ところで皆さん、「愛人アイジンによる暗殺」って聞いたらどんな場面を想像そーぞーする? シャンデリアのきらめくパーティ、ドレスに忍ばせた暗器で音も無く静かに主要しゅよーな血管をサクッとか、いかがわしー雰囲気の寝室でシーツを真っ赤に染める血の海とか、お酒に毒とか。だんだん私の想像力の乏しさが露呈ろてーしていくけど、まあそういうのを思い浮かべるんじゃないかな。
「最後のふたつだけ合ってるよね」
「何がです?」
 うっかり独り言が漏れてしまったので、私はアホな想像を洗いざらいヴァイスさんに白状はくじょーした。私の今の格好のおかげか意外とウケたみたいで、ヴァイスさんは営業用ではなく可笑しそうに笑ってくれた。
「愛人ジョークが板についてきましたね」
「慣れ始めが一番怖いって言うよ」
「その自覚があるなら問題ないでしょう」
 僕もあなたを信用していますよ、そう言ってヴァイスさんは目を細める。言外ゲンガイに示されたのが誰の信頼かなんて『言わずもがな』だった。私は胸ポケットの『荷』を確かめはしない。お面みたいなヘルメットに耐寒仕様はおろか防刃その他もバッチリな制服、今の私はどこからどう見ても、シルバーアッシュの私兵部隊であるチェゲッタの隊員その三とかだった。
 今、お屋敷にはエンシオディス派の民衆の中でも過激派の十数人が「」を出せって押しかけている。恩知らずな外国人ふぜいが、ドクターやペイルロッシュ家と手を組んでシルバーアッシュの財産を奪おうとしているんだそうだ。動機は私がシルバーアッシュに軽んじられているから。噂って広まるのが早いね。誰が広めたんだろうね。私知らないから。
 私は「せめて気持ちだけは恋人の傍にありたくて祈り続けている」から彼らへの釈明なんてしない。無言で祈り続ける「私」を見て、チェスターさんのお叱りを受けた彼らはそもそもエンシオディス派であるからいつまでもお屋敷で狼藉ろーぜきをはたらくこともできなくて帰っていった。まあ、帰ったフリして遠巻きに見張っているんだけど。ブラウンテイル家……に見せかけてノーシスさんがけしかけたんだろうってチェスターさんが言ってた。頭の良い人って人に嫌われる話を作るのも上手い。フリだって知ってなかったらノーシスさんにここまで嫌われたんだって思って人間不信になるところだった。でもシルバーアッシュが事前にいくつか教えてくれた「予測」によると、三家の分裂工作の一環であるように見せて私のアリバイを確保してくれてるんだそうだ。頭の良い人の考えることって複雑だ。
 昨日シルバーアッシュを自室の窓からお見送りして、それからずっと暖炉に火も入れず飲まず食わずで健気に祈り続けている「私」は偽物だ。彼はチェゲッタの中でもいちばん私に背格好が近かった細身の少年だった。女の人もいたんだけど、身長とか筋肉がカッコ良すぎて。つまり「お前は比較的背が小さくて筋肉が全然ついてないから女装しての身代わりに最適」という兵士的なプライドを傷付けかねない命令だったんだけど、不服そうな様子も見せずに躊躇いなくヌーブラをつけてコルセットを締めて私のワンピースを着てウィッグを被って私にお化粧させてくれた。その潔さはめちゃくちゃ男らしかった。私の髪色ってイェラグでは特にすごく特徴的で目立つんだけど、逆に言えば私をあまり知らない人はだいたい髪色だけで私かどうか判断する。入れ替わりに気付けるくらい私と親しい人(商店街の皆さんとか!)は、そもそもあんな噂に踊らされない。そういうわけで私は今ここ、来ているはずのない「大典」の場に「転移」してきて他のチェゲッタの皆さんたちと一緒に密かに待機している。もうすぐ聖猟が始まる、ヴァイスさんはシルバーアッシュについていくから隠れ場所を去った。私の仕事は聖猟が終わってからなので、防寒バッチリなのを良いことに木の影に座り込む。チェゲッタの誰かがそれを見て咽せて、そういえば今私もごつい怪物のお面を被ってるのにちょこんと女の子座りなんてしたら絵面的に笑えるよねって想像して咳き込みかけた。私、意外と余裕なのかな。
