「やっぱりお前、エラ呼吸なんじゃないの」
「うん?」
 ラテラルタウンへの道中、見知った顔を見かけて近づいてみれば頭上でバケツをひっくり返したようにぐっしょりと濡れていた。相手が常人ならばすわ何事かと焦るだろうが、呑気にカメールと戯れているのは例のごとくである。この日照りの中でもカメールは案外乾燥に強いようで、の顔に水をかけて楽しそうにしていた。「暑いから」と水をかけてもらっているは、やはり水タイプなのかもしれない。キバナにしてみてももう少し可愛い喩え――人魚だとか水の妖精だとか――は即座に思い浮かんだものの、生意気な年頃特有の恥ずかしさもあり口から出てくるのは憎まれ口同然の喩えだった。ナックラーがどこか呆れたような目をしているのは、水が苦手な彼が水浴びをする彼女たちを理解できないからだと思いたい。
「『溶ける』使えそうだよな、お前」
「あー、うん、溶けちゃいたい暑さだねぇ」
「溶けたら蒸発までセットだろうからやめとけ」
 何しろ目玉焼きでも焼けそうなほど地面は熱くなっている。も水浴びの余波を浴びているはずの服はほとんど乾いていて、人通りは少ないとはいえさすがに服までぐっしょりと濡れるほどのことはしないかとなぜかキバナが安心していた。「もうちょっと人目とか気にしろよな」と頭の後ろで手を組むと、「キバナくんのしかないよ、人目」とけろっと返される。何を言ってもニョロトノの面に水のようなところがあるに、キバナはこっちの方が早いかとボールを取り出した。
「ところでさ……目と目が合ったらポケモンバトル、だよな!」
「キバナくん、『ふいうち』使えたんだ……」
 こんなところで知り合いにバトルを仕掛けられるとは思わなかったのだろう。裏切られた! とその顔にはありありと書かれている。能天気なの意表を突けたことが面白くて、キバナの口角は自然と吊り上がっていた。

「いやお前、あまごい使えたのかよ……」
「ナックルでお小遣いすっからかんだよ」
 これはポケモンが使う方の技の話である。日照りの影響下ならのポケモンたちは十分に実力を発揮できないだろうと思いきや、ナックルシティのフレンドリィショップで技マシンを買っていたらしい。元々手持ちのタイプ相性もさほど良くないこともあって、怒涛の勢いとばかりに打ち負かされた。バトルの間局所的に降りしきっていた雨は、まだもう少し降り続けるようだ。ナックラーたちをボールに戻してやりながら、キバナも頭からつま先まで濡れラッタになった自分の状態を確認する。雨を呼んだエリアを抜けて、一度キャンプでも張ろうか。のポケモンもこの後日照りのエリアに戻るのだから、休憩を挟んだ方がいいだろう。声をかけようと振り返れば、それはもう楽しそうに雨の中ポケモンたちと戯れている。特性が「すいすい」なのは、タッツーではなくだったかもしれなかった。
「本当に水の中だと元気なんだな」
 あんまりはしゃぐと発作を起こすんじゃないかとやきもきしつつも、さっさと雨の範囲から出ようとまでは言わない。とバトルをするのは初めてではないが、本当に楽しそうにバトルをするのだ。病弱でお嬢様顔なだが、どうして彼女の両親が旅を許したのかもわかる気がする。あんな顔でバトルをする姿を見れば、家の中に閉じ込めておく方がよほど可哀想に思えるのだろう。とはいえポケモンと一緒に激流のように戦う姿には、危なっかしさも感じる。天真爛漫で、放っておけなくて。を置いていった幼馴染も、結局はワイルドエリアで倒れたことを聞いて真っ青になって謝りに来ていた。「本当にこんなことになるなんて思わなかった」と頭を下げながらも、「もう一緒に旅はできない」と泣いていた。が先に踏破したカブのジムで、ずっと勝てないままでいるらしい。おそらく自分の旅はこれ以上先に進めないのだと、置いていかれたかったのは自分の方なのだと言っていた。病弱で、面倒を見なければいけない幼馴染。それなのに、ずっと明るい顔をして自分の先を行く。に抱くのは決して悪感情だけではなくて、嘘ではなく好きでもあったのだ。けれどもう、一緒にはいられない。自分が惨めになる一方なのだと、に別れを告げていた。
 『ごめんね』
『いいよ』
 びっくりするほど呆気なく、は幼馴染を置いて旅立った。「あの子のこと、時々見てやってください」とキバナにまで頭を下げた幼馴染は、本当の悪人ではないのだろう。「オレさま、あいつのために怒る筋合いとかねーし」と謝罪を突っぱねたキバナは、別にあの幼馴染の代わりにの保護者になる気はない。ただ、自分がそうしたいからを気にしているだけだ。「最後まで諦めんなよ」と最後にキバナが声をかけたのは、だけはその言葉をかけてはいけないからだ。吹っ切れたような顔をした幼馴染も、少しだけ寂しそうな笑顔をしたも、一度お互いから離れた方がもっとずっと強くなれるのだろう。

