「う、う゛〜……ッ」
「ああ、うん、好きなだけ泣けよ」
「その……大丈夫? 確か発作持ってなかったっけ……?」
「これは悔し泣きしてるだけだから大丈夫。雨も降らせてたし体調は良さそうだよ」
「雨……?」
「は水ポケモンなのか?」
訝しげに首を捻る蜜柑色の髪の少女と、奇しくもいつぞやのキバナと同じことを言う菫色の髪の少年。地面にぺったり膝をつけてうーうーと唸るように泣くが行き過ぎて発作を起こさないように気を配りつつ、の代わりにダンデとソニアと話をしていた。
「よく知ってたな、こいつの発作」
「開会式の前、発作起こして出られなかったみたいだから……バウタウンのちゃんでしょ? チャレンジャーの中でも有名だよ」
「ああ、強かった! そして良い泣きっぷりだ! 実家のウールーを思い出すぞ」
「励ましてんだか追い討ちかけてんだか……」
「ま、ま゛けた……っ、」
やっぱり似ているかもしれないな、とキバナは悔しさを露にするに笑顔で語りかけるダンデを見て思った。内向的で大人しそうなお嬢様に見えて、とんでもない負けず嫌い。人目も憚らず唸っているに対し、ソニアという少女は面倒くさそうな様子も見せずに微笑ましそうにすらしている。ダンデの言う通り、ハロンタウンのウールーを思い出すのだろうか。ラテラルジムへの挑戦後、たまたま顔を合わせた4人。「あ、ダンデだ」とキバナが口にした途端、はテッポウオのような勢いで飛び出してダンデにバトルを申し込んでいたのだ。ラテラルジムでのの戦いを見ていたらしいダンデは、その挑戦を快諾して。バトルを行えば、勝者と敗者に明暗が分かれるのは必然だ。今回の敗者は、新種のウールーかと思うような唸り声を発しているだった。
「良い勝負だったろ。リザード倒してたし」
「……でも負けたもん……」
「お前の手持ちはヒンバス増えたばっかだし、実質3体で粘っただろ」
「…………負けは負けだもん……」
「強情だな!」
「ダンデくんは黙ってて!?」
「つぎは、勝づ……ぐすっ、」
もぞもぞと、鼻声で決意表明をしながらやっとが起き上がった。水分を含んだまま砂埃の舞う地面に座りこんでいたせいで泥汚れがついたのを、「あーあー」と呆れながらはたき落としてやる。いつの間にかすっかり保護者が板についているのはキバナとて度し難いが、別に四六時中ついて回っているわけではないのだ。旅の途中で一緒になることがあれば、楽しいから傍にいる。視界に入れば、放っておけないから世話を焼く。ただ、それだけだった。
「次も君に泣いてもらうことになるとは思うが、バトルは楽しみだな!」
笑顔でえぐいことを言うやつだと、ソニアとキバナの心情は一致したに違いなかった。今だけはゴーストタイプのような顔をしてダンデの差し出した手を握り返すと、おそらくが精一杯の握力を込めているのだろうがその非力さゆえに何も感じていないダンデ。いつだったか父が釣り上げたガラルサニーゴが今ののような顔をしていたなぁと、他人事のように思った。
「……競争」
「うん?」
「アラベスクタウンまで、競争!」
「いいぜ!」
「「は!?」」
キバナとソニアが焦る横で、とダンデは驚くほど機敏な動きでポケモンセンターに駆け込んでいく。呆気に取られていた2人が我に返ってセンターに入るのと、ちょうど入れ違いに駆け出していって。すぐにでも追いかけて引き留めるべきだったが、ルミナスメイズの森は迷いやすいことで有名だ。ジムチャレンジを終えたばかりで、キバナもソニアも手持ちの回復や道具の買い出しがある。酷く慌ただしくそれらの準備を終えてセンターを出た時には、もう2人の影も形もなかった。
「発作持ちが何やってんだ……!」
「方向音痴なのに何してんの……!?」
天を仰いだキバナと、頭を抱えたソニア。今頃ルミナスメイズの森に突撃しているであろうバカ2人は、確かにポケモンバトルの実力でいえば同期の中でも抜きん出ている。だが片や呼吸器疾患の発作持ち、片や空前絶後の方向音痴。イノムーのごとく猛進して、ふと気付いた時には迷子になっている姿がありありと目に浮かんだ。
「あー、ソニアちゃん?」
「……ソニアでいいわよ、キバナくん」
「オレも呼び捨てでいいけど……アラベスクタウンについたら、あのバカ2人に飯奢らせるってのはどう?」
「デザートもつけさせなきゃ気が済まないんだから」
ここからの苦労を思い、保護者2人の意見は一致する。ワイルドエリアのように強い個体が跋扈していないだけマシか、だとかあの手持ちなら森に生息するはずのポケモンたちに少なくとも不利ではないな、だとか考えて気休めにしていることが、腹立たしくて仕方なかった。
