「はせべ、はせべ」
「どうしたんですか? 主は本当に俺がいないとだめですね」
「そうだよ長谷部、はせべがいないとダメで、駄目すぎてしんじゃいそう」
 主にあるまじき弱音だというのに、長谷部はにこにこと心底嬉しそうに主の世話を焼いている。はまるで駄目な審神者だ。一に怠惰、二に惰眠。三と四が気分屋で五に飽き性だ。刀剣の蒐集にも練度上げレベリングにも熱心ではなく、最近はもはや政府が時折見かねて寄越す配布ログボ以外で新顔を見た覚えがない。極も数人しかおらず、特別任務イベントも完走できない。「自分たちのできる範囲で」と言えば聞こえはいいものの、結局は厚樫山より先に進む気がさして無いのだ。池田屋はどうにか制圧したものの、特別任務のある期間以外は寝そべりながら「今日も厚樫山で」と熟練カンスト部隊に欠伸混じりに変わらぬ指示を出す毎日である。当然何度も出陣していることから検非違使に居場所が割れて襲撃には遭っているのだが、怠惰極まる主は丈夫な太刀と大太刀という厚樫山専用脳筋編成に固めて特別な指示を出さずとも突破できるようにしていた。周りの優秀な審神者たちは既に極短刀部隊が主流となっているのに、見事に時代に乗り遅れている。どうにもやる気も覇気もない主だが、呼び出した主には嫌悪を抱けないようになっているのかそれとも諦めてしまっているのか、この本丸の刀剣たちはすっかり怠惰な主に適応して自主性を育んでいた。「すろーらいふというやつだな」と三日月は平和に置き物になっているし、同田貫や山伏などはありあまる筋力を鍛錬や猪狩りで発散している。監査官上がりの長義ですら、主の無駄に多い蔵書を拝借して暇潰しとすることに何の躊躇いもなくなっていた。短刀たちは日々新しい遊びを開発することに邁進しているし、料理好きの連中は戦場より厨にいる時間の方が長くなっているのではないかとまで言われている。いろんな意味で審神者としての能力を疑われそうなだが、霊力量が無駄に多く、最低限の任務ノルマはいつも果たしているために目こぼしされていた。政府もという審神者には苛烈な戦場での活躍ではなく、緊急時の『霊力電池』としての役割しか期待していないのだろう。こうして今日もは、万年布団に寝そべって長谷部に甲斐甲斐しく世話を焼かれている。は自分が怠けるための判断には優れているから、自分を甘やかしてくれる長谷部を近侍に置いたのはつまりそういうことである。万年布団も実のところ、毎日きちんとお天道様に干されたものと交換されている。交換の際には長谷部がきっちりと布団を敷き、ずりずりと這いずって移動しようとするを「主の肌に畳の跡が残ってはいけませんから」と抱き上げて移動させてやる始末だ。「主は病気ではないんだよね?」と石切丸が確認しに来たのも一度や二度ではなく、その度に完全介護生活を見ては「怠けはさすがに斬れないな」と祈祷に戻ってしまうのだった。
「はせべ、はせべ、データが飛んだ。しにたい」
「大丈夫ですよ主、俺が『アカウント連携』を済ませておきましたから。死にたいなどとおっしゃらないでください」
「うん、はせべだいすきー」
 ありがとー、とは長谷部の頭をわしゃわしゃと撫でる。視線はタブレットに向いたままである。けれど長谷部はそれはもう満足そうな顔をして、が撫でやすいように身を低くしてやっていた。この寝そべり女王様が褒めてくれることが、長谷部にとって至上の喜びなのだ。
「はせべ、煽られた。泣きたい」
「主を煽った者のアカウントが消えるまで、俺が粘着して差し上げましょうか?」
「それはいい。はせべ、よしよしして」
 対戦ゲームのアプリを閉じたが、ゴロンと転がって長谷部の膝に頭を寄せる。寝乱れた浴衣をいやらしさなど微塵も感じさせない手つきで直してやって、長谷部はの頭を優しく撫でた。こんなものぐさでだらしない主だというのに、近侍だからと長谷部はいつも正装で傍に控えている。手袋に包まれた大きな手が、形のいい頭を撫でては髪を直す。食事をして眠っているだけの動物のようなこの審神者を、長谷部は心から慕っていた。
