「、あなた上司のお金で飽きるほどアイスを食べたくはない?」
「食べたい!」
ブレヒャーさんのあまりにミリョクテキなお誘いに、私は敬語も忘れて
即答していた。そうして数分後にはなぜかリゾート地にいた。シルバーアッシュと出会ってから、私の周りではしばしば急展開が起こる。術者って私じゃなくシルバーアッシュだったのかも。転移を使ったのは紛れもなく私だけど、そういうことじゃなくて。手渡された真っ白な
清楚系のワンピースに着替えながら私は呟いた。
「これシルバーアッシュのシュミかな?」
「そう思っときなさい」
雑な返事をくれたブレヒャーさんも、いつもの軍服みたいな服からタイトなジーンズとカーキ色のノースリーブに着替えていた。かっこいい。
「あなたも似合ってるわ」
「ありがとう! 私もそー思います」
私のシュミかは置いといて、こういう服は似合う方だ。良いところのお嬢さんみたいな。しかしブレヒャーさんと並ぶと友だちにも姉妹にも見えない。あからさまに護衛と護衛
対象に見えるのは、わざとそうしてるのかな。観光地だし、お友達みたいに腕とか組んでみたかった。でもブレヒャーさんは怖そうな雰囲気に反して意外とやさしーから(むさくるしい
男たちと単純で賑やかなリーベリなら後者の方がマシ、らしい)、暑苦しくなければ許してくれるかもしれない。つまりイェラグとは正反対の真夏! なこの土地では無理。残念だ。
ブレヒャーさん、デーゲンブレヒャーさんは元「黒騎士」という肩書きを持つすごい同僚だ。たぶん同僚と呼ぶのも本当はオコガマシーんだと思う。本人は気にしてなさそうだけど。めちゃくちゃかっこよくて強くて品があって綺麗で頭も良いので、シルバーアッシュの恋人って言ったら大抵の人はブレヒャーさんの方がそうだと思うだろう。前にそう口走ったら外周を倍にされたことがある。ブレヒャーさんは私の護衛をしてくれる人でもあるし(「恋人」の私は戦闘力がないということになっているので、大っぴらにアーツとか剣を使えない)、私に訓練をつけてくれる人でもある。剣だけの勝負だとそれはもうこてんぱんに叩きのめされるし、アーツありでも(当然「中から」とかはやらないけど!)叩きのめされ方がちょっとマシ、というくらいだ。かつてのカジミエーシュ騎士競技チャンピオン様に
稽古をつけてもらうゼータクをキョージュしておいてなんだけど、私の剣って結局十人並みなんだと思う。運び屋時代は相手をどうしても
排除したかったらどこかに「飛ばす」という最終手段に頼ってきたのだ、打ち合う勝負にこだわる必要がなかった。剣を選んだのも、わかりやすい武装という以上の意味はなくて。最近はいろんな人に剣を教えてもらって
上達するのが楽しいし、アーツと組み合わせればそれなりに戦えるようになってきたけど、結局アーツありきの剣術だ。いつかアーツ以外に人並み以上の値札を貼れるものが、私にできるんだろうか。
「オブシディアンフェスティバル?」
かんたんに言うと、すっごい音楽のお祭り。現地で合流したシルバーアッシュ曰く、このお祭りで歌うのが今回の私のお仕事。まあ仕事だろうなと思ったけど、お仕事である。何の用もなくブレヒャーさんについてもらってまで呼び出されるわけがない。歌というのは……なんというか、表向きの私の職業だ。恋人って職業じゃないしね。教養とか何とかベンキョーしているうちに声楽に
興味を示したら、先生がついて担当さんがついてレコード会社(当然のように、カランド系列)がついていた。お金の力って怖い。歌や曲を作るのもステージの上のことを考えるのも権利カンケーをどうにかするのも何もかも面倒を見てもらって、私はただインコよろしく(インコじゃないけど!)歌うだけである。こう言うと
優雅かもしれないけど、実際歌う私はかなり必死だ! 歌の先生と担当さん、チェゲッタより怖いし。
恋人(仮)が興味を示したくらいでここまでされると逆に怖いと怖がっていたら、「どのみち何かしら表向きの職業はつけようと思っていた」と宥められた。芸術関係って仕事しない時期があっても不自然じゃないし、プロパガンダにも使えるから丁度いいんだって。それにしてもお金かけすぎじゃないかな? 黒字だって聞いたとき、嘘だぁって声に出たもん。