「そんなにウールーに似てんの? あいつ」
どうせ落ち着くまでは見ないだろうとは思いつつもスマホロトムでメッセージを送り、キバナは隣を歩くソニアに問いかける。迷子になっているのは確定として、せめて2人がはぐれていなければいいが。「ダンデくんは病気の子を置いてかないように気を付けるはずだから、そこは大丈夫」とソニアのお墨付きをもらい、不安は少し紛れていた。
「ん? ああ、さっきの話ね。ちゃん、見た目はグレイシアみたいなのにびっくりしちゃった」
「カジリガメより気性激しいぜ、あいつ」
「キバナくんは、ちゃんと一緒に旅してるの?」
「ずっと一緒にいるわけじゃねえけど……まあ、エンジンのジム戦前に初めて会ってからよく見かけるようになったな」
「え? 幼馴染じゃないんだ!」
心底驚いたように、ソニアが口元に手を当てて飛び上がる。連れているワンパチのような仕草が可笑しくて、キバナは思わず笑い声を上げていた。
「こないだ会ったばっかだよ。あいつの幼馴染は別にいる」
「へー……? すっごく仲良く見えたから、あたしとダンデくんみたいに付き合いが長いのかと思った」
「そっちは幼馴染なのか。大変だな」
「……まあ、大変なだけでもないよ。楽しいし」
僅かに空いた間に、キバナは気付かないふりをした。どんなに仲良く旅をしていても、チャンピオンになるのはただひとりだ。と幼馴染は、病気のこともあるがそれ以上に隣にいることの劣等感が距離を生む結果になった。ましてや、あの圧倒的な強さの少年が隣にいるソニアは思うところも多大にあるだろう。けれど彼女は、腐ることもなく自分のバトルを貫いてジムチャレンジを続けているのだ。時折聞こえるくだらない悪口のような、「ダンデの付属物」などでは決してなかった。
「ちゃん、本当に悔しそうに泣いたから」
「いやほんと、『すてられ船の幽霊』みてえだったな」
「あ、こないだ特集されてた都市伝説! 私も見たよ……まあそれは置いといて、あたしさっきのちゃんに励まされたんだ」
「あのウールーに?」
「うん。悔しくて泣くって、本気で勝つ気でバトルしてたってことでしょ? あたし、最近ダンデくんに負けるのを当たり前みたいに思ってたんだなあって……」
ルミナスメイズの光るキノコが、ソニアの横顔をぼんやりと照らす。遠くを見るようなその目に映っているのは、近いようであまりに遠い幼馴染の背中だろうか。差がありすぎて、勝てない相手だと諦める。戦う前から勝ちを諦めている内に、本当に勝てなくなる。そうなる前に、諦念を振り払えて良かったと。
「あんなに悔しそうにするから、負けたら悔しいってこと思い出してさ。あたし、また頑張れそう」
「そりゃ良かった。ライバルが減るとセミファイナルが寂しいからな!」
「君も強気だねぇ」
負けて悔しい、か。キバナだって、負けたら悔しい。悔しいから、まだ一度も勝ててないダンデにもにも事あるごとに勝負を挑んでいるのだ。けど、と急にさっきの光景が惜しくなる。ダンデは良い泣きっぷりだと言っていたし、ソニアもあの悔し泣きに触発されたようだ。簡単には忘れられないほどの泣き顔だが、ずっと画像にして残しておければよかったのに。旅立ちにあたって新調してもらったスマホで、色んな旅の風景を撮ってきたけれど。あの顔も写真に収めておけばよかったと、キバナは少しだけ後悔した。
(でもまあ、オレさまが勝った時に撮ればいいか)
に初めてあんな顔をさせたのがダンデだという事実が、妙に癪に障る。泣かせたいわけでもないが、ダンデに先を越されたのが悔しい気がした。そう考えると、別にさっきの泣き顔は撮れなくてよかったのかもしれない。自分が勝った時の方が、はもっと、それこそバイウールーのような声を上げて悔しがってくれるに違いなかった。
「……ん?」
「あっち、騒がしいね」
ふと、聞こえてきた喧騒。不気味なほど静かな森には、大きな声はよく響く。どうせ騒いでいるのはダンデとだろうと思いつつも、気付けば駆け出していた。どうしても、初めて出会った時のあの青白い顔を思い出してしまうのだ。今にも死にそうな息の音と、キテルグマの不気味な視線。キバナが発作を目にしたのはあの一度きりだが、軽度のものとはいえあれからも二度ほど発作を起こしているらしい。この森にはあそこまで実力差のあるポケモンはいないし、傍にはダンデもいる。頭ではそう理解しても、ソニアが追いついているかどうかも気に留めないほどキバナは無我夢中で走っていた。
