どうしてこんなことに、と現実逃避のようには思う。煌びやかな照明と、華やかな調度。友好を装った笑顔の下で値踏みしてくる視線。差し出される飲み物をさりげなく躱しながら、言い訳が立つ程度には手元にある毒味済の酒をちびちびと舐める。社交辞令で何重にも厚化粧をした腹の探り合いに、ファンデーションで武装した顔面は耐えられているだろうか。絶対こんな場所に自分は向いていないとわかっているけれど、少しでも気を抜こうものなら隣にいる弟から刺すような視線が向けられる。社交界の魑魅魍魎などより余程恐ろしいという一点のみで言えば、エスコート役にエンカクを指名したケルシーの判断は的確であった。
――レセプションパーティーに出席してきてくれ。
ロドスの代表として、とある提携企業の創立記念パーティーに出席してほしいと頼まれたのは数週間前のことだ。正直、なぜアーミヤでもドクターでもケルシーでもなく自分なのかと慄いて断ろうとしたが。ケルシー曰く三人は『色々とそれどころではない』ということで、ケルシーの弟子のひとりであるならば収まりも良いだろうと話を寄越したらしかった。元々、容姿だけならばそれなりに社交界に適した華やかさを持つである。最近は秘書じみた業務を回しているのも、ゆくゆくはこうした『社交の顔』としての仕事をさせたいがためらしかった。向いていない、絶対に手の内の読み合いになど向いていないと泣き言を漏らすに対し、ケルシーがエスコートに付けたのがまさかの弟であるエンカクで。「どうしてですか」ともはや半泣きのの抗議に、ケルシーはさらりと「少なくとも君の安全は確保できる」と告げたのだ。確かにエンカクにとってはロドスの体面などより姉につまらない死に方をさせない方が大事だから、暗殺や誘拐などの心配はなくなるだろう。多少強引な手を使ってでも、の命は保障されるに違いなかった。ストーカーは最強の護衛とはよく言ったものである(もっとも、弟をストーカー呼ばわりするのは些かどころではない語弊があるが)。おまけに、余計なことはしないようにとケルシーがエンカクに釘を刺してくれているらしく、その上で嫌だやりたくないと喚くのは完全にの我儘になってしまう。そういうわけで「ニコニコ笑って話を聞いて返事は『持ち帰って検討します』だけで充分だ」というケルシーの命令に不承不承頷いたは、やはりちょろい、もとい流されやすいと思われたことを知らない。押しに弱すぎるに、彼女のことに関しては心の狭すぎる弟をつけておけば妙なことにはなるまいという采配だった。
「ロドスのお二人は、魔族というより魔性ですね」
サルカズの姉弟が連れ立って代表として参加するなど、ロドスの悪印象とならないだろうかとは心配したものだが。薄ら寒い世辞を寄越され、はケルシーに言われた通りニコニコとそれを受け流した。勧められたグラスは、「姉は強くないので」とさり気なくエンカクが受け取って代わりに飲み干す。妙な薬物が入っていればエンカクがの背中を叩いて知らせ、がアーツで解毒することになっていた。どうせ自分で浄化するのなら自分で飲むと言ったの提案は、「お前が毒でアーツも使えないほど弱ったら打つ手がない」とぐうの音も出ない正論で封じられている。はエンカクが毒味を済ませた、ほとんどジュースと変わらないような度数のカクテルを持たされて。握手程度の接触でも、さり気なく腰を抱いて離される。遠回しに「過保護なことだ」と揶揄した者もいたが、その程度なら可愛い毒だろう。「ケルシーは弟子を顔で選んでいる」という旨の嫌味を言われたときは、笑いで肩を震わせる弟の足をヒールで踏まなければならなかったが。所詮はいち企業にすぎないはずのロドスに興味を持つ人間といえば腹に一物も二物も抱えた者ばかりで、直截に嫌味を投げかけてくる者などむしろわかりやすくて助かるほどだ。上っ面を滑るような世辞やバルコニーへの誘いをかけてくる笑顔の紳士淑女の方が、その狙いがわからない分不気味で恐ろしかった。今目の前でやたらとたちの容姿を褒めそやする男も、話を切り上げようとしても中々立ち去らずにしつこく厄介で。サルカズという種族に忌避感を持っていないように見えるのは、その男自身サルカズであるからなのだろう。もっともその男はカズデル出身ではなく、ヴィクトリアに移住して何代目かのサルカズらしいが。夜と炎を思わせる見目の姉弟を気に入ったらしく、やたらと「この後部屋で個人的に話さないか」と流しても流しても食い下がってくるのだ。
