あ、と口にした声は重なった。向こうと、私の。ガッツリと視線が合って、思わず立ち止まってしまう。隣にいたシルバーアッシュが『怪訝そうに』目を細めて、予想外の事態に弱いタイプの私はちょっとテンパってしまった。
「知り合いか?」
「あ、うん、その……マールートの時の」
 端的に聞いてくれたシルバーアッシュのおかげで、どうにか冷静に戻れた私は頷く。後半は小声で、少し身をかがめてくれたシルバーアッシュの耳元で囁いた。どうして私がテンパったのかすぐに理解してくれたシルバーアッシュ、やっぱり頭が良くて助かる。『マールート』の顔を知ってる知り合いに、まさかロドスで会うなんて思わなかった。
「ちょっとアイサツしてくるね」
 シルバーアッシュの返事も待たずに駆け出してしまって、直後に後悔する。でもシルバーアッシュは心が広いから、ちょっとした失礼さも許してくれるかな。あんまりそういうのに甘えちゃいけない気もするけど。けど万が一廊下で昔のコードネームを呼ばわれても嫌だから、私は「アイサツ」を優先した。
「あの、えーと、」
「私はコロセラムのままで構いませんよ。そちらは?」
「今はだよ。久しぶりだね、ロドスにいたんだ?」
「ええ。あなたもロドスにいやがったんですか?」
 ばちばちに開いてるピアスに、蛇の形のアクセサリー。そして私と違って微塵も動揺どーよーしてない落ち着いた態度。運び屋をしていたときのレイジアン工業のお得意先、コロセラムだった。私と違って反射的に人のコードネームを呼んだりしないし、何と呼ぶべきか困っていたのを読み取って先回りして教えてくれる。うーん、わざと変わった丁寧語を使ってるところとかも含めて相変わらずだ。私はあんまり頭が良くないけど、私の周りってそのぶん頭がいい人が多い気がする。けれどコロセラムに対しては、話しやすい頭の良さに感じる親しみと同じくらい理由のない苦手意識もあった。たぶん、同年代でめちゃくちゃ落ち着いてて頭がいいからシルバーアッシュや先輩に対するのと違って劣等感れっとーかんみたいなのがあるのかも。それか、単にリーベリ的にフィディアが苦手。
「私はロドス所属じゃないよ。勤め先が……提携てーけー? してるとか、そんな感じ」
「へぇ、あなたが雇われてもいいと思う会社があったんですか。お隣のその人が新しい上司なんです?」
「へっ?」
 コロセラムの言葉に振り向いて、めちゃくちゃびっくりした。シルバーアッシュが私の後ろに立ってた。別に内緒話とかしてたわけじゃないけどすごく驚いてちょっと飛び上がって、コロセラムに笑われた。少しムカつく気持ちもあったけど、その気持ち自体子どもじみていてコロセラムというより自分自身に苛立ちが湧く。うん、やっぱり私、コロセラムのことちょっとだけ苦手かも。話しやすいし、付き合いやすい人なんだけどな。
「えっと……シルバーアッシュ、私の元お得意先のコロセラム。頭が良いのに変な敬語使うけど、できればあんまり気にしないで」
「ああ」
「コロセラム、私の今の上司で雇い主のシルバーアッシュ。ロドスだと有名人ユーメージンだから知ってるかもだけど、カランド貿易の社長。頭が良くてかっこよくて理想的な上司だよ」
「ずいぶん差のある紹介をしやがりますね? 構いませんけど」
 立場の上下と紹介の前後のマナーを間違えていないことを祈りながら、私はシルバーアッシュとコロセラムを引き合わせる。それ以前に私の物言い自体が礼儀レーギも何もあったもんじゃないんだけど、二人ともそこは気にせずフランクすぎる紹介にあっさり頷いてくれていた。私の頭が悪いのは今更だもんね、うん。ちなみにちゃんとした場のアイサツは全部用意された台本を毎回必死に練習してる。私のアイサツなんかより気になることのあるらしいシルバーアッシュが、「ところで……」と目を細めた。
「どういう関係だ?」
「へっ?」
