男の子なんて本当に可愛くない、それがの口癖だった。服よりお菓子よりポケモンバトルのことばかりで、チャンピオンになってからはロクに家にも帰ってこなくて。たまに顔を見せたかと思えば、「もバトルを始めよう!」ととイーブイを外に連れ出そうとするのだ。この子は臆病でバトルが嫌いだからやめて、と言えば「臆病ならエーフィやサンダースに進化するのが向いていると思うぞ」と善意100%の育成論を教えてくれる。全く勘弁してもらいたい。イーブイはの膝に乗ってブラッシングされるのが大好きで、草むらには近付こうともしない。ダンデはイーブイのためにありとあらゆる進化の石を持ってきてくれたしバトルにも付き合うと笑ったが、今の自分のもこもことした首周りの可愛らしさが気に入っているらしいイーブイにはそっぽを向かれていた。それにとおばあちゃんがあの大量のキャップが埃を被らないようにこまめに掃除してあげているというのに、ダンデはブティックで服を手に悩むに「どっちも大して変わらないのに何を悩むんだ?」などと失礼極まりない言葉をかけるのだ。
「うわ、ダンデくんひどいね。女心をわかってない!」
「ねー! 自分は似たような帽子をあんなに集めてるのに。無理して付き合ってくれなくていいからバトルでもしに行けば、って言ったら『母さんに頼まれてるから』って居座るし、そのくせソワソワうずうず外を見てるし」
ちゃんに対してもそうなんだ!? もういっそバトルしに行ってくれた方がこっちも気楽なのにねー」
「紳士の国だからね、一応……」
 ソニアとお茶をしながら、大きい方の弟についての愚痴を零す。あのデリカシーがなくて方向音痴でバトル馬鹿な弟に比べて、ソニアのなんと可愛いことか。柔らかくてお花の匂いがして、ファッションや流行りモノの話も心底楽しそうに付き合ってくれる。それに何よりソニアはポケモンバトルもするけれど、にそれを押し付けないのだ。「本当に大切にされてるね、君」とイーブイの柔らかな毛並みに目を細めたソニアは、の最大の理解者だった。
「ソニアちゃんが妹だったら良かったのに」
「あはは! でも私も、ちゃんとこうして姉妹みたいなお友達でいられて嬉しいよ」
「ソニアちゃん……!」
「今度、私の友達のルリナって子も連れてくるね。きっと楽しいよ」
 優しくて活発で可愛いソニア。彼女の気遣いと好意が嬉しくて、はぎゅうっとソニアに抱き着いたのだった。
 ***
 うちの小さな弟が本当に可愛い、それが最近のの口癖だった。口を開けばポケモンと兄の話ばかりだけれどそれすら可愛くて、毎日の隣でウールーのブラッシングに励んでは「今日は姉ちゃんより上手くできたか!?」と張り合ってくるのだから愛おしい。「俺、服のことよくわかんないけど姉ちゃんが選ぶなら任せるよ」ともじもじしながらブティックについて来て服を見立てさせてくれるところもいじらしいし、ポケモンバトルができないに「じゃあ俺が姉ちゃんのこと守ってやるからな!」とウールーと共に胸を張る姿など、もう捕まえてうりうりと撫で回したくなる可愛らしさだ。実際は、ホップによく抱きついては撫で回しているのだが。そろそろ多感な時期に差しかかるお年頃だろうに、「ハロンの外ではやめるんだぞ……」と顔を赤くしてモゴモゴ言いつつも大人しく受け入れてくれるのだ。
 そんなふうに小さな弟のことを語るのを、ニコニコと笑顔で見守る。家業の傍らブラッシータウンでポケモン用の小さなサロンを営んでいるは昔より忙しくなったが、相変わらずツヤツヤの毛並みをしたイーブイと共によく研究所を訪れてくれる。ついでにワンパチの毛並みも整えてくれるし、ソニアにとってはとのお茶会の時間は相変わらず楽しみの一つだった。
は相変わらずホップのことを溺愛してんのねー」
「可愛いもの、ホップ」
「『また弟!?』って泣きながらうちに来た日が懐かしいな」
「だってダンデにそっくりだったし……」
