「ノーシスさん、ロドスに行っちゃうんだ?」
「……君か。アーツに関する報告ならば、これからもシルバーアッシュに上げれば私にも共有される」
「お見送りの情緒がない……」
完全に引き継ぎのソレだ。ノーシスさんらしいといえばそうだけど、この人って研究さえできれば何でもいいのかな。でも本当にそれだけの人がイェラグの未来のために
汚名を被って国を離れるようなこと、しないよね。頭の良い人の考えてることってわかんないや。わかんないけど、そんなに良い人でもないけど、ノーシスさんは私にとって『得難い』人のひとりだった。いなくなるのは、素直にさみしい。
「まだ何かあるのか?」
でもノーシスさんってやっぱり情緒が足りないよ。私はちゃんと
口実を持ってきていたので、それを差し出した。
「チェスセット、返しに来たんですよ」
私の待機室みたいになってる部屋に置きっぱなしにされていたそれを、ノーシスさんは受け取ろうとして――この人には珍しいことに、やっぱりやめたと言うように私の手元に押し返した。
「君が持っているといい。餞別だ」
「センベツって、見送る方が渡すものじゃ?」
「そのくらいは知っていたか。ともあれ、今は贈り物を返される気分ではない」
どんな気分なのそれ、とは思ったけど言わなかった。まあ、プレゼントを返されるのってけっこー悲しいもんね。ノーシスさんにもそのくらいの情緒はあったんだって思った私も大概シツレーだけど、おあいこってことにしてほしい。黙ってチェスセットをしまい直した私を見て何を思ったのか、ノーシスさんはそれで会話を終わらせるでもなく口を開いた。
「以前シルバーアッシュが言っていたな。、君には『全て教えるか、何も教えないか』だと」
「そうだね。ノーシスさんとか、『教えない』ことをぽろっと零す人もいるけど」
「私には本来関わりのない約定だからな。幼稚で非合理的な契約だとも思っていた」
守り切れない約束なんてするべきじゃないと、そう思っていたという。確かに、子どもの我が儘みたいな約束だって思う。言い出したのは私だ。嘘を吐かないことより難しいかもしれない。シルバーアッシュがどんなにすごくて怖い人でも、完全に守り切れる約束じゃないって私もわかっている。けど、シルバーアッシュはそんな無茶な約束に可能な限り沿おうとしてくれてる。誠実というものを『信用の担保』にしている私にとって、実際のところそれが一番大事だった。
「……少なくとも君たちにとっては、その契約は良好な関係をもたらしたらしい」
ノーシスさんの視線は私に向いていたけど、誰か別の人のことを考えてるみたいだった。ノーシスさん、部下に嫌われるタイプだもんね。私はシルバーアッシュのこと好きだよ。迂闊なことを考えて自分自身にダメージが入った。私、思ったよりポンコツかもしれない。別のことを考えて本題に戻ろう。ノーシスさんは部下に嫌われても気にしなさそうって話?
「仕事や研究に感情は持ち込まない主義だ。私が君たちを『見習う』ことはない」
だが、とノーシスさんはメガネのふちに手をかけた。表情が見えなくなって、けど何となく笑っている気がした。
「君たちが『成功例』となることを、希望的に捉えるくらいのことはしてもいい」
「……ありがとうゴザイマス?」
頭の良い人の物言いって遠回しでわかりにくい。けど、何か前向きなことを言ってもらえた気がしたからお礼は言っておいた。ノーシスさんにも感傷というものがあったのかもしれない。後にメンヒさんという部下さんとのイキサツを知った私は、この時のノーシスさんとの会話を思い出してそう思ったのだった。
***
「彼女が君の隠し駒だったというわけか?」
チェス盤を挟んで駒を並べながら、ドクターはシルバーアッシュに問うた。彼にとってのクイーン――最強の駒は、間違いなくあの黒騎士であろう。純粋な、力の権化。けれどと呼ばれたあの少女は盤上に属さない。33番目の駒、イカサマじみた存在。シルバーアッシュはの能力について詳らかには語らず、ドクターも自身への襲撃が彼女によるものだと気付いたのは雪崩の瞬間だったのだが――自身の体を押し寄せる雪の塊が「すり抜けて」いくという超常的な体験をしたときに感じた、術力による空間の軋み。トゥリクムでと握手をしたその時から凝っていた既視感が、龍門で
