※架空の聖杯戦争してます
※京都の人ごめん
※マイルドだけど事故表現あり
︎︎は困っていた。とても、とても困っていた。握られた手には冷や汗が滲み、緊張でドッドッと鼓動がうるさく跳ねる。額に張り付いた横髪を指先で丁寧に退けて、その男はの目を覗き込んだ。
「ああ……あんた、こんな顔をしてたんすね」
︎︎はこの「戦争」に参加するつもりなどなかった。そんな争いがあることすら知らない、平凡な学生だった。概ね善良で、本物の悪意とは縁遠く、少しばかり臆病で。画面の向こうで誰が死のうが他人事としてどこか遠くに感じるような、そんなありふれて愚かな毎日を送っていた。
︎︎それがどうして、愚かで平凡な学生のままでいられなかったのだろう。修学旅行で京都を訪れたたちの乗った飛行機は、とある山中に墜落した。は死ぬはずだったのだ。クラスメイトのように、他の乗客のように、の他には誰一人生き残らなかったあの大事故の犠牲者たちのように。
︎︎が生き残ったのは、奇跡ではあるのだろう。救助隊もすぐには駆け付けられない山の奥、燃え盛る機体の中で、遠のいていく意識。既に周りの者たちは息絶えていて、誰もの声に応えてくれなかった。どこへともなく伸ばしたの手を取ってくれた、セイバーの他には。
『しっかりするんだ、お嬢ちゃん』
︎︎腹に機体の破片が突き刺さっていた。腕の皮膚が爛れて、空気に触れるのもつらかった。それなのにその人は、耐えろと言った。苦しくて苦しくて耐えられなかったけれど、その人は「本当にダメなら、楽にしてあげるから」と言ってくれたから。その言葉を聞いたら怖くなった。生きたいと、願っていた。が手の甲に現れた令呪なるものに気付いたのは、それから何日も経ってからのことだった。
︎︎はセイバーと名乗る『サーヴァント』に救われた。聖杯の慈悲か、気まぐれか。余り物の参加権を押し付けられて、『聖杯戦争』という殺し合いの中で生きるチャンスを与えられた。とはいえの存在意義など、ただの数合わせだ。最優のサーヴァントであるセイバーを擁していようとも、それは覆らない。は殺し合いなどしたくなかった。そもそも、魔術だの魔法だのも知らなかった一般人なのだ。ただ死に損ねて、生まれ持った魔力の多さとやらを聖杯に認識されただけの幸運あるいは悲運の持ち主。けれどが望まなかろうと、最早戻る道は無かった。は死人になってしまったのだ。敵対するマスターの工作で、そう処理されてしまった。死んだことになっている小娘一人が消えたところで、何も問題にならない。誰も気付いてくれない。故郷から遠く離れた土地で、生者としての居場所を奪われて殺し合いの渦中に放り込まれる。そんな異常の中がセイバーを頼りにするのは、至極当たり前のことだったろう。
「だからね、マスターちゃん。僕は救世主じゃなくて、剣士なの」
「でも、セイバー。私のセイバーは、私を助けてくれたもの」
︎︎たった一人に寄り添ってくれる、だけの『セイバー』。彼はをひとりぼっちにしなかった。にはそれだけで十分だった。彼にだって聖杯に懸ける願いがあるから召喚に応じたはずなのに、戦おうともしないを責めることもない。むしろそれが当然だと、逃げたいのなら逃がしてあげると、の望みだけを優先してくれた。
「せっかく生き残ったんだ。命は大事にしなきゃでしょ」
︎︎セイバーはそう微笑んで、の頭を撫でてくれた。もうずっと会えていない父母の手の温もりを思い出して滲んだ涙を、優しく拭ってくれた。「べっぴんさんが台無しだ」なんて言いながらも、気の済むまで泣かせてくれた。セイバーの隣では眠ることができた。炎と痛みの悪夢から、ほんの一時逃れることができた。
「教会を目指そっか、僕たち」
︎︎まるで逃避行のように、プロポーズのように告げられたそれは戦争からの足抜けの提案だった。聖杯戦争のマスターは、監督役に令呪を返還してリタイアすることもできるのだそうだ。は一も二もなく頷いた。ほんの少し――本音を言えばほんの少しどころではなく、かなり――セイバーとの時間に未練を感じてはいたが、は家に帰りたかった。セイバーの腕の中から離れるのは怖かったけれど、それでも両親の腕の中に帰りたかった。殺し合いからの逃亡生活という極限状態において、の精神は既に限界を迎えていたのだ。
︎︎自ら手を下すまでもなく競争相手が消えるのだから放っておいてくれればいいのに、どうにもそうもいかないらしい。不安の種は確実に消しておきたいのか、最優のセイバーを自らの駒にしたいのか。教会への道中、他のマスターとサーヴァントの襲撃に遭って。セイバーは彼らを足止めすると言い、の背中を押した。
「あともうちょっとだから、走るんだ。マスターちゃん」
「すぐに追いつくつもりだけど、俺のことは待たなくていいからな!」
︎︎そうして路地裏を必死に走っていたは、
「――やっと会えましたね、俺のマスター」
︎︎赤い髪の青年に、捕まった。
「わたし……私、あなたのマスターなんかじゃ……」
「嫌っすね、ここまで来てそんなこと言わないでくださいよ」
︎︎にはセイバーがいる。震える声でそう言い募ろうとするも、その青年は聞く耳を持たなかった。「斎藤さんが余計なことするから」と独りごちて、の顔を覗き込む。
