ジジ、と蛍光灯がノイズのような音を立てる。夜半、それなりに静まり返ったロドスの艦内。任務の報告を終えたは、薄暗い廊下に少しだけ不安な気持ちで足を踏み出す。カツン、といやに大きくヒールの音が響いて、自分の足音なのに怯えてしまいそうだった。幽霊だとかそういうものを、信じているわけではないけれど。ただ広くて静かな――どこか空っぽな空間は、こわい。
「……あ、」
最初にが知覚したのは、匂いだった。煙草特有の、苦さの中にどこか甘さを感じる乾いた匂い。通気孔の下で、先に部屋に帰したはずの弟が壁にもたれて煙を燻らせていた。にちらりと視線を向けたエンカクは、急いだふうもなくゆっくりと白い煙を吐き出す。弟に喫煙の習慣があったことは知らなかったが、映画のカットか何かでも見ているようだった。アウトローじみた雰囲気の弟に煙草はよく馴染んでいて、言うなればはエンカクに目を奪われていたのだろう。切れかけた蛍光灯の下にいたのは、いるかどうかもわからない幽霊などよりよほど恐ろしいものだったけれど。緩く曲線を描いて昇っていく煙を見ていると、時間が急に遅くなったような錯覚に囚われる。そのコートにこびりついていた赤黒い汚れを目にしてハッと我に返ったは、ようやく口を開いて弟に呼びかけた。
「エンカク……?」
「戻ったのか」
遅かったな、とエンカクは感情の起伏も見せず淡々と言った。事務的な書類の手続きが多かったから、確かに少し時間がかかってしまったけれど。どうしてこんなところで待っていたのだろうと、は首を傾げる。もしかして部屋のカードキーを忘れてしまったのだろうかと思い付いて尋ねれば、暫しの沈黙のあとに弟はおもむろに煙をの顔に吹きかけた。
「わっ、何……?」
けほけほと咳き込むをよそに、エンカクは煙草を咥え直してを見下ろす。呆れたような感情を浮かべた瞳は、涙目になって戸惑うをじっと見据えていた。
「お前は、俺の気が長いことに感謝した方がいい」
「あ、ありがとう……?」
果たしてこの実力行使に偏りがちな弟の気が長いのかはいささか疑問だったが、良くも悪くもそういったことを深く追及しないは大人しく曖昧な笑みを浮かべる。弟の前で子どものように大泣きして気絶するという醜態を晒したせいか、任務に出る前よりはほんの少しだけ弟に対する恐怖が和らいでいた。もっともそれは、寛解というよりは麻痺であろうが。血の赤さを、本当に怖いものを思い出してしまったから、平時の弟が比較的恐ろしくなく錯覚できるようになっただけだ。それでも、もしかしたらこの距離感が「普通の姉弟」らしいのではないかと、思わなくもない。煙を顔に吹きかけられる意味も知らないは、呑気にエンカクを見上げた。
「……煙草、吸うの?」
「嫌か」
「ううん、いいけど」
『どうでも』いいのだろうとは思いつつも、姉が嫌がれば一応はすぐに消すつもりだったエンカクは煙をゆっくりと味わう。戦いの後も情事の後も、苦味のある煙で肺を満たすのは悪くないものだ。どこか不気味な薄暗い廊下に怯えていたはずの姉は、エンカクが吐き出す煙をぼうっと見ている。酒も煙草も嗜まず、男もいなかった姉は何を愉しんで生きてきたのだろうかとふと思った。この姉の趣味といえば、精々が花を育てる程度のことである。クローゼットの中身もそう多くはなく、かといって美食やらを嗜むわけでもない。友人も数えるほどで、同僚との付き合いも付かず離れず。果たして娯楽というものに興味があるのかすら、よくわからなかった。
(まるで聖人だな)
自分の愉しみよりも、他人に尽くすことを優先して生きている。その事実だけ見れば、まるで聖者のようだ。だが、この姉にとって他人の役に立つということは義務であり存在理由そのものであり、言うなれば他人に尽くした先の「捨てられなかった」という安堵だけを糧に生きている。充足感のためですらないのだから、ここまで来ると呆れてしまうが。エンカクが死闘に「献身」しているとまで言われるように、この姉は他者に必要とされたいという欲求に献身しているのだろう。そういう根本的なところは、腹立たしいまでによく似ていた。