見えた「すごい運び屋」とあの瞬間に結び付いた。自身が全身を覆い隠すような装いをしていることもあって、ドクターは他人の識別を容姿のみに頼らない。それでも、世間からとうに退いた黒騎士を初対面で看破した彼がをあのフルフェイスメットの女性とすぐに見抜けなかったのはが「無力な恋人」に徹していたのが大きかったのだろう。その脚本を用意したのは目の前の策謀家だ。自身は意図して口調や振る舞いを変えているわけでもないのに、与えられた役柄があるだけでこんなにも印象が変わるものかとドクターは感心したものだった。
「駒と言うには語弊があるな。の存在はいわば……チェスの対局にトランプを持ち込むようなものだ」
シルバーアッシュは何も隠していない袖口を見せて微笑んだ。確かに、はどの駒にも当て嵌まらない。ワイルドカードという表現が最もしっくりくるだろう。かつてノーシスがを鬼札と称したことをドクターは知らないが、奇しくも似たような表現に落ち着いた。
「君が私との小さな戦争に、彼女を本気で使う気にならなかったのは幸運だった」
シルバーアッシュにしてみれば、ドクターが如何に陽動作戦で兵士たちをあちこちに引き付けようが、そうと分かった時点でに兵を移動させれば無意味な話であった。ドクター自身への妨害行動に当たらせたのは最小かつ効果的な手であったのだろうが、運が味方したこともあってその手が失敗したことがあの結果へと至る一因となったのだ。もっとも、シルバーアッシュもドクターの「被害を最小限に留めたい」という行動原理を察していた――あるいは心のどこかに同じような思いがあったからこそ、確実に大規模な戦いに至る手を回避したとも取れるが。ドクターの問いかけともつかない呟きに、シルバーアッシュも概ね合っていると認めるように頷いた。
「使えなかった、あるいは使いたくなかった、という側面もあることは認めざるを得ない」
「『その後』の展開に不都合だったと?」
「ああ。兵を動かさせるには、彼女が衆目に触れるリスクを負う必要がある」
本来の未来――シルバーアッシュが想定していた「勝利」は、ブラウンテイル家とペイルロッシュ家との全面的な争いの末にエンシオディスが軍閥的な実権を握る筋書きだった。だからこそ、シルバーアッシュは想定していた未来より遥かに平和的に事を収めたドクターを評価し、の失敗も「これはこれで良い」と結果論ではあるが肯定できたのだ。けれど本来の筋書き通りに事が進んでいたなら、彼はをプロパガンダに利用する気でいた。利用という言い方も、彼らが契約関係にある以上正しくはないが。けれど多くの人間に――エンシアのように彼らの仲を祝福している者には特に、それは『利用』と映るのだろう。そして実際それは、利用と呼ぶに相応しい関係になるはずだったのだ。
「私はに、イェラグの未来の一端を担ってもらうつもりでいた」
「そのための『歌姫』だったのか?」
「人の注目を集める役ならば、何でも良かったが」
には人を惹きつける魅力があった。単なる容姿の良さに留まらず、するりと人の傍に溶け込んで好感を得る天性の才能が。気難しい黒騎士に気に入られていることもさることながら、シルバーアッシュや外国人を快く思わないペイルロッシュ側からすらも敵意ではなく同情を得ているのだから大したものだった。を雇ったきっかけはその比類ないアーツのためだが、シルバーアッシュはにそうした人心を惹きつける才能を見出していたのだ。自身はそれを意図して利用したことがなくとも、シルバーアッシュならばその才能をより恣意的に活かせる。当初の想定以上の価値を見出していたからこそ、無害で幼気なイメージを強調するようなシナリオを与えてきた。そうして、巫女に代わるとまではいかずとも「外の世界の良い面の象徴」として、人々に安堵をもたらす存在へと押し上げるつもりだった。
それは急進的な変革や軍事力による統治に戸惑うであろう人心の矛先――スケープゴートとしての役割であることも意味している。その危険については、契約に誠実なは意外なほどあっさりと了承してくれたことだろう。「予行演習」も、今回の脚本で行うことができた。ラタトスの一件では危うい場面もあったが――結果的には自制を見せたし、その危うさ自体シルバーアッシュが求めてそうさせた側面があったから想定の範囲内だった。
