あの男も案外懲りないな、とエンカクは姉にまた果敢に話しかけている男を眺めながら思う。が最近料理の練習をしていると聞いて、自分のためかと都合のいい勘違いをしたらしい。まったくおめでたい頭をしていると思いながら、エンカクは姉の困惑した顔を少し離れた場所から眺めていた。姉は単に、自分のような年頃の女が料理のひとつも作れないのは「普通」から外れているのかといつもの不安に駆られただけだ。もっともあれは料理ができないというより、今までする機会がなかったというだけのことだ。戦地で姉弟ふたり彷徨っていた頃は当然凝った料理など作れるわけもなく、せいぜいが「調理」程度のものだった。吸血鬼の医者に拾われてからも、輸血パックの血液を飲むワルファリンを見て隣で栄養ゼリーを飲んでいたというのだから呆れたものである。今はロドスの食堂が充実しているためそこそこまともなものを食べているようだが、この女の人生において食とは生きるためのものであって楽しむためのものではなかった。栄養バランスも良い出来合いのものを提供される環境にあって、自分でわざわざ料理をしようと思うことがなかったのだろう。幼いときに満足な食を得られる環境になかったせいか、元々食も細く仕事にかまけてゼリー飲料を食事と言い張ることも少なくない。口うるさい「友人」たちは、が料理に興味を持ったことを喜んでいるようだが。男に「ぜひさんの手料理を食べさせてほしい」と請われたが、戸惑うように辺りを見回して。そしてエンカクの姿を見つけて、怯えながらもぱあっと顔を明るくするという器用なことをしてのける。
「エンカク……あの、どの料理がいいかな……?」
「なぜ俺に聞くんだ?」
「だって、あなたにしか食べてもらったことがないから……どれが一番まともな出来か、わからなくて……」
 作ってやること自体はいいのかと思いながらも、そんなだから妙な期待を抱かれるのだという苛立ちは湧かなかった。姉に言い寄っていた男の顔が、それはそれは見ものだったからだ。他人の地雷の上で踊ることが得意なだが、ここまでくると一種の才能なのではないかとさえ思う。エンカク自身も度々地雷を踏み抜かれてはいるが、今回は被害者が姉に言い寄る男なのだから愉快であり痛快である。隠し切れない愉悦の色が表情に滲んでいたのだろう、男はエンカクに対して敵意を隠そうともしなかった。当然といえば当然の敵愾心である。何を思ったのかは、試食の相手に弟を選んで。別に断る気もなかったが、他に頼める者がいないと泣きついてきた姉の顔が愉快で少し揶揄ってやったことを覚えている。好いた女の手料理とやらを一番に食べている男が良いと思うものを、自分に振る舞われようとしている。そんなことは、面白くなくて当たり前だろう。いっそ憐れにすら思えるが、生憎向けられた敵意はきっちりと受け取ってやる主義だ。口の端を吊り上げて、エンカクはせめてもの優しさからすっぱりと介錯してやることにした。
「そうだな、最初に作ったあれでいいんじゃないのか」
「あれで大丈夫……?」
「また『お願いだから食べてほしい』と泣きつけばいいさ。断る男はいないだろうな」
「なっ、え、エンカク……!」
 弟に泣きついて手料理の試食を頼んだという話を暴露され、は真っ赤になって顔を手で覆う。その反応からエンカクが本当のことを言ったと判断した男は、エンカクとを交互に見た後そろそろと居心地悪そうに去っていった。拙い手料理を食べてほしいと綺麗な女に涙目で請われて、何も感じない男はいまい。もっとも、それは自分に対してだけという特別感と優越感あってこそだろうが。あえて疎外感を感じさせる言葉選びをしたことも、お前は所詮弟のついでなのだと誤解させるような言動をとったことも、姉は気づいていまい。ただの愉悦というものも、突き詰めて求める価値がないというだけで嫌いではない。これで多少は自分の一部を煩わせる鬱陶しい有象無象も減るだろう。そこらの花より綺麗だから、姉には要らぬ虫が寄る。
「あれ……? ご飯、いいのかな……」
「腹が減るなら食堂に行くだろう、普通は」
「そうね……?」
 まったくこの女のどこが普通だと、呆れつつも口を噤んでやる。自身の恋愛沙汰にさえ気付かない病的な鈍さも、異常な弟に普通を説かれてあっさりと納得するところも、よほど「普通」などからは遠かった。
 
201222
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