「お前の戦闘記録を見た」
「え?」
「この数年、お前がどうして生き残れたのか気になったのでな」
エンカクの言葉を聞いて、は羞恥で頬が熱くなるのを感じた。確かにあんな醜態を晒しておいて「今まで無事生き残っていた」と言ったところで、まったく説得力が無いのはわかっているが。子どものはずのアーミヤのようにはとても戦えない弱くて不甲斐ない大人だと、自分でも嫌というほどわかっている。けれどそれをこの「弟」に指摘されるのは、どうにも苦しかった。
「お前にも『使い方』というものがあるんだな」
「それは、どういう……」
「俺は、お前が戦場に立てるとは思っていなかった」
自分の陰で、怯え蹲って泣いているだけの存在だと。エンカクが見ていたという生き物は、そういう存在だった。だが、映像の中のはアーツユニットである杖を縋るように握り締めながらも、俯くことなくしっかりと前を見ていて。守り守られ、『チーム』の形を繋ぎ留める要としての役割を果たしていた。傷を癒すのは勿論のこと、味方が突破された時はその杖で剣や鉄パイプを受け止めて。時にはアーツで無理やり自分の体を維持して立ち続けながら、周りが駆け付けるまで持ち堪えるような場面もあった。血にも、殺意にも敵意にも怯えはしても退くことはない。いったい何が、この弱い姉をそうまでさせたのか。今回の任務で見たの姿は、まるであの頃のままの弱い子どもそのものだった。けれど映像の中の姉も、自分の目にした姉も、どちらも偽物などではなく本物で。ならば異なるのは、『指揮官』の存在だ。はドクターよりケルシーの指揮系統で動いているとはいえ、やはりエンカクがを連れ回すのとはまるで違っているのだろう。「お前はどう『使う』べきなんだ?」と問いかけられ、はケルシーに連れられて戦場に立った日のことを思い出した。
――、私は君に殺すことを求めない。なぜなら、君がそれを望んでいないからだ。
ヒーリングアーツを、習得した。戦闘訓練も、人より多く受けた。それでも、戦地に立ったはまともに顔すら上げられなくて。そんなの肩を掴んで、ケルシーは言ったのだ。
――私が君に求めるのは、「治すこと」、それだけだ。アーツも、医療技術も、走り方も倒し方も、すべて「治す」ための手段にすぎない。戦場に呑まれそうになったら、思い出しなさい。君はここに、「治す」ためだけに立っている。
敵の攻撃を掻い潜るのも、時には誰かを害するのも、全ては『治す』という目的に辿り着くための道に過ぎないのだと。奪うために奪うのではなく、殺すために殺すのではなく。局所的には治すべき誰かを、大局的には根本的な『病』を治すために。ただ血錆に塗れて果てもなくもがき続けるのではないのだと、ケルシーの冷たくも誠実な瞳は真っ直ぐにを見据えていた。
――私の声を聞きなさい、。君はこの声を忘れない。君の炎が我々の行く道を照らし、汚染を焼き払い、毒を浄化する。そうして君に守られた我々は、君を刃や銃弾から守る。君に癒されたその腕で、私は病巣への道を切り開く。
それは、欺瞞であり偽善であったのかもしれない。はただ味方を守るためだけに力を揮い、手を汚すことは無いのだと。殺しや戦いは別の者が行うから、その者たちを守るだけでいいと。ある意味、自分自身の手で誰かを害するより罪深いことだ。それでも、はその言葉に安心できた。安心して、前を向いて立つことができた。杖を握って、足を踏み出せた。いつもと同じようにアーツを使って、誰かを治すことができた。
「……わたしを、必要としてほしい」
誰かを害するのは怖い。刺すのも、撃つのも、斬るのも、護るのもできない。それでも、治すことはできるから。その力を、必要としてほしい。医療オペレーターとして、使ってほしい。それが、にとっての「戦い」だった。
「なるほど?」