そう、リスクなら任務の危険そのものよりむしろ彼女の『理由のなさ』にあったのだ。シルバーアッシュが最終的に与える役割は、をこの雪深い山の麓に縛り付ける。いずれは本当に「シルバーアッシュ」の名を背負わせることも視野に入れていたし、その段取りも密かに進めていた。けれどには本来、その一生をイェラグに――シルバーアッシュに捧げる理由などない。契約に忠実なであるが、あれで警戒心の強い小鳥だ。終身契約という鳥籠を提示すればその締結に二の足を踏むであろうし、の意思による契約解除の特約を求めるであろう。だが、それでは些かシルバーアッシュには不都合なのだ。鍵はひとつきりで、なおかつシルバーアッシュの手中になければならない。だからこそ、シルバーアッシュはの情を求めた。ノーシスには懸想と評されるほどに、デーゲンブレヒャーにはどうかしていると言わしめるほどに。が自ら望んでシルバーアッシュの示すイェラグの未来を共に描き続けてくれることを、希った。否、請い願ったのならまだ
性質は悪くなかっただろう。シルバーアッシュはただ、その結果を呼び込むために状況を整え続けただけだ。役に染まることもあろうと「恋人」の役柄以上にをそう扱い、それでも他人に本当の意味で踏み込もうとしなかったが恋という我儘を知るために背中を押した。彼女の「初恋」は色々な意味で思った以上のものだったが、そうであるからこそのとも言えよう。ありふれた平凡な幸せに恋をするなど、彼の求めるではない。失恋につけ入る隙もなくその傷を自分で塞いでしまったように見えただったが、ノーシスとは別の意味で実のところ情緒に疎いの傷を揺さぶるのは、その手の「情に関する手管」を弄してきたシルバーアッシュにはいっそ哀れに思えるほど容易だった。シルバーアッシュのためにその手を汚させ、無力を強いている状況下で危機を見せつけ喪うことの恐怖を思い出させる。『らしい』状況が揃ってしまえば――例えが本当にシルバーアッシュへの気持ちを芽生えさせていようがいまいが――に恋を認めさせることができる。「あなたが好きだから傍にいさせてほしい」と、に恋を『願わせる』ことが、不利な契約すら盲目に幸福に受け入れさせることが、にリンゴを剥いてやったあの時のシルバーアッシュには可能だったのだ。彼には知る由もないが、エンヤの元でのの小さな怒りと決意があまりに痛々しくなるほどに。開いた掌を閉じてしまわなかったのは、ただ急ぐ理由を失ったが故のほんの少しの猶予だった。
「けれど、巫女は自ら人々を率いていく道を選んだ。エンヤのカリスマ性は、君がにあてがうつもりだった役割を――代替の象徴など、必要としないだろう」
「少なくとも、『内紛で疲弊した国民の心に寄り添い支える』という初仕事の予定は失せたな」
信用の担保。騙し討ちの初対面から雇用関係に至るために、シルバーアッシュはに「面白い危険」を魅せた。けれど実のところそれは、シルバーアッシュその人自身を担保にしているという意味でもある。だからこその片想いで、だからこそ彼はに『全て』を求めたのだ。「期間限定」でそれを「許してくれた」だったが、今度はが自らシルバーアッシュの隣を願ってそれらをすっかり差し出してくれるだろう。互いを担保に入れて、初めて彼の望んだ「
対等」となるのだ。
「まだ諦めてないのか」
ドクターは些か呆れたように笑った。
「諦めの悪い男だと自認している」
シルバーアッシュも笑って答えた。
「もう、一生傍にいてほしいって言ってしまえばいいのに」
は得難い人材であろうが、今回の件がこのような形に落ち着いた以上シルバーアッシュはから情を得ることに以前ほど固執せずとも良いはずなのだ。そも、ここまで拘る理由ももはや合理性のためではないのだろう。余裕ができた今だからこそ、彼はとの勝負を楽しんでいる。知らぬ間に勝負をさせられているにしてみれば、堪ったものではないだろうが。強いて言うならば、シルバーアッシュの目を惹いてしまったことが悪い。そういう意味ではも、今回の件に巻き込まれたドクターと大差ないのかもしれなかった。ドクターはほんの少し、春風の子(と呼ぶ慣わしなのだと、ヤエルが笑って言っていた)に同情した。
「『交渉はお願いしている方が弱い』と、が口にしていた」
「君はどうしてもに負けたくないわけだ」