「お二人は、純血のサルカズらしい素晴らしい美しさをお持ちだ」
「それはどうも、ありがたいことだ」
とうとうに返事すらさせなくなったエンカクが、キツくの腰を抱いて威圧するように前に出る。それにすら怯まず嬉々とした様子で「ぜひお近付きになりたい」と言い募る男にエンカクは相当辟易とした様子だったし、も内心では感心が一割ドン引きが九割であった。確かに、姉の贔屓目を差し引いても正装のエンカクは美丈夫という言葉に相応しい。喉仏を覆う詰襟の黒いシャツも、鍛え上げられた体のラインに沿って仕立てられたジャケットもスラックスも、弟の硬質で精悍な魅力を引き立たせていて。顔や頭部にある源石結晶やサルカズ特有の角ですら、アクセサリーのように調和して見えるのだから弟ながら顔が良いというのは凄いことだと思ったものだ。所作も傭兵生活が長いとは思えないほど様になっていて、落ち着いた敬語で社交辞令を返す弟の姿に間抜けな顔を晒しそうになって鋭い一瞥を寄越されたことは余談である。そうやって弟の容姿の良さを他人事のように眺めている自身、似たような視線を会場の人々から向けられていることに気付いていない。もっともの場合は、気付いてしまえば真っ赤になって使い物にならなくなるためいつもの卑屈で丁度いいと敢えてエンカクが気付かせないようにしている面もあるのだが。完全に弟の趣味で選ばれたロング丈の黒いドレスは、華奢な体にぴったりと沿った流麗なデザインで。背中は大きくがばりと開いていて、アップに結われた髪が横に流れればうなじから背筋まで露わになってしまう。チラチラと視線を向ける男たちとの間に割って入っている弟がその眺めを独占して満喫していることを知らないのは、にとっての幸運だった。サルカズ特有の尾のためにある臀部の穴も、左の太腿を大胆に露出させるスリットも、弟の手が腰に添えられていなければ不躾に視線を浴びせられていただろう。の足首にあるバーコードもアンクレットで隠されているとはいえ、それが人目につけば下世話な噂の対象になるのは目に見えていた。それほどに、良くも悪くも人目を惹く容姿で。
「何も姉君だけとは言わない、弟君も……」
不自然に男の言葉が途切れたのは、男の手にあったグラスの中身がパシャリと跳ねたためだった。誰かにぶつかられたらしい男の手から、彼がにしきりに勧めていたグラスが滑って。淡い金色の液体が、止めることなどできるはずもなくのドレスの裾にかかる。こぼれた酒で汚れたのは裾だけだったが、場所が場所であるだけには一瞬呆然としたのち内心慌てふためいて辺りに視線を走らせた。幸い、気の毒そうに視線を寄越す者こそいれど騒ぎ立てる者はいない。申し訳なさそうにしながらもこれ幸いと後始末を申し出てくる男は、エンカクが視線を合わせて呼んだ給仕がさり気なく引き離してくれた。給仕が差し出したポケットチーフをありがたく受け取り濡れた足を拭うが、見た目はどうあれ中身は一般市民のとしては自分の足などより借り物であるドレスの染みが気にかかる。おろおろと縋るように見上げてくる姉の肩を抱いて、エンカクは「部屋に戻るぞ」と会場から連れ出した。
「ごめんなさい、ありがとう……」
「別にいい、長話にも飽きてきたところだ」
おずおずと安堵の滲む表情で見上げてくる姉に、エンカクは自分がわざと男の背に人がぶつかるように距離を詰めていたことを言わなかった。ケルシーには色々と言われていたが、問題があるようなら騒ぎを起こす前に退出しろという言質は取ってある。エンカクにしてみれば、今回のレセプションは茶番でしかなかった。あの医師の方も、重要なコネクションを繋ぐことや取引が目的だったわけではなく単にの顔見せのつもりだろう。会場にはどうせエンカクたちにもわからない協力者あるいは監視者がいるのだろうが、後で問い詰められたところでどうとでも言い訳のできる状況だ。何も知らないのはばかりだが、この綺麗なだけの弱い姉はそうした立ち回りに皮肉なほど嵌ってしまうのだろう。使いやすい張りぼての駒であることは確かで、本人がそれを自覚して許容しているのだから救いようもなかった。ただ、エンカクがそれを許すか否かは別の話だが。だからこそ、エスコート役に指名されてある程度の勝手を許されている。ガス抜きや役得と言ってしまえばそうだが、にしてみれば散々な話だろうなとエンカクは独り嗤ったのだった。
210111