まあ、釣り餌になれってことらしい。私は綺麗なワンピースを着て、ヴァイスさんに案内されながら街を歩いていた。運び屋ではけっこー稼いでいたから服に困ってはいないけど、他人のシュミの服を着るって新鮮な経験だ。これってシルバーアッシュのシュミなんだよね? ヴァイスさんはいつもの営業スマイルで、「そう思っていてください」と意味深かつ雑な返事をくれた。
 二度も女の子の情報を売って囮にするやつがいるのか? いるのである。私の雇い主のシルバーアッシュである。本当にやばい人だった。いろいろと彼の周囲について教えてもらった私は目眩がした。けどもうついていくしかない。だってそういう契約だ。それにやっぱり、なんかヤバいことしようとしてる人の手伝いって、実際のところけっこー楽しい。
 私の契約上の立ち位置は「シルバーアッシュの私的な部下」になった。一応カランド貿易に籍はあるらしい。私とシルバーアッシュの間で契約を交わしてから、私の席がカランド貿易に用意された。エンコ採用? 時系列じけーれつ的にはそうだけど、本質的にはそうじゃないことはわかる。恋人だ何だというのは業務のひとつだ。要は恋人役、お芝居、最近流行りの偽装コンヤク……ではなくてこいびと。継続的にパートナーの役目をしてくれて、関係において面倒がなくて、危険とかが迫ってもある程度自分で対処できる人材がいたら便利だと少し前から考えていたらしい。ひとつめについては私の育ちの悪さで大丈夫? と思ったし、ふたつめについてはあの会話で面倒がないと思えるだけの要素があったのかわからないし、私が自信を持てるのは最後だけだ。少し前に妹さんが「国のゴタゴタ」で危ない目にあったそうで、彼女を安心して療養先に預けておくためにもデコイは必要とか、そんなところらしい。えらい人って大変だ。
 私としては囮役には否やはない。逃げるのは得意な方のリーベリだ。恋人役っていうのも不安はあったしビックリしたけど、けっこー楽しいのだ。いろんなところに連れて行ってもらえて、知りもしなかったことをさせてもらえて、おいしーご飯もついてくる。シルバーアッシュは頭が良くて、頭の悪い人間を楽しませる会話にも慣れているから一緒にいていつも楽しい(私の接待おつかれさまです!)。教養のなさがうっかり出ても、気を悪くした様子も見せないで色々と教えてくれる。紳士だ。もちろん(?)マナーとかは教師を手配してもらって学んでるけど、それ以前に私には知らないことが多すぎる。古典とか歴史とか、そういうことを知らないと同じ映画を見ていても楽しさが違うなんて初めて知った。私の知ってる映画、だいたい爆発オチだもんね。
 婚約ではなく恋人なのは、私が自由に恋愛できるようにという気遣いだそうだ。つまり浮気が公認。婚約してると私に法的ホーテキにいろんな責任が発生しちゃうんだって。怖いね。今のところ浮気レンアイの予定はないけど、人の心ってわかんないもんね。自分でもわかんないもん、わかるよ。仮に浮気公認でもそんな女を恋人に据えていていいのか? と思うけれど、後々奥さんとか本当に婚約者を迎えることになったとしても便利だから恋人役は続行するつもりらしい。妹さん同様に守る対象のためのデコイということに変わりはない。つまり私はちょっと悪い女でいた方がいいのだ。恋人役とはいうが、実質愛人役である。本当にそんなの横に置いていていいの? と思うけど、まあ当然そんなことを馬鹿正直ばかしょーじきにビラに書いて貼ってるわけがない。この間シルバーアッシュのおうち(お家というかお屋敷だったけど)にお邪魔したとき、私は優しいイェラグの皆さんに大歓迎された。お屋敷では「若様が見初めた可愛らしい女性がいるが、身分や育ちの差を気にしてお付き合いにも消極的で、公にしない恋人になることまではどうにか了承してくれた」っていうストーリーが浸透していた。ものって言いようなんだね。情報ソウサって怖い。もちろん内情を「知って」る人もあの中にはいたんだろうけど(ナイスミドルの執事さんとか、絶対知ってる! ヘンケンだけど!)、知ってるなんてオクビにも出さずお芝居に乗っかってくれていた。プロってすごい。若様が大恋愛中の可愛い恋人さんとして、シルバーアッシュの領地の人々の間で私の存在は公然の秘密となった。