頼りない脚だな、と忙しなくあちらとこちらを行き来する姉をのんびりと眺めながらエンカクは思う。検査だ何だと自分を連れて来ておきながら急ぎで書類が必要になったと同僚に拝み倒され了承してしまった姉には呆れもあったが、エンカクは医務室の一角で放置されている状況を甘受してやっていた。すらりとした細い脚が、高いヒールによろめいたり躓いたりすることもなく歩を刻むのを眺めるのも悪くない。あんな靴でよく外の任務に出られるものだと感心半分呆れ半分に思うこともあったが、頼りない美しさを強調するようなその装いが嫌いではないことは確かだった。ああいった、否が応にも背筋を伸ばさなくてはならなくなるような何かが姉には必要なのだろう。俯いて背筋を曲げてはいられないような、 拘束具じみた靴。弱いくせにそんなふうにしてまで前を向こうとする姿勢は、憐れでもあったが愛おしくもあった。実際、姉をああいう風に育てたのは師だとかいうケルシーなのだろう。人の役に立つという存在意義を与え、俯いてはいられない理由を与え、あのヒトもどきが望む人間の真似事をさせてやっている。それすら『治療』の範疇だというのなら、まったく大した医者だと感じさせられた。望むと望まざるに関わらず、はその容姿や能力によって面倒事に巻き込まれていくのが目に見えている。おまけにサルカズという種族に生まれたのだから、悪目立ちの原因には事欠かない。本人が望む石ころのような人生など、端から望めないものなのだ。だからケルシーは自身の麾下にあれを置き、平穏な人生とやらが望めるだけの強さを身につけられるように育ててやっているのだろう。一体どうしてあの化け物のような医者がサルカズの小娘ひとりにそこまでしてやるのか、エンカクの与り知らぬことではあるが。彼がを揶揄う程度に留めて本当にどうこうしようと思えないのは、再会した姉が思った以上に面倒な人物の庇護下にあったからだった。しかしあの医者は、過保護に弟子を守るわけではないらしい。エンカクがに何をしたのかなど、ケルシーはとうに見透かしているだろう。愛弟子を傷付けられた怒りを直接向けられていたなら、あの程度の牽制では済んでいまい。おそらくケルシーは、自身がエンカクを御することを期待しているのだ。弟ごときを自分でどうにかできないようでは、これからの人生を自身の望むように生きられるものかと。エンカクはただ、が解くべき課題として保留されているだけだ。サンプルかモルモットのような扱いに嘲笑がこみ上げるが、エンカクとてそれをわかっていてこうして付き合ってやっているのだ。仮初の平穏というロールプレイにすぎないことを知らないのは、ばかりだろう。
「……エンカク、」
 思索に耽っていたエンカクの視界に、いつの間にか華奢なヒールが至近距離で映っていた。驚くこともなく顔を上げると、自分で声をかけたくせにビクついた様子でがエンカクのことを窺っている。「ごめんなさい、待たせて」と言いながらそっと差し伸べられた手を無視して、エンカクは立ち上がる。特に傷付いた様子もなく手を引っ込めようとしたにクッと喉奥で笑って、エンカクがエスコートするような形でその手を取ってやった。
「……なに……?」
「何とはご挨拶だな」
 困惑するだが、エンカクが皮肉げに笑うと怖気付いてあっさりと手を委ねる。検査室までの僅かな距離をわざわざ手を繋いでいくのは、ただの戯れだ。エンカクの傍に来た途端規則正しさを失ったその足音に、愉快な気持ちにさせられたのもあった。のなけなしの虚勢であるヒールはいじらしさすら感じさせるが、結局はそれもエンカクにとって都合のいい口実でしかない。男に支配されるための不自由さという側面を、は理解しているのだろうか。生憎と、エンカクはその強がりを前に退いてやるほど紳士ではない。姉は弟の上に立つ生き物だが、男は女を支配できる生き物だ。その歪な上下関係の食い違いこそが、エンカクとを軋ませるものでもあり、或いは戦いそのものでもあるのだろう。姉が弟を御するのか、弟が姉を手に入れるのか。一見容易いように思えて往生際の悪いこの姉が、どこまで自分を楽しませてくれるものか。傅くように手をとって、言うこともそれなりに聞いてやって、それでいてその心臓はこの手に掴んでいる。心臓に繋がっているとかいう薬指を指先で撫でてやると、びくっと震えたがおずおずとエンカクを見上げた。食い合って痛がって、それでもこの女も譲る気などないのだ。もしかしたらこれは生存競争なのかもしれないなと、ふたつに分かたれたもうひとつを見下ろしながら思ったのだった。
 
210604
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