弟は、が思っていたよりトレーニングに熱心だ。トレーニングルームの利用記録では弟のIDと名前をよく見かけるし、自分のスペースには何やら訓練器具のような物を置いている。用途がわからず珍しくて見ていたに「使いたいなら使ってもいい」とまで言ってくれたし(壊すのが怖くて勢いよく首を横に振ったが)、模擬演習はおままごとだと厭う彼はその分自分を鍛え上げることに熱心らしかった。
「……お前の運動量は誰かが管理しているのか」
「え? ええと……ドーベルマンさんに、時々相談していて……」
「ほう」
 オペレーターになる上での基礎訓練は受けているが、以降の定期訓練外の運動は自主的に行っている。は医療オペレーターだから、どうしても『ブルーライトがお友達』になりがちで最初はフォリニックに相談したのだ。けれども彼女のある種強迫的とも言える規則正しすぎる生活は、「作り出された自由な時間」を伴う。休息を取るべき時間として与えられた空白に対応できなかったはその時間でオーバーワークをこなすようになってしまい、結果倒れてフォリニックにこっぴどく叱られ……と見かねたドーベルマンが日頃のの生活状況に合わせた運動メニューを組んでくれたのだ。フォリニックは自分自身を異常なまでに管理して充実させることで過去の恐ろしさを思い出さないようにしているという一面があったが、もまた誰かのために動いている時間で無理やり弟と戦火のことを忘れていた。ドーベルマンのメニューは「適度に身体に負担をかけて休息を促すもの」がメインとなっており、全体的に夕方から夜にかけて行うように指示が出ている。ともすれば終わりのない残業を引き受けて休息をないがしろにするのことを、よくわかった上での訓練メニューだった。
「全体の内容はどうなっている」
「えっ、と……?」
 ランニングについてきた弟が、規定のコースを走り終えて小休止しているに声をかける。それは、ここ数日でよく見られるようになった光景だった。もっともエンカクはエンカクで、自分のペースで自分のコースを走っているからお手手繋いで仲良くゴール、などとしているわけではないのだが。別段隠す理由もなく(隠したところでその気になれば訓練中に張り付かれて全貌を把握されるのでそれよりマシということもあり)、はさっさと端末に訓練表を表示させる。肩越しにそれを覗き込んだエンカクは、幾つかのメニューを指して「これは要らん」と口にした。
「え……?」
「オーバーワークだ」
「でも……」
 の食生活なども考慮した上での訓練内容なのに、一瞥しただけの弟に口を出される謂れはない。そう思ったのが顔に出てしまったのか、呆れたように肩を竦めたエンカクはふと何か思いついたように悪辣な笑みを口元に浮かべた。
「セックスの消費カロリーを紙に書いて渡してやろうか? 『姉さん』」
「な……、」
 ぽとりと、の手から端末が落ちる。耳元で囁かれた言葉に真っ赤になって固まるの手に、端末を拾い上げたエンカクはそれを戻してやって。ぷるぷると震えて泣きそうになっているを引き摺るように、部屋へと向かって歩き出す。
「や、やだ、しない、運動する……」
「余計に動いた分だけ多く食事を摂るなら、勝手にすればいい」
「そんなに食べられないの、あなたも知ってるのに……」
「だからオーバーワークだと言っている」
「あ、あなたが変なこと、しなければいいと思う……!」
 珍しく「反抗的」な姉を見下ろし、エンカクはフッと笑う。何も言わずにまた引き摺っていこうとするその手を振り払おうとしても、これが筋力の差かと思わずにはいられないほどエンカクの力は強くて。自衛のためにもやはり訓練内容を見直さなければ、とはキュッと唇を噛み締めた。
「安心しろ、精々重石になってもらう程度だ。今日お前を動かすつもりはない」
「……重石のつもりって、やっぱり重いんじゃ……」
「俺の使っている一番軽いウェイトより重くなってから言うんだな」
 ボソリと呟いたに、エンカクが鼻で笑って返す。「何なら重石代わりに担いで帰ってやってもいいが?」と言われ、は全力で首を横に振って拒否を示す。を背中に乗せての腕立て伏せが日課になったという話を後日エンカクから聞いたドクターは、「仲良いね」と呑気な感想を漏らしてに恨みがましげな目を向けられたのだった。
 
210415
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