ロドスにもそんな感じのことを言っていたオペレーターがいたなぁと思いながら、ドクターは頷いた。自身から願うことが、シルバーアッシュの負けなのだろう。あくまでに願わせることが、彼にとっての勝利なのだ。それは傲慢かもしれないが、シルバーアッシュの立場を思えば致し方ないのかもしれない。彼は必要とあらばに傅いて花束でも指輪でも差し出すだろう。けれど本質的に愛を乞うのは、からでなければならないのだ。彼が本当の意味で傅く相手は、神でも愛でもなく彼自身の信念でしかないのだから。ずっとそうして生きてきた彼は、これからもそうして生きていく。難儀な生き方をしている男は、チェス盤を前に好戦的な目をしていた。それは果たしてドクターとの対局への期待だろうか、それとも。
「急ぐ理由は無くなったが、『告白』を促すくらいのことは許されるだろう?」
「悪い男だ」
「悪い女の相手も、悪い男であるべきだからな」
あの底抜けに軽やかな空気を纏った少女もまだまだ苦労するのだろうなと、ドクターは他人事のように――実際他人の恋路など他人事でしかないのだが――ポーンを手にした。対局はまだ、始まったばかりだ。
***
「それでね、お兄ちゃんったらひどいんだよ! 『お前はまだ家妖精に過ぎないようだ』なーんて言って、お姉ちゃんを家に閉じ込めちゃったんだから!」
器用にセリフのところだけしっかり声を低くしてシルバーアッシュの真似をするエンシアちゃんに、私は食べていたサラダを危うく吹き出しそうになった。オーロラさん(あの時のドクターの護衛だ、私は一方的にちょっと気まずい)とエンシアちゃんと外食に来ているこのお店はレストランというよりは食堂のようで気安いところがあるけれど、吹き出すのはいくらなんでもちょっと。エンシアちゃん、さすが妹というべきかシルバーアッシュの物真似が上手だった。
「こないだもお姉ちゃんと外食に行ってくるねって話したら、お姉ちゃんはまだ病み上がりだからダメだって! お兄ちゃん、自分は忙しく飛び回ってるのにお姉ちゃんには全然自由にさせないんだから」
「過保護なんだね……」
オーロラさんは律儀に私に同情してくれた。実のところ前にエンシアちゃんが外食に誘ってくれた日は『会社』の仕事が入ってたので、シルバーアッシュが言わなくても私が体調を理由に断ってたと思う。自分が悪く言われても私とエンシアちゃんの関係を良好に保つ、すごいお兄さんだった。
「お姉ちゃん、退屈してない?」
端的な質問だったけど、エンシアちゃんの表情にはいっぱいの心配が詰まっていた。セツジツなほどのそれは、クルビアから来た『歌姫』である私がイェラグに――シルバーアッシュの傍にいることに飽きてしまうのではないかという不安なんだろう。例えぽっと出の『恋人』だとしても、去ることを心配してくれる。エンシアちゃんは本当に良い人だった。
「エンシオディスがいるから、退屈なんて全然しないよ」
だから私は本音で答えた。なぜかオーロラさんの顔が赤くなって、エンシアちゃんも照れたように笑ってくれた。考えてみればノロケだったかな? でも実際、いろんな意味で退屈しない。良くも悪くも。恋を自覚してからはなおのことドキドキしっぱなしだ。あんまりノロケても鬱陶しいかなって思ってイェラグって良いところだよね、と話を逸らそうとしたけど、エンシアちゃんから思わぬ追撃が入って私は今度こそ咽込んだ。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんにすっごいキスしてたもんね!」
「みっ、てたの!?」
チーズのお皿をひっくり返しそうになって、私はハールートに尻尾で手をはたかれた。ごめんって。ご機嫌取りにクルミを割ってあげながらも、ニコニコ(ちょっとニヤニヤかもしれない)と笑うエンシアちゃんと顔を赤くしながらも興味津々なオーロラさんはチーズでもクルミでも許してくれそうになかった。
「窓からバッチリ見てたもんねー。夜中だからお姉ちゃん、油断してたでしょ?」
「エンシアちゃん、お腹いっぱいになって寝てたものだと思ってたのに……!」
本当はエンシアちゃんたちとの外食はその日に行く予定だったのだけれど、シルバーアッシュが夕飯に間に合うかもと聞いて取り止めてお屋敷でご飯を食べることにしたのだ。けれどマッターホルンさんが丹精込めて用意したその食卓に、結局シルバーアッシュが現れることはなくて。エンシアちゃんも小食らしいのに、見ていて痛々しくなるほど一生懸命ご飯をたくさん食べていた。私も頑張ったけどエンシアちゃんの半分も食べられなくてギブアップしてしまって、マッターホルンさんと一緒にエンシアちゃんを宥めて部屋まで送った。お兄ちゃんに嫌われちゃったのかな、と不安そうにするエンシアちゃんに子守唄を歌ってあげながら寝かしつけて、何となく眠れなかった私はシルバーアッシュを待ち続けるマッターホルンさんのいる階下を避けて屋根の上で星を見ていた、のだけど。私を呼び出すこともなく帰ってきたシルバーアッシュの姿を見て、思わず玄関前に「転移」してしまっていたのだ。
