田崎のへの興味は、尽きることがなかった。父親から聞いた過去を、自身の口から聞き出したい。難解なゲームに挑むように、田崎はを暴くことを愉しんでいた。機関生に近頃付き合いが悪いと揶揄されたりもしたが、「解けそうな問題があるんだ」とだけ答えてそれ以上は語らなかった。悍ましい父の血を受けた赤子が腹の中でどんどん大きくなっていく間、どんな気持ちでそれを抱えていたのか。きょうだいにして我が子であるその赤子を手にかけたとき、どんな思いでその命を摘んだのか。それを知れたなら、この高揚も収まるだろう。
 田崎はまるでの本当の父親のように、を可愛がってみた。貸し切りにも関わらずただ添い寝をして髪を撫でてやったり、枕物語におとぎ話をいくつも聞かせてやったり。手品を見たことがないのか、トランプや鳩で簡単なものを見せてやるだけで目を真ん丸にして感嘆の声を上げるのは気分が良かった。街を連れ歩いて観劇をさせたり、甘いものを買い与えてやったりもした。古着の着物しか持っていないに洋装をさせて髪や化粧なども今風に整えてやるのは、なかなか純粋に悪い気もしなかった。は控えめでおっとりとした性格のせいか、育ちや職業のわりに令嬢じみた所作が様になる。ぎこちないをフォローしてやってあれこれとものを教えるのは、まさに親子ごっこのようで楽しかった。はいつもの微笑みを浮かべながらも困惑を隠さなかったが、田崎は構わずに優しくした。そして時々ふと思い出したように、を抱いては泣かせた。それを繰り返すうちに、は段々田崎を避ける素振りを見せ始めた。傷を抉るのも労わるように優しく触れるのも、全て田崎なのだ。小さなこどもの形をした化け物を押し込めて保っている『自分』が、擦り切れて消耗していく。ある日とうとうは、田崎の前でぽろぽろと子どものように泣きながら懇願した。
「おねがいします、田崎さん。もう、これ以上ひどくやさしくしないでください」
 まるで自分が、ありふれた幸せなこどもだと錯覚しそうになる。まるで自分が、永遠に救われないこどもだと錯覚しそうになる。ここにいる『自分』が、わからなくなる。そして今在る『自分』を見失ってしまったとき、何かとても恐ろしいことが起こる気がしてならないのだ。ぐすぐすと頑是無いこどものように泣きじゃくるの額に唇を寄せると、はより一層激しく泣きじゃくった。素肌同士を隙間なく密着させるように抱き寄せながら、聖女のようだとまで言われているこの女の泣く姿を知っているのは自分だけなのだという優越感が唇を歪ませるのを自覚した。
「もう、こないでください、わたしをほうっておいてください、わたしは、」
「…………」
「わたしは、ひとに、なりたいんです……!」
 ふ、と思わず口角が吊り上がる。酷薄な笑みを浮かべて、田崎はを組み敷いた。正面から向き合って、哀れなほど綺麗な瞳を見下ろす。
「ひとに成れる、つもりでいたのか。でも駄目だ」
 絶えず涙を溢れさせていた瞳が、凍りつく。父親のつけた傷を抉るだけでは、もう物足りない。自分でつけた傷なればこそ、開いて塩を塗りこむのも愉しいだろう。震える肌を優しく優しく撫でて、呼吸を奪うように口付けた。
「俺は怪物の、お前が欲しい」
 ***
 安普請の旅館の、床が軋む。締めた首が、ひくりと動いた。浮き上がる体が、薄明かりの中で艶かしく鈍い白を魅せる。生かさず殺さず、ただぎりぎりのところで犯し続ける。弛緩しきった体は、田崎に貪られるままに生理的な痙攣を繰り返した。折れそうなほどに細い首に絡みついた指は、いたぶるように頚動脈をなぞる。びくびくと震えた女の瞳は、既に正気を映していなかった。
「こんなにされても、感じるのか。可哀想なくらいだな」
 きゅうきゅうと絡みつく襞を、揶揄して笑う。はく、と動いた唇は、もしかしたら抗議の言葉を紡ごうとしていたのかもしれない。愛液と混ざり合った精液が、腰を打ち付けるたび聞くに耐えない水音を跳ねさせた。縋るように収縮する膣が、田崎のものを強く締め付ける。心が砕けたように虚ろな目をしておいて、とめどなく涙を溢れさせていておいて、それでもの表情は快楽に溺れる女のそれだった。
柔らかな乳房が、抽挿に合わせて蠱惑的に揺れる。その先端に吸い付いて、胸の飾りを舐め転がした。肩を竦めたの体は、ぶるぶると震えている。弱いところを集中的に突いて責め立てると、笑ってしまうほど呆気なくは達する。程良く肉のついた滑らかな太腿は、どちらのものともつかない体液でべたべたになってしまっていた。中に挿れたまま対面座位の形にを抱き上げて、汗と涙の伝う頬を撫でる。