収益だけが目的なら一定の質さえ確保できれば後は売り方次第、らしい。プロデュースってすごい。
それにしても私ってそういえば表向き職業不明だったんだなって地味にショックを受けた。シルバーアッシュの部下としての仕事(つまり運び屋)は不定期かつ頻繁に入るけど、私のアーツって表に出せないから存在自体
社外秘だし、そのわりに「会社の仕事」での不在が多いし、お屋敷の人から見たら何してるかわからないもんね。若様の私兵です。言えるわけない。でもそれってトランスポーターでもよかったんじゃないの? と、うっかり尋ねそうになって、運び屋としての私は社外秘なんだってば! と慌てて口を塞いだ。「歌姫の方が華があるでしょう?」と、顔に出ていた
疑問に答えてくれたのはヴァイスさんだった。バレバレだった。『運び屋の愛人』と『歌姫の愛人』。うん、どう見ても後者の方がロマンスだ。それになんか、悪そーな感じがする。「王道はいつだって大衆に受けがいい」、なるほど。シルバーアッシュにもバレバレだった。ハールート(二代目)はすっかりマスコットになって、私の代わりにサイン(肉球)をしてくれている。限定的に飼い主より
有能だった。
黒曜石祭ってなんか本当にすごいお祭りなんだけど、本当に私の席なんてあるのかな。けっこー無理やりねじ込んだんじゃないかな、だからこんな急な呼び出しだったとか。そこは私が考えても仕方がないし、掌の上で踊るのもステージの上で歌うのも大して変わらない。どっちもお仕事だ。歌が本気で好きで歌手やってる人に申し訳ないとか、そういうのは考えない。考えるのはやめた。私は私のために本気でやるから許してくれたらいいな。そんな感じだ。
ブレヒャーさんに送られながら、スタッフさんと落ち合うために会場へと向かう。運び屋時代は街歩きが目的じゃなければしょっちゅう「転移」してたけど、ずいぶん自分の足や乗り物を使うことが増えた。剣を振って歌を歌って運び屋をして恋人をして(時々殺人もして)、最近の私はかなり大忙しだ。けど今回は帯剣してないし(歌姫さんで恋人さんなので!)(だからブレヒャーさんが専属でついてくれるというゼータクをしてる)、「会社」の仕事はしばしナシ(トップがここで休暇中だから)、訓練や恋人業務は日課みたいなものだし、あれ、今回の仕事ってわりとお仕事のテイをした休暇だ! 黒曜石祭のステージはもちろん全力でやるけど、それ以外のスケジュールにはそれなりに空きがある。滞在費はシルバーアッシュ持ちだし、シエスタというリゾート地での実質的な休暇。さいこうだ! シルバーアッシュという雇い主への感謝と尊敬を深めた瞬間だった。人のお金で食べるアイスってとてもおいしい。ニコニコしながらアイス片手に歩いていると、曲がり角から急に現れたリーベリのお兄さんとぶつかりそうになって――ぶつからなかった。それはブレヒャーさんが咄嗟に腕の中に私を抱き締めるように庇ってくれたからでもあるし(いい匂いがした)、反射的に「通過」させようとした私のミスでもあるし(人前!)(でも白いワンピースにアイスをぶちまけるわけには)、お兄さんが奇跡的な回避力を見せてくれたおかげでもあった。
「おっと、ごめんよ」
「こちらこそごめんなさい! アイス、ついちゃってないかな?」
「大丈夫だよ、ありがとう」
少なくともチンピラや当たり屋の類ではなかったらしい。そんな疑いを真っ先に持ってしまうのがこのセチガラい世の中だ。白と黒と赤、少しばかりノーシスさんを思い浮かべるカラーリングだ。ノーシスさんの髪は赤の入った黒(というか焦茶)だけど。ほら服が。主にスーツやコートが白いから。リーベリだし。
「君たち、オブシディアンフェスティバルに行くところ? 僕が案内しようか」
ナンパだったかもしれない。私の表情が「間に合ってます」って感じになったし、ブレヒャーさんも呆れたようにお兄さんを
