「絶対追いつくからな」
「うん」
 あっさりとした返事に、キバナは苦笑を浮かべる。名残を惜しんでほしいわけではないが、先日の悔し泣きや拗ねた姿はわりと珍しかったのだと思う。幼馴染との別れすら、あっさりとしたものだった。行動的なは、けれど人間関係に関しては受動的だ。なるようにしかならないと、子どもらしからぬ達観に至っているようにすら思える。けれど、ジムチャレンジを続けている限りまた会えるだろう。もまた、そう思っているようだから。
「あのベロバー婆さんを乗り越えて、のことも負かすからな!」
「誰がベロバーだい? 失礼な坊やだね」
「うおっ」
「ピンクの魔女のおばあさん」
「名前を覚えてないどころか色々間違ってるよ。あんたら2人揃って失礼だね」
 パープルの魔術師は「16歳」だ。全問不正解だったくせにヤドンやヌオーのようにしれっとした顔で粘り勝ちしたと、似たり寄ったりの正解数だったくせに全力で駆け抜けたダンデ。差を感じて悔しくはあったが、「ドラゴンも小僧も大器晩成、そうだろう?」と見透かしたようなポプラの言葉に少し落ち着きを取り戻したのも確かだった。
「さて、ドラゴン小僧にアメタマっ子。あんたたち、ここで別れて進むつもりかい?」
「はい」
「まあ元々、一緒に旅してるわけじゃないからなぁ」
「ふむ、そうかい……」
 劇団を束ねるだけにどこか芝居がかった仕草で、老女は顎に手をやる。何事か思案しているような様子に、もキバナも首を傾げた。
「失礼ボーイズ1号のダンデにも言ったけどね、キルクスに向かうんならお友達と一緒に行った方がいい。最近どうにも、ジムチャレンジャーを狙った不届き者がいるようでね」
「それ、リーグやジム側の管理セキニンの問題じゃないのか?」
「小僧の言う通りだけどねぇ……何しろ雪で視界が悪いから、見回りも完全じゃないんだよ。ジムリーダーが動きたくとも、ジムチャレンジ中だ」
 序盤のジムリーダーたちも、手が空いてきたからと合間を縫って巡回に来てくれてはいるが。何しろ遠いし、元々受け持ちのワイルドエリアや街の治安維持もある。悪天候や寒さに慣れているキルクスのメロンたちが対応するにも、ジムチャレンジとの両立のためには限界がある。セミファイナルが近付いてきていることもあり、リーグ側も単純に人手が足りないのだ。できるだけ連れ立って歩いて不審者に対抗できるように言い聞かせるのが、実際できる最善の手段なのだろう。
「……わたし、」
 は、迷っていた。てっきり「大丈夫だよ!」といつものようにあっけらかんとした顔で旅立っていくと思ったから、意外と言えば意外で。無鉄砲なわけではないが、人間に対する興味が薄すぎるのだ。人の起こす事件などものともしなさそうなだが、そのがこんな神妙な顔をしていると思ったよりも大ごとのような気がしてくる。「お前さん、案外わかりやすいじゃないか」とポプラに見透かされたように笑われ、キバナは口をへの字に歪めた。
 様子の違うは心配だが、キバナとてひとりのジムチャレンジャーだ。納得のいく試合でベストを尽くしてポプラを乗り越えたいと思っているし、かといってそのためにライバルに「自分が追いつくまで待っていてくれ」と頼むのも違う。聞けばダンデは既にナックルシティへと戻り、ワイルドエリアでトレーニングに励みながらソニアたちが追いつくと信じているらしい。それぞれの進度から見れば、ダンデと、キバナとソニアでキルクスへの道を共にすればいいのかもしれないが。ダンデとではまたどこかで迷う可能性の方が高いということを差し引いても、それを嫌だと感じる自分がいた。他のことに気を取られていい加減な試合はしたくない、けれど常にない不安を覗かせる跳ねっ返りを放っておきたくない、他人(というかダンデ)に任せたくもない。いつまで殻を破れずにいるのだ、とキバナは歯噛みする。相棒はビブラーバに進化して、ヌメラもバクガメスもコータスも頑張ってくれている。ドラゴンがフェアリータイプを苦手としているから何だ、次は同じく相性の悪いこおりタイプのジムだ。この程度の逆境を呑み込めなければ、惰弱な竜など池の魚にも劣るだろう。キバナという幼い竜はまだ、滝を登ってすらいない。
「……今日だ、。それとバアさ――お嬢さん」
 婆さんと呼びかけて、フェアリーらしからぬ鋭い視線に慌てて言い直した。「クイズ全問正解の嬢ちゃんを見習いな、お前さんたち」と、暗にソニア以外全員礼儀知らずだと鼻を鳴らすポプラにキバナは苦笑する。けれど、焦りと葛藤に揺れていた心は不思議なほどしっかりと固まっていた。いつ殻を破るのか、いつ滝を登るのか。明日では間に合わないなら、それは今日でしかないのだ。不変に見えて刻一刻と流れ移り変わる水のような静かな眼差しに、今しかないのだと思わされた。今、悔いの残らない全力の勝負をして勝つしかない。
