エレーナちゃんにお土産でも買っていこう。私はイェラグの商業地区に来ていた。観光客向けより少し奥まったところにある、どっちかというと地元民向けのお店が並んでいるところだ。エレーナちゃんとのお散歩は細々と続いてる。雪原に行っても会えない日もあれば、待っていたようにそこにいてくれる日もある。オワビの品とか今更になってしまったんだけど、女の子の友達がいたら一緒にお菓子のひとつでも食べたい。そういうものじゃない? 寒いところの人の好みは寒いところの人に聞くべきだ、そう思い立って時折お使いに顔を出すくらいの商業地区にやってきた(お屋敷にいると衣食住のあれこれをお世話してもらえるから、あまり来ない。イタレリツクセリでダメ人間になりそう)。ちなみにシルバーアッシュは凍原での出来事を知っている。知っているというか、私のミスなので報告している。あんまり気にしなくていい(要約)って言ってた。できるだけエレーナちゃんたちに失礼にならないようにマイルドに言うと、あの凍原から私の情報が広まる可能性は考えなくていい、そんな感じだった。別に人間関係をシルバーアッシュに管理されてるわけじゃないけど、シルバーアッシュがダメって言ったらもう行かないつもりだったし、処理してこいって言われたら(簡単にできるとは思わないけど)そうしていた。言わないでくれてありがとう。今の私の一番はシルバーアッシュだ、そういう契約で私は雇用してもらっている。
ちなみにエレーナちゃんと会うようになってから、宿題はびっくりするほどあっさり進んで、終わった。私みたいに頭が空っぽで、けどアップテンポで聴きやすい感じの曲。こんなもんか、っていう感じの出来で、担当さんも「まあこんなものね」って受け取ってくれたけど。ドシロードにしてはそれなりに形になった方だとは思う。
「あらあらまあまあ、エンシオディス様の」
顔見知りのおばさまが私を見て笑顔で声をかけてくれた。この商業地区は観光客向けのところに近いだけあって、『シルバーアッシュ家の旦那様』に親しみを持つ人が多い。シルバーアッシュの地域振興策? の恩恵を受けている人が多いのだ。おかげで私も好意的に受け入れてもらえている。お屋敷でもこういうところでも『お嬢様』呼びされるのは、本当の「シルバーアッシュ家のお嬢様」であるエンヤ様やエンシアちゃんに申し訳なくて胸の辺りがモヤっとするのだけれど。まあお嬢様呼びを拒否したら新奥様と呼ばれかねないので(チェスターさんが冗談混じりに言ってた)、あまり『図に乗ら』ないようにしようと思いつつオジョーサマ待遇をキョージュしている。お屋敷の人はいつ「私の気が変わって奥様になってくれるか」を楽しみにしてくれているので(本当に申し訳ない)、迂闊なことは言えないしできない。自分のお金じゃないゼータクは楽しいけどそれに慣れたらいけないと思う、そう言い訳してお夕飯以外を抜いたりカロリーバーで済ませてたらマッターホルンさんにものすごく叱られたので、三食食べるように最近は頑張っている(私はここに来るまで毎日三食食べるような暮らしをしてこなかった!)(運び屋稼業は儲かっていたけど、それで三食食べるという発想が孤児育ちの私にはなかったし)(先輩はスピッターズが
主食だったし。お酒は「主食」じゃない? それはそう)。
「今日はどのようなものをお求めかしら」
「こんにちは、おばさま!ウルサスのお友だちにお土産を買いたくて」
差し当たってはお菓子。それとお酒もかな? エレーナちゃんが飲むかはわからないけど、いつもエレーナちゃんといる私を遠くから見守って(見張って)くれている仲間の人たちにも何か差し入れしたい。彼らはエレーナちゃんの「兄弟」らしく、年上の男の人が多いって言っていたからお酒を飲むだろう、たぶん。寒い国の人はお酒が好きだ。ヘンケンである。私の要望を聞いたおばさまは「あらあら!」と嬉しそうにご主人に声をかけて――
