私はその日の午後、珍しくまるっと
休暇だった。シルバーアッシュの専用車(車じゃないけど!)じみたところのある私は完全なオフというのは珍しいのだけど、緊急時の呼び出しさえ反応してくれればいいと端末を持たされて唐突にお休みが始まった。すごく遠くに行っても、電波通じないようなとことか行ってもアラートが鳴るらしい。科学の力ってすごかった。
さてどこに遊びに行こうかなとシュミの服(ノースリーブにショートパンツ、せっかくスタイルがいいから手脚を出したい!)(でも防寒とか防護とかファッションとかを兼ねてブカッとした上着を肩出し気味に羽織る、今の女の子ってわりとこういう格好してるよね?)に着替えて、宿題があったことを思い出した。ちょっとゲンナリした顔になる。私というお気楽リーベリには珍しいことだった。なぜなら、けっこー行き詰まっている。
宿題を出したのは担当さんだ。そういう企画で、『私自身が作詞もしくは作曲をする』という話になってしまったのだ。歌うだけのオウム(オウムじゃないけど!)にひどいことを言う。でもそういう企画なのだ、お仕事だ。作詞なんて私の頭でやったら悲惨なことになるよ! って言ったら、「それはそれで素人っぽい味が出るからいいのよ」と担当さんにウインクされた。メガ盛りのまつ毛がバシバシと力強く跳ねていた。そういうわけで曲を作るにしろ歌を書くにしろドシロートの私は、映画を見たり街歩きをしたり部屋に籠ったり(もちろんシルバーアッシュがいついかなる時も最優先だけど)して唸っていたけど、ちょっと書き散らした紙は全部ゴミ箱に捨てた。読み返すだけでうわあああってなった。資源のムダ遣い、許せない。
気分転換がしたいな、私はシルバーアッシュが買ってくれた写真集を手に取った。ただ贈り物ってわけじゃなくて、アーツの実験の一環だったんだけど。私のアーツは「知ってるところや知ってる人」もしくは「座標」を指定して飛ぶ。この「知ってるところ」っていうのがけっこー曖昧で、山とか海とか砂漠とか(火山とか)とかとか、具体的な場所を指定しなくてもイメージでだいたい飛べてしまうのだ。小さい頃はよくやったけど、今考えるとけっこー危ないから軽はずみにはやらなくなった。それなら写真とかで具体的なイメージを知っていれば実際行ったことがなくても飛べるのかというココロミで、まあ五分五分って感じで
成功した。私のアーツってわりとそういうとこガバガバだ。座標を指定した方が確実だっていうことで、あんまりやらないけど。ちなみに敵に対してたまにやるどこかに「飛ばす」やつ、GPSで実験したんだけど何回やっても『位置情報不明』になった。映像通信のできる端末を「飛ば」したら画面が真っ暗になった。ノーシスさんが口を開く前に、シルバーアッシュが「許可しない」って言ってくれて助かった。あの人、自分を飛ばせって言いかねない。たぶん言いかけてた。シルバーアッシュたちは何かしら考え込んでいたけど、私は考えるのをやめた。
軽々に人を飛ばすの、もう絶対やめよう。そうは言っても緊急時とか、反射的にやっちゃうんだけど。
「あ、ここ行きたいな」
見開きで大きく映されているユーダイな風景。サーミの雪原にある『間欠泉』らしい。イェラグに来てから、冬っぽい国にどうにも親近感を感じるようになった。順応の早いリーベリだ。念のために
平凡な髪色のウィッグを被ってお化粧も強めな感じにして、お忍びモードの完成である。チェスターさんに「ちょっとサーミまで行ってきます!」と声をかけて飛ぼうとして、「お夕飯までには戻りまーす!」と慌ててもう一度顔を出した。こないだ教えてもらったんだけどチェスターさんってやっぱり「知ってる」側の人だったみたいで、お屋敷にいるのにいなかったり、あっちにいたのにこっちから出てきたりする私を上手くフォローしてくれている。お屋敷の中での私のあだ名に「シルキー」が増えたことに、シルバーアッシュは触れずにいてくれている。あの、微妙に隠せていなくてごめんね。実は壁抜けとかできるよ。いよいよ幽霊扱いされそーだからやらないけど。
