「あなたのことが好きなんだ」
 切なさと愛しさが込められた、力強い声。情熱に赤く染まった頬と、真摯な愛情をありありと映した瞳。真っ赤な薔薇を差し出す腕は、と比べるとまるで丸太と枯れ木のようだ。恵まれた体躯が目の前にそびえ立っているだけで臆病なは回れ右して逃げ出したくなるが、生憎と愛を乞う純朴な青年を無視して逃げ出せるほどの神経は太くなかった。
「俺と、結婚を前提に付き合ってください」
 できません、そうはっきりと言いたいのに、喉が震えて声が出せない。考えさせてくださいと、必死に絞り出した声は蚊の泣くような音だった。
 ***
 白竜騎士団副団長ヴェイン、彼はフェードラッヘの民たちにも騎士団の面々にも慕われる立派な騎士だ。義に厚く、面倒見が良く、勇猛果敢。騎士団長のランスロットをその真っ直ぐさと底抜けの明るさで支え、騎士たちによく目を配り、民と国を愛し守る。ランスロットと在り方は少し異なるが、彼もまた「理想の騎士」である人間だろう。
対するは、ただの薬師だ。垢抜けない容姿、薬草の匂いの染みついた服。城の片隅で毎日患者と薬草を相手にしていて、恋人どころか同じ年頃の友達さえほとんどいない。どう考えても、好意を持たれる理由などなかった。確かに白竜騎士団の手当てをする機会は多いが、など薬師Aくらいの認識だとばかり思っていたのに。そういえば最近ヴェインがわりと軽度の怪我で頻繁にやってくるなあとは思っていたが、その程度だった。
「あ、あの人! ヴェイン班長の好きな人!」
「アーサー、声が大きい」
「ぼ、僕は未来の奥さんだって聞いたけど……」
「何だ、まだ付き合ってもいないのにそんな噂が流れてんのか」
 ちっとも声が潜められていないひそひそ話に、は思わず薬草の調合を間違えそうになった。ちらりと横目で見れば、ちびっ子が四人。ヴェインが受け持つ班の、騎士見習いたちだった。隠す気がないにせよあるにせよ、その目にはありありと「班長の想い人」に対する好奇心が現れている。一方的な罪悪感と気まずさを覚えて、は努めてすり鉢の中身に意識を集中させた。
あそこまであからさまではないが、このところああやってを見に来る人間が増えた。そのほとんどは騎士団の人間で、ヴェインは慕われているのだなと思う反面、地味に精神を削られる。まるで珍獣にでもなったような気分だ。騎士団の人間は皆人のいい副団長に訪れた春を我が事のように喜んでいて、が戸惑いつつもいつかはヴェインの求愛に応えるものだと思っている。その期待が、には重かった。
「……ふう」
 一心不乱に薬草をごりごりと摺っていると、少し気持ちが落ち着く。けれど、どうしても胸の奥底に沈むような気持ちは晴れなくて。この前も、白竜騎士団の団長であるランスロットが直々にやって来て、彼から見たヴェインの美点や微笑ましいエピソードなどを一生懸命に語ってくれた。彼なりに、幼馴染であり親友であるヴェインの恋路を応援したかったのだろう。途中で真っ赤な顔をしたヴェインが現れて、何度も謝りながらランスロットを引き摺って帰っていった。
また違う日には、自信に満ち溢れた顔をした真っ赤な髪の人がやって来て、の仕事を横からずっと見ていた。ひどく威圧感のあるその人が怖くて仕方なかったが、「駄犬にしては見る目がある」という言葉は恐らくその人なりに褒めてくれたつもりなのだろう。「俺の家臣にならないか」と連れて行かれそうになったが、大慌てで駆け付けたヴェインが何とか阻止してくれた。
そしてつい昨日には、あの英雄ジークフリートまでやって来た。「ヴェインをよろしく頼む」と頭を下げられてしまい、一介の薬師であるは心臓が止まりそうになった。息子を案ずる父親のようだと思ったがそれどころではなく、やはり駆け付けたヴェインが「ジークフリートさん! が! 泣きそう!」とそれこそ泣きそうな顔で懇願して英雄の頭を上げさせてくれた。
(……重い、なあ)
 そんなことは、口が裂けても言えないけれど。
ヴェインはいい人だ。にはあまりにも勿体無い好青年だ。騎士団の人たちが次から次へとやってくるのも、ひとえにヴェインの人望だろう。それにヴェインは、騎士団のことでが困らないようにと心を砕いてくれている。この上で不満を言うのは、あまりにも恥知らずだろう。
何故ヴェインにいい返事をしてあげないのかと、騎空団の無邪気な青色の少女は言った。悪意はなく、純然たる疑問からの言葉だった。それを窘めた綺麗な騎士の人も、彼のことが嫌いではないのだろう? と問うた。嫌いなわけがないと、は曖昧に笑った。眼帯をした初老の男性が、「ヴェインの想い人」に興味津々な騎空団の面々を宥めて、さり気なく他所へとやってくれた。「好きか嫌いかだけで、語れることじゃねえわな」と目を細めた男性の言葉が、の呼吸を少し楽にしてくれた。
(嫌いじゃ、ないけれど)
 むしろ、好きか嫌いかでいえば好きな部類だろう。そこに恋愛感情はないけれど。尊敬もしているし、憧れもある。