 胸ポケットの『荷』は重くて軽い。やれるか、なんて誰も今更訊かなかった。この業界ぎょーかいは結果が全てだ。この「仕事」はいろんな人のいろんなものがかかってるけど、私への信用が信頼になるか失望になるかもかかってる。緊張はするけど、不謹慎なほどの高揚感こーよーかんもなければ怖さによる吐き気もしなかった。ゲンジツトーヒなのかもしれない。チェゲッタの装備を着た私は「お気楽リーベリの運び屋」でも「可愛い恋人」でも「清楚系セーソケイの歌姫」でもない。ただ、「シルバーアッシュ家の戦士」のひとりだった。やっぱり服装フクソーってある程度人をヘンシンさせてくれるのかな。プラシーボだっけ? 思い込みとかただそういうのかもしれないけど、それに少なからず落ち着かせてもらってるのは確かだった。

 聖猟から巫女様や三家の当主、戦士たちが帰ってくる。シルバーアッシュは怪我をしていた。聖猟の最中に刺客に襲われたらしいと、さっきからずっと噂になっていたけど。こんなに早く噂が広まるってことはシルバーアッシュの「想定内」の出来事なんだよね? って思いたくて、私は祈るように自分にそう言い聞かせていた。でも私は思ったより理性的りせーてきでいられた、少なくとも今すぐ傍に駆けつけたいと思わないくらいには。それは私が冷静さを培ったとかじゃなくて、単純にシルバーアッシュの言葉があったからだった。私の『知らない』ところでシルバーアッシュが怪我をする怖さすら、今は私のものじゃなくてシルバーアッシュのものだって。ぜんぶ預けるってそういうことだ。私の仕事はまだ始まってもいない。
 聖猟を汚した犯人の追及を求める声が上がったけれど、それを宥めたのはやっぱりシルバーアッシュだった。儀式が始まって、三家の当主が捧げ物をする。アークトス様の指示を受けて盃を差し出したヴァレスさん――その盃を満たすお酒の中に、私は『荷』の中身を「転移」させた。それは盃の水面を不自然に揺るがせることもなく、私にもあっけなく感じられるほど一瞬で、静かに終わった。私の仕事は、たったこれだけ。結果が現れるまでは待機だけど。お酒に毒。愛人による暗殺としては、まあありがちだと思う。運び屋の仕事じゃないな、って心のどこかで思った。運び屋じゃなくて私兵だもの、と心のどこかで反論した。
 ――お前は本当に『すごい運び屋』だ。
 なんでこんな時にエレーナちゃんのこと思い出すんだろう。ヴァイスさんが襲撃の犯人を連れて来たって言ったのに、私は別のことを考えていた。聖猟の襲撃のことはシルバーアッシュの想定内だろうから、私が色々考える必要はないよねって、言い訳みたいに。そういえば私、こうやって人を殺すの初めてなんだなって思った。『実験』は別にして(あれは「人殺し」なんて対等なものじゃなかった)、今まで私が人を殺すのって、向こうに襲われたからやむを得ずって、正当防衛セートーボーエーの言い訳のきく状況だけだった。シルバーアッシュは今までほとんど私を緊急脱出装置みたいに使ってたから、こんなふうに私が直接手を下すのは初めてだ。すごい賭けだね、ってシルバーアッシュのメンタルの強さに笑い出したくなる。こんなときに。初めての能動的のーどーてきな殺人って、もっとライトな場面で済ませておいた方が安全なんじゃないの? こんな大きい舞台で私が『万が一』の変な気も起こさず自分の命令を守るだろうって、それって私への信頼っていうよりはシルバーアッシュ本人の自信なんだろう。連れて来られた犯人――メンヒさんというらしい――や彼女を庇おうとしたブラウンテイル家のスキウースさんを問い詰める大長老さんが、ごほごほと咳き込む。「対象を限定したアーツ」、最初はあんなに苦労したのに今はもうこんな緊張する場面でもあっさり成功するようになった。誰かと手を繋ぎたくてアーツを使うのと、アンプルの中身の毒だけをお酒に仕込むためにアーツを使うのって全然違うはずなのに、原理ゲンリ的には一緒らしい。学問ってロマンがないなって、ノーシスさんに怒られそうなことを考えた。ノーシスさんより学問に果てしない可能性を感じている人を私は知らない。大長老さんが倒れて、毒が指摘されて、シルバーアッシュがアークトス様を糾弾する。民衆は「シルバーアッシュの想定通りに」「ブラウンテイル家とペイルロッシュ家の行い」を判断した。噂をすればノーシスさんが現れて、その『後押し』によって退路を断たれた彼らは苦渋の顔で戦士たちに抵抗の指示を出す。結果を見届けた私の仕事はもう終わりだから、他のチェゲッタの皆さんみたいにヴァイスさんの指揮下には入らない。このまま隠れてお屋敷に「転移」して、チェスターさんの指示を待って「私」と入れ替わるだけだ。その後は基本的に待機。つまり、「可愛い恋人」に戻る。私は大典になんていなかった。ここにいたのはチェゲッタその五とかだ。ほんの短時間であることと外の過激派に意識が向いていることもあって、お屋敷の人たちでさえ「私」に気付いていない。シルバーアッシュの勝利を最後まで見届けるつもりはなかった、それはいずれ私の耳に入るし、速やかに帰るまでが私の仕事だ。