 は隔世遺伝なのか、肌の色も目の色も他の家族とは違う。けれど困ったようにくしゃりと笑う顔はホップとよく似ていて、容姿こそ兄弟そっくりと言えど本質的にはとホップの方が近いのかもしれないな、とソニアは思った。
「まあ、歳が離れてるから可愛く見えるのもあるんだろうけど」
「お、急に冷静」
「だって、ダンデは年子だし昔から身長も大きくて、弟っていうよりスクールの同級生みたいで……」
「ああ、それはわかるかも。しかも空気が読めなくてデリカシーもなくて、女子のヒンシュクは買うのに妙に男子や先生にはウケがいいタイプ」
 そうそう、とは小さく溜め息を吐いてカップに口をつける。昔からダンデはに対して「姉貴」とこそ呼ぶものの扱いは対等なそれで、母や祖父母に対するような聞き分けの良さはなく。教室の隅っこで静かに読書をしている子をぐいぐいと善意で引っ張り外でのかけっこに参加させるようなダンデの態度は、なんというかやはり同級生に対するようなそれだった。ソニアに対してもそういう節があったが、やはり血縁のせいかには本当に遠慮がない。
「ホウエンやシンオウに行けば違う形のポケモンとの『いちばん』もあるんだって言ってるのに、いつもバトルの話を持ちかけてくるし」
 例えばそれをソニアが発案すれば、それもまたソニアの選択だとダンデは道が分かたれることを惜しみつつも笑顔で応援するのだろう。けれどどうしたことか、ダンデはに対しては意固地だ。バトルの話をする時はいつもにこやかに明るい様子だからわかりにくいが、あれは完全に意地になっている者のそれだった。
「それにしてもホップ、の前だとずいぶん可愛い態度なのね」
「? ホップはいつでも可愛いよ」
「あいつ、あなたのいないとこだと結構生意気だよ? まあ、可愛がった分懐かれてるようで何よりだわ」
 例えばソニアがホップに抱きつこうものなら(からかう以外の目的でそんなことをしないからだが)、ホップは「やめるんだぞ!」と顔を真っ赤にして逃げるはずだ。天真爛漫な姉とマイペースな兄の下に生まれたせいか、ホップはが思っているより大人びて常識的な子どもに育った。ませた物言いを覚え、いっぱしの口をきくようになった彼がの前では「子ども」であることを受け入れているのは、ホップなりにの愛情を理解し報いようとしているからだろう。いい姉弟だとは思いつつも、そこに並ぶべきもう一人の姿がどうにも噛み合わなくてソニアは苦笑してしまう。別にとホップはダンデを疎外しているわけではない。ダンデが先にとホップを置いていったのだと、そう弾劾するつもりもない。ただ、なるようになってしまっただけだ。ダンデはとあまりに近すぎたし、そうかと思えば突然遠くへ行ってしまった。ダンデとは不仲というわけでもないが、多感な時期に離れていたがゆえに姉弟というよりは同じ街に住んでいた子ども程度の距離感になっている。たまに会えば、「元気? そう、よかった」でさらりと手を振れるような、その程度の距離。ダンデが幼かった頃はも同じように子どもで、見ている世界の違う子ども同士はお互いに興味が薄かった。対してホップが子どもである今、は大人だ。「なんか隣にいる声の大きい男子」ではなく、「守るべき可愛い子ども」として弟を見られるからこその余裕があるのだろう。
「まあ何にせよ、ダンデくんは拗ねるかもね」
「もう拗ねてるよ」
「えっ」
「可愛いホップを取られて拗ねてる。甘やかしすぎだってさ」
 それは私の言いたかった意味とは違うと思うけど、とは思うもののソニアは黙って少しぬるくなったお茶に口をつける。ダンデは以前、「はいつも怒ってなかったか?」と首を傾げていた。ソニアはそれにあんぐりと口を開けて、「はあんた以外には滅多に怒らないわよ」と言えば「それは俺の知ってる、俺の姉のの話か?」とまでのたまうものだから。「ダンデくんはそもそものことほとんど知らないでしょ」と思わず言い返して席を立ってしまったものだった。
「ホップは頭も良いし常識もあるし、私がちょっと甘やかしすぎたら遠慮するし、ドン引くし、しっかりした子だから大丈夫なのに」