「酒だったらウチのだろう、ウルサスだって酔い潰せらぁ!」
「いやいや口当たりで言ったらウチのが一番だ、先代のオラファー様だって愛飲なさってた」
「酒を持ってくならツマミもだろう、ほらお嬢様も一口食べてみな」
辺りの店主がわらわらと集まってくれてしまった。あれやこれやとお酒やおつまみを勧めてくれる、やっぱり寒いところの人ってお酒の話で盛り上がるんだ! 間違った認識が
強化されそう。個人的にはもう少しお菓子のオススメが聞きたい。あっ、干した果物? 日持ちしそうだしいいかも。
「何の騒ぎだ」
ピタッとみんな静かになってしまった。緊張したような空気に場が染まる。ぬっと現れたのはおっきくてモフモフした熊さん――なんて呼んだら絶対怒られそうな――ペイルロッシュ家のご
当主、アークトス様だった。シルバーアッシュのことは呼び捨てにしてる私だけどほら、あれは『恋人の距離感』だから許されてるだけであって。決してシルバーアッシュをナイガシロにしているわけじゃないよ、ほんとに。みんなが静まり返ってしまった理由は簡単だ。アークトス様はガイコクジン嫌い(シルバーアッシュは『排他的』とかもっとちゃんとした説明をしてくれていたけど、要約するとだいたい合ってるはずだ)。イェラグでいちばんってくらい信心深くてホシュテキで、鉄道を作ったり外国の技術を取り入れたりと『
急進的』なシルバーアッシュのことをそれはもうめっちゃとてもかなり! 嫌っている。そして私はそのシルバーアッシュの『恋人』で、顔立ちも服装も言葉遣いも何もかもガイコクジン丸出し(そしてイマドキの若い女の子!)。それはもう気まずいよね、ここの人たちはシルバーアッシュに好意的って言っても、大きなお家のご当主に睨まれたくはない。当たり前だ。実際のところアークトス様って厳しいけど何でもかんでもダメってわけでもないみたいで、ガイコクジンに優しくしてるから怒ってやろうって出てきたわけじゃなくて、純粋に変な騒ぎだったら仲裁しなきゃって思って来てくれたっぽいと後から知ったんだけど。イェラグ思いの人だ。まあ人って
日頃の態度とか言葉とかで判断されるってこういうことだ。アークトス様は気にしないんだろうけど。
「おハツにお目にかかります、アークトス様」
私が起こしてしまった騒ぎなので私が前に出る、当たり前だ(時と場合によるけど!)。ニコッと笑顔でゴアイサツ。ぎこちないのは許してほしい、私って敬語が苦手だ。ノーシスさんやブレヒャーさんにさえ、慣れてくるとすっかりタメ口で話してしまう。二人とも気にしないでくれてるけど。
「友人へのお土産を皆サンに選んでもらっていたんですけど、盛り上がってしまって。お騒がせしてモーシワケありません」
「……エンシオディスにねだればよかろう、そんなもの」
「私がここで選びたくて……ワガママで場を荒らしてしまってごめんなさい」
脳筋(悪口じゃないよ!)で謀略を嫌うらしいアークトス様も、さすがに私のことは知っていたらしい。ガイコクジンふぜーがこんな地元民の商店に来てないで屋敷で恋人に買ってもらえよと、まあそんなところである。私は悪いことしてるわけじゃないし謝るギリなんてないけど、ケンカしたいわけでもないからちゃんと言葉の上でのシャザイくらいはできる。でも敬語がだんだんアヤシクなっていくから、できれば早めに許してほしい。なんならゲンコツで済ませてくれてもいーから。アークトス様はみんなが抱えてるお酒を一瞥して、フンと鼻を鳴らした。
「ここで酒を選ぼうという発想は悪くないがな」
「イェラグの酒はウルサスにも負けねえからな!」