 本日二度目のマヌケな声が出た。浮気を詰められる彼女みたいだ、と思ったけど、実際似たようなトーンだ。私より早くその理由を察したらしいコロセラムが、私たちだけに聞こえる程度の声で指摘してくれる。耳打ちだとますます内緒の関係っぽくて怪しいからかな、気遣いもできるコロセラムってほんとに同年代? ちょっと落ち込んだ。
「『マールート』の顔まで知ってる人はそう多くないでしょうからね、現雇い主としては顔を知られた経緯は気になりやがるでしょう」
「そういうことだ」
 シルバーアッシュがコロセラムの言葉に頷いて、そういうことなんだって私はやっと『合点がいった』。確かに、元お得意先ってだけじゃ顔を見てマールートだって気付く理由にはならないもんね。『マールート』だった私はずっとフルフェイスメットだったし。同じようにお得意だったホワイトさんことヴァイスさんだって、あの倉庫での「運命の出会い」まで私の顔を知らなかったわけだし。特別な仲だって疑われても仕方ない。でも私たち、別に友だちってほど仲良かったわけでもないし、ほとんどお仕事だけでのお付き合いだったし、顔を知られたのも事故みたいなものだし、なんて言ったらいいんだろう? どういうカンケー? 前にもコロセラムが誰かに似たようなことを聞かれて、確かこう答えてた気がする。意味知らないけど、きっとコロセラムが言うならテキカクな言葉なのかも。この短絡的タンラクテキな判断を、私は死ぬほど後悔することになる。
 ――彼女ですか? 俺の……
「『セフレ』? だって言ってたよ」
 私の言葉に、シルバーアッシュは珍しく言葉を失った(後から思えば、ものすごく貴重な瞬間だから写真を撮っとけばよかった)。ここだけカランドに戻ったみたいに、一気に体感温度が下がる。あれ、私ヤバいこと言った? 冷や汗すら凍りつきそうな空気の中で、コロセラムがぶほっと吹き出す。あなた変温動物(じゃないけど!)のくせにこの空気の中でよく笑えるね!?
「よ、よりによってそれ……覚えてやがったんです?」
 声が震えてるのは、どう見ても寒さ(体感)のせいじゃなくて笑ってるせいだった。固まっているシルバーアッシュと、お腹を抱えて震えてるコロセラム。シュラバってこういうこと言うんだっけ、後にして思えば『当たらずとも遠からず』で、けど今は場違いなことを現実逃避みたいに思う。これ、私どうしたらいいの。どうしようもなくておろおろとしてた私は役立たずで、けどシルバーアッシュはそう長くもしないうちに自力で我に返るとコロセラムの方を向いた。
「……が先程の言葉を口にした経緯を説明してもらおう」
 ああ、やっぱりまずいこと言ったんだ。そして私は説明役として不適格フテキカク。元はと言えばコロセラムのせいだし(たぶん)、ふたりで話してくれた方が早いよ。そうして私は知らん顔をしようと思ったけど、まあ、たぶん、後でシルバーアッシュに怒られる。口にした言葉の意味を知った今は思う、あまりにも当然だった。

 コロセラムは、最初は自分のプロジェクトのために私たち運び屋ハールート&マールートを使ってた。朝早くから夜遅くまで仕事場にいて、いつ寝てるんだろうってちょっと気になったくらい。希少性の高い素材や繊細な部品を距離に関わらず安全に運べる私たちを、それはもう重宝ちょーほーしてくれて。私が運んだ荷物をプレゼントみたいに嬉しそうに受け取って、アイサツもそこそこにラボに駆け込んでた。私の仕事は荷物を運ぶまでだったから、クライアントがそれをどう使ってるのかなんて知ろうとしないし、しちゃだめなんだけど。楽しそうに「これで耐熱性が上がる」とか「強度限界を超えられる」とか独り言を漏らして腕の中の荷物に目を輝かせてたコロセラムを見て、この人は研究や開発が本当に楽しいんだなって私まで笑顔になるくらいだった。まあ、ヘルメットの下でだけど。