 意外と甘やかしている自覚も場合によってはドン引きされる自覚もあったらしい。けれど人やポケモンに寄り添う仕事をしているだけあって、機微に鈍くなどないのだろう。小さい弟にはいささか盲目的になっている節もあるが、そんな自分も客観視して自覚くらいはした上で嫌われないように自制できる。単純なように見えて思慮深いのは、姉弟共通なようだった。
「『君の愛し方はホップをダメにする』だってさ。失礼しちゃう」
「父親みたいなこと言うのね……」
「家にいないくせに、普段の様子を見てもいないくせにね……って言うのは、さすがに可哀想かなって」
 ダンデとて、好きで家族と離れているわけではない。やりたいことをやっているのだから、好きでやっていることだろうとも言えるが。チャンピオンとして夢を追う一方、責務にも囚われている。そんな弟に「いもしないくせに家族のことに口出しするな」とまで言うのは憚られるあたり、距離はあってもやはりはダンデの姉だった。ソニアなら「知らないくせに」と言ってやれるが、には血縁ゆえの遠慮があるのだ。
「でも、ダンデにもすぐわかるよ。もうすぐホップもジムチャレンジに行く年だもの。きっと、私たちの弟はこんなに強かったんだって思い知らされることになる」
「兄弟対決になったら、はどっちに賭けるの?」
「勝ってほしいから、ホップかな」
 一度痛い目を見た方がいいのだ、とは笑う。無敵のチャンピオンなんかでいるから良くないのだと、そうからりと笑う姿はよく晴れた日の空のようだった。
 ***
 うちのでかい弟が最近ほんとうに鬱陶しい、というのが最近のの口癖になった。とまるで後追いをする子どものようについてきては、「こういう施設はどうだ」「こんなイベントは好きか?」と企画書を見せてくるのだ。内容が無駄にしっかりしているから恐ろしいとはの言である。一度でも頷いてしまえば、シュートシティで即日工事が始まりそうだとも。
「何なのこの子……」
「君の弟のダンデだが?」
「兄貴も姉ちゃんも、ここで言い合わないでほしいんだぞ」
 呆れたように言いながらも、研究所から追い出さずに茶を出してやるのだからホップはよくできた弟だ。そしてソニアの分もちゃんと用意してくれているのだから、気の利く助手である。「ホップも休憩しなさいよ」と席を勧めたが、「じゃあちょっとウールーたち見てくる」と外に行くあたり、あまりダンデとの諍いを見せたくない姉心も察して気遣えるのだから本当に完璧な弟だった。まあ、これを諍いと言えるのかどうかは置いといて。
「どうして私をシュートに呼ぼうとするの……」
「俺は君の好きなものに興味を持てないから、君に俺の好きなものに興味を持ってもらおうと思って」
「ソニアちゃん聞いた? この弟とんでもないよ」
「ナチュラルに頂点様だわ」
 は根本からバトルに興味がない。それゆえにリーグやタワーに赴く理由がない。「姉ちゃんが怒ってるんじゃなくて、兄貴が壊滅的に姉ちゃんに話を合わせてやらないだけだぞ」とホップに諭されてようやく問題の根本を理解したかと思えばこれだ。「じゃあの興味のあるものがシュートシティにできれば、ついでにバトルも見てくれるのか?」と斜め上の発想に至ってしまった。無敵でもチャンピオンでもなくなったとはいえ、まっことダンデ様である。生まれた時からこの男の頭上には王冠が輝いているに違いなかった。
「ついでだろうが何だろうが私はバトルを見る気にはならない、とは思わなかったの……」
「それはない」
「なんでダンデくんがそんなに自信満々なの」
は俺の姉さんだからな」
 バトルをしろ、ならばともかくバトルを見ていてくれ、なら案外聞いてくれるのだ。手持ちポケモンがバトルに引きずり出されないなら、もっと言えば巻き込まれるのが自分だけなら、はダンデにだって大概甘い。ましてや物理的に距離が近くなれば、機会も増えるしなし崩しに押し通せる。わかっていてやっているのだから、タチの悪いオーナー様だった。
「実家を離れるのはいいんだけど……」
