姉が化け物であることを、エンカクは知っている。
宵の空のような、紺に近い黒い髪がさらりと揺れた。こてりと、無垢な幼子のようにあどけない仕草で女は首を傾げる。愛らしい仕草にそぐわない、物騒な錆臭さ。雪のように白い肌をおぞましくも美しく染めるのは、真っ赤な血の色だ。どこか無邪気にすら思える、罪のない表情で床に座り込むその女の膝が、血溜まりに浸っている。口元を真っ赤に染めた姉がその光景を作り出したのだと、今この場でエンカクだけが正しく理解していた。
「また浮気か? 『姉さん』」
「…………」
「お前の傍には、おちおち誰も置けないようだな」
問うても、言葉は返ってこない。ただ、正気を失っているくせに妙に澄んで綺麗な瞳で見上げてくるだけだ。白痴めいた無垢な美しさに、口の周りを汚す鮮血はそぐわない。幼子が母親の口紅を口の周りいっぱいに塗りたくってしまったような、悪い冗談にしか見えない姿だ。傍らに倒れている血の持ち主など、まるで知らないような顔をして。悪戯が見つかった子どもにしては、この女は犯した罪に自覚が無さすぎた。実際、何も覚えていられないのだろう。包丁の突き刺さったその肌に唇を寄せ、腹が満ち衝動が収まるまで血を啜ったことなど、覚えていないのだ。変異で赤く染まった白目と、薄く開いた唇から覗く牙。姿こそ紛うことなき『吸血鬼』であるのに、この女はタチが悪いほどに清廉だった。血を見ると興奮し、興奮すると血を見たくなる怪物。エンカクの姉は、そういう生き物に生まれついてしまった。同じ血を分けているというのに、姉だけが人の血を啜って生きる鬼に生まれたのだ。様々な思惑と事情から、姉はもう随分長いこと警察に『保護』されている。エンカクがそうであるように、姉の元を出入りするのは吸血鬼犯罪に関わる警察の人間だけだ。当然吸血鬼がどういう生き物かわかっているはずなのに、安易にこの女に血を見せる愚か者が時折現れる。瀕死になって転がる『同僚』を見つけるのは、いつもエンカクだ。自制や我慢でどうにかなるものではないと誰よりも知っているはずの組織の者がたびたび見せる醜態のおかげで、姉はほとんど軟禁のような生活を強いられている。もっとも、その成り行きで『保護監督』などという名目の監視役を任されたエンカクにしてみれば都合のいいことではあるが。元よりこの組織に身を置いているのも、姉の身柄がそこにあるからだ。あえてこの状況を変えようとは思わないが、それでも時たま起こる『不注意ゆえの事故』に不愉快にならないわけがない。保護者である弟を除いて、単独でのこの女への面会は禁じられている。ただのアパートに見えても、ここは警察の管理下にある場所だ。つまりそこに倒れている男は、エンカクの目を盗んで忍び込み、あまつさえ姉に血を見せて愚かにも自ら餌になろうとした鼠なのだ。死なれては面倒だから、回収を手配するよう『ドクター』に既に連絡は入れているが。
「立てるか」
おっとりと首を傾げるだけの姉の手を引いて、強引に立たせる。正気に戻ったときにこの光景を目にすれば泣いて落ち込んで鬱陶しいから、別の部屋にでもしまっておかなければ。鬼のくせに、人間の自分より脆く繊細だ。口元を染める血も、赤黒く汚れた服も、毎度誰が綺麗にしてやっていると思っているのやら。けれど、そんなことは不満のうちにも入らない。弟の血を飲むことだけは許されているが他人の血を口にしたことが、ただ不愉快でならなかった。
「っ、ぅ……」
一般的に、鬼と人のセックスは禁じられている。吸血鬼の特性がある以上、人死が出るのが目に見えているからだ。稀に性交をしない同意書まで提出して結婚する人と鬼の夫婦もいるが、自然に最期を迎えるまで連れ添うことができるのは稀であろう。だが、人道的な観点を排除すれば鬼と人の間であってもセックスは成立する。例えば、医師の立ち会いの元であったり。例えば、鬼側を拘束した上での陵辱であったり。エンカクとの場合は、後者だった。視覚的に血を認識しないよう目隠しをさせ、噛み付けないようにリングギャグを噛ませて。鬼の身体能力をもってしても引きちぎることができない強度の拘束具で後ろ手に両手を固定し、一方的な行為を強要する。