ぬっと出てきたのはアークトス様の部下さんの……グロさん? だった気がする。一通り
政敵の周辺は勉強しているはずなのに、スデに記憶があやふやだ。私って人の顔と名前を結びつけるのが苦手だ。グロさんもアークトス様もでっかい熊さんなので、か弱きリーベリの小娘の前に二人が並んでるともはやイジメみたいな絵面になる。そういえばお二人ともウルサスなのか、それならお酒に詳しそうだ。どこまでもヘンケンである。
「……よかったらお酒、見繕ってイタダケませんか?」
私としてはジュンスイなお願いだったんだけど(何しろ私はこれでもミセーネンだから飲酒を控えているし、強いお酒には詳しくない)、アークトス様には「これで手打ちにしませんか」という提案に聞こえたみたいだった。まあ、あんまり私をイジメてるとここの人たちが緊張通り越してイシュクしちゃうし、好き好んで住民と関係を悪化させたくない(と、後でシルバーアッシュが解説してくれた)。なんでお前なんかに、みたいな顔をちょっとしたけど、けっこー真剣に選んでくれた。良い人だ。お酒とお菓子とおつまみを買い込んで、それなりの量になる。こっそり転移して帰るつもりで一人で来たけど、これ荷物だけを「飛ば」すにも注目を集めすぎちゃって難しいな。
「……グロ、送ってやれ」
怖がらせたオワビも兼ねて買いすぎた私に、呆れたようにアークトス様が重い溜め息を吐いた。
「エンシオディスのやつは女一人出歩かせて、気の利かん奴だ」
普段いろいろ悪どい考えを巡らせているくせに、という
副音声が聞こえた気がした。私が勝手に買い物に来ただけで理不尽に罵られてごめんね、シルバーアッシュ。グロさんとの帰路は以外と楽しかった。アークトス様は
直情的でも当主だからやっぱりそれなりに感情を抑えてるんだろうなって感じに見えたけど、グロさんはアークトス様に『輪をかけて』直情的って感じで、そして私に意外と好感を持ってくれていた。アークトス様への言い訳を住民任せにせず自分で出てきたところと、日頃ちゃんとお祈り(してるのだ! シルバーアッシュの恋人として)に参加してるところがプラスにはたらいたらしい。日頃の行いって大事だ。
「エンシオディスの恋人って聞いたから、ラタトスみてーなのが出てくんのかと思ってよ」
ラタトス様はもう一つの大きいお家のご当主である。
聡明なヴァルポの女性で、まあなんというか「女狐」というイメージそのままの人だ。ラタトス様は実のところとっくの前に私に接触をしてきている。歌のお仕事での出張先での街で立ち寄った喫茶店で『偶然』出会うっていう、いかにもって感じの出会いだった。「シルバーアッシュが本当にお前を恋人だと思っているとでも?」って感じで勧誘されたので、「掌の上で踊らせてねってお付き合いを申し込んだんですよ」って感じにオコトワリ申し上げた。「籠に自分から入っていったお馬鹿な鳥」って表現をいただいた。頭の良い人ってみんなどっか詩的なところがあるよね。教養かな? シルバーアッシュに事のテンマツを報告したときはちょっと笑ってた。「彼女は本質を理解していない」「籠を作っても止まり木代わりにしかしてもらえない」とか何とか言ってた気がする。グロさんに送られて帰ってきた私にチェスターさんはちょっとびっくりしたかもしれないけど、にこやかに丁重にお礼をしていた。プロだ。グロさんにはお礼にお酒を一本、選んで持って行ってもらった。グロさんは良い人なので素直に喜んでくれた。
「やっ、ほー、エレーナちゃん」
「大荷物だな……」