「……った、……くれ……!」
聞こえるのは、焦ったようなダンデの声。それと威嚇するような、抗議するようなポケモンたちの鳴き声。耳をすませても、あの危うい呼吸音は聞こえてこないことに少しだけ安心する。この距離で聞こえないのなら、仮に発作が起きていてもあの時よりはひどくない。薬でどうにかなる範囲だ。
「すまなかった、やめてくれ!」
「なに、やってんの……ダンデくんっ、」
ダンデたちの元に辿り着いたとき、意外と近くで発せられた声に驚いた。思ったよりもソニアは足が速いらしい。目の前にある光景は、確かに呆れが先に立つものだった。ランターンにべちべちと頭突きされ、シードラに墨を吐きかけられるダンデ。ぺたりと座り込んで口元を抑えているの姿に一瞬焦ったが、その顔色はさほど悪くない。隣にはカメールがいて、労わるように背中をとんとんと叩いていた。ダンデのポケモンたちは攻撃されている主人を守りたそうにはしているもののおろおろと困っていて、この状況の原因は彼にあるのだろうということが見ただけでわかってしまう。ちなみに新入りのはずのヒンバスはといえば、騒ぎを尻目にうとうとと眠そうにしていた。
「その、すまない」
「ゴメンで済んだらジュンサーさんは要らないんだよなぁ」
「いいよ」
「いいのかよ」
「よくないよ! ほら、ダンデくんはもっとちゃんと謝って」
「でも、競争しようって言ったの、私だよ……」
柔らかい地面に正座させられたダンデと、切り株に座らせられた。しおらしく頭を下げるダンデにキバナが悪ノリして凄んでみせるものの、少ししゅんとしたがあっさりと許してしまったので脱力させられた。ソニアがダンデの頭を更に下げさせようとするが、慌てたようにが立ち上がる。その拍子に「こほっ」と小さな咳が漏れて、途端に3人から「座って!」「座れ!」「座ってくれ!」と制止の声が飛んだ。
事の経緯としては、当然のように迷子になったダンデとが一度キャンプを張ろうとしたことから始まる。迷子慣れしているダンデはソニアがいずれ追いついてくれることを知っていたし、はキバナからメッセージが入っているのを見て位置情報と共に返信しようとしていた。けれどふと、大きな光るキノコに好奇心を駆られたダンデが手を伸ばして。キノコの陰には厄介なポケモンが潜んでいることを知っているが、思わずスマホを放り出して制止しようとダンデに駆け寄った。運良くそのキノコにはポケモンが隠れていなかったものの、ダンデが揺さぶったことで広がった胞子でが咳き込んで。自力ですぐに薬が飲めるくらいには症状が軽かったのと、シードラがすぐに小さな竜巻を起こして胞子を吹き飛ばしたからしばらく呼吸が荒くなった程度で済んだが。キャンプのためにボールから出していたのポケモンたち(ずぶといヒンバスは除く)がそれで良しとするわけもなく。主人の制止を聞かず発作の危険に晒したダンデに、ランターンとシードラはべちべちと怒りをぶつけていたらしかった。元はと言えば確かにが悔しさのあまり競争を提案したことに端を発するが、呼吸器疾患があると知っている相手の近くで不用意に胞子を拡散させたのは完全にダンデのうっかりである。好奇心のままに動くところは似ているとはいえ、キバナにしてみればこちらは全く可愛くない。が競争を提案したこと自体はキバナが既に拳骨と説教で叱っているので、今はダンデに反省させるための時間だった。
「ダンデくん、ポケモンだけじゃなくて人間も見ないとダメっておばあさまに言われたでしょう」
「そうだな……」
「楽しいバトルができてテンションが上がってたのはわかるけど、森に入る前にちゃんと準備しようねってあれだけ言ったのに置いていくし」
「すまない……」
「いつもGPSはオンにしといてって言ったよね? 最近ずっと切ったまま忘れてたでしょ!」
キバナがに説教した内容と被るところもあり、までソニアの言葉に居住まいを正す。まあ、少しはいい薬になるだろう。は一人旅になってからどうにも、迷惑をかける相手がいないことが好奇心への箍を外してしまったようなところがあったから。ずいずいと迫るソニアにしばらくは殊勝な態度を見せていたダンデだが、不意に「ふっ」と堪えきれなかったような笑みが零れる。説教されているのにどうして笑うのかと訝しむ間もなく、ダンデが片手を上げて「すまない」とソニアを見上げた。
「君がこんなふうに遠慮なく怒ってくれるのは、久しぶりだと思って」