「今日! 今、これから! オレさまが勝てば、万事解決ってヤツだな」
「さっきあたしに負けたばっかりで、また再戦の準備をしろってのかい」
「器はでっかくだろ」
「でかいのはあんたの態度だよ。でもまあ、良いじゃないのさ」
 そういうのは嫌いじゃないよ、と言い残してポプラは先にジムへと戻っていく。開き直ったかのような無茶にも見えるが、その実キバナの中で何かがしっかりと繋がったことを感じ取ったのだろう。先に去ったのは準備があるのももちろんだが、とキバナが話す時間を作ってくれたのだろう。意地悪だとか何だとか言われてはいるが、案外面倒見のいい魔術師だった。
「と、いうわけだ。今日俺が勝って戻れば、お前は残念ながらお目付け役から解放されないってわけだな」
「……キバナくん」
 あえて悪役じみたセリフを選んでみたが、はどこかうわの空で落ち着かなさげに指先を組む。それはまるで親にいたずらを告白するような、気まずさと恥ずかしさの入り交じった表情だった。
「あのね……怒ってもいいよ」
「? 何がだ?」
「わたし、その……ちょっと、ずるいこと、考えたの」
 ずるいこと。この素直な子どもの言うことにしてはちぐはぐな言葉に、どうせ大したことでもないだろうと思いつつもキバナはの言葉を待つ。は恥じ入るように、ワンピースの裾をぎゅっと伸びそうなほど掴んでキバナを見上げた。
「その……お父さんとお母さんに、頼もうと思ったの。今回のリーグだけ、ジムチャレンジしてる皆をナックルからキルクスに運んであげて、って……」
「……?」
 の言っていることが、うまく繋がらない。首を傾げたキバナは、詳しく事情を聞こうとの顔を覗き込む。相変わらず綺麗な顔だな、と場違いなことを考えたことがバレたのか、ヌメラが嫉妬するようにキバナの足に頭を擦り付けた。
「私のお父さん、そらとぶタクシー会社の『取締役』で……お母さん、『ガラル貿易』の社長なの……」
「……は」
 思いもよらぬ言葉に、ヌメラと揃って間抜けな顔になる。の傍にいたカメールが、ふふんと胸を張るようにキバナを見上げた。以前はボールから出たがらないくらい臆病だったくせに、最近のカメールはどうにもキバナに対して態度が大きい気がする。けれどそれが慣れによるものだろうまでは思い至らないほど、キバナはの告白に呆気に取られていた。
「お前、本当にお嬢様だったんだな……」
 呆れよりも怒りよりも、感心するようなため息が最初に漏れた。前々から、お嬢様のようなナリだとか雰囲気だとかは思っていたが。があまり家のことを話さないのと行動的すぎる性格のせいで、どうにも判断しきれなかったのだ。ガラル貿易といえば、バウタウンに拠点を置いて他地方との大口の取引を担っているガラル有数の企業だ。当然のようにリーグのスポンサーでもある。そしてそらとぶタクシーについて言わずもがな、もはやガラルの人々には欠かせない交通機関だ。
 つまるところ、は事件の話を聞いて今回だけ例外を作ろうとしたのだ。本来ジムチャレンジャーは、自分がまだ期間中に訪れていない街をタクシーで移動することは禁じられている。アラベスクジムでの挑戦を終えた後は、ナックルシティからキルクスタウンへ道なりに向かわなければならない。道中の危険を含めてジムチャレンジとはいえ、謎の襲撃者にジムチャレンジャーたちが妨害を受けている現状、チャレンジャーたちの自己責任で収まる話ではないと考えたのだろう。ましてやリーグやジムも人手を割いて巡回に当たっているとなれば、運営の想定を超えた事態だということになる。ならばナックルとキルクス間のみ、タクシーでチャレンジャーを移送すれば問題は解決する。親の財力や権力をジムチャレンジに使うことは良くないことだとも思うのだろう、けれどチャレンジャー全員を運ぶのであれば不公平にはならない。幸いまだダンデより先に進んでいる人間は数人もおらず、旅を断念するほどの怪我を負った者もいない。本来キルクスタウンへ辿り着ける実力がない者なら、ジムで淘汰されるだろう。ズルと言うほどのことにも思えず、むしろリーグ側から提案されてもおかしくない解決策だった。
「いいんじゃねえの? 今ナックルで立ち往生してるやつらにも、ありがたい話だろうし」
「でも……」
「親の力って言ったって、何も自分だけ楽しようとしたわけでもないのにな。そんなに恥ずかしがることか?」
「…………」
 キバナがあっさりと肯定してもなお、はもじもじと何か言いたげにしている。心配そうに寄ってきたランターンをぎゅっと抱き締めて、俯いてしまって。アラベスクタウンの幽幻な雰囲気と相まって、奇妙な沈黙が生まれる。別に付き合いが長い訳でもないが、こうして言い淀むなどそう滅多に見られない気がした。静かに待つキバナに意を決したのか、が深く息を吸ってからキバナを見上げる。だが生憎、そのタイミングでキバナのスマホがポプラからの呼び出しを告げてしまった。
