど、有無を言わせぬ力で顔を上げさせられて。後頭部と頬を掴んでしっかりと頭を抱え込んだエンカクは、ゆっくりとまたの口腔を荒らしていった。丁寧すぎるほどに隅から隅まで舌を這わせて。混ざり合った唾液を喉奥に流し込み、一滴余さず飲み下させる。膝で支えられていなければ今にも床に崩れ落ちてしまいそうで、ぽろぽろとこぼれ落ちる涙まで溶けそうなほど熱かった。
「ッ、ん、」
はっ、と短い息を漏らしてエンカクはようやく口を離す。つうっと垂れる細い銀糸が滲む視界にもはっきりと映って、羞恥のあまりは思わず顔を逸らした。ぶつりと切れたそれを惜しむように、エンカクの親指がの唇を撫でる。その感触に、ぞわりと腹の底が震えた。肩で息をするの耳に、カチャカチャとベルトを外す音が届く。ぼうっと回らない頭ではその音が何を意味するのか理解できなかったが、ハッと我に返ったは身を離そうとエンカクの胸に手をついた。けれど後頭部を掴んでいた手がぐいっとの頭を抱き寄せて胸に押し付け、身動きが取れなくなる。何か硬いものの先端が、服越しにの腹を掠めた。
「ひぅッ……」
胸に押し付けたの頭に顎を乗せたエンカクが、つむじに鼻先を押し付けるようにして匂いを嗅ぐ。柔らかな髪に唇を押し当て、すんすんと鼻を鳴らして。がっちりと弟の胸元に抱え込まれたにはエンカクの服の布地以外に見えるものがなく、頭や腹に触れる感触に怯えていちいちビクッと反応してしまう。腰に腕を回されて抱き寄せられ、腹に熱いものが押し付けられたのがわかって背中がゾッと震えた。
「ゃ、離して、やだ……」
「…………」
弟は、何も言わない。締め付けるように腰を抱く腕の力が増しただけで、髪の匂いを嗅ぐのも腹にソレを押し付けるのもやめてくれなかった。「ハァ、」と湿った吐息がつむじに吹きかけられてぞわりと肌が粟立つ。腰を引かせてソレから離れようにも、逆にぐいっと抱き寄せられて輪郭がわかるほどぴったりと距離を埋められてしまった。ぬちゅりと嫌な水音がして、押し付けられている部分の服が濡れる。どちらかといえば痩身に見える弟の胸は、けれどしっかりと筋肉がついて厚く。頭を抱え込む腕の力強さも、細身ながらすっぽりとを抱き込めてしまう体の大きさも、全部「男」なのだと否が応でも理解できてしまう。何より、今の腹に押し付けられているソレは男の欲そのものだ。男性経験があるわけでもないに、弟に性的な興奮を覚えられているという事実は到底耐えられるものではない。この弟に姉として認識されているというだけでも嬉しさなどより恐怖が勝ったのに、男女の行為まで求められては泣きたいどころでは済まない話だ。ぬちぬちと嫌な水音を立てて、エンカクのモノが腹に擦り付けられる。湿った熱が一枚の布越しに肌をなぞる嫌悪感に、は涙混じりの声で必死に弟に懇願した。
「やめて……お願い、だから……」
「…………」
「ひどいこと、しないで……」
「……酷いこと?」
面白がるような響きが、その声にはあった。思ったより近い場所で響いた声は、これが酷いことなのかとに問うている。血が嫌いだと言ったときと同じ反応だと思った。頭を押さえている手が、ゆっくりとの髪を撫でる。言いたいことがあるなら聞いてやると言わんばかりの、傲慢な優しさだった。
「ひどい、ことじゃないの……? こんな……」
「酷くされたいのか?」
「ちが、……ひッ!?」
ぐり、と臍の辺りに先端を押し付けられて、情けない声が出る。ぎゅっと縋るようにエンカクの服を握り締めて、真っ赤な顔で声を絞り出した。
「……て、なのに……」
「何だ?」
「は、はじめて、なのに……」