そして私は雪原にいた。いたんだけど、なんか違う。飛ぶ場所間違えたかな? 五分五分の賭けに負けた。まあ、ここもきれーだからいいか。どこなのか知らずに飛んだのは久しぶりだ。今回はお仕事じゃないし、休暇だし、宿題から逃げてきたけど……ううん、逃げてない、『インスピレーション』を湧かせるために来たんだ。そういうことにしておこう。締切前に缶詰から逃げ出した作家みたいなセリフは湧いた。うう。
「インスピレーションがー、わっかないかなー!」
ムダにいい声でアホみたいなことをテキトーに歌ってみる。広い雪原に声が通り抜けて、けっこー気持ちいい。誰もいない見渡す限りの雪原、だ、し……、
「…………」
「…………」
振り返ると、真っ白なコータスの女の子が立っていた。気まずそうに目を逸らされる。めちゃくちゃびっくりしたので少しの間固まっていた私だけど、
正気に戻ってドゲザせんばかりに謝り倒した。「平謝り」だった。
「世の中には凄まじいアーツが存在するのだな」
女の子はエレーナちゃんといった。私が何もないところから突然現れたところをしっかり目撃してしまっていたので、だいたい好きなところに行けるアーツで気分転換がてら日帰り
旅行に来たけどアーツをミスってここに到着したのだと説明した。せざるを得なかった。私の第六感がヘタに誤魔化したり嘘をついたりしない方がいいよ!! って叫んでいた。その予感はだいたい合ってたんだと思う。エレーナちゃんいわくここはウルサスの凍原で、まともな外国人観光客なんて絶対に訪れない場所で、それどころかウルサス人だって好き好んで来るところじゃないって。行き場のない人が息を潜めて暮らしているような場所なんだって、顔に一文字の傷のあるエレーナちゃんは私を探るように見ていた。
「父が『春風が来た』と言ったものだから、見回りに来たんだ」
「えっと……
詩的なお父さんだね」
「詩的、か」
エレーナちゃんはちょっと可笑しそうに唇を曲げた。たぶん私の口にした
形容詞がよっぽど似合わないお父さんなんだろう。厳ついとか、筋肉ムキムキとか、そんな感じかもしれない。私はちゃんとと名乗った。歌の仕事をしています。そう言っても特に反応はなかったから、私のことをまるっきり知らない人だ。まあ別に世界の歌姫! なんて感じじゃないからショックではない。私、ミノホドってものはそこそこわきまえてる、つもりだ。
「侵入者かと思ったが、そういう口振りでもなかった。むしろ懐かしむような……客人かとも思ったが」
「どっちかっていうと迷子でごめんね、お騒がせしちゃった」
さすがにエレーナちゃんのお父さんのお友だちっていう世代ではない。エレーナちゃんも同意するように頷いた。さくさくと雪を踏みしめて歩き出した私に、『訝しむ』よーな視線を向ける。
「帰らないのか?」
「お散歩に来たし……?」
「ここはお前のような旅行客の来るところではない」
蔑むみたいな声だった。たぶん、
自虐。エレーナちゃんにはきっと、ひどく能天気で――ゴーマンなんて言葉じゃ足りないような、無知なんて言葉では許されないような、そんなモノに私が見えていたかもしれない。私は彼らの雪原を踏み付けて、歩いていた。
「でもここには広い雪原があって、エレーナちゃんがいるよ」
「…………」
「夕飯の時間には帰るから、ゲンジツトーヒさせてください……」
エレーナちゃんは呆れたように溜め息を吐いた。振り向いて、どこかに手を振る。私は気付いてなかったけど、エレーナちゃんの仲間にずっと見張られていたらしい。私はアーツに頼りすぎてちょっと危機意識ってものが足りない。でもエレーナちゃんの合図は攻撃とかそういう敵対的なものではなく、私という極楽鳥(じゃないけど!)に対する見張りは自分一人で十分だとか、そんな感じだったらしい。人の気配が減って、エレーナちゃんは私の後ろを黙ってついてきた。さく、と二人分の足音だけが耳に届くのが心地良い。どこへともなく歩いて、イェラグのより低く感じる空を眺めたり、白い息が消えるまでぼうっとしたり、持ち歌をワンフレーズ歌ってみたり、また歩いたり。刺すように冷たい空気も、「通過」の応用でいい感じに緩和できる。エレーナちゃんは寒くないかな、すごく