「あなたってギャンブルが好きなのかな」
 賭け事の好きな男はやめとけって先輩の方のハールートが言ってたよ。でもシルバーアッシュは賭け事が好きなんじゃなくって――ディーラーもゲームの道具もカジノまるごとさえも、そういうものに手を回して自分の思い描いた「確率」が結果として現れることが好きなんだ。運ばれていった大長老さん、あれは私の『結果』だけどシルバーアッシュにとっては『プロセス』なんだろう。高らかに民衆がエンシオディスの名を叫ぶ。映画みたいだ、って思った。シルバーアッシュがいつか私に言っていた、『物語のような非日常的現実』だ。シルバーアッシュは私に舞台と、大きなスクリーンを用意してくれた。私は今きっと、ものすごい特等席でこの『現実』を観ている。風に靡くシルバーアッシュのクセのある髪の毛を少し眺めて、私はお屋敷に「転移」した。

***

 あら、とヤエルがどこかを見上げる。ドクターと呼ばれる彼は「どうした?」と彼女に問うた。
「ああ、大したことじゃないのよ。ただ、エンシオディスってとんでもないことするのねって思ったの」
「今更か?」
 彼の手によって紡ぎ出された茶番劇について語らったのはつい先ほどのことである。ヤエルの反応は既に見た後で、今は状況が彼らの手にないとしてもひどく今更な発言に聞こえた。けれどヤエルは首を横に振る。この劇を指して言っているのではないと。
「春風に山雪鬼の扮装をさせるなんて……本当に彼は畏れを知らないのかもしれないわ」
「春風?」
 ドクターの脳裏によぎったのは、かの「恋人」だった。けれど彼女はドクターの既視感に反して、どこまでも普通の女性だった。少なくともこの劇においては、立ち位置が異なるだけで役柄はスキウースとほぼ変わりない。その立ち位置の違いが命取りだというのは置いておくにしろ――ただ、健気なまでに他人に踊らされる女性だと。あちらはエンシオディスの掌を舞台に選んでいるという、絶対的な差があるとしても。ゆえにドクターはヤエルの比喩に彼女を重ねることはしなかった。それは局面には何一つ影響しないにしろ、珍しい彼の失敗だった。
「時々気配はしていたけれど、まさかエンシオディスのところにいたなんて……まるで全てが彼に味方しているみたいね」
 自嘲気味にヤエルが呟く。その意味はわからなかったが、ドクターはヤエルを励ますためでもなく言った。
「『全て』ではない」
 敵対するわけではない、だが彼の勝利をただ飾るために動くわけでもない。ドクターは、ヤエルの見上げた方向に視線を向ける。そこにはただ、白い雪の向こうに高すぎるほど青い空が広がるのみだった。

***

 彼女はシルバーアッシュの信用を裏切らなかった。大長老の口元、そして盃に付着していた毒を見てシルバーアッシュは『プロセスのひとつ』が想定内に収まったことを確認していた。は知る由もない――『何も教えない』側のことだが、毒は二つ用意されていた。ひとつは、の胸ポケットに。ひとつは、父親の死に疑念を抱いていたヴァレスの手に。どちらが――あるいはどちらもが毒を盛ったのか、他者にはわからないその微細な違いを見分けるすべをシルバーアッシュは有していた。そしてその結果を、シルバーアッシュは既に『判断』した。「どちらが本命でどちらが保険なのか」、シルバーアッシュはあの毒の片割れを提供したノーシスの問いに答えなかった。答える必要はないと思ったからだ。毒の量によって大長老の生死は左右されない。生死も問題ではない。ただ、彼が毒を盛られたという事実が必要なだけだ。だからこそシルバーアッシュは、ノーシスの言うところの「尊大な賭け」に出られたのだろう。
――君は自惚れが過ぎるな。