平凡な生に憧れるなりに、恋に恋する気持ちはあった。初めては愛する人と、そう夢見るくらいは許されるだろうと。それが弟に初めての口付けをあっさりと奪われ、舌まで入れられ、あまつさえ貞操まで奪われかねない状況に陥っている。そもそも血の繋がった弟とこのような行為に及ぶこと自体許容できることではないが、にとって恐怖の権化のような存在に初めてを奪われそうになっているのは十分に「ひどいこと」だと思うのだ。どうか思いとどまってはくれないかと、未通であることを羞恥で死にそうになりながら打ち明ける。意志疎通ができないとわかっていながら言葉で訴えてしまうのが、の愚かさだった。
「なるほど」
エンカクの表情は、その胸に頭を押し付けられているには見えない。けれど聞こえる声の愉しげな響きに、はやっと言葉の選択を間違えたことに気付く。腰を捕らえていた手が、するりと脇腹を撫でた。
「優しくしてやろうじゃないか。なあ、『姉さん』?」
初めて呼ばれた「姉さん」などという呼称に、親愛や敬愛などひとかけらも込められていない。耳に舌を這わされて、裏返った声を上げて仰け反った。もっともエンカクに抱き込まれた状態では、身動ぎした程度だったが。それでも弟には面白くなかったらしく、血の出ない程度に耳を強く噛まれては身を縮こまらせる。大人しくなったのを褒めるように噛み跡を舐められて、弄ばれているような気持ちになった。
「一緒にいる理由が必要なんだろう?」
「っ、こういうことじゃ、」
「俺は何でも構わないが、男女の関係が最も手っ取り早い」
血縁という関係で足りないのなら、それを断とうとするのなら、新しく関係を繋げばいい。幸か不幸かエンカクとは、男と女に分かたれて生まれついている。姉という立場を厭うて逃げ出そうとするのなら、女という軛を与えてしまえばいい。弱くて可哀想な姉は、弟と関係を持ってしまえば今までのように「別の世界の生き物」としてエンカクとの関わりを避けることなどできなくなるだろう。姉を女として傷付けるのは簡単で、エンカクは姉を犯せる「男」だ。逃げ道を奪い、強引に関係を繋ぎ、それがひどいことだと思っていない。に経験が無いことも、単に自分との行為をより強く記憶に刻むという点で好都合だとしか認識していなかった。姉の初めての男が自分になるということも、悪い気はしない。昔から自分の傍にはこの弱々しい女がいることが当たり前で、はエンカクの姉という生き物のはずだった。一緒にいる理由が無いだの何だのと泣いて逃げようとするから、いちいち理由を欲しがる姉のためにそれを与えてやっている。姉はエンカクを別世界の住人のように言うが、エンカクにとって姉は自分の一部だった。心臓のように、手足のように、自分と共にあるのが当たり前の存在で。だからきっと、ひとつに戻ろうとする行為だとて自然なことだと思う。間違って雌雄に分かたれて生まれてしまっただけで、本当は自分のもののはずだったのだ。腕や眼を失くしたかのように、エンカクは姉という生き物に執着していた。
「お前が弱いのも、考えが違うのも、仕方がない」
「え、……」
「仕方がないから、それでいい。泣くのも恐れるのも、お前ならまあいい」
エンカクにとって、姉は自分から欠けた一部だ。弱さも脆さも、自分が失くしたものを姉が持っているというだけの話だった。考えや価値観が違うと言うのなら、まあそうなのだろう。けれど、姉のいない生を受け入れろというのなら話は違う。それは、自分の一部を失くしたまま生きて死ねということだ。自分が死んでも、自分の一部が哀れにも生き続けるということなのだ。
「逃げるな、」
