「映画みたいなプロポーズがいい」
うん、私は確かにそう言った。言ったよ。付き合いたて、もとい、契約したてのころにアンケート調査みたいに聞かれたもん。理想のプロポーズ、とやらを。
「きれーな夜景のホテルで、おいしーご飯食べて、腕いっぱいに抱えきれないくらいの薔薇の花束をもらうでしょ? そしたら花束から指輪のケースが出てくるの。あれ、そういえば指輪つけたりとかしてる間ってあの花束どうしてるんだろうね? ホテルの人が持っててくれるのかな?」
ふと思ったギモンに脱線していく話を根気強く軌道修正してくれたシルバーアッシュは、「跪いて指輪を差し出さなくてもいいのか?」って私に聞いた。そう、それ、テッパンだよね。すっごい憧れる。でも花束からの指輪も捨てがたい。憧れるシチュエーションが多すぎるよ。あれもこれも素敵なんだもん。ひとつに決めきれないから、みんな映画を見たり小説を読んだりして「憧れのシチュエーション」を
追体験するんじゃないかな? きっとそうだよ。ひとつしか経験できないなんて、ぜったい残念だもの。
「、受け取ってくれるか?」
「……その花束、ナニでできてるの……?」
差し出されたのは触るのが怖くなるくらい透き通った花束だった。氷でできてる、のかな? きらきらと照明を反射して、薄青に近い透明だけど光を受けて虹色に輝く部分もあって、なんていうかすごく綺麗。丁寧に育てたバラに魔法をかけて氷に変えちゃったんじゃないかな、なんて思うくらいにそれは生花そっくりに作り込まれていて、今ならバラを凍らせるとこうなるんだよって言われても信じてしまいそうだった。抱えてても溶けないってことは、硝子とか水晶とかでできてるのかな? え、模造源石氷晶? 私は沈黙した。博物館に
寄贈しなきゃいけないレベルの芸術品だった。受け取ってくれるか? なんて聞かないで欲しい。源石氷晶って、その、平たく言うとものすごい稀少なものなのだ。模造品とはいえ、イミテーションというよりは合金に近い意味合いなんだろう。高給取りの私でも真っ青になるくらいテンモンガク的価格がつくんだよ。ていうか市場になんて出回らない。イェラグ人にとって変わらぬ誠実さを意味する、永遠に溶けない氷。この人何考えてるんだろう。少なくとも、プロポーズの演出の小道具にしていいものじゃなかった。
「ええと、まさか、ユビワ……?」
「察しがいいな」
「察したくなかった……」
怖すぎて抱えたくもないそれを、でも受け取らないわけにもいかなくて私はガクガクと震えながら腕の中に収めた。この花束の包み紙も、絶対その辺の紙じゃないでしょ。イェラグでどうこうとか重々しい
逸話があるユイショタダシイお紙様に違いない。花束を結ぶ薄水色のリボンもね、うん、何のヘンテツもないただのリボンだと油断したら絶対何か重い意味が出てくるんでしょ。全力で札束で殴ってくるようなことをするのに卑しさを全然感じないところが、シルバーアッシュのすごいところだと思う。でもやっぱり、こんなの絶対おかしいよ。
シルバーアッシュが咲き誇る薔薇のひとつに指を添わせると、それはするりと水に浮かぶみたいにシルバーアッシュの手のひらに落ちた。すごい技術を見た気がする。そもそも源石氷晶って、加工できるようなものだったっけ? 模造品だから加工できるの? おののく私の目の前で、その薔薇がぱかりと開く。もう驚きすぎてなんの反応もできなかった。お花の形のリングケース、すごいと思うよ。本当に。全然継ぎ目とか中身とかが見えなくて、元の場所にあったら他の花と
遜色なくて見分けなんてつかないところも、本当に本当にすごいと思う。でもその技術力を披露する場はここで良かったのかな? シルバーアッシュが黒い革手袋の指先でつまみ上げたユビワは、空気に溶けそうなくらい透き通ってきれいで、それでいて見失うことなんてないような存在感と輝きを放っていた。
「……ねぇ、シルバーアッシュ」
「どうした?」
「お断りするときって、ユビワのケースの蓋を押さえて閉じるんだよね?」
「ああ」
「あなたユビワ出しちゃってるけど」
「そうだな」
「お断れなくない?」
シルバーアッシュはふっと微笑んだ。「断る必要があるのか?」って囁いて、私の手を取る。左手だった。断る必要、ないけど。いいの? 本当にいいの? 最初からずっとビビりまくってる私だけど、これでも心臓はうるさいくらいときめいてる。でも、だって、と逃げ出したくなるような気持ちはあるのだ。だってこれ、
「成人祝いって言ったのに……!?」
シルバーアッシュは、それは丁寧に指輪を嵌めてくれた。お姫様に求婚する王子様みたいに。映画のヒーローみたいに。私がこの前ハマった連ドラの主人公みたいに。というか、それら全てを上回るかっこよさとロマンチックさで。
「成人おめでとう、」
いくらお礼を言ったら足りるんだろう。そう、これはプロポーズじゃなくて成人祝いだった。対外的には既に成人してることになってる私だから、これは私とシルバーアッシュだけの成人祝いなんだけど。ドレスもお化粧もいつも以上に気合を入れてしてもらって、シルバーアッシュとお夕飯デート(というには格式高すぎる)をして、夜景をバックに花束を差し出された。完璧すぎた。そういえばシルバーアッシュが私の手を取った瞬間から、気付けばあのとんでもない花束はいつの間にか立っていたスタッフさんがオゴソカに預かってくれていた。あの時のギモンが解決された瞬間だった。贅沢すぎるリングケースは本当に博物館とかに