けれど少し、眩しいのだ。ヴェインを前にしていると、胸に重苦しい息が詰まって上手に呼吸ができなくなる。それは恋するがゆえのときめきだとかそんな甘酸っぱいものではなくて、むしろ後暗い気持ちのためにそうなるのだ。
ヴェインは、裏表のない人だ。白黒がぱっきりと分かれている。それに、根っから善性の塊のような人間だ。ヴェインの目を見ていると、落ち着かなくなる。自分の嫌なところや目を背けたいことまで容赦なく光を当てられそうで、怖くなる。被害妄想だとはわかっていたが、は寂しくてもいいから人とは深く関わらずに静かに生きたかった。誰にも注目されずに、草木を相手にして空気のようにひっそりと生きたかった。ヴェインが傍にいると、それが叶わない。眩しい太陽の光で、干上がってしまいそうだ。こんなことを率直に伝えてヴェインの愛を拒絶すれば、彼の周りの人間はを責めるだろう。それもまた、怖かった。
「……城を、出ようかな」
 ぽつりと呟いた声は、ただの思いつきだった。けれど、それもいいかもしれない。どこか遠いところに行って、人里離れた森や山の中で、ひっそりと暮らそう。せめて断りの言葉だけでも、ヴェインに残して。そう思ったの耳に、がちゃんと陶器の割れる音が届いた。
「……!?」
 驚いて振り向けば、そこにはお菓子の入った籠を手にしたヴェインが、愕然とした表情で立っていて。石の床に、ヴェインの落としたマグカップが割れて転がっていた。溢れる中身は、ココアだろうか。片付けなきゃ、と思ったが動くよりも先に、ヴェインが足を踏み出した。
「城を出るって、どうして」
「! 聞いて、」
「俺の、せいか? 俺の告白が、迷惑だったんだよな、俺のせいで、いろんな人が来たから」
「それは、その、」
 放るようにお菓子の籠を置いたヴェインが、大股で歩み寄ってきての肩を掴んだ。大きな手は簡単にの肩を包み込んでしまって、は身じろぎもできなくなる。怯えて身を竦ませるに、ヴェインの顔はくしゃりと歪んだ。
「出て行かないでくれ、頼む。迷惑だったなら、もう話しかけたりしないから。皆にも、俺がちゃんと言うから。俺の顔も見たくないなら、国外の任務に出してもらうから。頼むから、出て行くなんて言わないでくれ……!」
 必死に言い募るヴェインに掴まれた肩が痛い。泣きそうなヴェインの表情に、ズキズキと胸が痛んだ。
「頼む、教えてくれ。どうしたら、ここにいてくれる? 俺、何でもするから、お願い、」
「…………」
「恋人になってくれなくていい、ただ、ここにいてほしいんだ。俺の帰る場所にいてほしい、それだけでいいから」
 泣き出したヴェインに、ただ思いついて言ってみただけだと宥めようとしたは手を伸ばす。その手をがしっと掴んだヴェインの手の熱さに、背筋がぞわりと冷えた。
「いなくなるなら、探しに行く。何度だって連れ戻す。はここにいてくれなきゃ嫌だ」
「ヴェイン、さん……?」
「どこまでも、追いかけるから」
 怖い。大きな体をして幼い少年のように泣く何歳も年上の青年が、ぼろぼろと涙を溢れさせる瞳には何一つ淀みなどなくて。澄み切ったその目と、純粋な熱。澱んだものなど何もないのに、ただ怖かった。
「……ごめんな、急に。俺が片付けるから、座っててくれ。ココアとクッキーが好きだって聞いて、作ってきたんだ。入れ直してくるよ」
 すっと立ち上がって、ヴェインはにっこり笑う。唐突な変化についていけず、手を離されたはその場にへたり込んだ。今のは、何だったのだろう。カタカタと鳴る音が自分の震える歯の音だと気付いたのは、ヴェインがマグカップを割ったあとを片付けて部屋から出て行ってようやくのことだった。
 ***
「俺と、結婚してください」
 翌日、跪いて手を取ったヴェインに、は眩暈がしそうになった。もっとも手っ取り早い方法でをこの場所に縛り付けに来たヴェインの瞳は、の答えに怯えて震えていた。城の者が向ける好奇と期待の目が、に突き刺さる。けれど今となっては、ヴェインの方がよほど怖かった。ヴェインにとって、この求婚を断ることはがここからいなくなるのと同義だ。首を振った瞬間に恐ろしい魔物でも現れるような気さえして、ひゅっと喉が引き攣った音を立てた。
「あなたを、愛してる」
 ヴェインの感情は、本物だ。混じりけのない、純粋な愛情。だからこそ、怖い。
「頷いてくれ、
 は普通の人間だ。ここで首を横に振ることへの恐怖に、耐えられなかった。
「……はい」
「……っ!! ありがとう、! 愛してる!」
 震えながら頷いたに、破顔したヴェインががばりと抱きつく。冷やかしや歓声の中で、ありがとうと繰り返すヴェインの声が呪いのように耳に焼き付いた。ぎゅうっと強く抱き締められて、心の奥底から冷えていく。神様がいるのなら恨みたかった。何故こんな純粋すぎるが故に恐ろしい人に、愛など抱かれてしまったのか。感極まって泣き出したヴェインの涙を、そっと拭う。その涙は、当たり前のように温かかった。
 
180102
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