が興奮して暴れるようであれば、鎮静剤を使うことも躊躇わない。そこまでして初めて、人であるエンカクは鬼であると体を重ねることができるのだ。近親相姦の上に意識の定かでない者を拘束して犯すという非道ではあったが、どうしてか『上』には黙認されている。自分たち姉弟の出生の特異さ、未だに不明な点の多い吸血鬼の研究に関わる思惑があるのだろうとは知っていたが、エンカクにしてみれば大して興味のあることではなかった。元々、人と共存できない上に絶対数が少なく近親交配の進んでいた種族だ。倫理観より、種の保存や生態の解明の方が優先されているのだろう。何しろは、鬼も一応は人間と変わらない人権が保証されているというのに自らの扱いに頓着しない貴重なサンプルなのだ。投薬の被検体にされても、望まぬ変異を強いられた上に鎮静剤を打たれて苦しむことになっても文句一つ言わず、逃げ出さない。ずっとこの部屋で、担当医師であるケルシーに従って暮らしている。何を考えているのか、何がしたいのか、弟のエンカクにも理解などできない。自らケージの中に入って大人しく解剖の時を待つモルモットの感情など、エンカクに理解できるはずもなかった。
「ふ、ぅ、」
「血が欲しいのか?」
「……ッ、」
性交を強いられて興奮しているとはいえ、吸血直後だった先ほどよりは冷静になっているらしい。ぶんぶんと顔を横に振って拒絶の意志を示す姉に、くっと口の端が持ち上がる。『給餌用』の針で指先を突き刺しぷくりと赤い滴を膨らませたエンカクは、血の匂いに反応してきゅうっと狭まったナカの反応を指して笑った。
「匂いだけでも興奮するのか。不便な体だな」
ぐぽっと音を立てて奥を突き上げると、ふーっと必死に息を吐いて興奮を鎮めようとする。けれど膣内はイク寸前のように震えてキツく締め付けてきて、そんないじらしい努力など全く意味を為していないことがよくわかった。脚を開かせている手が掴んでいる太腿から、脈が速く大きくなっていることが伝わってくる。目隠しの下の瞳は、もうとっくに血を求めて朱く変異しているのだろう。胸の内に深淵を飼っているような虚しい女のくせに、身体の反応ばかりは素直でわかりやすい。血の滲む指を口元に近付けると、ごくりと喉を鳴らしたのが可笑しくて愛しかった。
「好きに舐めるといいさ、『姉さん』」
もう、拒絶を示すだけの理性は残っていないらしい。否、今すぐに弟の指にしゃぶりつきたい衝動と必死に戦っているせいでそんな余裕など無いのだろう。太い指に舌を這わせ、口腔全体で包み込んでちゅうちゅうと吸い上げ、深いキスをするように舌を絡ませてはしたなく血を貪りたい。そんな衝動が、荒くなる呼吸の陰に見え隠れしていた。日頃から「血慣れ」の訓練は受けさせているとはいえ、ハーフとは違い先祖返りで人の部分などほとんど持っていないは変異や吸血欲の制御には至っていない。それでもこうして餌を目の前に自ら『待て』ができる程度には自制心が強いのが、いっそ憐れだった。だが、短い我慢もすぐに終わる。張力の破れた雫がぽたりと舌先に落ちた瞬間、エンカクの指先には熱くて柔らかい舌が押し付けられていた。飼い主の手を舐める犬、などのように可愛らしいものではない。切実で浅ましく、貪欲で本能的な舌使い。拘束具で口を開いた状態に固定されているは、弟の指先についた1ミリ程度の傷からしか血の摂取を許されていないのだ。舌先を必死に傷に這わせ、わずかにでも滲み出すそれを余すことなく舐め取ろうとする。動きを制限されて拙い動きになっても舌を指に絡めようとするのは、血管を押して少しでも多く血を吸い出したいからだろう。慎ましく淑やかな姉の姿はもはやそこにはなく、母の乳を求める赤子よりも必死に弟の指をしゃぶろうとする。淫らで浅ましい怪物の姿は、けれどとても愛らしかった。
「んぁッ……」