 けど、そのうちコロセラムはなんていうか、ちょっと変わった。変な敬語を使い始めたのもそのくらいからで、不定期にねじ込まれてた依頼は定期的に、お行儀よくなって、件数も昔に比べれば少なくて。前みたいにすぐラボに駆け込むこともせず、私に「お疲れ様です」と缶コーヒーまで渡してくれるようになったのは落ち着きのある大人への成長と言ってしまえばそれまでだけど、私は何となく、前みたいに私のことなんて視界に入れてるかどうかも危ういくらいの勢いでラボに駆け込んでいくコロセラムの方がいいなって思ってた。まあ、そう思ったところでクライアントはただのクライアントなんだけど。
 私がちょっとしたミスをしてしまったのは、その頃だった。その日は拾ったばかりのハールートがカバンに入ってついてきてしまっていて、しかも私はそれに気付いてなかった。コロセラムへのお届け物の帰りに、たまにはこの辺でご飯を買っていこうと思ったのも良くなかった。焼き立てのパンの匂いにつられたハールートがカバンから飛び出してしまって、ヘルメットのバイザー部分に飛びついてパンをねだってきて。びっくりして大慌ての私は、その場でヘルメットを取ってしまったのだ。
「――あんた、そんな顔してやがったんですね」
 よりによってそのパン屋さんがコロセラムの行きつけだったなんて、誰にも予想できなかったと思う。少なくとも私にはムリだった。それで私は髪の毛をハールートに引っ張られながらパン屋の前でヘルメットを振り回す間抜けな姿を、ばっちりコロセラムに見られてしまったというわけだ。
「――それで『今度飯にでも行きませんか?』って言われたから、ご飯奢ったら顔見たこととか黙っといてくれるのかなって思って」
「あー……まあ、そういうことにしときましょう」
「その約束の場で、彼の知り合いに関係を訊かれたというところか」
「そう! すごいねシルバーアッシュ、『皆まで言わなくても』伝わるんだね」
 何だかコロセラムもシルバーアッシュもビミョーな顔をしてたけど、私はシルバーアッシュの洞察力ドーサツリョクのすごさにはしゃいでいた。コロセラムの指定したお店はそこそこのお値段がしたけど、すごく美味しかった。奢るためとはいえ良いお店を教えてもらえてよかったって、とても感謝したくらい。そういえばその時もコロセラムはなんかヘンな顔してたっけ。まあそれはともかく、(その日は不審者仕様じゃなくてそれなりにおしゃれしていた)私とコロセラムがご飯を食べてるときに、何人かのグループが通りがかって。
『なんだお前、女連れなんて珍しいな?』
『隅に置けないな、紹介してくれよ』
『お前の女か?』
 うるさいな、それが彼らへの第一印象だった。コロセラムの友達か知り合いか知らないけど、人がご飯食べてる時にあからさまに下世話な視線を向けてくるなんて礼儀れーぎ知らずだ。私の顔とスタイルがいいのは認めるけど、これは今日のお出かけが楽しみだったのであって彼らにこんな品定めみたいな目で見られるためじゃない。私は思い切り不快な顔をしたけど、一見にこやかな顔をしたコロセラムも私にはわかる程度の不愉快さを滲ませていた。
『彼女ですか? 俺のセフレですよ』
 その一言で、彼らは静まり返った。気まずそうな顔をして、お互いに目線や肘でつつきあう。私は彼らが大人しくなったのに機嫌を良くしてご飯をモリモリと食べる作業に戻ったけど、それが余計に彼らの居心地を悪くしたみたいだった。薄くスライスされた鱗獣のカルパッチョをもぐもぐと食べてる私と、それをニコニコと見守るコロセラム。正直『セフレ』が何なのかなんて知らなかったけど、誰からともなく黙って私たちに背を向けて去っていった彼らを見て、便利な言葉もあるんだなぁなんて呑気なことを思ったものだった。

「なんて言葉を使ってくれやがりましたの!?」
 シルバーアッシュから端的に『セフレ』の意味を教えられて、私は真っ青になってコロセラムの肩を掴んでガクガクと揺さぶっていた。しかもコロセラムの変な口調が移ってる。シルバーアッシュが私がその言葉の意味をわかってるわけがないと信じて問い質してくれたからいいものの、そうじゃなかったら経歴詐称けいれきさしょーの疑いがかかるところだった。私、処女って申告してたのに! ほんとに処女だったけど!
