くるくると、怖いくらい器用な手つきでエンカクが芋の皮を剥いている。ちらりとそれを横目で見遣って、長い傭兵生活の一端を垣間見た気がした。隣で同じように芋の皮剥きに勤しむは、気まずい思いをしながらも手だけはせっせと動かしていく。弟を含めた小隊で任務に出ることになり、野営で夕飯の支度を任されたのだ。今回はどうしてかスカイフレアやムースたちのような野営と縁の無かった階級の人間が多く編成されているし、手際の問題で自分たちに食事当番の役目が回ってきたことに不満などない。は普段食堂に頼りきりで料理をする機会もないが、一応人並みに調理くらいはできるのだ。芋を切って乾燥肉やら固形スープの素やらを入れて煮込む程度なら、それなりに経験もあるし問題はなかった。ただ、弟と一緒にいるのが気詰まりなだけで。様子を見に来たドクターが、異様に重苦しい芋の皮剥きに慄いてそそくさと去っていったほどだ。ドクターが周りに何か言ったのか、他のオペレーターたちもこちらに近づいて来ない。
「お前、刃物が持てたのか」
 唐突な弟の言葉に、はビクッと肩を跳ねさせる。言われた内容よりも弟の声にびくついてしまうのはもはや反射だが、それで危うく手元が狂いそうになって呆れた眼差しを向けられた。取り繕うようにナイフを持ち直し、何を言われたのか思い返す。皮肉のような、ひねくれた褒め言葉のような。
「料理に使うナイフくらいなら、持てるよ……」
「そうだったか?」
 第一、姉弟で放浪生活を送っていたときだって食事の用意をすることもあっただろうに。とはいえあの頃はかろうじて手に入れたパンや携帯食糧を齧ることが多かったし、芋も皮を剥いて煮込むような手間をかけるより丸ごと焼いて食べるばかりだったけれど。言われてみれば弟の前でナイフを持ったことは少なかったかもしれないと、は眉を顰めて難しい顔をした。
「俺はお前に刃物を持たせなかったと思ってな」
「……そう、だっけ……」
「自分で自分の手を切りかねないから、取り上げた」
 思えば確かに、幼いは刃物が苦手だった。一度弟の刀の手入れを手伝うと言い出して、その刃を濡らしていた血脂に卒倒してからのことだったような気がする。それ以来どうしても刃を見ると気持ち悪くなってしまって、手元がおぼつかなくなって。べったりと刃を濡らすそれを思い出してしまって、喉に苦いものがこみ上げる。ゆっくりと息をして吐き気をやり過ごしたは、「今は大丈夫」と俯いた。
「相変わらず繊細だな」
 の顔色が悪くなったのを見たエンカクは、皮肉げに口元を歪めて笑う。精神的にも肉体的にも打たれ弱いのを揶揄して面白がっているのだと、は小さくため息を吐いた。弟がこうして雑談を持ちかけてくるのは意外と珍しいことでもなく、その度に意図を読めず困惑させられたり気まずい思いをしたりする。ドクターに言わせれば、姉に対してだけは世間一般的な(やや物騒な方向にずれることも多いが)コミュニーケーションを取ろうとするのは好意の発露としか思えないらしいが。皮肉や揶揄、遠回しで真意の読めない言葉の多い弟との会話は、気詰まりな思いをするばかりで。幼い頃の弟は口数が少なく何を考えているのかわからなかったが、今の弟も口数こそ増えたものの考えがわからないという点では変わりない。エンカクはの気質の根本的な部分が変わらないことをつついてはからかってくるけれど、弟も深い部分はあまり変わっていない気がする。変化や成長がわかるほど、姉として弟を理解しているわけではないが。何とも言い表し難い重苦しい気持ちをどうにか振り払うべく無理やり他のことを考えようとしていたは、ふと思い出したことがあって苦い顔をした。
「……その、エンカク、」
「何だ」
「この辺り、強盗化した難民も多いらしくて……食糧も狙われるし、気を付けてってドクターが……」
「問題ないな。凶暴な浮浪者程度では相手にならん」
「それは知ってるけど……迎撃にそのナイフを使うのはやめてね……」
 ひとつだけ手に入った林檎を、弟が半分に切り分けてくれようとしたことがある。そうやって思い返せば確かに、過去の自分が刃物を持っていなかった裏付けになる記憶はあるのだけれど。それはともかく、そのたったひとつの林檎を奪おうと襲いかかってきた暴漢を幼い弟はナイフをくるりと持ち替えて殺したのだ。頸動脈を狙った動きは怖いくらいに的確で、派手な血飛沫で自分たちもナイフも林檎も血塗れになったのを覚えている。それなのに弟は平然とした顔で、ナイフと林檎を拭った後そのまま半分を切り分けて寄越したのだ。近くに水場などなく、貴重な飲料水を使うことができなかったのは当時も理解できたが。それでも生理的な嫌悪感と空腹の葛藤の末に、は泣きじゃくりながら林檎を齧ったものだ。あの時は隣で黙って林檎をシャクシャクと食べていた弟だが、今ならまた皮肉げに笑うのだろう。少なくとも今のエンカクは咄嗟に振るう得物に困っていないのだから、たとえ襲撃を受けたとしても調理用ナイフで頸動脈を切り裂くのはやめていただきたい。おそらくロドスの多くの面々も、洗ってさえいない凶器で調理された食べ物には拒否感を覚える感性を持っているだろう。そうであってほしいと願いながら、はエンカクをちらりと見上げた。
「お前は本当に、よくわからないことばかり覚えているな」
「あれを忘れるって、結構難しいと思うけど……」
「どうだかな」
 よく言う、とでも言いたげな弟の様子には首を傾げる。肝心なことは覚えていないくせに、こうして時折昔のことをぽろりと口にする。呆れる気持ちがないわけではないが、決してマイナスの方向ではない感情を抱いたのも確かだ。少し青ざめた顔のまま次の芋に取りかかり始めたの名前を呼んで、ポケットから取り出した飴を投げ渡す。危なっかしい手つきでそれを受け取ったは、林檎味と書かれた包装を見てあまりのタイミングの悪さに苦い顔をしていたけれど。
「……ありがとう、エンカク」
 少し強ばった声色に、エンカクは口の端を持ち上げて笑ったのだった。
 
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