小さなソリ(マッターホルンさんが作ってくれた!)を引きながら現れた私に、エレーナちゃんは呆れつつも唇を歪めてくれた。エレーナちゃんの笑顔はわかりにくいけど、わかりやすい。さすがにエレーナちゃんのところに直接『飛んで』たら迷惑になるので、私はいつも雪原に飛ぶ。エレーナちゃんも「兄弟」の人も明らかに戦闘訓練を受けた感じの人だし、周りへの警戒を見るにたぶん何かしら「活動」をしている人たちなのだ。うっかりそんな人たちのど真ん中に『飛んで』しまったら、エレーナちゃんの立場も悪くなるし私もハチノスだ。エレーナちゃんの「兄弟」みたいに、思うところはありそうでも黙って見守ってくれる人たちばかりがいるとは限らないし。エレーナちゃんがあまり来るなと言ったのも、ここにはここの危険があるからなのだろう。私が余計な首を突っ込むようなタイプだったら、二度と会ってくれなかったに違いない。私をスパイか何かかと警戒したこともあっただろうけど、私のアーツならエレーナちゃんを
懐柔するまでもなく危害を加えたり拉致できるから本当にただの元迷子なんだって、そう結論づけてくれたみたいだった。
「これね、お土産なんだけど……ごきょーだいの人の好みわかんないから、いろいろ持ってきちゃった」
エレーナちゃんはどんなお菓子が好き? と聞くと、気まずげに顔を逸らされる。ソリを受け取ってはくれたけど、封を開けることはなくそのまま兄弟の人を呼んでしまった。
「……礼を言う。ありがたく皆で分けよう」
もしかしたら、メーワクだったかもしれない。私はどう見ても「良いところのお嬢さん(ちょっとはっちゃけてるけど)」みたいなナリだし、ホドコシみたいに見えちゃった可能性がある。エレーナちゃんはなんかこう、そういうのを良しとしなさそーな(誇りを持っている、ってこういうこと?)ところがあるし、でも好意をムゲにしない優しい人でもあるから、困らせてしまったのかも。でも、エレーナちゃんはそうじゃないと私の考えを読んだかのように首を振った。
「話をしよう……向こうにでも座って」
エレーナちゃんが、倒木をいくつかベンチのように並べてある空き地を指差す。座って話すのは、そういえば初めてだった。
「これは土産の礼だ」
「わ、ありがとう!」
二人で並んで木に腰掛けて、エレーナちゃんがポケットから出したキャンディを私にくれる。今更毒とかお互い気にしない仲だ。殺す気ならもっと確実な手段をお互い持っているという意味で。エレーナちゃんもひとつ包みを解いて口に入れて、私も続くようにキャンディを口に運ぶ。
「……ッ、!!?」
「……ふっ」
はは、とエレーナちゃんが可笑しそうに笑ったけど、私は貴重な笑顔を見ている場合ではなかった。これ、すごいめちゃくちゃやばい味がする! なんというか、辛いような気がするけどそれ以前にすんごい『強い』味が。ベンチの上でジタバタと脚をバタつかせて悶絶する私に、いつの間にか近くにいたらしくニヤニヤ笑っている「兄弟」さんがお湯のカップをくれた。ありがとう、ありがとうだけど、
「ハメられた……」
「ようやくお前から一本取ったな」
楽しげにしているエレーナちゃんは平然とあの爆裂キャンディを舐めている。エレーナちゃん、こういうイタズラもするんだ……。
「私は味覚もほとんどない」
エレーナちゃんの言葉に、お湯でちまちま口内の凶悪な味を鎮めていた私は凍りついた。アーツじゃなくて。
「兄弟たちが私のために苦心してこの飴を作ってくれた……お前の気持ちは嬉しいが、私がもらっても無駄にしてしまう。甘さを必要としている仲間に分けさせてくれ」
エレーナちゃんの言葉は淡々としていて、けれどすごく誠実だった。私が気まずく思うような隙間もないほど、丁寧に率直に。考え無しでごめんねと私に言わせない何かが、その言葉にはあった。エレーナちゃんは、私を誤魔化さない。
「お前が言っていたんだ」
「何だっけ?」
「お前は今の雇い主を、『騙すなら騙し抜いてくれるから』選んだと」