「ああ……あんた、こんな顔をしてたんすね」
︎︎ずっと見たかったんです、あんたの顔。美醜が気になるってわけじゃないですけど、やっぱり自分のマスターの顔も知らないってのはどうかと思って。つらつらと並べ立てられるも、の耳には入らなかった。の気を引いたのは、それよりも前の言葉だった。
「はじめさん、なんで知って……」
「え? ︎︎ああ、知り合いなんすよ。生前の縁ってやつですね」
「じゃあ、新選組の、」
「あれ、あの人そっちで名乗ったんですか。あんまり話したがらないかと思ったんですけど」
︎︎青年は寡黙そうな印象に反して、意外なほどペラペラとの疑問に答えてくれた。それは口が軽いと言うよりも、に対してそうするのが当然となぜか思っているようだった。
︎︎セイバーもそうだが、この青年――武器からしておそらくランサーなのだろう。彼も新選組「らしい」格好はしていなかった。正体の秘匿も戦略である聖杯戦争において、自身の出自を大っぴらにするようなあの羽織を着るような馬鹿ではないというだけのことであろうが。しかし、信頼するセイバーの「仲間」であるならもしかして、とは平和ボケした愚かさのまま目の前の男にその頭の緩さを露呈してしまったのである。
「はじめさんの仲間、なら、ここを通してくれますか……?」
「は? ︎︎何言ってるんすか」
︎︎青年は、純粋なほど単純に驚いていた。目を見開いて、きょとんと首を傾げて。そうしていると、凶悪なほど高い身長とは裏腹に可愛らしくさえ思える。けれどの背筋に走ったのは、怖気にも似た悪寒だった。
「ダメっすよ。あんた今日まで、自分のサーヴァントも間違えてたんですから。これからはちゃんと俺のマスターをしてくれないと」
「あの、だから私、あなたのマスターじゃなくて、」
「俺のマスターですよ。他に誰がいるんすか?」
︎︎ガッと、両手で肩を掴まれて顔を覗き込まれる。セイバーよりも背の高いランサーに覆い被さるようにされると圧迫感が息苦しく、何よりその虚無を煮詰めたような底の無い瞳は直視していられそうもなかった。そしてのセイバーは、こんなふうにを扱ったことはない。いつだってを壊れ物のように、箱の中に大切にしまい込むように触れて。こんな熱くて大きな手で、を捕まえることなんてしなかった。
「離して、やだ、セイバー……!」
︎︎が身を捩らせても、肩を掴む手はびくとも動かなかった。がセイバーを呼ぶのを面白くなさそうに目を眇めて、けれどニコ、と口の端を上げて笑う。
「あーあ、斎藤さんも悪い人っすね。人のマスター横取りして、こんなふうに頼られて」
「はじめさんは、私のセイバーで、」
「本当にそう思ってます? ︎︎あんたを死なせてくれなかったようなやつに」
︎︎でも、それでも、に応えてくれたのはセイバーだったのだ。セイバーだけだった。あの火の海で、の手を取ってくれたのは。こんな頭のおかしい『戦争』の中、の味方でいてくれたのは。
︎︎聖杯戦争のサーヴァントは、召喚に用いた媒介か、マスターとの相性で呼ばれるらしい。当然媒介など持っていなかったは、土地の縁と潜在的な願いで彼を呼び寄せた、というのがセイバーの見解だった。京都に縁を持つ新選組、そして、大義や思想など投げ打ってでも生きて逃げたいという願望に適したサーヴァント、その両方に合致したのが『斎藤一』だと。
「違いますよ。あんたは、死にたかったんです」
︎︎けれど赤髪のランサーは、そんなの願いを否定した。肩を掴んでいた手が腕を下り、そして指を絡め合わせるように手を握る。その指先が、ギリ、と赤い令呪に食い込んだ。
「死にたかったんすよ、あんた。周りはみんな死んじまって、痛くて苦しいのにまだ死ねなくて、さっぱり死んじまいたかったんです」
︎︎睦言のように、最上の愛を囁くように、その言葉はどろりとの耳を侵した。決めつけるような言い方に反駁したいのに、かすれた音は僅かに喉を引き攣らせただけだった。
「早く殺してくれって、そうじゃなきゃ一緒に苦しんでくれって。誰か一人でも死ぬまで一緒に泣き喚いてくれって、あんたがそう願ったから俺が呼ばれたんです」
︎︎ぎり、ぎり、とその爪はもはや皮膚を抉るように。結ばれた契約を剥がして、自らを刻み込むように。その痛みと共に、呪いのような言葉はの頭にじわじわと広がっていった。心にも無いはずのことなのに、まるで自分の隠していた願望を丁寧に磨き上げて差し出されたような、そんな気持ちだった。
「俺があんたの願い、叶えてやりますよ。ね、『マスター』」
︎︎だから、と額がくっつきそうなほど顔を近付けられる。一方的にギチギチと握られている指は熱くて湿っていて、サーヴァントも汗ばむのか、などと馬鹿げた思考が頭をよぎった。
「俺をあんたのものだって認めてください。そしたら、ずっと一緒に焼かれてやりますから」
︎︎令呪の下に残った、引き攣った火傷跡。セイバーが包帯を巻いて隠してくれたそれを、ランサーは暴き立てて、爪を立てて。そして何よりも愛おしそうに、指先でそうっと撫でてくれたのだった。
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