「主は世界で一等尊い方ですよ」
「はせべは私のことがだいすきだね」
「はい、長谷部は主のことをお慕いしております」
「うん、いいよ。ゆるす」
「ありがとうございます、主。貴方を慕うことを、お許しいただいて」
 苦労をひとつも知らないような小さく柔らかい手を取って、その甲に口付ける。案外は、こうした「主従ごっこ」を許容してくれる。忠誠だとかそういうものを、面倒くさそうに思っていそうなものだが。「だってはせべ、私がすきなんでしょう」と、長谷部がを慕うゆえにすることは『面倒』の限界値を超えない限りはだいたい付き合ってくれるのだ。
「私ははせべがいないと生きていけないから」
 淡々と、真顔で、気だるそうな声色では長谷部を見上げた。依存の色ですらない、親愛も何も宿っていない。人に対する形容詞や動詞は使ってくれるものの、にとって長谷部も皆もただの道具なのだ。そしてそれを解っていて、長谷部は主を愛している。
「私のために、ここにいてね」
「はい、主。もちろんです」
 長谷部が綻ぶように笑って命令に頷くと、はごろりと元の場所に戻ってまたゲームを起動させる。は頭がいいから、きちんとしたゲーム性があるものを好む。それでいて気分屋で飽きっぽいから、いくつもダウンロードしたゲームを気の向くままに選んでいるのだ。そんなが、初期刀である歌仙から長谷部に近侍を変えて以来一度も他の刀にその座を渡したことはない。この刀が、誰よりもの怠惰を受け入れてありのままに肯定し、自分の意に沿って動くことを知っているのだ。本当に、怠けることに関しては頭の回る御仁だ。そしてそんな主に、一番使える刀として傍に置かれていることが誇りであり幸福で。長谷部たちは刀だ。少なくともこの本丸にいるあらゆる刀剣は、自分たちがただの器物だということを理解していて人の暮らしを謳歌している。滑稽で、愉快な真似事。主は本気で、この戦争を馬鹿馬鹿しいと思っている。他の審神者たちが死に物狂いで戦っているのを、ありがたいことだと思っている。自分がやらなくても、誰かがやる。それならば自分が、苦労や悲しみを背負って進む必要などないだろう。主が布団を片付けなくなったのは、歌仙が初めての出陣で重傷に追い込まれたその日からだそうだ。こんのすけの指示で歌仙が折れかけたとき、主がどんな顔をしていたのか長谷部は知らない。それを知るのは、人の身を得てすぐに死の実感を思い知らされた歌仙だけだ。臆病、なのではなく。ただ、本当にやる気だの意欲だというものを永遠に失ってしまった。「せかいなんて誰かが救ってくれるよ」とは、主の迷言の五本指に入る言葉である。
「主、出陣した部隊が帰還したようです」
「怪我、ある?」
「検非違使の槍使いに負わされた傷が多少。軽傷にも至っていません。刀装に損害なし、いつも通りの戦果です」
「そう」
 報告しなくてもいいよ、と主が言ったことはない。いつも同じ結果になることがわかりきっていて、それでも。とはいえ細かい事後処理は長谷部に丸投げであるし、報告書を認めるのは長義であるが。良かった、とも何ともは言わない。当たり前の結果を当たり前のように受け止めて、また液晶に視線を戻してしまう。惰性と停滞の本丸だが、長谷部がそれを厭うことは永劫に無いのだろう。このどうしようもない人の元に顕現した日から、長谷部はこの覇気のない怠け者の所有物だ。仮初の生をこの主に捧げることは、長谷部の本望である。
「はせべ、抱っこ」
「手入れに行かれますか?」
「うん、暇になったから」
 自分の足で歩く気もないは、両手をだらりと伸ばして長谷部に抱っこを求める。それに心底嬉しそうに頷いた長谷部は、その貧弱な体を丁寧に抱き上げた。この世でたったひとつ長谷部が望むものがあるとするなら、この主の歓心だ。それさえ得られるのなら、戦いの行く末がどうなろうとどうでもいいとさえ思っていた。
 
220111
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