睥睨していた。実のところわりとよくある展開だ。だいたいはブレヒャーさんが私のおでこにキスして、それを見た男の人が去っていく。女の子同士のカップル(フリだけど)って、なんか温かい目で見守ってもらえることが多いから。造花の百合だけど、商法ではないから許してほしい。ブレヒャーさんも護衛だからっていきなり一般人に暴力は振るわないのだ。騎士だから。話の通じないタイプならまあ、拳が飛んでいくけど。
お兄さんは慌てたように両手を挙げた。本当に親切心だったらしい。疑ってごめんね、こんな世の中だから許してくれると嬉しい。気にしてないと首を振ったお兄さんに「関係者の入口はわかりにくいところにあるんだ」って言われて、お兄さんとブレヒャーさんの視線が私に向いた。
「……私だ!?」
「さんだよね! 急に参加が決まったって、来れないファンが阿鼻叫喚だよ」
お兄さんが端末でSNSを見せてくれた。わぁ、私って本当にちゃんとこっちのお仕事もできていたんだなぁ。良い仕事ができていると嬉しくなる。まあこっちの場合、ほとんどが担当さんや会社の努力(と販売戦略)のおかげなんだけど。仕込みの可能性もあるけど、仕込みだよとは言われてないので疑わない。綺麗に騙してと要求するなら、いらない疑いは持たないのが私の
誠実だ。カンシャの気持ちが深まったので、お土産いっぱい買って帰ろう。オブシディアンチップスとかどうかな。真っ黒いチップス。食欲の失せる色なので、たぶん私はお土産にもらっても食べない。そしてちょろい私に、ブレヒャーさんの微妙な視線が刺さっていた。
「どうしてあなたが関係者の入口を知っているのかしらね」
「追いかけてるバンドの出待ちをしたことがあるんだ」
ブレヒャーさんは無言で首を横に振った。出待ちとかしちゃダメだよ、冗談だったのかもだけど。道案内は
丁重にお断りして、サインを求められたのでハールートの肉球スタンプをお兄さん――エリジウムさんのシャツにお見舞いしておいた。ハールートの肉球痕、「会社」の仕事の方ではもう間違っても現場に残せないよね。エリジウムさんとツーショットを撮って(ブレヒャーさんは当然のようにカメラを綺麗に避けていた。プロだ)、挨拶を交わしてさようなら。私に近いノリのリーベリ、久々に会った気がする。イェラグで最も身近なリーベリがノーシスさんというインテリジェンスの塊だからそう思うだけだ、たぶん。
「明るいお兄さんでしたね」
「よく似てたわ。兄妹なんじゃない?」
あはは、と笑って会場へ歩き出す。そういえば私の種族って何だろう。えっと、羽が生えてるからリーベリには間違いないだろうけど、フェリーンやペッローだってほら、黒かったり茶色かったり、三角耳だったり垂れ耳だったりの違いがあるじゃない? そういうの。私の髪色はリーベリらしく(?)、さっきのエリジウムさんみたいに珍しくて面白いものだけど、同じ色をした同族には出会ったことがない。それこそ
兄弟や親子だって必ず同じ色になるわけでもないけど、シルバーアッシュの妹さんたちの写真を見せてもらったときはあまりに『兄妹』ではしゃいだものだ。血縁関係だとアーツも似たようなものが発現しやすいらしい。「アーツは魔法じゃない」、それはテラのジョーシキだ。けど私のアーツは「もはや魔法だ」とノーシスさんに苦々しい顔をさせた。アーツユニットも使ってないしね。けれどあんなに物知りなシルバーアッシュもノーシスさんも、アーツの国ことリターニアから来たブレヒャーさんも、こんなアーツを使う種族は知らないって。実は体内にアーティファクトでも埋め込まれてるんじゃないかって、MRI検査までしたほどだ。残念ながら何も見つからなかったけど。
私は孤児だけど、孤児だから、今更親に会いたいとか
故郷に帰りたいとか、そういう気持ちはない。けれど、もしテラのどこかに「きょーだい」がいるなら、SNSで私の顔を見て「飛んで」きてくれるかも。それって少し夢がある。そしたらアイスくらいは奢ってあげたい。人のお金で食べるアイス、おいしーし。まあ仮にいたとして、SNSを見れるような暮らしをしてるのかわからないけど。テラってけっこーあっさりザンコクだよ。