平然とした顔してるけど。付き合わせてしまっているから同じようにアーツで何とかしてあげたかったけど、「通過」って他の人にほとんど使えないのだ。使えないというか、安定しないというか、死ぬほど疲れるというか。「埋め」たりみたいな地面とか壁とかへの「通過」って、人じゃなくてモノに働きかけてたからできてたらしい。そうノーシスさんが言ってた。モノでも動いているものとか、空気みたいに実体の感じにくいものを「通過」の対象にするのもわりと難しいから(私の認識に依存している部分が大きいから? って言われた)、誰かを守る手段(剣から「通過」させて守るとか、空気中に散布された毒から守るとか)としては使い物にならない。こんな
制約があったなんて知らなかった。私ってほんとーに何も考えずアーツを使ってきたんだなって、そう思うことが増えた。守る人ができたから、そう思うようになったのかもしれない。
現実逃避に来たはずなのに、結局シビアな現実について考えている。
「あー……ゲンジツから逃げられない……」
「差し当たっては夕飯という現実に追い付かれているな」
頭を抱えると、それまでずっと黙っていたエレーナちゃんが凍原の向こうを指した。ゆっくりと、空が薄暗い色に染まり始めている。うそ、もうこんな時間!?
「うわ、こんな時間までごめんね!?」
かなり長い時間、ただ寒い中ぶらぶらと歩く私に付き合わせてしまった。手とか冷えてないかな、手袋に包まれているから触ってもわかるはずないのに思わず手を伸ばしてしまう。
「あっ……」
「……触れない方がいい」
振り払うように手を引っ込められた。無遠慮に触ろうとしたのは私なのに、どこかバツの悪そうな顔をしてエレーナちゃんは言う。
「私に触れると凍り付く」
冗談には聞こえなかった。もう帰れと言わんばかりにかろうじて見える夕陽を指す。今日の夕飯はマッターホルンさんが作るって言っていた。マッターホルンさんのご飯はすごくおいしいから遅れるわけにはいかない、けど。
「……またね、エレーナちゃん。今日はありがとう」
エレーナちゃんを、初対面の女の子を(それも黙って散歩にずっと付き合ってくれるようないい人を!)傷付けた気がする。私は目を合わせないエレーナちゃんに小さく手を振って、「転移」した。次はオワビの品、持ってこよう。
「……また来るつもりでいるのか」
戸惑うような声なんて、転移の後だから聞こえなかった。
「ノーシスさん、触ると凍るくらい冷たい人に触れるようにするためにアーツを使いたいんですけど」
「どういう状況なんだ、それは」
『訝しげ』にしながらも、わりとわくわくしてそうな雰囲気でノーシスさんは乗ってきてくれた。わくわくしてそうっていうのは私の勝手なイメージで、メガネの奥にある瞳はいつもと変わらない(つまりとってもインテリジェンスな雰囲気)。「君は自身のアーツの活用に関心を持つべきだ」って日頃からよく言ってるから、私がアーツの応用について初めて質問したことに興味がわいたのかもしれない。この人ってけっこー知的好奇心に素直だ。
「私と似たようなアーツ術者だろうな」
「そうなのかな?」
「この手のアーツの使用は体温の低下が副作用のごとく付属していることが多い。感染者の術者が、鉱石病によって極端な体質変異を起こした例もある。触れば凍るほど、となると私よりもよほど強力な術者だろうが」
どこの誰だ、ということより私の質問への回答に興味が向いているあたり、実にノーシスさんである。聞かれると少し困るから(きっかけは色々な意味での失敗だし、エレーナちゃんたちの事情を思うと)助かった。
「結局はアーツ及び温度の伝達を防げばいい話だ。君の『通過』を使えば防御としては成り立つ……が、」
「握手したいの、『通過』したら手まですり抜けちゃう」
「君のアーツの対象を限定させたいということだな」
なんかこう、ノーシスさんの
探究心的なものに火のつく音を聞いた気がした。たぶん気のせいだけど。でもノーシスさんは目に見えて乗り気になって、自分のアーツを使ってまで『該当の状況を再現』してくれた。その、手がめちゃくちゃ凍り付いてるように見えるんだけど、大丈夫!?
