「……エンカク、」
「…………」
「起きてるでしょう……?」
 が困ったような声を上げても、エンカクは無反応だった。決して広いわけではない一人用のベッドで、を抱え込んで眠っているエンカク。昨晩彼に抱き潰されたが目覚めて腕から抜け出そうとしても、本当に眠っているのか疑わしいほどの力で締め付けられていて。困り果てたが「この弟が声をかけられて腕を叩かれているのに目覚めないはずがない」と経験則から行動に移すも、狸寝入りを続ける気なのか無反応を貫いている。脚までしっかり絡め取られていて身動ぎすら困難で、せめてベッドから出るだけでもと訴えても逞しい腕はビクとも動かなかった。
「その、喉が乾いただけだから……部屋からは、出ないから……」
 必死に腕をぺちぺちと叩いて訴えていただったが、不意に視界がぐるりと回る。エンカクがを抱き締めたまま寝返りを打ったのだと、さして衝撃もなく降ろされて気付いた。やっぱり起きているではないかと責める間もなく、瞼をこじ開けたような目の細め方をしたエンカクがを見下ろしていた。
「……そこに水がある」
「ぁ……あり、がとう……?」
「飲んだら戻れ」
 ベット脇のサイドテーブルを指さしたエンカクは、僅かに腕の力を緩めてが動ける程度の隙間を作る。もぞもぞと匍匐前進の要領でサイドテーブルのペットボトルに手を伸ばしたは、行儀が悪いとは思いつつもうつ伏せのままキャップを開けて水を口に含んだ。散々泣かされて枯れかけていた喉に、室温でぬるくなった水は優しく感じる。意識を失う前にもを介抱するように水を飲ませてくれているのは知っていたが、そもそも合意のない行為を強いている弟に素直に感謝はできない。開封済みだったペットボトルと水のぬるさが、今日もまた前後不覚のに弟が水を含ませてくれていたことを示していた。
「……、」
 きゅ、とペットボトルのキャップを閉めた途端、腰を抱かれてエンカクの腕の中に引き戻される。慌てたの手からペットボトルを取り上げたエンカクは、サイドテーブルにそれを戻すとまたを腕の中に閉じ込めたまま目を瞑った。
「……エンカク」
「…………」
「ねえ、苦しい……」
 遠慮がちにその胸に手を添えても、エンカクは黙り込んだまま何も言ってくれない。ぎちぎちと体が軋みそうなほどの拘束は、到底抱擁などと生易しい表現はできなかった。疲弊した体ではいつにも増して抵抗などできようはずもないが、睡魔に身を明け渡したが最後圧死するのではないかという考えが頭をよぎる。それがあながち馬鹿げた心配でもないからこそ、は必死にエンカクに縋った。
「お願い、エンカク……んッ……!?」
 なおも言い募ろうとするの言葉を遮ったのは、噛み付くようなキスだった。呼吸も言葉も全て貪り食らうように、口腔を激しく掻き回される。腕の力は緩むどころかむしろ強まり、掻き抱くように背中に回った腕が骨を軋ませる。未だキスにすら慣れないはろくに息継ぎもできず酸欠に陥り、くらりと視界が傾ぐのを感じて弟の胸に寄りかかる。華奢な体がくたりと抵抗の意志を失くすまで執拗に唇を貪ったエンカクは、ようやく解放されたが肩で息をするのを見下ろして酷薄な笑みを浮かべた。
「――俺はお前を信用していない」
「……、ふっ、ぁ……え……?」
「お前を自由にするつもりはない」
 例え逃げ出す気力も失せるほど抱いた後であろうが、関係ないと。が眠りに身を委ねるその時ですら、離す気は無いのだとエンカクは言った。それがかつて弟を裏切った姉に対する当然の処遇だろうと、愚かなを見下ろして笑う。
「余分な体力が残っているなら、朝まで目覚められないほど抱いてやってもいいが」
「……や、やだ……」
「なら、立場を弁えることだな」
 怯えるに、くっと喉を鳴らす。余計なことを気にするほどの余裕があるなら手加減など要らないだろうと、悪辣に笑う弟には哀れなほど従順に許しを乞うた。ごめんなさいと、ゆるしてと、これ以上酷いことをされるのを恐れて震える。物分りのいいに気を良くしたエンカクは、わざと色めいた手付きでその腰を撫でる。ビクッと大袈裟なほど震えたが面白くて、柔らかい首筋に噛み付いてやった。「ひぅ、」と情けない声を上げるは、よくあの時自分の元から逃げ出せたものだ。もう二度と逃げ出す気など起きないように色々と思い知らせてやってはいるが、それでも二度目は絶対にないとが言ったところでエンカクは信じないだろう。二度目など起こさせはしないと思いこそすれ、この裏切り者の言葉も心も信用できない。心身を磨耗させ、物理的に手元に置いても安堵などできようはずもなかった。
「……ッ、」
 背中に腕を回し、肩を掴んでキツく抱き寄せる。苦しいだろうに、これ以上抱かれることを恐れて何も抵抗できないが哀れで愚かしい。腕の中で震えている華奢な体は、エンカクのものだ。心は未だ手に入らずとも、ふたりで迎える朝だけは確かな真実だった。
 
210306
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