ひっそりと(もはや堂々とだけど、建前上はひっそりと)私たちの恋愛は見守られている。けどイェラグってけっこー複雑で、三大貴族の他の二つの家(要は政敵せーてき)にはひとまず関わらなくていいって言われてる。えらいお家ってたいへんだ。そっちでは私がどういう扱いになってるのか知らないけど、まあシルバーアッシュがいいように手を回してくれていると思う。なんにしろ、イェラグの神様のバチが当たりませんように! 私は真っ先にお祈りの仕方を教えてもらった。これでも意外と土地に馴染む努力はする方のリーベリである。
 そういうわけで今の私はシルバーアッシュの恋人のである。運び屋事業は畳んだし、いつまでもマールートというコードネームを使い続けるわけにはいかない。けど私は名前なんてない孤児だったから、シルバーアッシュに新しい名前をつけてもらったのだ。「私でいいのか」と不思議そうにされたけど、二代目ハールートの本来の名前を教えたら納得された。悲しい。ヴァイスさんも私の肩に乗る雲獣の名前を知っているのにハールートと呼ぶ。国が違っても私のネーミングセンスはナシらしい。悲しいけど、ともあれ私は周りから見てもちゃんとした名前をつけてもらえた。運び屋を畳むのも手伝ってもらったし、何だか甘えっぱなしだな。そういうわけで色々と貰っている分お仕事にはマイシンしなきゃというわけで、恋人の出張についてきてふらふらと街で遊ぶ暇そうな女の演技をしている。演技っていうか、実際ただの事実だけど。お仕事がこんなんでだいじょーぶ?
さんは悪い女ですからね」
「悪い女の護衛と案内で振り回されるヴァイスさん、かわいそう」
「夜には引き続き、仕事終わりでお疲れのシルバーアッシュ様を振り回してもらう予定ですよ」
「シルバーアッシュもかわいそうだ……」
 雇い主のことは呼び捨てにしておいて、その部下であるヴァイスさんのことはさん付けしている。変な話だと私も思うけど、人前で彼にできる親密さのアピールの精一杯だ。どっちかというと嫌な女になってる気がする。二人きりならエンシオディスと呼ぶのかと訊かれたけど、二人きりになる機会って実はそんなにないし、なっても呼ぶ機会がないのでわからない。お屋敷の人たち的には初々しくて慎ましくてオッケーだそうだ。ちょっと、けっこー胸が痛む。ひとの名前を呼ぶって、案外難しいんだなぁ。

 と、思っていたんだけど。すごく自然な流れで、私たちはなぜかホテルの一室で二人きりになっていた。具体的には外でご飯を食べて、お店を変えてお酒を飲んで、二人でホテルに戻ってきて。まあ恋人業務の間は当たり前のように同じ部屋に帰ってるけど、実のところ他の部屋に転移して一人で寝ていた。緊急の呼び出しを除けば、朝に連絡を受けてからお部屋にお邪魔している。つまり私は清い身。真っ白。アイアンメイデン! 最後のはなんか違う気がする。
「えっと、シルバーアッシュ?」
 腰に腕を回されているので、まあ何か用があって引き留めているんだろうなとアーツはまだ使わずにいた。私の業務時間はシルバーアッシュに呼ばれてから帰されるまでである。裁量労働制さいりょーろーどーせー? フレックスタイム? そんな感じ。お給料はその分出ているから、ブラックではない。それに仕事のようで仕事じゃないような時間の方が、絶対長いし。
「嘘を守るためには、いくらか真実を混ぜた方がいい」
「うん?」
「私たちの『恋人関係』はもう少し進展する必要があるということだ」
 じっと見つめられて、私は少し考える。長くて綺麗な指で綺麗なシーツを示されて、私はあっと声を上げた。
「セックスしようってこと?」
「……そうだな」
「あ、その……知性チセー品性ヒンセーが足りなくてごめんね……」
 言葉を選ぶ知性も、思いついた言葉を飲み込む品性も足りない。「構わない」と頭を撫でてくれたシルバーアッシュの懐は広い。演技かもしれないけど、怒ってないように見せてくれるならいいわけだし。契約上。
「いいの? 私初めてだよ?」
「その心配をするのは私の方だと思うが……初めてなら尚更だ」
「初めてってメンドクサイって聞いたことあるよ」