そういえばそういう話もしてたね。私はシルバーアッシュについて、「賢くてうまく私を使ってくれて嘘をつくなら嘘とわからせない、福利厚生が手厚くて面白い理想的な雇い主」と話している。エレーナちゃんも私みたいなアーツの持ち主がただ歌の仕事をしているとは思ってないだろうけど、そこには触れずに私が「まとも」な雇い主に拾われたことを良いことだと思ってくれているようだった。
「私はきっと、お前の雇い主ほど嘘が上手くないだろう。生半可な嘘をつけば、お前を傷付ける」
「エレーナちゃん……」
胸のあたりが、きゅっと丸まった気がした。嘘をつくならバレないようにして、なんてワガママなのにエレーナちゃんは私の考え方に寄り添っていてくれる。これを「嬉しい」と呼ぶ感覚はなんだか慣れなくて、むずむずとした。
「嘘でもいいというのは、きっとお前の誠実さなんだ」
「そうかな……?」
「お前は距離感を掴むのが上手い……アーツの話ではなく。人には皆誰かに言えないことがあると知っていて、そこに踏み込まず、けれど人を喜ばせる。私にしてくれたように」
「なんかめっちゃ褒められてる気がする」
「褒めているんだ。感謝もしている」
エレーナちゃんの兄弟が遠巻きに見守っているからか、その真っ白な頬は少しだけ赤くなっている気がした。エレーナちゃんは髪も耳も肌も雪みたいに真っ白だから、ほんの少しの血の巡りがとてもキレーに見える。私はエレーナちゃんの肩に自分の肩をくっつけた。
「でも私、ギゼンとかゴーマンかもしれないよ。楽しいことが好きなだけで、相手にキョーミがないって言われたこともあるし」
エレーナちゃんに褒められるほど、感謝を受け取れるほど、良い人だろうか? 私はポーズでも大切にしてほしいけど、みんながそうとは限らない。
「人は皆本物が欲しいんだ」
エレーナちゃんも、私の肩に重みを預けた。私も人のこと言えないけど、軽すぎて不安になる重さだった。
「お前をしばらく悩ませていた『宿題』も、お前の興味を気にする人間も……最初は作り物でいいと思っていても、いずれ本物が欲しくなる」
たとえ苦しくても、楽しいことじゃなくても。私はそんな『本物』より苦しくなくて楽しいことがいいけれど、そんな考えの無さをエレーナちゃんは誠実と呼ぶ。
「相手から差し出されたものをそのままに受け取ることを、誠実以外の何とも呼ばない」
エレーナちゃんは断言してくれた。だから私に誠実でありたいのだと、嘘をつけないならありのままに話す。私が少し気まずい思いをするかもしれなくても、率直に「それは私は楽しめない」と言ってくれる。それが、エレーナちゃんの誠実だから。
「誠実の形は人それぞれだ。だから不安になって、確かめたくなる」
「……ありがとう、エレーナちゃん」
「礼を言われるようなことは言っていない」
「ううん、それでもありがとう」
シルバーアッシュに興味のないらしい私はひどいのかな、とか、エレーナちゃんに対してしていることってニセモノの優しさでしかないのかな、とか。お気楽リーベリの私でも、ちょっとは悩むのだ。だから凍原に現実逃避しに来て、ただ歩き回って、現実に戻っていく。私を逃避させたのは、宿題だけじゃなかったのかもしれない。私とエレーナちゃんは足を休めて、ヤバい味のキャンディが口の中で溶け切るまで黙って肩を預け合っていた。
「お前、ちょっと頼まれてほしいんだけどよ」
やめろよ、とかこんなやつに、とか揉めていた「兄弟」さんたちが静かになって、そして一人が意を決したように私に近付いてきた。残りの人たちも、ゾロゾロとついてくる。今日は凍原にエレーナちゃんがいない。それは珍しくはないけど、いつも私にほとんど近付いて来なかったこの人たちがエレーナちゃんもいないのに私に話しかけてくるのは初めてだった。
「何……です、か?」
