案外酒が飲めるのだ、この女は。アルコールに潰れた同僚たちを甲斐甲斐しく介抱し、毛布をかけてやる。作戦が無事終わった祝いだとかいう場に姉弟揃って呼ばれたから、意外にも二つ返事で頷いたにエンカクはついてきたのだ。けれど思えば、そう意外なことでもなかったのかもしれない。この女は病的な八方美人で、催しに呼ばれてスケジュールの都合以外を理由に断っている姿を見たことがない。姉が酒盛りなどを楽しめるはずもないが、口実がなければ断ることもないのだろう。エンカクは傭兵時代の名残りで特に強く断ることもないが、喧騒からは外れてひとり酒瓶に口をつけているタイプだ。今日もやたらと周りの肴だのグラスの中身だのを気にかけようとするの襟首を掴み、隣で酒を舐めさせていた。それでも何かと話しかけられてグラスを満たされていたわりには、はいつもと変わりない顔色でテキパキと酒盛りの後始末をしている。勧められるままに呷ったりペースも考えず呑んだりするほど馬鹿ではなかったようで、俗に言うお持ち帰りとやらを危惧していたと言ったらまたこの女はなんとも言えない顔をするのだろう。エンカクからしてみればはふらふらと危なかっかしく、まるで子どものように手がかかるがそういえば一応あれは「姉」だったか。考えてみれば、はアルコールの類も「解毒」できるのだ。体面を病的に気にするこの女が、酔って醜態を晒すことと飲み会ごときにアーツを使うことのどちらを選ぶかなど明白で。しかしこれはこれで可愛げがないと理不尽なことを考えながら、ほっそりとした白い手首がやたらと人の世話を焼くのを眺めていた。
「……あなたはまだ呑むの?」
後始末を一通り終えたが、寝付いた者を起こさないよう声を潜めてエンカクに尋ねる。視線はエンカクの手にある酒瓶に向いていて、そこには取り繕った優しさの色もない。弟が酔い潰れるはずもないと思っているのか、酔い潰れたところで自力で後始末をするだろうから関係ないと思っているのか。おそらく両方だろうと思いつつ、エンカクは度の強い酒を数本手に取ると黙って腰を上げた。
「部屋に戻るの?」
「お前も戻るんだろう」
噛み合っているのか、噛み合っていないのか。自分たちの会話は、いつもこういう形をしている気がする。わざわざ手を引かずとも、姉は案外大人しくついてきた。ほとんどの者が寝こけているとはいえ、痺れを切らした弟に手を繋がれるのを見られるのが嫌なのだろう。この姉は他人に良い顔をしたがって弟には見向きもしないくせに、他人が絡むと弟の言うことをよく聞くのだ。まったく呆れたことだと思いながらも、コツコツといい子ぶったヒールの足音が心地よい。酔って転ぶこともないからこんなヒールを履いていられるのだろうと、感心さえ覚えた。
「お前は酔ったら笑うのか?」
ふとした興味を覚えて問いかけると、は弟に怯えながらも不思議そうに首を傾げる。まさかとは思うが酔ったことがないのかと重ねて問えば、ついさっき後にした部屋で散々見た泣き上戸も笑い上戸も自身の経験としては無いとのたまう。エンカクも正体を失くすような馬鹿な呑み方はしないとはいえ、ほんの少しの酩酊すら覚えたことがないとはあまりにも徹底しすぎて呆れてしまう。一体何のために酒を飲む場に行ってるのだと思えど、この女は本当にただ誘いを断ることができなくて楽しむ気もないアルコールを口に含んだ端から焼き飛ばしているらしかった。道理でエンカクまでまるで酒豪のように最初から期待されていたわけだと、二日酔いでもないのに頭が痛む。は言わばイカサマをしているわけだが、ロドスの中ではザルだのワクだのとして密かに名を馳せているのだろう。今でもたまにやたらと酒を勧めてくる男がいるのだと何もわかっていない顔でほざく女を、エンカクはすっかり呆れ果てた顔で見下ろしていた。自力で不埒な思惑を潰していたわけだから、そこは褒めてやってもいいのかもしれないが。少しも血色の変わっていない頬に触れてみるが、多少血の巡りが良くなっている自身の肌と比べればいっそ冷たいとさえ思えて。
「……お前は酒の呑み方を覚えろ」
「え?」
戸惑うの足音が、それでも躊躇いがちに追いかけてくる。あの肌が赤く色付くところも瞳が潤むのも好きなだけ見てはいるが、情交ではなく酔いでそうなる姿に興味が無いわけではない。他の人間が知らない姿を自分だけが独占できるであろうことも、単純に気分が良かった。姉はきっと、エンカクが勧めた杯は拒めないだろう。アルコールの「解毒」だとて、エンカクがするなと強く言えば二人きりの場では止めざるをえない。この姉にとっても、エンカクは他人より近い内側にいるのだから。
それにしても勿体ないと、エンカクは手に持ったそこそこの名酒をそれとなくから遠ざけて持つ。安酒と良い酒の違いも知らず一緒くたに焼き飛ばしているふざけた呑み方を、この女はしているのだ。道理でイェラグの御曹司やらが、この女の呑み方を見て変な顔をしていたわけだ。顔は綺麗だし所作も案外違和感がないが、姉も結局は泥水を啜り木の根すら食んだ孤児の出だ。娯楽としての飲食を、本当の意味で理解などしていない。お綺麗な顔をしておいて、腹に入れば皆同じと言わんばかりに美食も粗食も構わず一定のペースで嚥下していくだけ。傭兵であるエンカクも寄りの価値観ではあったが、この女は些か突き抜けすぎている。どこぞの天使も機械人間だとかあだ名されているが、も大概人間味が薄い。少なくとも自分と戦場を彷徨っていた頃の姉はまだ生理的な欲求に素直で可愛げがあったと、苛立ちさえ湧くほどだった。姉は散々弟のことを普通ではないだとか常人とかけ離れているだとかのたまうが、普通から離れているという意味では大差ないだろう。部屋にグラスを二人分用意しておくかと、呆れつつも先のことを考えている自分がいた。酒が入れば、この女も少しは笑うのだろうか。とはいえ、大した期待はしていない。きっといつもの泣きやすさに拍車がかかるだけだろうと、けれどそれも悪くないと思っている自分がいる。結局姉は美しいから、どんな表情だろうが綺麗なのだろう。そう思う自分自身に呆れながらも、口当たりがいい割に度数が高い酒を確保しているあたりろくでもない『弟』だった。
211124