「一定時間ごとにアーツを解除すれば問題ない」
「言い出したの私だけど、ノーシスさんちょっとどうかしてるよ」
「ここから君がどれほど早く『対象を限定した通過』に成功するかによって、私の右手の無事は左右されるわけだが」
「ほんとどうかしてるよ!?」
無駄口叩いてないでさっさとやれってことだ。私はノーシスさんに生半可な気持ちで質問しちゃダメだと軽い脳みそに刻んだ。温度って結局分子だから動きがどうこうとか、ノーシスさんが『対象の限定』の原理をめちゃくちゃ丁寧に説明してくれるけどサッパリわからない。手だけ! 私が触りたいのはノーシスさんの右手だけ! 冷たいのは『通過』!! スカスカと通過しちゃったり死ぬほど冷たい手に触れちゃったりしながら脳内で必死に唱えること数十回、どうにかノーシスさんの手がイカレる前に成功できた。どう見ても凍り付いている手を握ってぶんぶんと振るけど、私の手は少しも冷たくない! 人の体温に触れた氷の方も全く溶ける様子がない。ひと通り成功を確認するとノーシスさんは氷を解いた。
「君は本当に感覚だけでアーツを使っているんだな」
ぐっ、ぱっ、と手を開いたり握ったりしながらしみじみとノーシスさんは言った。たぶん褒められていない。私はプレッシャーがものすごい状況下での難しいアーツの連続使用で
疲労困憊していた。
「……どういう状況だったんです?」
「うわっ、ヴァイスさん!?」
いつの間にかラボに来ていたらしいヴァイスさんが、面白がるような表情と呆れたような表情が半々くらいでこっちを見ていた。かくかくしかじか、と実験の経緯を話すと、ちょっと言いにくそうに切り出す。
「何かモノを凍らせれば手のことは気にせずに済んだんじゃ……?」
「あっ!?」
「いや、のアーツは人体とモノでは作用が異なる場合がある。しかしそちらも試す価値はあるな」
ヴァイスさんに指摘されて初めてモノで良かったじゃん! と気付いた私と、当然気付いていて我が身を犠牲にする方法を躊躇いなく選んでたノーシスさん。ありがとう、本当にありがとうだけどやっぱりちょっとどうかしてるよ。しかもまだ他に試す気だ。私に用があったらしいヴァイスさんにくっついて、そそくさとラボを後にした。利用するだけ利用して逃げる女と言うと、悪い女に聞こえる。でもリアルに『火中の栗を拾う』実験とか、また今度にしてほしいよ。
「エレーナちゃん! こんにちは」
「……本当に来たのか」
次の午後休、私はエレーナちゃんのところに顔を出した。エレーナちゃんは雪原で一人で立っていた。アーツの訓練でもしていたらしい。ナイフみたいな形のアーツユニットをしまおうとして、軽く私に向ける。脅しているみたいだった。
「ここはお前の来るような場所ではない」
「エレーナちゃんに会いに来る場所だよ」
私はノーテンキな答えを返して、エレーナちゃんにニコニコ近付いていく。私だって空気が読めないわけじゃないけど、何となくエレーナちゃんとあのままさよならするのはモヤモヤしたからまた会いに来た。私は自分の感覚に素直な方のリーベリだ。それにエレーナちゃんって優しい人だと思うのだ。脅すみたいに氷(ノーシスさんが言った通り、同じ
系統みたいだ)が飛んできたけど、「通過」させるまでもなく顔の横を通っていった。氷のアーツって掠るだけでもそこから凍結が広がったりするから脅すだけならそんなにぶつけたりしないってわかってても、やっぱり優しいなって思う。私、顔も商品だし。
「エレーナちゃんをビックリさせたくて来ちゃった」
近付いて、アーツユニットを持っていない方の手を両手でぎゅっと握る。ぎょっとしたような表情を見せてすぐに手を引こうとしたエレーナちゃんは、けれど皮膚が凍ってくっつく感覚がしないことに驚いたような顔をする。
「やった! できてる! ドリョクのタマモノ!!」
「……!」
