姉の足首を掴んでも、何の反応もない。ほっそりとした白い足首に刻まれているのは、エンカクの手首の内側にあるものと同じ『商品』だった証だ。消していなかったのかと、感慨のような何かを抱いた。
「……あえて残しておく性格でもないだろうに」
 手酷く抱かれて意識を飛ばした姉を抱えて、ベッドにぼすりと腰を下ろす。壁に押し付けた状態で何度かシて、が気を失っても床に押し倒して行為を続けた。ずっと腰やら脚やらを強く掴んでいたせいで、白い肌にはくっきりと指や掌の痕が残っている。昂って噛み跡やら鬱血痕やらも体中につけてしまったから、起きたらまた泣くのだろう。行為の後始末をしてやりながら、姉に泣かれることは嫌いでもないことに気付く。そう、姉は弱いから泣いていてもいい。好きなだけ泣けばいいと思う。泣くのも怯えるのも、弱い姉の仕事だ。自分は強い者として生まれたから、殺すだの守るだのは自分が請け負えばいい。行為を経てそんな結論に辿り着いて、どこか愉快な気持ちにさえなった。いっこうに噛み合わない姉に苛立ちを覚えて犯したはずだが、妙にすっきりとした心地で姉との齟齬を受け入れられている。柔らかくて脆そうな肌も、大人びた肢体に反して少女めいた純潔性も、弟を拒んで泣く姿も、白濁を注ぎ込まれていっぱいになった胎も。何もかもエンカクとは違っているが、違うからこそ埋め合う形でいられる。早々に意識を飛ばすほどに体力が無いのも、泣き疲れた子どもそのものの寝顔を晒しているのも、嫌な気はしなかった。すうすうと安らかな吐息を立てるは、夢でも見ているのだろうか。足首に刻まれたバーコードを戯れに撫でながら、眠っていて嫌がられないのをいいことに顎を掴んでじっと寝顔の隅々まで観察する。この世で唯一の「もう一人」は、やはりエンカクと近い顔かたちをしている。それなのに自分にまるで縁の無い表情を浮かべるから、どうにも不思議な生き物に思えていた。
 ――ここから逃げよう、
 こんなに弱いのに、あの日手を差し出したのは姉の方だった。あの時はまだ、姉弟という繋がりはエンカクにとってさしたる意味を持っていなかったのだ。自分と同じ顔をした子どもが、隣にいて。このまま商品として売られれば永遠にふたつの人生が分かたれることは知っていたが、それも単なる事実としてしか認識していなかった。
 ――だいじょうぶ、おねえちゃんが一緒にいるから。
 そう言ったのはなのに、本人はすっかり忘れているらしい。姉はいつもそうだ。自分が身を守るためにしたことを、あっさり忘れてしまう。弱いから、忘れようとするのだろうか。商品であった記憶も、血腥い放浪の記憶も。震えている小さな手を前にして、子どもながらに「これが傍にいるから何だというのだろう」と思ったものだ。だが、エンカクはその手を掴んだ。姉というらしい生き物に手を引かれることを許して、その頼りない足が向かうところについて行ってやってもいいと。選んだのはエンカクで、一緒にいようと言ったのはだ。忘れているのなら、それでもいい。血を分けた存在というものを意識したのは、あの時からだ。生まれたときから一緒にいたから、死ぬまで一緒にいる。そう思わせたのは自身のくせに忘れているのは呆れもしたが、あえて突き付ける必要もないと思った。同じことだ。覚えていようがいまいが、あの日手を差し出したという事実を違えさせはしない。本人がどう思っていようが、与えたのはなのだから。
「…………」
 ぐちゃぐちゃに汚れた服を脱がしてやって、ベッドの隅に寄せておく。水でも取ってきてやろうと姉の体を横たえてベッドから出ようとするが、くい、とあまりにも弱々しい力に引き留められて。見れば、眠ったままのがエンカクの服を掴んでいた。掴むというよりも摘んでいると言った方がいいような、笑ってしまうほどに頼りない力だ。
「可愛いところがあるじゃないか」
 喉奥で笑って、姉の隣に腰を下ろす。興が乗ってその頭を膝の上に乗せてやると、の表情が和らいだようにも見える。起きていれば怖いだの何だのとエンカクを拒むくせに、眠っているとずいぶん素直で可愛いものだ。脱ぎ捨てていた自分の上着を掴み寄せて、一糸纏わぬ姉の体にかけてやる。ぶかぶかの上着に包まれたが安らいだように笑った、気がした。

「……ん、」
 ぬくもりに包まれていた微睡みに、ふと影が差す。何か温かいものに頬が触れているのが心地よくて、すり、と擦り寄るように頭が動いた。くつくつと、面白がるような笑い声が聞こえて。
(……? ……!!)