「そういえばブレヒャーさん、私の顔ってけっこー広まってるんですね?」
「シルバーアッシュがあちこちに貼り出してるもの。いい撒き餌で広告塔よ」
カランド製品のCMとか、そういえばあったなぁ。
「ところでブレヒャーさん、私たちナンパの撃退にけっこー『百合
営業』を使ってきましたけど」
「『歌姫のは護衛の女とデキてる』って噂なら、とっくに流れてるでしょうね」
「なんてことだ……」
ちなみに、シルバーアッシュのアイジンとしての噂ならとっくに流れてる。
故意にリークされた情報だから私も知ってる。おかげでこっちの会社の人、戦闘員はいないはずなのにすっかり
脅迫とか
誘拐未遂とかに慣れてしまっているのだ。まあ私、月に何回も『何事もなく』帰ってくるもんね。嫌でも慣れるよね。
「悪女レベルが上がっていきますね!」
「ナンパ男を手玉にとって転がしてから言いなさい、そういうのは」
ゴモットモだ。私は周りの人に操縦してもらわないと、ただの顔とスタイルと声のいいリーベリだ。うん、良いところはいっぱいあるね!
「こないだ
映画で見たやつだ!」
「お前が好みそうな展開だと思ってな」
それこそ映画みたいに波打ち際で抱き上げられて、私はきゃっきゃとはしゃぎながらシルバーアッシュの首に抱きついた。日々の恋人業務のおかげで、これくらいの接触なら私からも軽くできるようになった。まあ私、元からそんなにスキンシップへの躊躇いはないけど。けど恋人って初めてだから、勝手がわからないのは事実だ。演技だけど、演技だからなおさら。
今日はブレヒャーさんはお休みで、少し離れたところからヴァイスさんとマッターホルンさんが
警護してくれている。私もシルバーアッシュといるときは彼の護衛要員だけど、一番近くにいる最終手段だから。それにしてもシルバーアッシュは私の好みの分析にまで時間と思考を割いてくれているらしい。忙しいのにたいへんだ。シルバーアッシュが書類仕事してる間、横で映画ばっかり見ててごめんね。その上音を出してて良いって言ってくれる、頭が上がらない……あれ、頭が下がる? どっちだろ、ええと、どっちも下がったままだから同じことだ! 自分の好みとか深く考えたことないけど(好きなものが好み!)、シルバーアッシュがそうだって言うとそうなんだなって思う。たぶんすごくちょろい。でも実際わくわくして楽しいから良いんだ。
「シルバーアッシュの傍にいると、みんな映画の登場人物みたいな気がしてくるね」
「脚本家という皮肉なら、しばしばうけたまわるな」
「……イヤミじゃないよ?」
「知っている。お前はこういう『物語のような非現実的現実』を楽しむ人間だからな」
「私より私のこと知ってる……」
「そう見せるのが得意なだけだ。お前に飽きられないよう、鋭意努力し続けている」
最後はわざと取引先みたいに難しく言って、シルバーアッシュはふわふわの尾で私の脚を撫でた。ちなみに今日も私は清楚系真っ白ワンピース。デザインは違うけど。やっぱりシルバーアッシュのシュミなのかな? 本人には聞かないことにしてるので、今日は雑な返事をくれる人はいなかった。
「私って、飽きたらどっか行っちゃいそう?」
「どこにでも行ってしまえるだろう? それに、お前は……」
「『悪い女』?」
「ああ。私は置いて行かれないように必死だ」
「あはは、あなたって主演もできるんだね!」
悪い女の台本を書いたのはシルバーアッシュだし、置いて行かれないように必死なんてセリフほどこの人に似合わないものもない。ヘンケンだけど、シルバーアッシュって常に「待ってる」側だよ。私が笑ったのを見て笑みを浮かべたシルバーアッシュが、私の頬を包み込むように撫でて耳に触れた。私はシルバーアッシュの頬に顔を近付けて、キスするみたいに唇を寄せる。
「九時の方向に二人。『埋め』ようか?」
「いいや、尾行だけなら構わない。襲撃ならヴァイスたちが対処するだろう」
「りょーかい、ボス」