「普通に話せよ。どうせエレーナにはそうしてるだろ」
敬語ができないのがバレバレだった。年上への態度じゃないけど、ありがとう。
「恥も知らずに頼むけどよ、鉱石病の薬が必要なんだ」
「あんた、そういうとこに出入りできるだろ」
そう言って、少し錆びかけた缶を私に差し出した。中には、少しのお金――龍門弊以外のお金を見慣れない私にも小銭だとわかる、ウルサスの貨幣が入っていた。
「俺たち全員のってわけじゃない。そんなのはあんたがどんな金持ちのお嬢様でも無理だってわかってる。こんな端金じゃ、一人分に足りないのもわかってる」
けど、とこんな小娘に縋るように、年上の男の人が頭を下げた。
「エレーナの薬を買ってきてくれ」
「……エレーナちゃんのなら、お金なんて」
さすがにたくさんの人の薬をタダで持ってくるのは(私の稼ぎが多いって言っても、そういうの良くないし、ギリもない)無理だけど、エレーナちゃんは友達だ。エレーナちゃんが感染者なのは知っていたし、けど私はぶっちゃけ感染しないから(「通過」とかのおかげか、私の血中源石濃度はありえないほどゼロに近い)とある意味舐め腐った態度で気にせず接していた。そもそも一緒にいるだけじゃ感染しないし。ただエレーナちゃんは私に治療のツテを求めなかったから、私から言い出すこともなかった。けど私(みたいな『世間知らずの金持ちのドーラクでこんな凍原にギゼンを振り撒きに来ているように見えるお気楽リーベリの小娘』)に、エレーナちゃんの家族がお願いするなら、私が少し手を出すのもヤブサカではなかった。この人たちはずっと私たちを見守っていてくれた。私がエレーナちゃんを『非感染者の金持ちのギゼンやゴーマン』で傷付けないか、優しいエレーナちゃんが傷付かないか、心配しながら。私をよく思っていない人もいる、好感を持ってくれている人もいる、けどこの人たちはエレーナちゃんのためにという思いだけはひとつで、だから揃って私に頭を下げてる。それなら私はエレーナちゃんのお友達として、お金は受け取れない。
「いいや、受け取れ」
強い目をして、私に缶を押し付ける。
「これは仕事だ。あんたに対する依頼だ。土産ならありがたく受け取っちゃいるが、これは違う。あんたの善意を買おうとしてる」
仕事を受けるなら金は受け取れ。受け取れないなら仕事も受けるな。そう、その目は言っていた。きっと全てをひっくり返してかき集めたのだろう。銅貨のくすみも鋳造年代もバラバラで、けれどどれも丁寧に拭かれていた。
「私、エレーナちゃんにお薬受け取ってもらえる自信がないよ」
「その辺は俺たちがどうにかする。あんたは薬を買ってきてくれればそれでいい」
「俺たちの方が、エレーナの扱いはよくわかってる」
それはそうだ。なんと言ってもこの人たちはエレーナちゃんの家族なんだから。ぽっと出の私が言っても「私より仲間に」と言って聞かないだろうし私も折れちゃうだろうけど、キョーダイならそんなエレーナちゃんも叱ってあげられるんだろう。私のアーツを何となく知っているこの人たちなら私にもっと欲張りな「仕事」だって頼める、それこそ物資調達とか。けどそんなことは少しも頼もうとしないで、たった一人の薬のために今日この場に来た。それが、この人たちの『誠実』の形かもしれなかった。
「……受けます。お仕事。誰に渡せばいいかな?」
「ここに一人、日中は誰か置くようにする。あんたがいつもみたいに来てくれたら、『渡して』くれ」
アーツでこっそり渡そう。エレーナちゃんには、どのみち私だってバレるだろうけど。私は知らないと言う、言い続ける。私は両手で缶を受け取った。軽くて重い音が、手の中で響いた。
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