携帯灰皿に灰を落としながら目を細めて相槌を打ったエンカクに、はびくりと震えた。戦場のエンカクにとって、は必要ない生き物だった。ただ、目の届かないところで死なれたら嫌だから連れ回していただけで。例えばエンカクが良しとする形であればは命を失いそうになっても守られなかっただろうし、が生き残れたのはたまたま弟の許せる死が訪れなかっただけのことだ。当然弟がに助けを求めることなどなかったし、力を必要とされたこともない。価値などなくともいいからただそこにいろと言われるのは、にとってはあまりに苦しいことだった。ただそこにいるだけでいいなどと、弟が言っているのはそんな優しいことではないのだ。求めるまでもなく、姉が自分のものだとわかっている。もしかしたらは、そこから抜け出したいのかもしれなかった。
「だから、お前はあんな真似ができるわけだ」
「……?」
戦場に存在意義を見出しているという面では、ある意味似ている姉弟だ。けれど、エンカクとの「戦い」はまるで違っている。自らの存在証明のためというところは共通していても、エンカクはそのために他者を殺しはそのために他者を生かす。まるで反対で、相互理解などはやはりできそうにないが。他人を生かせない自分に存在価値が無いと思っているから、身を守る盾も無いのに自らが盾になってまで「仲間」を守ろうとする。どこまでも利己的な理由で他者に尽くす姉が、そうまでして得たいものを理解できなかった。ただ治せるからというだけで強くもないのにその腕も身も差し出して、ボロボロになって。当然、治せるとはいっても即座に全ての傷が癒えるわけではないのだ。例えば銃弾に膝を砕かれたときは、即座に傷を治して立ち上がっていたけれど。傷口を塞いで皮膚を繋ぎ表面上治ったように見せているだけで、内側の肉や骨は砕かれた状態のままだった。不安定にガクガクと震えている膝や痛みに歪んだ表情、こめかみに伝う冷や汗を見ればそんなことはすぐにわかる。そうやって最低限立ち続けるためだけにアーツを駆使して、「大丈夫だから」と撤退もせず敵の的になり続けて。馬鹿ではないのかと、思う。血が怖いと、戦いが怖いと泣いていた女が、そこまでして体を張る理由がわからなかった。聞いたところで理解などできないだろうから、わざわざ理由を問うこともないが。戦いが終わってへたりと座り込んだ姉の、泣きそうな安堵の表情。生き残れた喜び、ではなく。仲間を守れた誇らしさでもなく。ただ、誰かにとって必要な自分はここにいても許されるのだという、卑屈な安堵。そんなものを得るためにあれほど恐れている戦いに出る姉のことが、心底不気味だった。同時に、この女は自分の指揮官に全幅の信頼を置いているのだと気付かされる。命令を下す者を信じているからこそ、「このポイントを守れ」という単純な命令に愚直なまでに体を張ることができるのだ。ロドスの指揮官が、自分を駒として最大限活用できることを知っている。自分に「役に立てた」という安堵をもたらすのが、指揮官に与えられた命令を成し遂げることであるとわかっている。ケルシーかドクターか、或いはその両方か。人柄そのものは信用していなかったとしても、彼らが自分に与えてきたものは信用している。本当に、臆病で現金な女だ。エンカクのコートに付いた血に怯えるよりも、もっと怯えるべきものがあるだろうに。
「お前は、さっさと死んだ方がいい」
「え……?」
「その方が幸せだ」
呆気に取られた顔をしている姉が可笑しくて、フッと口の端が吊り上がる。誰にも必要とされなくなることを恐れながら生にしがみつくくらいなら、求められて死ぬ方が苦しまずに済むだろう。そう思って忠告してやったのに、まるで首元に刃を突き付けられたかのようには怯える。何も、エンカクが今すぐ殺してやると言ったわけでもないのに。
「お前みたいな女は、生きていても苦しいだけだ」
「…………」
「死にたくなったら俺に言うと良い。綺麗に死なせてやる」