「大切にされるべき、に認識を改めておいてくれ」
 たまにかわいそーな人を見る目を向けられる。これは生い立ちに対する憐憫レンビンとかじゃなくて私の頭の悪さを憐れんでる、たぶん。シルバーアッシュの方から提案しておいて躊躇ちゅーちょするって、珍しいかもしれない。初めてってそんなに大事なものだったんだ。けどシルバーアッシュが必要と思ったから提案したんだろうし、必要ならやるし、別にいいんだけど。私に貞操ていそー観念がないとかじゃなくて、そういうことをする対象としてシルバーアッシュは嫌じゃないというか、むしろこっちが頭を下げてお願いするレベルの人だ。実質的には身売りかもしれないけど、少なくとも両者の合意ごーいだけはある。恋愛にもキス以上のことにも興味がないわけじゃなかったけど、特に自分の身に起こる物語としての期待を持ってなかったからこんなふうに頭ゆるふわに思っていられたのだ。一生使わないかもしれないし、じゃあ使いようがあるなら使ってもらおう。こういうところがおかしいのかもしれない。
 後にして思えば、シルバーアッシュの方はさっさと既成事実キセージジツを作って男女の関係に持ち込みたかったのかもしれない。当然私が好きとかだからではなく、私が思った以上の危険物キケンブツだったから。私は転職してすぐのんびり愛人生活を始めたわけじゃなく、もちろんアーツの解析やらテストやらを受けた。たぶん今ではシルバーアッシュの方が私より私のアーツのことを知っている。まあだいぶ過酷な耐久テストとかもあってほんとーにつらかったときもあったけど、大事にするという約束は守ってくれたからそういうのも頑張れた。それはともかく、テストの中には私や先輩が思いもつかなかったような危険なアーツの使い方もあったのだ。人の体の中に直接武器やら異物やらを「転移」させて傷付けたり、殺す実験とか。「移動」や「通過」の応用で、捩じ切ったりバラけさせてしまったりする実験とか。実験に生きてる人を使ったのかは聞かないでほしい、少なくともあの倉庫にいた頭の悪そうな顔を見た。
 あの実験は本当にメンタルがやられた。シルバーアッシュが隣にいなかったらたぶん逃げ出してた。人を殺すことは別に初めてじゃなかったけど、身を守るためとかじゃなくて、実験で、いたぶるみたいにあんなことやこんなことをあれもこれもとして、そういうのってなんかすごく怖かった。自分自身に吐き気がしたし、吐いた。本当にヤバい世界に足を突っ込んでしまったってわかって、今ならまだ戻れるんじゃないかって思いたくなった。それを見越していたから手を握る優しさ(という名の警告)を見せてくれたんだろう。あのテストの時だけ珍しく最初から最後までいたもんね。シルバーアッシュって怖い人だ。怖いことを思いついて実行させるまでの躊躇がないとかそういうところもだけど、私があの実験でシルバーアッシュのこと怖くなって、でも隣にいてくれて安心して、命令でやるんだって逃げ道に囲い込まれるところまで全部わかっててやってるんだろうなってところが。とんでもない男に捕まった気もするけど、あっちもとんでもない女を捕まえてしまったからどっちもどっちだ。心理的シンリテキな壁とかは置いといて、私は彼や彼の部下を正面から不意打って殺してしまえるってことがわかってしまった。シルバーアッシュが私にそういう「武器」を見つけさせてしまったのである。私はチキンだから(鶏じゃないけど!)よくしてくれる職場の人を殺すとかめっちゃ怖くて無理無理無理! って感じだけど、人の心ってわかんないもんね、わかるよ。私だってこんな人間近くにいたら怖い。怖がりすぎて裏切るとか、よくある展開だし。しっかりした飼い主なら、ちゃんと首輪をつけて飼い慣らしておこうと思うだろう。むなしー現実だけど、男女のカンケーってそういうのに都合がいい。好きだの恋だの愛だのなら尚更だ。私がシルバーアッシュに情とか好意とかを持っちゃった方がいいのだ。恋人役なんてヘンな契約を持ち出したのも、思ったよりヤバそうなアーツを使う女を転がしておくにはそういうのが手っ取り早いって思ったんだろう。私のアーツは便利すぎるし、私本人は不安定要素すぎた。けどシルバーアッシュは誠実セージツを求められて、それが必要ならそうするから、嘘でも本当でもちゃんと表向きの理由をつけて仕事もさせてくれる。わからないように騙してと、その約束に誠実だ。「信用の担保」というものを差し出すのはシルバーアッシュだけじゃない。相互ソーゴにそれを差し出すための「恋人」なんだって、私が理解したのはだいぶ後になってからだった。