こういうのもなんか、映画みたいだ。でも私たちをずっとつけ回しているあの人たちにとっては、それこそ必死な現実で。私にとっても、フキンシンなほどドキドキする現実。シルバーアッシュはあまり私に手を下させない。アーツの秘匿がいちばんの理由だろうけれど、それが優しさに思えるのはありがたいことだ。私だって殺しは怖いし、ヴァイスさんたちがどうやって『処理』するのかとか、あんまり見たくないし。でもこれでけっこー契約には忠実な方だから、私はやれって言われたらやるんだろう。まだ『そう』言われないことに、少しだけ安心している。
シルバーアッシュの寛げられた襟元に、その胸の傷がいくつか見える。首筋に新しい傷ができていて、またどこかで危ない目に遭ってきたんだなって思った。薄い傷だけど、たった数センチが生死を分けるって(主にこの人のせいで)今の私はよく知っている。映画や小説みたいな話だなぁ、って契約したときには思った。けど実際この人はわりと頻繁にアンサツとかの危険に遭っていて、私も「私にブレヒャーさんの護衛とかゼータクすぎないかな?」とのたまったその日の午後に片腕を吹き飛ばされかけたことがある。「物語のような非現実的現実」は、この人の周りにとめどなく押し寄せてくるのだ。私はひどくお気楽なリーベリだから、確かに「この人の傍って楽しそう」くらいの気持ちでヤバいことに首を突っ込んだ。間違いだったとは思わないけど(怖い思いはめちゃくちゃしてるけど!)、シルバーアッシュやその周囲の人と比べて、私ってあまりに「理由」がない。私はシルバーアッシュにそれなりに厚い台本をもらってくるくる踊ってるけど、全体像だとかこの人の考えてることだとか、きっと全然知らない。それを寂しいとかは思わないし、全てを知りたいとは思わない。私の考えって軽すぎるかな? もっと真剣にココロザシとか考えた方がいいのかな? でも私はイェラグ人じゃないし、結局よそ者で、私が私自身の考えで国のことに首を突っ込むって、なんか違う。契約が終わるときはきっと(とても!)寂しいけど、私は「」を案外すんなり終われると思う。まあ、一度クチバシ(ないけど)を突っ込んじゃった以上、死ぬ以外で契約を終われる気がしないのも事実だけど。契約書には円満な満了の規定はあったけど、たぶん一生『発効』しないだろう自信はある。だってシルバーアッシュだよ。シラクーザのマフィアには沈黙の掟とかあるらしいけど、『喋ったら殺す』なんて優しいものじゃなくて『他人に情報を漏らす可能性があるなら事前に処理する』でしょ、この人。記憶消す装置とか発明されないかな、そしたら『退職』する時も安心できる。
「何を考えている?」
「あなたのことだよ、最近はいつもあなたのこと考えてる」
「……具体的には?」
「あなたより怖いものってあるのかなって」
「もっと楽しそうなことを考えてくれ」
風に飛ばされそうになった私の帽子を押さえて、シルバーアッシュは片眉を上げた。怖がったりなんだりはしているけど、やっぱりこの人の隣ってとても
貴重なものだと思う。物語みたいな日々に、私はすっかり呑まれている。契約が長く続けばいいな、そう思った。シルバーアッシュ、すごくかっこいいし。
「ねえ、記憶を消す装置があったらあなたはどう使う?」
「唐突だな」
ちゃぷちゃぷと寄せては返す波を眺めながら、私は聞いてみる。今更だけどシルバーアッシュってすごく背が高いから、抱っこされると私が巨人になったみたいで楽しい。私の変な質問に、シルバーアッシュはとっても真面目に答えてくれた。
「『消した記憶がいずれ戻る可能性』の検証を真っ先にするだろうな」
「……あなたって、『石橋を叩いて渡る』タイプだよね」
「語彙が増えたな」
シルバーアッシュはちょっと可笑しそうに笑った。たぶん優しく馬鹿にされてる。そっか、あなたって機械を使うときもテストから始めるタイプなんだね。円満な退職、やっぱりなさそう。
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