『お前はいつも私に思いもよらない期待を抱かせてくれる』
シルバーアッシュはそう笑って、私を毛布ごと抱き上げてキスをしてくれた。頬に、おでこに、唇に。誰も見ていない(と思ってた!)のに、すっごくたくさんキスをされて、頭がくらくらした。今まで私はこの人とどうして触れ合っていられたのかわからなくなって、毛布でシルバーアッシュの顔を包み込むように隠しながら私からも精いっぱいの反撃をした。たぶん、深夜テンションだからできたんだと思う。シラフだと無理だ。お屋敷に入る前に下ろしてもらって、真面目な顔をしたマッターホルンさんに出迎えられたから私は席を外して、そのままふわふわとした気持ちで部屋に帰って寝た、のだけど。
「お兄ちゃん、背が大きいから大変だろうなーって思ってたけどお姉ちゃんのこと抱っこしてキスするんだね! お姉ちゃんからキスしたくなったらどうしてるの?」
玄関前の一部始終をすっかり暴露された上に純粋なギモンを向けられて、私は真っ赤な顔を両手で押さえながら「手を借りて、その……」と言葉をニゴした。なんでしっかり答えてしまってるんだろう。エンシアちゃんがきゃっとはしゃいだ。
「手にちゅーするんだ!? 可愛い!」
「身長差があると、そういう苦労もあるんだね」
『エンシオディス様』のそんな話を聞かされても困るかなと思ったけど、オーロラちゃんも思ったより楽しそうに聞いてくれていた。真っ赤になって突っ伏した私に、エンシアちゃんは満足げに「は〜……」と長い息を吐く。エンシアちゃんはまだ登山が恋人なんだってチェスターさんが寂しそうに言ってたけど、実際エンシアちゃんが恋をしたらシルバーアッシュ家総出でお相手のチェックをするんだろうな。シルバーアッシュのお眼鏡にかなう恋人、いるのかな?
「お姉ちゃん、すっごくお兄ちゃんのことが好きなんだね〜」
「うん、好き、大好き……」
「わぁ……!」
あいしてる、なんて私には言えそうにない。だってこれはそもそも恋だ。恋する乙女はムテキらしいけど、惚れた方の負けとも言うらしい。私は負けたくなくてまだ意地を張っていて、嘘にできるこういう場所でだけ精いっぱいの本心を込めてチセツな恋心をぶちまける。飼い主の奇行にも構わずクルミのおかわりをねだるハールートに、オーロラちゃんがいくつかのドライフルーツをあげてくれていた。オーロラちゃんは私のどん底センスのネーミングを聞いてもハールートをそっちの名前で呼んでくれるので、本当に優しくて良い人だと思う。ちなみにエンシアちゃんは単純に私のつけた名前が「覚えられない!」って言ってハーちゃんと呼んでいる。
「あ、でも子どもの名付けはお兄ちゃんに任せた方がいいと思うなー」
「うん?」
さらりとダメ出しをされた気がするけど、それ以上に爆弾が落ちてきた気がする。オーロラちゃんがぽっと顔を赤くした。子ども。誰と誰の? ナチュラルに私がシルバーアッシュにお嫁入りする前提だなってところより、私は個人的だけど重大な危機に直面していることに気付いてしまった。子作り、言い換えればセックス(品がない!)。「全部あげた」あの日以来、今回の件で忙しかったり体調の問題があったりでしてない、けど。
「う、ぁ、」
イェラグでの縁起のいい名前とか人気の名前とかの話を始めたエンシアちゃんとオーロラちゃんを横目に、再びテーブルに突っ伏す。話に加われなくてごめん。でも、心臓がバクバクして顔が焼けるほど熱い。恋してる相手とそーいうことを致すの、私にできるのかな? もうとっくにしてる仲だとか、それはそうなんだけど。『お酒の勢い』を借りればできるのかな、でもそれってシルバーアッシュに失礼な気がするし、何より
醜態を晒しそうで嫌だ。たぶんその、そう遠くないうちに『恋人との夜』はやってくる。そのことに叫び出したい気持ちになりながら、私は冷たいお茶を喉に流し込んだのだった。
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