「まあまあ、嘘だとわかってくれる彼氏さんで良かったじゃないですか」
「シルバーアッシュが誤解なんてするわけないでしょー!」
「……あーあ」
 私に怒られてることより何か気にかかることのあるらしいコロセラムが、諦めたような笑みを浮かべて私の手をやんわりと剥がした。まだ気は収まらなかったけど、コロセラムがあの言葉で私を守ってくれたのは事実だ。コイビトとかトモダチとか曖昧な嘘をついてたら、それを面白がって余計に盛り上がりそうな人たちだったし。
「ああいう下世話な手合いには、求めていた以上の直接的な言葉をぶつけた方がかえって大人しくなるってもんですよ」
「……それはそうだね」
「『自分たちにも貸してくれ』と言われる可能性は考えていなかったのか?」
 コロセラムの言葉に納得した私の横で、何だか私以上に怒っていそうなシルバーアッシュが私の肩を抱いた。まあ、『本当の恋人』としては正当な怒りだ。例えそれがシルバーアッシュと出会う前の話だったとしても、私の風評ふーひょーに傷のつきかねない嘘に怒る権利がシルバーアッシュにはある。そもそも本当の恋人じゃないってことを除けば、だけど。コロセラムは私だったらビビりそうなシルバーアッシュの威圧感にも物怖じせず、まっすぐに相手を見上げる。後で聞いたことだけど、「確かに怖いけど『嫌な』上司に回りくどいことをされるよりマシ」みたいなことを言ってた。
「あいつらにはそんな度胸ありませんよ。相手の出方をわかった上でブラフを切るなんて、貴方様の方がよくやることなんじゃねーですか?」
 なんか、バチッと火花が飛んだ気がした。気のせいかもだけど。なんかコロセラム、シルバーアッシュのこと嫌いなのかな。初対面みたいだし、嫌う理由なんてないと思うけど。
「……何はともあれ、貴殿は『』の『良き友人』であるようだ」
 皮肉かな? いやに特定の単語を強調して言ったシルバーアッシュは、私が見上げるといつもみたいにかっこよく微笑んだ。よくわからないけど、あなたが初対面の人にケンカ売るような物言いするの、珍しいね。
「なんか仲悪そうだけど、私の前でケンカしないでね」
 私のために争わないで、みたいな言葉だけどそれ以上にみみっちいお願いが口をついた。見えないとこでは好きにバチバチしてくれていーから。お互いに言いたいこと我慢してフラストレーションが溜まるの、よくないと思うし。でも見えるとこではやらないでほしい。コロセラムはとりあえず『お友達』という枠でこれからも付き合ってくわけだし、『友達』と『恋人』が見えるとこでケンカしてると、なんか仲裁ちゅーさいしないと気まずいから。
「…………」
「こういうところは変わっていやがりませんね」
「?」
 シルバーアッシュは何も言わなくて、コロセラムは肩を竦めた。とりあえずお腹空いたから、ご飯食べに行こうよ。今日はマッターホルンさんが食堂に立ってるんだってさ。シルバーアッシュがロドスに来るって聞いて、当番に自分をねじ込んだらしい。マッターホルンさんってすごいよね。もし食堂で誰かに関係を聞かれたら、今度は人任せにしないでちゃんと自分で答えるから。コロセラムは今日から私の『お友達』、シルバーアッシュは私の『恋人』、それで問題ないよね?
「お前に言っておきたいことがある」
 ふたりともご飯を食べに行くことには同意どーいしてくれて、シルバーアッシュは歩き出した私の肩を軽く掴むと耳元で囁いた。続いた言葉を聞いて思う、私ってほんとバカだった。


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