 一気に頭が冷えるように覚醒し、がばりとは跳ね起きた。
「なんだ、もう起きるのか」
「……ぁ、え、」
 パクパクと、言葉にならないほどに混乱して口を開閉させているを面白そうにエンカクは見ている。反射的に後ずさると、ぱさりと何かが自分の体から落ちて。
「っ、……!?」
 いい眺めだな、と思っても言わなかったのはエンカクのせめてもの情けだった。下着すら身につけていない上に、噛み跡や指の痕、キスマークやらで悲惨なことになっている体。意識がある間はかろうじて服を着ていたはずなのに、胸や内腿まで赤い痕が夥しく残っている。思わず腕で局部を隠して距離を取るが、着替えるにしても弟の目の前で肌を晒さなければならない。ベッドに落ちたのは弟が身につけていた上着で、一応裸で眠るにそれをかけてくれる優しさはあったらしい。だが、目を覚ました後に再度それを羽織るというのもどうにも良くない気がする。それをしてしまえば、弟のしたことを受け入れるということになってしまいそうで。かといって、このままでいられるわけもなく。けれどそれ以前に、弟にされたことは到底許せないはずのことで。事後の雰囲気に流されてしまってはいけないと、頭のどこかで警鐘が鳴っていた。赤くなったり青くなったりと忙しい姉を眺めながら、エンカクはベッドサイドに置いていたペットボトルの蓋を開ける。隅に寄せられていた服からどうにかまだ汚れがましな白衣を引っ張り出したは、慌ててそれに身を包んだところでぐいっと腕を引かれた。
「なっ、ん……むっ!?」
 ちろ、と舌を這わされて、キスされていることに気付く。湿った舌が、勝手知ったるというかのようにの唇をこじ開けて。いやだ、と思う間もなく舌が口内に捩じ込まれる。熱い舌と一緒に口に入ってきたのは、生温い水だった。
「んッ!? ン、うぅ……!」
 後頭部を掴まれて上を向かせられ、雑に水を喉奥に流し込まれる。反射的に嚥下したものの、噎せてしまいそうで弟の胸を叩いて抗議した。けれどやっと離れたかと思えばエンカクはまたペットボトルに口をつけて、を押さえて口移しで水を飲ませる。思わず胸を叩く手に力が入るが、エンカクにとっては痛みにもならないようで。そのまま何度か水を飲まされ、ようやく解放されたはけほけほと咳き込みながら顔を逸らす。優しさのつもりだったのかもしれないが、弟のそれは時に純粋な暴力より恐ろしい。子どもがぬいぐるみやペットに向ける残酷さと無邪気さを向けられているようで、いつ優しさや好奇心で腕をちぎられたり首をもがれたりするのだろうと思えば怖かった。
「じ、ぶんで、飲む、から……」
「そうか」
 息も絶え絶えに訴えれば、あっさりとペットボトルごと水を寄越してくれる。優しいところも、話が通じるところもあるのかもしれないが、根底から通じ合っていないという感覚は抜け切らなかった。
「……もう、こんなことしないで」
 白衣で隠した体は、カタカタと震えている。口移しのことだけではない、もう二度と姉弟でこんなことはしたくなかった。少なくとも、にとって血縁という存在は性愛の対象ではない。姉弟と思えないからといって、血の繋がりがなくなるわけではないことくらいわかっている。姉弟として上手くやっていけないなら男女の関係になってしまえばいい、などという弟の論理に頷くには、二人の血は近すぎた。けれど、黙っている弟を見てふと背筋に冷たいものを感じる。自分は、「どうしてかわからないけれど」弟が自分に執着していると感じたはずだ。幾度も問うた「どうして」という言葉に、どれほどの意味があったかはわからないけれど。弟の態度や言葉を繋ぎ合わせると、それはまるで。
「……嫌い、じゃないの……?」
「ずいぶん遠回しな聞き方をする」
 シーツを見つめていたの口から呆然とこぼれ落ちた言葉に、エンカクは皮肉げな笑みを返す。が本当に聞きたかった言葉も、誰よりがそれを否定したいことも、わかっているのだろう。弟にとって自分は、要らないものだと思っていた。それは間違いだったと再会したときに気付かされたけれど、の弱さや怯懦を受け入れるような人間には思えなくて。