自分から欠けたものが、人の形をして生きている。だから、失くしたら困るのだ。逃げることだけは、自分の元からいなくなることだけは、許さない。自分が死んだ後、この姉だけが生きていくのはあまりに可哀想だろう。だから自分が渇望する最期を迎えるときには、この細い首を手折ってやらねばならないのだ。きっと姉は、自覚などしていまい。エンカクを失っても独りで生きていけると、勘違いしている。自分が望んでいるものが普通の平凡で穏やかな人生だと、ずっと思い込んだままなのだ。
――死んじゃったの、
あの時の姉の顔を思い出すだけで、昂揚する。泣いたり怯えたりと賑やかな姉が、あの時はぞっとするほど静かだった。姉弟で隠れ住んでいた粗末な棲家には、血臭が立ち込めていて。姉が面倒を見てやっていた猫が、部屋の隅で死骸となって転がっていた。そして感情が失せたような姉の目は、床に転がる男を見下ろしていて。
――××、ごめんね。お洋服、よごしちゃった。
エンカクの名前を呼んで、真っ赤な返り血を浴びた顔を向けた。椅子にかけていたエンカクの上着が、なるほど赤黒く染まっていて。派手に血をまき散らして死んだ男は、ちっぽけな子どもたちの棲家から奪えるものを奪おうとして姉に殺されたのだ。痩せて小さな姉と、猫一匹。簡単に奪えると、床に転がっているその男は思ったのだろう。姉の腕や顔には、痛々しい痣が浮かんでいる。襲われた姉を守ろうとして飛びかかった猫は、男に蹴り飛ばされて殺された。可愛がっていた猫を殺された上に命を脅かされた姉は、咄嗟に掴んだ瓦礫で男の目を潰して。頭も、喉も、瓦礫の尖った部分で滅多刺しにしたのだろう。ぼろぼろになった姉の手と転がる男の死体を見れば、下手で稚拙な殺し方だったとわかる。邪魔なだけの死体を棲家から通りに放り出すと、エンカクは姉の手を引いて水場に向かった。泣きもせず、震えもせず、ただ静かに姉はどこともつかぬ宙を見ていて。血を浴びた姉の顔は、姉のために摘んできた花よりずっと美しかった。静かで、綺麗で、凍り付くほど冷ややかな炎。揺らめいて今にも消えそうな、焔の形をした花。惜しいと思いながらも、その血を洗い落としてやって。返り血でダメになってしまった粗末な服を脱がしても、姉は無反応だった。白くて痩せていて頼りない、小さな姉の血塗れの体。返り血を洗い流してやりながら、エンカクは初めて情欲というものを知ったのだ。姉の中にも、自分と同じ獣がいる。誰かと死を喰らい合う、そんな生き物が巣食っているのだ。惜しむらくは、姉がその手を汚すところをこの目で見られなかったことか。が人を殺したのは、後にも先にもその一度きりだ。忘れてしまったのかもしれないが、次の日にはもういつもの臆病で泣き虫な姉に戻っていた。けれど、失望も幻滅もしていない。あの日の姉の姿に初恋を奪われて、心の奥にあの美しい炎を焼き付けた。同じ血と炎を分けた存在と、同じ塵に還るべきだ。自分たち姉弟は、同じ血の海に還る生き物だろう。
「お前が言うには、俺たちは姉弟でいられないんだろう。体を重ねることに、何の問題がある」
他人でいたがるくせに、姉弟としての倫理を持ち出す。普通の人になろうと哀れなほど必死に努力してはいるが、だとて形は違えどサルカズらしく自分本位だ。普通に生きたいという欲求が並外れて強いから、一般人のように見えるだけで。平凡な人生を得るために弟を捨てた姉にそれが破綻の証だと突き付けないのは、きっと姉に対する情なのだろう。嫌だとエンカクの腕の中でもがく姉は、やはり弱くて脆い。どうとでもできる存在にここまで心を乱されているのが、みっともないとは思わなかった。哀れな姉は、未だに弟とわかり合って穏便に距離を置く希望を捨てきれていないのだ。もうその愚かな望みは壊してやった方がいいだろうと、エンカクは姉の脚に手を伸ばす。いっそ今殺してやることが優しさかもしれないと、弟としての罪悪感が一瞬だけ胸を過ぎった。
201023