「カレー、食わねえの?」
「た、べる。食べるよ」
 そう言いつつ、皿を抱えたまま微動だにしない。身を乾かしがてら岩陰にキャンプを張って、カレーを作って。はどうにも不器用らしく、包丁で手を切りそうだったから火の番を厳命してキバナがきのみや野菜の処理をした。キバナの器用さもあってそれなりのおいしさに出来上がったカレーだが、は珍しく険しい顔でじっとカレーを睨みつけている。「嫌いなら無理すんなよ」と声をかければ、ぶんぶんと慌てたように首を横に振って。
「……もしかして猫舌?」
「うっ」
 図星だったらしい。一緒に食事をするのは、そういえば初めてだったか。急速に仲良くなったとはいえ、そう付き合いも長くない間柄のキバナの前で初っ端から必死にフーフーと冷ますのも失礼かと悩んでいたらしい。「そんなの気にすんなよ」と団扇を渡してやりながらも、ニヤニヤと口元が歪むのは仕方ない。は病弱だが、本人がそれに関してあっけらかんとしていることもあって弱みという印象はない。けれど今拙くも隠そうとしていた姿を見て、にとって猫舌は「弱み」なのだとわかった。隙を見せないポケモンの隠れた生態を目にしたような気分になって、キバナは機嫌よくモモンの実もついでに剥いてやった。
「そっかー、ちゃんは熱いものが苦手なんだなー」
「う〜……」
 猫舌など、大した弱みでもないのにが悔しそうに唸るから。パタパタと団扇でカレーを冷ますの横で、切り分けたモモンを齧る。甘さはいつもと変わらないはずなのに、いつもよりもっとおいしく感じる気がした。能天気でもあるが、はけっこう負けず嫌いだ。そうでなくては、ジムチャレンジャーとして進み続けられないだろうが。キバナとてそれは同じである。負けん気の強い性格だからこそ、出会ってこの方翻弄されっぱなしのが悔しがる姿を見て愉快な気分になったのだ。
「『みずてっぽう』鍋にかけたら、すぐ冷めるかなぁ……」
「せめて『こごえるかぜ』にしといてくんない?」
 ぽつりと隣から聞こえた不穏な呟きに、思わず鍋を庇う。自らの愛するドラゴンタイプの苦手な技だというのについそれを代案として発してしまうほど、の目は本気だった。どうやら、あまりからかいすぎると思わぬしっぺ返しを食らうらしい。
「いつか『こごえるかぜ』覚えてね、カメール」
「技マシンだろ、そいつら」
 今にもレベル上げに走り出しそうなを宥めつつ、賄賂とばかりにモモンの実を差し出す。モモンを齧ってニコニコと笑顔に戻ったを見て、内心胸を撫で下ろした。女心と秋の空とは言うが(若干意味合いが違う気もするが)、天気が目まぐるしく変わるようにの見せる表情もくるくると変わる。それはバトル中も同じで、相手に心情を読み取られるのは勝負師としては欠点かもしれないがはその表情の豊かさすら武器にするのだ。魅せられたらそれはもう、呑まれているということなのだろう。と似た人間を、ひとり知っていた。委員長の推薦を受けハロンタウンから旅立った、ダンデという少年。その圧倒的な強さは今期のジムチャレンジャーたちの間では有名で、優勝候補筆頭は彼だろうともっぱらの噂だ。
「なぁ、ダンデって知ってる?」
「キバナくんの友だち? 知らない気がする」
 はふはふとカレーを頬張るが、きょとんと首を傾げる。キバナ自身もそれなりに有名なはずなのには噂も知らないようだったから、ダンデも知らないことに妙な安堵のようなものを覚えていた。別に知名度を競っているわけではないが、キバナは知らないのにダンデを知っていたらそれはそれでショックな気がするのだ。
「どんなバトルをするの?」
「すげえバトルだよ」
 真っ先に尋ねるのが容姿でも人柄でもなくバトルのことなのだから、もやはりバトル馬鹿なのだろう。あまり答えになっていないキバナの言葉にも、「キバナくんが言うならきっとすごいんだね」と興味を示す。
「バトル、申し込んでみたいな」
「お前、ダンデ知らないじゃん」
「チャレンジャー同士は惹かれ合うんだよ」
「それ、漫画のセリフだろ」
 キバナの家にもある漫画をもじった答えに、呆れて肩を竦める。確かにジムチャレンジをしていれば、チャレンジャー同士縁が生まれる機会も多いけれど。
「だって、キバナくんともこうして会えたよ」
 どこか得意げに、はキバナを真っ直ぐに見る。その目にどきりとさせられたのが何だか悔しくて、キバナはまだ熱い自分の紅茶をこっそりのマグとすり替えたのだった。
 
220908
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