 まあそのときの私はそんな小難しいことを考えるわけもなく、シルバーアッシュがやった方がいいと思うならやってしまおう、くらいの気持ちで私はけろっと構えていた。付き合いの短さにしては異常なくらい私は既にシルバーアッシュの判断に自身を委ねすぎているんだけど、あんまりその自覚はなかった。閉鎖空間での過酷なテストと合間の優しさってそーいう作用も目的だったのかな。考えないようにしよう。シルバーアッシュも少し躊躇いは見せたけど、結局自分で言い出したことには最後まで責任を持つ人だ。それは優しくていちょーに、初めてをもらってくれた。えっと、実はあんまり最中のことは覚えてないんだけど。抱き締めてもらいながらキスしたところまでは覚えてる。ちなみにファーストキスは人前でこっそり見せつける(ムジュン!)ためにとっくに奪ってもらっている。シルバーアッシュって何をしてもすごいんだなとか、そんなバカなことを考えてるうちに頭がいつも以上にふわふわして、なんだかずっとあったかくて、鳥なのに猫みたいな声だと思ったら自分の声で恥ずかしかった。ってたくさん呼んでもらったから、もう私は自分の名前を間違えることもないだろう。私はエンシオディスって何回呼んだっけ。なんかめっちゃ喉を撫でられていっぱい呼ばされた気がする。思い出すだけでなんか恥ずかしくて、シラフじゃますます呼べなくなった。初めてって痛いらしいね。私は痛かったのかも覚えてないけど。でもシルバーアッシュだよ? 全然痛くなかったんだと思う、すごく優しくしてもらったし。その、苦しかったりはあったかもしれないけど。だって向こうは見上げると首が痛いくらい背の高い成人男性フェリーンだ。おっきかった。対する私は平均的身長の……あっ。
「イェラグって、未成年ミセーネンとのセックスは合法?」
 私の唐突トートツでストレートすぎる質問に、水を飲んでいたシルバーアッシュは咽せた。事後でよかった、スーツに水がかからなくて。あれ、やっぱりダメかな。やっちゃった後ってところが。
「未成年というのは……」
「私だよね」
「……未成年だったのか」
 シルバーアッシュがこういう表情をしているのは初めて見る気がする。この表情を何という言葉で表すのか、さすがに今のシルバーアッシュに聞いたりしない分別フンベツはあった。
「モノゴコロついてから十二、三年くらいだから、今年でじゅーななってことにしてるよ?」
「…………」
「その……まずかった? インコーになる? オモテに出てない罪状ざいじょー増やしちゃった? 初めてとかより、そっちを確認しとけばよかったよね……?」
 ごめんね、と軽い頭を下げようとするとシルバーアッシュは手の動きでそれを制した。
「どちらも同じくらい大事なことで、お前が謝ることではなく私が確認するべきだったことだ」
 セージツな大人の回答だった。そんな場違いな感動を覚えると同時に、少し不安がよぎる。ネーミングセンスはなくても美的感覚はそれなりのつもりだったんだけど、その。
「私って老け顔?」
「いや、むしろ童顔……なのだと思い込んでいた」
「あっ、私スタイルいいもんね! 自信あるよ!」
 私の数ある良いところのひとつだ。特別胸が大きいってわけじゃないけど、全体的にラインがキレイで脚も腰も素晴らしい曲線を描いている。『マールート』の時は顔をほとんど隠していたし、それでも人前には出るから化粧もしているし、バカなまま大人になった成人になんとなく見えていたわけだ。お酒買うときも年齢確認されたことないし、シルバーアッシュが勘違いしても、この人も勘違いするんだとむしろ感動する。老け顔じゃなくて安心した。何も良くないけど。
「でもイェラグって何歳で成人だっけ? この街とか十八歳で成人だし、ゴサだよたぶん」
「成人年齢はともかく、私が十七歳に手を出したという風聞がな……」
「あー……」