激しくうねる膣内を抉るように、律動を再開させる。腰が引けたのもほんの一瞬で、モノを深く咥え込むことなど構わず身を乗り出してエンカクの指に舌を押し付ける。時折カクリと動く小さな顎は、理性を失ったがエンカクの指先を噛みちぎろうとして拘束具に阻まれていることを示していた。ぴちゃぴちゃといやらしい音を立て、姉の小さな赤い舌がエンカクの指先を舐る。すっかり唾液まみれになった指先を戯れに引っ込めようとすると、追いかけるようにが身を起こした。その動きで柔い膣肉を陰茎が大きく擦り上げ、は普段の様子からは想像もつかない艶美な喘ぎ声を上げた。快感と興奮で蠢く膣道が容赦なく陰茎を締めつけ、エンカクの喉からも堪えるような声が上がる。いつもは体温の低い鬼の体が燃え上がるように熱く、抱き着くように密着してきたの肌はしっとりと熱く濡れて吸い付いてくるかのようだ。もっと、まだ取り上げないで、言葉にはできずともがまだ血を渇望しているのがありありと伝わってくる。エンカクの膝に乗り上げるような形になったの腰に手を添え、その耳にキスをした。
「自分で腰を振れるなら、もう少し舐めさせてやってもいい」
「……ぅ、ん、」
とっくに理性の溶け落ちているは、可哀想なほど素直に弟の言葉に従った。愛液が溢れる結合部をじゅぽじゅぽとはしたなく泡立たせて、弟の膝の上で腰を振る。しなだれかかるようにエンカクの胸に身を預けて、教え込んだ通りに腰を上下させて。舌が指に絡んだ時のように貪欲に、弟のモノに絡み付いた襞がうねる。先ほどの聖女と見紛うほどの清廉さはどこにやったのかと思うほど、淫靡で蠱惑的な姿だった。耳元で響く荒い吐息を愉しんでいると、チリッと首筋に軽い痛みが走る。れろ、と舌を這わされて、が開かされた口を押し付けて鋭い犬歯の先を引っ掛けたのだと理解した。求めていた血にありついたは、言い付けられたことも忘れて夢中で滲み出る血を舐めている。ここまでなりふり構わすエンカクの血を求める姿も悪くはないと思えたが、陰茎を咥えたまま疎かにしているそこに手を伸ばして敏感な肉芽をぐりっと押し潰した。
「ひぅッ、」
「『待て』もできないのか?」
快感に驚いて浮いた腰を掴み、モノを引き抜いてうつ伏せに押し倒す。不安げに顔を上げたの唇には、わずかに赤い血が付いていた。それを指先でぐい、と拭って自らの口に運ぶ。姉がこんなに必死になって求めるものとは思えないほど、ただ唾液と混ざって薄れた鉄の味だった。切なそうに呻いたに、バックの体勢で再び挿入する。ぱちゅん、とはしたない水音が響いて、が甘い声を上げた。
「ぇ、ん、あぅ、」
「血はお預けだ」
くぐもった声で縋るように自分を呼ぶ姉の姿に、思うものがなかったわけではない。それでも、欲のままに後ろから何度も最奥まで貫く。この特異な鬼の子を望んでいる『上』の思惑など、どうでもいい。ただ、この脆く美しい化け物の全てを暴きたいだけだ。小さくも張りのある尻に、ぱんぱんと腰がぶつかる音が響く。背中を反らして気持ちよさそうに呻くは、鬼だろうが人だろうがただの姉だ。エンカクの手の中で咲いて朽ちる、綺麗な花。ただそれだけで良いのに、他人の思惑や欲が鬱陶しくまとわりついてくる。苛立ちを払うように奥へと突き込みながら、華奢な背中に覆いかぶさって小さな顎を掴む。まだ血を与えられることを期待しているのか、力無く舌を伸ばして。自らの犬歯に舌を引っ掛けて引っかき傷を作ったエンカクは、そのままに口付けた。いっそ情熱的だと錯覚するほど、姉の舌が積極的に舌や口腔を舐め回す。傷を舐められる小さな痛みと、それが些細なことだと思えるほど扇情的に絡みついてくる舌の熱。給餌と愛撫が一緒くたになった行為に、自分まで頭が熱に侵されていくような興奮を感じている。犯されているくせに、にとってこの行為は単なる捕食にすぎないのだ。人間を餌と見なせる種族に生まれ、弟より生物的に上位にある姉。そんな彼女を組み敷き、命を握り、支配している。狂った姉弟関係に、歪な充足感を得てしまっていた。
「ん、ふ……」
ぴちゃ、と拙い音を立ててがエンカクの舌を追う。愛らしい仕草と淫らな舌使いはちぐはぐなのに、妙に腹の奥に来るものがあった。姉の背中を撫で、華奢な体を腕の内に収める。正気を失って縋る姉の姿はそれでも美しく、真に浅ましいのは自分だということもとっくに理解していたのだった。
211101