首を綺麗に刎ねてやろうか、それとも胸をずぷりと刀の柄まで深く貫いてやるか。今回は『護衛』という仕事だったから可愛い醜態は見逃してやったが、その軛がなければエンカクがを守ってやる道理はない。むしろその死がつまらない輩に奪われるくらいならば、自らの手で終わらせてやろうと考えているほどだ。それでもまだ、今この場で殺してやろうとまでは思っていない。それがこのどうしようもない『姉』への、せめてもの敬意だった。
「……死にたくないよ」
ぼうっと考え込んでいたが、床に視線を落として言う。落ち込んでいるような、そんな表情をしていた。傷付くことばかりは一人前の姉のことだから、仮にも弟に「早く死んだ方がいい」と言われたことがショックなのだろう。その言葉の根底にある感情も読み取れず、ただ表面上の単語だけを捉えて痛がってみせる。だから愚かなのだとは思えどそれは口に出さず、煙と共にふうっとため息として吐き出した。短くなった煙草を靴底に押し付けて消し、俯いたの顎を掴む。ビクッと震えて顔を上げたの顔は死人のように青ざめていたが、その造りだけは本当によくエンカクに似ていた。自分なら絶対に浮かべない怯えと困惑を宿した瞳は、同じ炎の色をしている。この姉の血には今、エンカクの身に宿っていた源石が巡っているのだ。
「
怖いか」
弱さという毒を、孕んでいる。善性という魔物を、その身に飼っている。そんなおぞましい女は血よりも水よりも濃いものでエンカクと繋がっているのに、未だにエンカクを恐れているのだ。あまりに可笑しくて、滑稽だ。形は違えど同じ魔物であり怪物だと自覚せず、人畜無害の人の子として生きているつもりらしい。自分のために人を殺す生き物と、自分のために人を生かす生き物の、一体何が違うというのか。「自分は弟のように他者に恐れられる生き物ではない」と、そう信じきっているのが滑稽で愉快だった。人間のふりをしてヒトに擦り寄る怪物の姿はおぞましく愉快で、憐れで愛おしい。結局のところこの女が怖がっているのは弟だけではなく、弟を通して見える自身の怪物性なのだろう。頑なに同じ生き物だと認めたがらないのが、その証左であるようにも思えた。過去からも弟からも、自分自身からも逃げ続けている女。天使たちとは違い自分たちサルカズには、逃げたところで安寧の地など約束されていないというのに。
「あなたは、怖くないの……?」
「少なくとも、お前が恐れているものを俺が恐れることはないだろうな」
強いて恐れているものを挙げるのなら、戦士としての死を迎えられないまま錆びた刃のように生き腐ることだろうか。けれどそういう生温いものをこそ、この女は望んでいる。雁字搦めに繋がっていて離れられないのに、望むものはまるで正反対だ。エンカクが渇望する、血で血を洗う戦いを姉は泣いて忌避するのだから。結局のところ姉の行動原理は単純で、「怖いから逃げる」「逃げられないから耐える」というものでしかないのだ。怖がってばかりいるくせに、耐えるために立ち向かう姿は憎からず思っているが。
「お前は何が欲しいんだ?」
「何、って……?」
「逃げて、耐えて、何が得られる? お前の献身に報うものは何だ」
一時の安堵ばかりを求めて駆けているのなら、足を折って首を刎ねてやるつもりだった。この美しい生き物が、そんなみっともない姿を晒し続けているのはあまりにも忍びない。何も要らないとまた聖人ぶったことを言うつもりなら、空っぽの哀れな生き物として縊り殺してやることが情だろうとも。けれどエンカクの手に触れたは、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開けては閉じてを繰り返した。
「……あなたは?」
「今日はずいぶん俺に関心があるんだな」
皮肉げに口元を歪めながらも、エンカクはに答えてやろうとその瞳を真っ直ぐ見据える。いじらしくも怯えを隠している眼には、ある種の覚悟が見て取れた。その突き抜けた愚かさに敬意を表して、エンカクは答えてやる。
「俺が欲しいものはお前の死だ」
「…………」
「他の誰にも奪わせるな、『それ』は俺のものだ」
自分は答えたから次はお前の番だと、そう言うかのようにエンカクはの顔を覗き込む。煙と血の匂いが濃くなる距離に怯えながらも、はエンカクの手をぎゅっと掴んだ。