私の努力とノーシスさんの自己犠牲も厭わないタンキューシンの勝利である。お互い手のひらの温度は知らないままだけど、エレーナちゃんの黒い手袋に包まれた手を、私の(最近剣ダコを隠すのにちょっと四苦八苦してる)手がしっかりと握ってた。冷たさに赤くなることも凍ることもなく、歓喜のままにぎにぎとしてみる。これはちょっとヘンタイっぽい。すぐに我に返って、おそるおそるエレーナちゃんの様子をうかがった。
「……びっくりした?」
驚いた顔のまま固まっていたエレーナちゃんは私の質問にハッとして、呆れを少し滲ませながら長い息を吐いて――目を伏せて、唇を少し歪めた。
「お前があの日雪原に現れたときに、もうとっくに驚いている」
本当に大丈夫なのか、とエレーナちゃんは私の手を見た。こんなに大丈夫、と指を広げたりぐっぱっと握ったり丸めたりして無事を示す。元気いっぱい。
「お前のアーツは驚きの塊だな」
その言葉には、しみじみとした感心とちょっとの同情? 哀れみ? みたいなものが感じられた。エレーナちゃんも術者だからだろうな。それも、『ノーシスさんよりもよほど強力な』くらいのアーツ。空間とか氷とかの違いってあるけど、強いアーツを持っている人間ってけっこー苦労するのだ。エレーナちゃんは私を少しかわいそーだと思ったのかもしれない。彼女は私のアーツの
有用性をちょっと見ただけでほとんど理解していた。寒いところの人って頭良いのかな? それはともかく、便利すぎたり、強すぎたりするアーツは面倒ごとを呼ぶ。本人が望まなくても!
「この前はごめんね」
「謝られるような覚えはない」
「でも、ずっとお散歩に付き合わせちゃったし帰りの時間まで教えてもらったよ。寒くなかった?」
「この通りだ、私に寒いという感覚はない」
エレーナちゃんの指の動きは少し鈍い。体温が低すぎて、感覚や動きが鈍ることはよくあるってノーシスさんが教えてくれた。エレーナちゃんがどこかに視線を向けて、軽く首を横に振る。私はそれについて聞いたりしなかった。他人を警戒して暮らすことを強いられている、この雪原ってたぶん孤児の頃の私がいた貧民街とよく似ていた。
「お前はどんな現実から逃避しているんだ」
「宿題が終わらなくて」
なんとなく、二人で歩き出していた。私の悩みなんて本当に頭が軽くて申し訳なくなるんだけど、エレーナちゃんはバカにしたりはしなかった。表に出せない、人に言えないような『現実』を抱えてるって深読みさせてしまったのかもしれない。私って人に勘違いで同情させてばっかりだ。寒いところの人って、冷たく見えて優しい人が多い。
「……迷子の世話はしたことがない」
「一緒にお散歩しようよ」
「ここには何もない、凍りついて不毛な土地だけだ」
「エレーナちゃんがいるよ」
私って悪い女だから、エレーナちゃんの優しさにつけ込んで一緒にお散歩してもらうのだ。一人でいるのも好きだけど、私は隣に人がいる方が好きだ。それになんだか、
運命的な出会いみたいでわくわくする。たまたま転移ミスしてしまった場所で、出会った白くて優しい人。
「春風はお前だったのかもしれないな」
「詩的だ!」
「賑やかで、軽い」
褒められて、る! と思っておく。今日はエレーナちゃんは後ろじゃなくて、隣を歩いてくれた。さくさくと、不規則に雪を踏み締めて歩く。私たちは時々おしゃべりをしたり、ほとんどしなかったり、立ち止まったり、少し歌ったりして歩いた。エレーナちゃんの歌う歌を私は知らない。エレーナちゃんも、私の歌を知らない。だから私たちの歌は重ならなくて、けど沈黙は気まずくなかった。凍原の空気は夜に近くなって、さらにゆっくり、ゆっくり、時間さえ鈍くなるくらい冷え込んでいく。
「またお散歩しようね」
「あまり来るな」
エレーナちゃんの言葉は氷みたいに率直で、でも「もう来るな」じゃなかったから嬉しくなった。手を握ってぶんぶんと振って、転移してから気付く。オワビの品、持っていくの忘れちゃった!
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