「こんなこと、したのに……?」
「逆だろう、『こんなことをするくらい』だ」
 腕に源石結晶を刺されたのも、初めてなのだという訴えすら聞き入れられずに犯されたのも。報復だと、思っていた。弟を裏切って逃げたことへの、制裁だと。刺されたまま行為に及んで血の滲んだ布を押さえ、隅々まで蹂躙された自身の体を見下ろす。思い違いは、否定された。弟がこんなことをしたのは、に、
「やっと理解したのか」
 ひゅっ、と喉が引き攣った音を立てた。胎の奥がぞわりと震え、体温が一気に下がったような錯覚に陥る。近付いてくるエンカクから距離を取ろうとしても、震えている体は言うことを聞いてくれなくて。それでも逃げようとしていることなど見透かされていて、大きな手のひらがするりと足首を撫でた。
「焼いてやってもいい」
「っ、え……?」
「お前が『商品』だった過去を、焼いてやろうか?」
 がしりと足首を掴まれる。しっかりとした戦士の手と比べれば、の足などちゃちな玩具のようで。折ることも、砕くことも――焼くことも、エンカクにとっては造作もないのだろう。命に値段をつけられていた過去の証が、弟の掌の中にある。チリ、と焦げ付くような痛みと共に、めらりと一瞬炎の色が見えた。
「い、らない」
 情けないほど震えている声は、どうにか拒絶の形を紡いだ。怖い。何を考えているかわからないから怖いのではない、わかってしまったから怖いのだ。弟のこれは、愛情だ。好意だとか愛だとか、そういう感情故に弟はを害している。否、本人にを傷付けているつもりはないのだ。けれどそんな動機に救いなど見い出せず、むしろ悪意より余計にタチが悪い。姉でも女でも、どんな形でも構わないから傍にいろというその執着が、『死ぬまで』。また逃げ出そうと思っていた、鉱石病のことも犯されたことも、弟に抱く恐怖を更新するには十分すぎる。けれど、は「その程度で済まされた」だけだ。家族愛というにも情愛というにも血腥いそれは、逃げたところで死ぬまで追ってくる。『次』などというものがあったとき、が自分の形を保っていられる保証はなかった。愛ゆえに許されていて、愛ゆえに許されない。それを理解してなお逃げようと思えるほど、は強くなかった。エンカクが今の足を焼こうとしているのも、半分は優しさで半分は警告だ。の恐怖が眠る過去を払拭してやろうという優しさは本物でも、それに伴う苦痛をが恐れていることもわかっている。案の定、弟はあっさりと足首から手を離した。
「わかっているならいい」
「…………」
「もう逃げるな、無駄なことで怪我をしたくないだろう」
 お前は弱いのだから、と言外に込められた言葉にはぎゅっと唇を噛み締めて俯いた。弱く在ることに安心していたといえば、弟は嗤うのだろうか。人に恐れられたくないから、自分が抱えるこの気持ちを他人に向けられたくないから、人と変わらない生き物でいたかった。けれどそうしてが得たかった平凡で穏やかな生を、エンカクは許さない。例え本人にその気がないとしても、エンカクが隣にいるということはの望みが叶わないということなのだ。無駄なこと、という言葉が、まるでの望んだ生そのものを否定しているように思えて。けれど、今更反駁する気も起きなかった。が弱いのは本当で、だからは弟を拒む術を持たない。の肩に手をかけた弟にそっと押し倒されても、大きな手が鎖骨から胸をそっと撫でても、もう抵抗などできそうになかった。
「俺が一緒にいるだろう?」
 怯えているの頬を撫でて、心底愉しそうに弟が笑う。らしくない言葉は、まるで誰かの真似事のようで。どうしてか、『大丈夫だ』と言われたような、そんな気がしたのだった。
 
201108
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