、お前に訊きたいことがあるんだ」
 ぼんやりと靄のかかったような瞳が、緩慢に田崎へと焦点を合わせる。首を絞める指の力を僅かに緩めてやると、ひゅうっと掠れた音が鳴った。
「こどもがこの胎にいたとき、どんな気持ちでそれを見守っていた? 産み落とした我が子を手にかけたとき、どんな表情でそれを見送った? ――教えてくれないか」
 甘く甘く、毒を囁く。田崎の陰茎を押し込まれてぼこりと膨れた腹を、触れるか触れないかといった手付きでそっと撫で回した。紅も差していないのにやけに鮮やかな唇が、躊躇うように開閉を繰り返す。ぽつりと、薄ら寒いほど静かな声で、は答えを落とした。
「こわかった」
 凪いだ瞳が、田崎の姿を映すことを厭うてスッと視線を逸らす。背筋が寒くなるほどに、美しい声だった。
「怖い?」
「こわかった。こわかった、の」
 悍ましい、父に孕まされたこどもが。ただでさえ碌に食べられないせいで痩せっぽちだった体が、望みもしない赤子のためにますますやせ細っていくのが。身重にも関わらず暴力を振るわれ犯されもしたのに、流れもしない我が子が。こんなに恨めしくて憎らしいのに、自分の腹を痛めたというだけで愛してしまいそうになるのが。縊り殺して冷たくなった小さな命を見下ろして、安堵している自分が。あの恐ろしい父などの子のために、泣いている自分が。
――全てが、怖くて仕方なかったのだ。あの日自分がひとになりたかったのだと気付きさえしなかったのなら、そのまま化け物に成りきれただろうに。
田崎の言う通りなのだ。自分はひとになどなれない。遠いと思っていた道は、そもそも目的地さえ幻だったのだ。自分はとっくに、化け物だった。ずっとずっと、そうだった。愛されなかった自分のために、愛せなかったこどものために、いくら『母』の真似事をしてみたところで。はひとになど、なれやしないのだ。一生気付きたくなどなかった事実に、は唇を噛んで俯いた。あと一つの罅で、孵る。色を失くした表情に唇を歪めた田崎は、その亀裂を入れるために口を開いた。
「最後に、もう一つ」
「……?」
「俺のことを、怖いと思うか?」
 思えばの父は、人でなしではあっても化け物ではなかったのだろう。の両親は、悍ましいまでにただの人間だった。人間らしく、醜悪だった。の孕んだ、名も無い赤子も。ただ独りだけが、どうしようもなく化け物だったのだ。
田崎の問いに、はふわりと微笑む。それは純粋で素朴で、あたりまえに満ち足りた、穏やかな微笑みだった。
「……いいえ、怖くありません。些とも怖く、ありません」
 そうか、答えた田崎の声はひどく淡々としていた。けれどその実、あれほど飢え渇くように浮かされていた熱は消え失せて。だが、飽きたのではない、失望したのでもない。田崎は確かに、満たされていた。目の前の女の、絶望に。
優しくを抱え直して、労わるようにその首を撫でる。くっきりと広がる赤い痣が、首輪のようだった。その痣に唇を寄せ、ちゅうっと音を立てて吸い付く。は、とめどなく泣いていた。化け物を愛せるのは、化け物だけ。化け物が怖くないのは、自分自身が化け物だから。過去を暴き立て、傷を抉り、その痛みを愉悦とするような恐ろしい男と、自分が同じ生き物だと気付いてしまった。一度たりとも夢見たことがないとは言わせない、普通の人と結ばれて、普通の子を産んで、当たり前のようなありふれた幸せを。それが到底叶わない幻だと、解ってしまった。ひとになれない。ひとと結ばれることもできない。は一生ひとを恐れて、夢見た未来を得られることなどなく生きるのだ。
ひとに虐げられ、ひとを夢見た化け物。そんなを、田崎は嫌味なほどに優しく抱いた。もうの体はすっかり田崎の手に落ちていて、何もされても田崎を愉しませる反応ばかり返してしまう。同じなんかじゃない、そう思っていたかった。けれど、唯一の番を見つけた獣のように体は目の前の男を求めている。それが悲しくて、悲しくて――認めたくなどないけれど、ほんの少しだけ、嬉しかった。
 
170513
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