 言葉を濁したシルバーアッシュは、今度はバツの悪そうな顔をしていた。カラダを見て勝手に成人と思い込んで愛人とかに据えて致しちゃったもんね。字面にすると確かにキツい。私はシルバーアッシュの肩を叩いて励ました。
「私、今日から二十歳ってことにしとくね!」
「斬新な歳の取り方だな」
「二十でも二十一でも、あなたの問題ないように設定せってーしてくれたらそれに合わせるよ。あっでも、成人祝いは実年齢ジツネンレー通りにやりたいかも……」
 そのときまだ恋人をしてたらの話だけど。金を出せとは言わないから、こんな世の中で成人まで生き抜けたことを周りの人に祝ってほしい。龍門の露店で料理とお菓子を買い漁ってきて、バカみたいな映画を見てスピッターズを開けておおはしゃぎして、力尽きた人から寝落ち。先輩のときの「成人祝い」である。
「スピッターズはお前には度数が高すぎると思うが」
「うん、実は一口も飲めない」
 匂いを嗅いだだけで昏倒コントーした。ついでに言うと未成年飲酒だ。いろいろと今更だけど。
「……お前の好きそうな祝いの席を用意しよう。三年後の楽しみにしていてくれ」
「いいの? ありがとう、シルバーアッシュ!」
  わーいと喜ぶと、シルバーアッシュがちょっと笑った。元気出たのかな、よかった。ちなみにこの後成人まで手を出されなくなるとかそういうことは全然なく、「仲睦まじさの演出(あるいは子飼いの鳥を手懐ける餌)」はそれなりにけっこー普通にそこそこの頻度であった。私の年齢? とりあえず童顔の成人ってことになってる。リョーシンのカシャクってものはあったんだろうけど、必要なことは必要なことと割り切ってこなしていくシルバーアッシュってすごいね。私だったら色々怖くて全部投げ出したくなりそう。こんなことを考えている時点で、私はもうすっかり新しい飼い主に懐いてちゅんちゅん鳴いているわけである(スズメじゃないけど!)。警戒心ケーカイシンはむしろ高い方のはずだから、やっぱりシルバーアッシュの転がし方が上手いんだろう。そういうことにしといて! 掌の上でくるくる踊る悪女、うん、なんか間抜けで私っぽい。

 ところで例の怖い実験にはさらに怖いおまけがついてる。怖い怖いと言いすぎて怖さが伝わらない。例のチンピラ集団、その全員が「使われた」わけではないのだけど、その中の一人が私の目の前でとんでもない死に方をしたのだ。
「後悔しますよ、マールート」
 チンピラの声で、けれど明らかにそのチンピラのものではない意思が私に語りかけた。私や隣にいたシルバーアッシュが戸惑うより先に、「その胸の中から赤い何かが生えて、飛び散って」。まるで彼自身の内臓が、ひとりでに内側から彼の体を引き裂いたみたいだった。
 肉片や血飛沫からコートを広げて守ってくれたのはシルバーアッシュで、「通過」させることも忘れてぼけっとそれを見ていた私はおかげでグロまみれになる事態を免れた。すぐさま部下の人に命じて死体を調査に回していたけれど、私もシルバーアッシュも直感で「違う」と確信していただろう。睡眠剤ひとつの「投与」すらビビりながらやっていた私が、最近やっと体内を貫くナイフから目を背けなくなった私が、あんなお手本みたいな「内側からの破壊」をぼうっとした顔でできるわけがないって。頭の良いシルバーアッシュが、一度失敗したお芝居の二番煎じみたいな粗末な真似をするはずがないって。解剖の結果、あのチンピラの中には「何か違う生物」が巣食っていたらしい。他の連中も検査をされたけど、そちらは何もなかった。「アレ」だけが、何かを仕込まれていた。シルバーアッシュに釣られて倉庫に来る前から。
 そのときの私は迷惑メールのことなんてすっかり忘れていて、私の事業を畳む手伝い(拠点も機器も情報も全部買い取ってもらうという、なんか先輩に申し訳ないやり方だけど)で依頼人のメールに目を通していたシルバーアッシュだけが迷惑メールの主と「アレ」を結びつけていた。やばいストーカーがいることを申告し忘れて入職してごめんねと、数年後の私はシルバーアッシュに謝り倒すことになる。


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