「あなたの……あなたのいない世界が、欲しい」
「……ハッ」
よくもまあ、実の弟に向かってそんなことが言えたものだ。だが、悪くはない答えだった。弟の死を望むでもなく、それよりよほど残酷な願いを抱いている。愚かで、憎らしくて、愛おしい女。それが姉という存在なのだと、より強く実感することができた。血も争いも、弟がいなければ知らずに済んだのだと思っている。本当に、馬鹿な女だ。相変わらずの妄言に憤ってやることは簡単だったが、それが如何に愚かな考えか自ら理解しなければ納得などできまい。すぐ泣いて許しを乞うくせに、とても強情な女だった。
「叶うといいな、『姉さん』」
「……そんなこと、思ってないでしょう?」
「よくわかってるじゃないか」
姉は、気付いているのだろうか。以前までは、はエンカクを理解できない生き物だと否定して逃げるばかりだった。少なくとも、その心情を推し量ろうと努力したこともない。それがこうしてエンカクと向かい合い、言葉を交わそうとするのは本当に諦観だけなのだろうか。それに気付けるのは、本来なら姉の方のはずなのだ。否、この女はとっくに気付いている。わかっていて、知っていてなお逃げようとしているのだ。
「わかるもの、だって、」
「お前には『俺の源石が巡っているから』だろう?」
きゅっと、泣きそうな顔をしてはエンカクを見据えた。サルカズは、源石を通して記憶を受け継ぐことのできる種族だ。エンカクの鉱石病によって生成された源石を体内に取り込んだにも、源石に宿っていた記憶や感情が僅かながら巡り始めて。ほんの微量であろうとも、それはのような生き物には猛毒だったのだろう。いずれ、の記憶も源石を通してエンカクに共有されるようになる。テレジアたち継承者のように特別なアーツ能力を有しているわけではないから、手に取るように感情を読み取れるようなことはないだろうが。それでも、自分たちはこの世で最も近しい生き物だ。こんなにも違っていて、それなのにどこまでも深く繋がっている。その事実を姉は恐れ、自分は歓喜にも似た感情を覚えて。そうして互いに、知覚もできない深いところで互いの心に影響されていくのだろう。弱さという毒にエンカクが喰らわれるのか、強さという炎にが灼かれるのか。どのみち、自分たち姉弟の行き着く先は「ひとつ」だ。喰らい合い埋め合って、同じ地獄に落ちる。の望む「弟のいない世界」など、絶対に辿り着くことはない場所だった。
「わかっていて感染させたの……?」
「どうだろうな。そう思えるか?」
「……あなたの、そういうところは嫌い」
「奇遇だな。俺もお前に不満は山ほどある」
例えば、気付いているのに気付かないフリを続ける愚かしさだとか。そういうところは、暴いて目の前に晒してやりたくなる。いつだってそうだ、この女が目を背けて逃げようとしているものを、眼前に突き付けてやりたい。その最たるものがエンカク自身なのだから、笑える話だ。
「この際だ、互いへの不満をぶつけ合ってもいいだろう」
「……もう、姉弟喧嘩をする歳でもないのに」
「そもそも喧嘩などしたこともないだろう、お前はいつも逃げていた」
その腕を掴んで、歩き出す。俯いて唇を噛み締めたは、部屋に戻ったあと何をされるかわかってしまったのだろう。煙を顔に吹きかけられる意味は知らずとも、今エンカクに腕を引かれる意味は理解している。その体を暴いて、胸の内を晒して突き付けてやりたい衝動をずっと抱え続けている。怒りにも似ていて、愛しさにも近く、それでいてどこか凶暴な衝動だ。この姉は喧嘩などしたことがないだろうから、ベッドの上でのそれも一方的なものになるのだろうが。それでも、ぶつけてやらねば気が済まない。が同族の傭兵を使っていたことだとて、保留していただけで話を終わらせたつもりなどないのだから。不安そうな顔で後をついてくるに、ちらりと視線を向ける。腹が立つほど綺麗な顔をしたは、蛍光灯の灯りの下では死人のように青ざめて見えたのだった。
210211