寄贈した方がいいと思うんだけど、シルバーアッシュは私の好きにしていいって怖いことを言ってきた。あんなの到底手元で保管できる自信がない。紆余曲折を経て、あれは今カランド貿易の社長室に文字通り『華を添えて』いる。添えているっていうか、添えてやらせてやろう、くらい自己主張しても許されそうな花束だけど。あそこなら防弾ガラスの展示ケースに守られて、私の部屋でおっかなびっくりエアーダスターで掃除をされるよりずっと安心だと思う。
「薬指なんだぁ……」
シルバーアッシュが書類をめくる傍ら、私はソファに転がって左手の薬指に付属してしまったそれを眺めていた。最初はリングケースと一緒に丁重に社長室送りにしようと思ったのに、なぜかまだこの指に嵌ったままだ。というか、外せない。剣を使うのにきれいで細いままの私の指は、別に指輪の部分だけくい込んでるとかでもない。サイズは怖くなるくらいぴったりなのに、外れない。
「呪いの指輪?」
「巫術と呼ぶそうだ」
冗談混じりに聞いたのに、なんか斜め上に肯定された気がする。嵌めた本人にしか外せないんだってさ。あまりにサラッと愛の重いカノジョみたいなこと言うから、シルバーアッシュって私のこと好きだったのかなって勘違いしそうになった。どうしたの? 束縛する彼氏のロールプレイでもしたくなったのかな。これ、透明だから何も仕込めそうにないけどGPSとか何もつけなくていいの? シルバーアッシュが私に外せない装備を贈る理由が他に思いつかなくてうんうん唸っていると、気に入らなかったか? と拗ねてるわけでもなくアンケート調査みたいな淡々とした様子でシルバーアッシュに聞かれた。
「気に入ってるよ。すごく」
渡されたシチュエーションから何から、最高のプレゼントだった。「好きそうなものを考えておく」って言ってくれたもんね。感動が極まりすぎて、何回お礼を言っても足りなくていっそ陳腐だったり無感動みたいになってしまっている。正直こんなに全力すぎる形で実現してくれるとは思ってなくて、どうしたらいいのかわからないんだけど。この指輪、アクセサリーにしてていいの? それこそお嫁さんになる人にプロポーズするときに渡すものじゃないのかな。私はこの指輪をもらってどうしたらいいんだろう。
「そうしてその指輪のことで悩んでいてくれ」
「待って、これ
罰則か何か?」
頭の悪い部下に頭を悩ませろって言う。私、シルバーアッシュを怒らせたのかな。でもこんなとんでもない労力とお金をかけて嫌がらせなんてしないよね。しない……よね? しないとは言いきれないところがシルバーアッシュの怖いところだけど、私は楽観的なリーベリなのでそんなことしないと言い切ることにした。シルバーアッシュにはシルバーアッシュなりになんかこう、いい感じの意味を込めてこの贈り物を選んでくれたんだと思う。おそれおーくてまじまじと見れなかった指輪を、『ためつすがめつ』眺めてみる。何から何まで、シルバーアッシュからのトクベツって感じの指輪だ。私にとってイェラグはシルバーアッシュの
代名詞で、きっと多くの人にとってもそれは同じことだと思う。この神聖で冷厳な土地のいちばんのトクベツを削り出したような指輪は、どんな肩書きよりも
明確に私とシルバーアッシュの繋がりを教えてくれる。複雑なカットを施された指輪の面は、光の当たる角度によっていろんな反射の仕方をするから思わずくるくると見る角度を変えて遊んでしまう。氷だというそれは少しひんやりしているかな? というくらいで私の指を傷めることもなかった。
「世界でお前だけを彩ることができる指輪だ」
「私が唯一のリング台、的な上下関係じゃなくていいの?」
「装飾品が人より上になることはない」
値段とか希少価値とか気にせずつけろって、そう言ってくれてるらしかった。まあ外せないしね。シャワー浴びるの怖いから外してって頼んだときも、「慣れてくれ」の一言で済まされたし。 シルバーアッシュ、指輪外してくれる気ある?
「外す必要があるのか?」
「なんかそれ、渡すときも言ってたね」
プロポーズを断る理由があるのかって。まああれは結局プロポーズじゃなくて全力すぎる成人祝いだったんだけど、成人祝いなら断る理由なんてない。うーん、色々と『
分不相応』だから断りたいっていうお気持ちはあるけど。そうじゃなくて、シルバーアッシュのこの上ない厚意としてなら、私はこれをとんでもなく幸せなことだと受け入れられる。
(でも、あなたは『お返し』を受け取ってくれなかったでしょ)
成人祝いに返礼はいらないって言われてしまったから、私の部屋には先手を打たれて行き場を無くした男物の腕時計がラッピングされたままクローゼットにしまわれている。プロポーズを断る理由があまりに『あんまり』すぎて、私は珍しく言葉を呑み込んだ。反射的に口が動く私にしてはファインプレーだったかもしれない。だってこんなの、「あなたも好きになってくれなきゃ嫌だ」ってことでしょ。プロポーズごっこで一周まわって虚無になるくらいときめいて死にそうだったこの恋心を、危うく吐露してしまうところだった。結局一方通行なんだって口にしてしまうのは、反射で生きてる私でも口を噤めるくらい、とても悲しいことなのだ。シルバーアッシュがこの恋人ごっこのために全力をかけてくれているから、夢みたいなこのごっこ遊びに幸せを感じていたい。垣間見えるゲンジツに不満を漏らすのは、なんかこう、物分りが悪い気がした。
でも、そのわがままを口にしなかったから私はあんな思いをすることになったんだって、数年後の私が教えてくれるはずもなく。シルバーアッシュの探るような視線の意味に全然気付かなかった私は、時には物分りの悪いわがままをぶつけた方がいいこともあるって知らなかったのだ。
240919