「……あたしが怒らないと、誰もダンデくんを止めないでしょー!?」
聞きようによっては何ともいじらしいセリフなのだが、タイミングが悪かった。ソニアにワンパチをけしかけられ、長時間の正座でしびれているだろう脚をつつかれて悶絶している。それを眺めつつ、ふと気になったことができてキバナは口を開いた。
「なんでキノコに触ったんだ? お前ポケモンには詳しいから、キノコの下にポケモンがいるの知ってただろ」
「えっ」
ソニアが言う通り、ダンデはポケモン馬鹿だ。はあまりダンデを知らないから、危険から守るつもりで止めようとしたが。けれどダンデは最初から、ポケモン目当てでキノコに触れたのではないだろうか。キバナの疑問に対するダンデの答えは、実に良い笑顔と共に返ってきた。
「にポケモンを見せたかったんだ。この森にはフェアリータイプが多いから、よく似合うと思って」
「……は?」
「妖精みたいに可愛いだろ、は」
「はァ!?」
元気よく反応を返しているのは、キバナだけである。はぽかんとヤドンのように口を開けていて、ソニアはまるで愛の告白を目撃したかのように真っ赤になってとダンデとキバナを交互に見ている。キバナが内心思いつつも言えなかったその比喩を、形容詞を、照れるでもなくあっさりと言い放ったダンデ。あまつさえ、「可愛いから似合う」とフェアリータイプのポケモンを見せる気だったとは。ソニアはの可愛らしさをグレイシアに喩えたが、キバナは内面の喩えとはいえよりによってカジリガメだ。未だバトルで勝てない相手に精神面でも先を越された気がして、キバナは絶句した。
「おまえ、それ、どういうつもりで」
「うん? に元気になってもらって、また楽しいバトルがしたいからな!」
アラベスクタウンまでの競争は叶わなかったが、やはりと言うべきか持久力ではダンデに軍配が上がった形になったらしい。泣きこそしなかったものの、ダンデに支えられる形でこの空き地に辿り着いたのが悔しくて落ち込んでいたを励ますべく、ダンデはポケモンを探そうとしたのだ。けれどキバナの心は、可笑しいくらいにぐらぐらと揺れ惑っている。まるで、大切にしている宝物をかすめ取られるような。さっきまでは甘酸っぱい幼馴染の関係すら期待できる場面を繰り広げていたくせに、ソニアは女子特有の色恋沙汰を面白がる表情を浮かべている。勝利も泣き顔も「可愛い」も、何もかもダンデに持っていかれては男が廃る。これは決してソニアの期待するようなレンアイではないけれど、このまま引き下がりたくないのは確かだった。けれど、いつもは上手く回る口がこんな時に限って動かない。自分が先に可愛いと思ったと言うのも、妖精なんてガラじゃないと反発するのも違う。そんなのではないのだ。そんなのでは――
「ダンデくん、あのね」
「うん?」
神妙な顔をして、がダンデに向き直る。キバナの胸に焦りがよぎって、けれど何に焦っているのかもわからないままにの口が開くのをただ見ていた。
「キノコの下にいるの、ベロバーだけなんだよ」
「そうなのか?」
ベロバーが似合うって言われるのは複雑だなぁ、とは難しい顔をして腕を組む。「ぷっ」とソニアが吹き出して、ダンデがハッとしたように慌てて「その、フェアリータイプでは、あるが、」と珍しく言い淀む。そんな様子を見て、キバナも思わず「フッ」と笑みを漏らして。こみ上げてきた笑いを我慢することなく、腹を抱えて大笑いする。きっと悪戯に引っかかった人間を見るベロバーも、今のキバナたちのように笑うのだろう。ああ、ベロバー。醜い小人のようなあのポケモンを、花のような女の子に似合うと言ってしまうなんて! 薄暗い森には似つかわしくない、陽気な笑い声がしばらく響く。ダンデの弁解する声も途中から笑い声になって、難しい顔で黙り込んだのはだけだった。すっかり膨れっ面になったお姫様は、「私が好きなの水タイプだから、フェアリーはいいもん……」と膝を抱えてしまっていて。
「お前今、プクリンみたいだよ。可愛いって」
「キバナくんまでからかう……」
「カレー冷ましてやるから」
4人で作ったカレーは、さすがに手際良くできていて味も良い。独特な雰囲気の森の一角とは思えないほど、キャンプの周囲は賑やかだった。柔らかそうな頬を膨らませているの横で、キバナは笑いながら団扇を手に取る。ダンデに感じていたささやかな劣等感など、先程笑ったことですっかり吹き飛んでしまっていたのだった。
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