「悪い、この後の勝利記念に聞かせてくれよな」
「……うん。先にお母さんたちに電話してくるね」
 どこかほっとしたような様子すら見せて、はキバナに手を振り返した。キバナがああやって宣言した以上、が待つのは今日だけだろう。流れる水を留めおくことなど、誰にもできないから。激しい水のような同期は、もう一人知っているが。そういえばそのルリナもバウタウンの出身だったなと、小さく手を振るに頷いて駆け出してからふと思った。お嬢様のような(実際お嬢様だったが)とハキハキとしたルリナでは気が合わないかと思いきや、あれでどうしてか2人の仲は良い。「街にいた頃はあまり話したことはなかった」と言っていたが、生活の違いも大いにあったのだろう。けれどルリナは温室育ちのお嬢様とを侮ることもなく、むしろエンジンシティでの幼馴染のケツを蹴り上げたらしい。「その卑屈な根性、流し去ってあげるわ」と、の幼馴染がエンジンジムを通過するまで面倒を見たのだとか。結局幼馴染はラテラルでジムチャレンジを諦めたらしいが、それでもカブたちに認められ励まされたことは大きな力になったらしかった。「押し流されるのも悪くないね」と、ルリナからに伝言があった。
 元々、が言い出したジムチャレンジなのだそうだ。幼馴染は流されるようについてきて、主体性がないくせにが自由すぎると逆恨みするような自分自身が嫌いだと、卑屈になっていったのだ。だからは、なんでもないような顔をしてはいたが幼馴染を心配していた。罪悪感すら覚えているような様子をキバナは不思議に思っていたものの、がお嬢様だと聞いてそれも腑に落ちたのだ。財も地位もある家のお嬢様と幼馴染でいることは、周囲が思うより苦労なことだろう。本人は何気なく発した一言でも、立場が圧力となってしまう。病弱なが行くと言ったから、まるで付き人のように同行せざるを得なかったのではないかと。
(あいつ、意外と考えてるよな)
 ダンデのように、他人の気持ちなど知らぬような顔をしているのに何故か憎めない天性の愛嬌を持つ類の人間かと思っていたが。本当は気付いていて、言いたくて、沈めた言葉がいくつあるのだろう。陽光にキラキラと輝いて、風にさざ波を立てて、それでも水底は見通せないほど深い。キバナの言うことを大人しく聞いたり干渉されるのを受け入れるのは、のことを知らずとも助けてくれたから。そして、薄々の育ちを察してはいても容赦なく拳骨や説教をしたから。四六時中ベッタリではなくとも会えば楽しくて、笑い合って、からかったり冗談を言ったり、バトルでも鎬を削って。ある意味ではにとって初めての気兼ねのない友だちだったと考えても、キバナの自惚れではないだろう。家のことを打ち明けられたのは、から向けられた信頼だ。今回親に頼ることが間違っているのならキバナが叱ってくれるだろうという期待も、そこには含まれているに違いなかった。そわそわと、胸が騒ぐ。この奇妙な高揚も全て、バトルで何かにぶつけてしまいたかった。
「――改めて、新しいクイズだよ坊や。ガラル貿易のご令嬢の名前、あんたは言えるかい?」
 まったく本当に意地悪なバアさんだと、キバナは口元を吊り上げる。ポプラは全部知っていたのだ。その上でこんなクイズを出してくるのは、キバナがから信頼を得ているか否かを見極めるためだ。そして、キバナがそれを知って動揺していないかということも。効果は抜群、世話焼きなのか意地悪なのかわからない。まあ、両方とも本質なのかもしれないが。
だろ。ついでに言うと、魔術師さんの思惑通り今は親父さんたちに電話中」
「勢い任せの小僧に見えて、目端が利くじゃないか。もっとも賢いせいで考えすぎて、必要な勢いすらなくしていたようだけど――」
 正解だよ、とポプラは笑う。今のキバナは、その頭の良さゆえに思考に囚われることもあった踏ん切りの悪さを克服している。弛まず考え続けながらも、走る勢いは落とさない。「それが正解」なのだと、かつての高名なチャンピオンとも張り合った魔術師のお墨付きをもらった気がした。
「押し流す――はオリジナリティがないよな。決めゼリフは今度考えるとして……今回は、全部まとめて吹き飛ばす!」
「修繕費はあんた持ちだよ」
 渋い顔をして冗談を言いながらも、吹っ切れたようなキバナの姿にポプラは愉快そうに笑う。ダンデに勝てないこともに追いつけないことも、今は自然に飲み込めた。きっとこの悔しさを喰らって、立ち上がる糧にしていくのだろう。キバナの高揚に応えるように、ヌメラの体を光が包む。進化の兆しであるその光が、まるで勝利の兆しのように思えたのだった。
 
220908
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