 呆れたようにノーシスは言った。彼いわく、シルバーアッシュのに対する態度はまるで懸想、片想いだと評されていた。彼女に「選ぶ側」の優位を与え、希うように「傍にいてもらっている」と。舞台に上がることを選んだのはの意思で、彼女はいつだって飛び立てる。故にシルバーアッシュは彼女が飽きないように新鮮な(そして無自覚のスリルジャンキーである彼女が怖がりつつも楽しめるような)脚本を書き続けた。今回の茶番におけるの役割は、実のところ遊び駒であった。シルバーアッシュは今回「体裁の良い脚本」を作り出すために苦心したが、それでも彼女に最も相応しい舞台はここではないとも感じた。だから脇役と言ってもいい「可愛らしい恋人」の役を与え、「本命あるいは保険」の仕事を任せた。それはただ、確認のためである。いじらしい『恋人』が差し出した『全て』の重さを、量っていた。ありていに言えば、から決定的な情を得られたことを確信したかったのだ。
『確かに君は彼女の好意を得ているだろう。それが「理想的な上司」だとしても、「最も気に入りの脚本家」だとしても』
 既に好意を得ているのに、「初めての能動的な殺人」というプレッシャーとリスクを背負わせてそれを試す意味はあるのかと。それが本命あるいは保険だとしても、二度はない一度限りの現実に不確定要素を持ち込む意味はあるのかと。そう、問われた。
『私はに愛される必要がある』
『そして愛される自信もある、と? 大した男だ』
 より大きな舞台の方が、彼女の心にあらゆる意味を残せるだろう。始まりは懸想でも、いずれは「両想い」へと変化させる自信が彼にはあった。にはそうしてもらわねばならない。信頼の担保を差し出すのは彼女にも課せられた義務だと――少なくともとの契約を、シルバーアッシュはそう捉えていた。風切羽を切る必要はない、ただ彼の用意した鳥籠を巣にしてくれればそれで構わない。いずれはその鍵をシルバーアッシュの手に自ら差し出してくれるという確信があったから、「選ばれる側」に甘んじることができたのだ。
「――は結果を示してくれた」
「君たちの恋路に興味はない」
 捕らえられたノーシスに、シルバーアッシュは世間話代わりに切り出す。ノーシスはふんとどうでもよさそうに鼻を鳴らした。
「一時は、彼女が君の優柔不断に拍車をかけるのではないかと危惧したこともあったが」
「『悪い女』もあながち外してはいないだろう?」
「まったくだ。だが、結局は君の与えた役柄に忠実な少女だった」
「忠実? ノーシス、あれをそのようなつまらない言葉に収めるのか」
「ならば君はどう形容する」
 この風雪激しい地で熱に浮かされているのではないかと探るように、レンズ越しにノーシスの瞳が細められた。けれどシルバーアッシュは浮かれてなどおらず、むしろ注意深く駆け引きを楽しむ最中のように笑う。
「『今だけ』私に彼女の全てを許してくれるそうだ」
「高利貸しというわけか?」
「いや、は利子を設定していない。それが迂闊だとも、読めないとも感じる」
「……彼女の差し手は破綻していた」
 ノーシスはとの対局――というよりはただの指南を思い出す。思考を読む以前の段階であることはわかっていて、あえてチェス盤を与えた。本人の言う通り、は頭が悪い。けれどそれはほとんどが思考停止によるものだ。だからノーシスは彼女に思考させようとして、差し手すらあまりに考え無しであることに筋金入りであると感じたものだ。チェス盤に留めておけないモノを駒と呼んで動かそうとするのは滑稽だろうか? しかしその答えを今の彼は求めていない。
「……世間話はここまでにしよう」
「お前にしては付き合いが良かった」
 本題は、あの能天気な春めいた少女のことではない。彼女はシルバーアッシュの手元に現れた稀人だ。彼らの共有する過去も、彼らに共通する考えも――には何一つ関わりのないことだ。という存在はシルバーアッシュの根幹にすらなりえない。だが融和を、あるいは本心の上に厚く厚く降り積もったものにほんの少しの雪解けをもたらすのは、きっとああいう能天気で何も知らない無邪気さと残酷さなのだろう。深い雪を掘り起こすように、ノーシスは口を開いた。


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