「本物の美しさというものは、容姿ただそれのみを指して言うものではない」
任務先でガラの悪い賞金稼ぎたちに絡まれていたを助けてくれたのは、同じチームに配属されていたヘラグだった。将軍と呼ばれ、実際に貫禄も風格もある彼にどう接したものかわからずにいたは助けてくれたヘラグにただただ頭を下げることしかできなかったけれど。やんわりと男たちを止めに入り、下卑た言葉をに浴びせた者を鋭く冷たい一瞥で黙らせて。魔族の売女だの男を誘っている容姿だの、好き勝手言われて肩を落とすをヘラグは穏やかな声で諭してくれた。
「あの愚か者どもは、貴殿の外見を都合のいいように見ているにすぎん。貴殿の真なる美しさは、あのような輩の言葉で損なわれる程度のものではない」
「将軍……」
「あの案内人の子どものために、菓子を買いに来てくれたのだろう。行動のひとつひとつに、本物の美は表れる。なに、老人の戯言ではあるがな」
「いえ……重ね重ね、ありがとうございます」
改めて深々と頭を下げるに、ヘラグは慈しむような穏やかな笑みを浮かべる。「戻るまでは僭越ながら私がエスコートしよう」と悪戯っぽく笑ったヘラグに、も恐縮しつつも素直に感謝することができた。年の功と言うべきか、卑屈で他者に気遣われることが苦手なもヘラグの優しさは裏を疑うことなくすんなりと受け取れる。『良い人』を取り繕うから見れば、自然体で他者のために行動できるヘラグは一種の憧れでもあった。いつかこういう人になりたいと、本心から思えるような。へにゃりと気の抜けた笑顔を見せるに、若者というよりも自身の庇護する子どもたちのような稚さを感じて微笑ましくもどこか痛ましい気持ちを抱いた。ヘラグは日頃と関わる機会が少ないが、ロドスに古くからいる彼女がたおやかで美しいだけの女性ではないことは任務で少しの時間を共にしただけでもわかる。彼女の脆さは弟が傍にいるときに顕著になるが、その弱さは危ういまでに目を奪う何かを持っているのだ。本人が善良であるだけに、その魔性ともいえる美しさは厄介なものだろう。本人の意図の外で、危うい炎の揺らぎに惹かれてしまう者がいるのだ。軽々に触れてはならぬものだとわかるのは人生経験によるもので、先ほどの輩のような若く人間性も浅い者たちにはなるほど売女などに見えるのだろう。自らを律する術も知らぬ者たちばかりが、彼女を責め立て都合のいいように貶めるのだ。普段がそんな下衆の目に晒されずに済んでいるのは、ロドスの本艦から出ることが少ないからだろう。そして、
「――作戦時間が近付いているぞ、戻れ」
「あっ、エンカク……」
冷たい双眸に炎を宿した青年が、常に傍にいるからに違いなかった。微かに血臭を漂わせて近付いてきたエンカクに、ヘラグは眉を顰める。弟の血腥さに慣れて麻痺しているは気付いていないのだろうが、その血臭はいつもの乾いたそれではない。彼が来た方向と血の新しさから言って、彼が斬ったのは恐らく先刻を侮辱した賞金稼ぎたちだ。常に死闘を求めるエンカクがヘラグの目にどう映っているかはさておき、姉を貶められたことへの報復とはいえ無為に血を流した若者に対して憐憫と呆れと哀しさの入り混じった感情が浮かんだ。咎めるようなヘラグの視線に対し、「殺してはいないさ」とエンカクは肩を竦める。苦手に思っている弟が迎えに来たことに怯えているには聞こえない程度の声量だというのも、またタチが悪かった。が知れば気に病むだろうから、あえて彼女の前で詳らかにする気もないが。
「花には虫が集るのでな」
「そのやり方では、いつか花そのものも損なってしまうだろうよ」
「……?」
曖昧な笑顔で首を傾げるが、弟のしでかしたことを知らないのは幸せなことだろう。けれど、彼女はその花弁も萼もすべてが焔の花だ。彼女自身は善人ではあるが、彼女のそれが「よくないもの」であるのは確かで。本人よりも弟であるエンカクの方が、残酷なまでに姉の本質を理解しているのだろう。だから過剰なまでに、姉の周りの「虫」を排除しようとする。つまらないものを焼いて、焔が汚れることのないようにと。花守り人というにはあまりに血腥いエンカクは、けれど驚くほどに献身的だ。
「子守りをさせてすまなかったな、これは俺が引き取ろう」
「エンカク、将軍に失礼なことを言わないで……」
「いいや、美しい女人の護衛というものは年甲斐もなく心躍るものだ」
まるでの保護者のようなことを口にするエンカクと、その口の利き方に青くなっておろおろと狼狽える。あえて鷹揚な態度を取れば、はぽかんと驚いた顔をしてエンカクは面白くなさそうに片眉を上げた。顔立ちはよく似ている姉弟だが、なるほどこれはまるで似ていない。姉を幼子のように言うエンカクに対しをひとりの淑女として扱う言葉を返したのは皮肉だと、正確に伝わっているのだろう。察しもよく頭の切れる青年だが、なにぶん姉に対し敢えて自分から視野を狭めている節がある。
「……『将軍』の手を煩わせるまでもない、姉が世話をかけた」
「三人で一緒に戻れば、いいんじゃないかな……?」
「彼女の言う通りだ。時間もさほどないのだろう?」
それでもなおをヘラグから離そうとしたエンカクだったが、おずおずと切り出したを一瞥してつまらなさそうに口を閉ざす。どのみち集合場所に戻らねばならないのは確かなので、ヘラグもの言葉に頷いて歩き出した。の手にしていた紙袋をさり気なく奪うあたり、エンカクが姉を尊重しているのは確かなのだろうが。
「次からは、先を越される前に助けに入ってやることだ」
「……ご忠告痛み入る」
が自分に助けを求めるのを待って姉の窮地を陰で眺めているから、ヘラグに先を越されて面白くない思いをすることになったのだ。賞金稼ぎたちを斬ったのも、その八つ当たりが含まれていないとは言えまい。案外素直に頷いたエンカクだったが、その感情の底は見えなかった。守るべきもののあるヘラグには、容易に触れられない深い影を持つ姉弟だ。それでも見えている範囲で妙なことが起きるなら止めようと、抱えきれないものまで面倒を見てしまうのもまたヘラグの悪癖なのだろう。多くのしがらみを抱えている姉弟の行く末は、長くを生きてきたへラグにも見通せそうになかった。
210111