「いいんだ」
「だって私がいつまでも傍にいたら、ホップに彼女のひとりもできないよ」
 やはり自覚はあるらしい。ジムチャレンジや数々の事件を経て、ホップも今やガラルの有名人だ。笑顔が素敵で優しくて、可愛いのに頼りがいがあるというのはの言だが、実際ソニアから見ても客観的にはそうなのだから引く手数多だろう。はホップの周りの女の子を威嚇するような性格ではないが、自分のホップに対する溺愛ぶりが意図せず恋愛のハードルになるということは理解している。
「俺に綺麗な秘書がついたという噂は気にしてくれないのか?」
「ダンデだし、どうでもいいよ」
 どうせその噂も半分は故意に流してるでしょう、とテーブルに突っ伏したままはひらひらと手を振る。そこまで読めるのに、そうした弟の意図は単なるダンデ自身のための虫除けだと思ってしまうから肝心なところで鈍いんだなとソニアはいっそ感心を抱いた。そして、そう読めてはいても受け入れるところもやっぱり甘いのだと。はダンデの秘書でも何でもないが、最近やたらとシュートシティに連れ出されては不満そうにしながらもついついダンデの世話を焼いてしまう姿に秘書かマネージャーかという認識が定着してしまっている。けれどダンデも秘書かと聞かれて否定しないのだから、そのうち本当にのためにその席を用意しそう、というよりもう内々に用意していそうですらあった。
「ひどいな」
「可愛くない、そんな顔したって本当に可愛くない。無駄にごつごつして大きくなって」
「『可愛い』は要らないが、君から聞きたい言葉は別にあるんだ」
「『お姉ちゃんお願い』って言えたら考えてあげなくもない」
「わかった。頼むよ
「全然違う……」
 だいたいいつからこの弟は姉を呼び捨てするようになったのだったかとソニアに問うに「えー?」と首を傾げたが、そういえばいつからだったか。気がついたときには「姉貴」「姉ちゃん」ではなく、「君」「」になっていた気がする。そう、それこそチャンピオンになった頃から。
「あー……」
 そこまで思い至って、気付いてしまった。ダンデがにばかり意固地になる理由も、ホップに対する「可愛い可愛い」を咎める理由も、やたらとバトルを見せたがる理由も。ダンデはきっと、に「かっこいい」と言われたいのだ。チャンピオンになった時ですらその形容詞を使わなかったから、そのたった一言を。可愛いものも綺麗なものも大好きなは、かっこいいものには関心がない。けれどダンデはホップと張り合う気などないのだ、にとって「小さくて可愛い弟」になる気など、毛頭。可愛いとは思われたくないくせに、弟に対する甘さにはつけ込む。チャンピオンの座を降りてから、狡猾でもあることを隠さなくなった弟は確かに面倒だろう。
、頑張ってね……」
「うー……」
「応援ありがとう、ソニア」
「ダンデくんは応援してないから」
 さて、がダンデの欲する一言に気付くのはいつだろう。できれば外堀を埋められる前に気付いた方がいいと思うが、きっと既に手遅れなのだろう。元チャンピオンも大概諦めが悪い、何しろ物心ついてから今日に至るまで、ずっとそう言われたくて姉の気を引き続けていたのだ。
「さて、そろそろシュートに帰ろう。
「私の家ハロンだから」
「まだそうだったな」
「これ会話になってる……?」
 ああ、そのうち綺麗で可愛い幼馴染はシュートに帰るようになってしまうのだろう。可愛くも優しくも無邪気でもない弟に連れられて。ダンデはソニアに嫉妬しなかった。ソニアは姉妹のようではあっても妹ではなかったから。ホップにも嫉妬しなかった、ホップは「可愛い」であって「かっこいい」ではなかったから。可愛くも優しくも無邪気でもないけれど、ダンデはいつかの唯一を奪い去っていく。それが妙に癪にさわって、ソニアはさり気なくちゃっかりとの手をとったダンデにワンパチをけしかけたのだった。
 
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