ちゃん」
 溶けそうな、声だった。甘くて、柔らかくて、とても優しい。元々バトルの外では激情を露わにすることも険しい眼差しをすることもなく、快活で人好きのする青年だけれど。それでもこんなふうに心底幸せそうに、熱に浮かされたような姿を隠しもしないのはにとっても初めて見る姿だった。けれど年下の幼馴染――キバナがそうなっている以上に、の思考もどろどろに溶けたように浮かされてしまっている。目元に乾いたような引き攣る感覚があって、自分が泣いていたことを思い出す。喉も酷使した後のように鈍い痛みを訴えていて、それでも熱の籠った吐息は痛みに関係なく口から零れ続けた。時折呼吸に甘いかすれ声が混ざるたび、に覆い被さるキバナの顔に喜びの色が浮かぶ。どうして泣いていたのだったか、どうして「いや」だと声を上げていたのだったか。泥が詰まったように思考は回転を拒んで重く、頭が鈍くずきずきと痛む。ずちゅ、と硬いものを奥に押し付けられる感覚と、ぴったりと身を寄せてくるキバナ。ただでさえ近かった距離がゼロに等しくなって、まるでぴたりと丁度嵌るパーツが合わさってしまったようだった。
ちゃん、もう痛くない?」
「……ぁ、」
 何かを問いかけられている、けれど何を問われてるのか理解するのも覚束無い。蕩けるように甘ったるい声とはいえど目の前のキバナははっきりと言葉を口にしているのに、それが理解できないのはの頭がちゃんと働いていないせいだ。重ねるように「苦しくないか?」と頬を撫でられて、その慈しむような手付きがどうしてかとても怖かった。苦痛を感じないかと訊かれていることを、鈍い頭はようやっと呑み込んだ。何が苦しいのか、何が痛いのか。身体全体が沈んだように重く、風邪を引いた時のように気怠い。それなのに肌は少し撫でられるだけで背筋が震えるほど敏感になっていて、互いに熱の籠ったような体はキバナとの境界が曖昧になってしまうようだった。足元にかろうじてまとわりつくものは、そこに追いやられてしまった掛布団だった。さらりとした肌触り、ひんやりして気持ちいいはずのそれは、の体温でとっくに温くなっていて疎ましい。温かくて、曖昧で、ぐちゅぐちゅと互いに溶けそうなほど掻き回して、際限なく与えられる熱がのままにしておかない。痛かった気がするし、苦しい気がする。けれどそれ以上に、ぬるく溶かされて目の前のキバナと混ざり合っていくような感覚が、気持ち悪かった。
「き、もち、わるい……」
「脱水症状か……? もうけっこう長くしてるもんな」
 嘘偽りのない、心配の表情だった。痛みや苦しさがないかと問うたそれも、他意はなく本心からこの行為においてを気遣っていたことがわかるような。頭が揺れないようにゆっくりと抱き起こし、ペットボトルの水を飲ませてくれる。室温にだいぶ近くはなっていたが体温との差で冷たく感じたそれが、一片の理性を取り戻してくれたのに。なけなしのそれをまるごと呑み込むように、がぷりと大きな口が目の前で開いた。かぷっと、勢いばかりは可愛らしくキバナがの唇に噛み付く。ぬるりと躊躇いなく入り込んできた舌が、少しだけ冷えた咥内を再び熱い息で満たした。
 厚い舌にちゅくちゅくと絡み付かれ、水にはない粘性を持つ唾液がぬるぬると互いの舌の滑りをよくする。口を塞がれているというよりは舌を絡め取られて弄ばれることに息苦しさを感じて顔を背けようとするも、側頭部をそっと抑えられて頭を動かせなくなる。片手で頭を押さえてしまえるほどキバナの手は大きかったかと、いつの間にか触れ合うこともなくなって意識もしなくなったその手に男女の差を思い知らされた気がした。その間もキバナの舌はの口の中を好きに貪り回って、はっはっと短く荒い呼吸になる様は浅ましい獣のようだ。いよいよ酸素が足りなくなって体が強ばれば、忘れていたはずのソコがきゅうっと締まったのかキバナがかすかに呻くような声を漏らした。腰を抱いていたもう片方の手がするりと背の下あたりを撫でて、宥めるようにぽんぽんと軽く叩く。背中側から伝わる振動は腹を撫でられるよりは鈍く感じるとはいえ、キバナが触れているのはちょうど彼らが埋め合っている場所の裏側で。ぽん、ぽん、とあやすように叩かれるたびに胎の奥底がぞくりと震える。体の前面はぎゅっと抱き締められて密着していて、背も腕に囲われているばかりか撫でられたり軽く叩かれたりと逃げ場がなくて。ずくずくと渦を巻くように下腹部からせり上がってくる熱を逃がそうにも、息を逃がすはずの口はキバナに塞がれて逆に熱を注がれている。頭のてっぺんからつま先までキバナの与える熱に満たされて、けれど抱く危惧は爆発などという解放を伴うそれではない。
 溺れる、とは直感した。その不安すら、ぐるぐると熱の渦巻く中にすぐ溶かされてしまったけれど。はキバナに溺れさせられる。ぽろりと目じりから零れた涙は、やはり熱かった。ほんの少し逃がしてしまった熱の分すら呑み直せというかのように、親指の腹で涙を拭ったキバナはその指をの口の中に押し込む。親指がぐりぐりと舌を弄り回して、腰を撫でていた掌の熱が背筋をなぞっていって。ベッドの上に投げ出していた脚で、の腰にしがみつくようにぎゅっと締め付ける。長い手足と大きい体躯に閉じ込められて、まるで捕食されているようだった。そうしてどこにも逃げ場のなくなったが子宮を突き上げられて息を詰まらせると、キバナもぎゅっと眉を寄せて身を震わせた。
「……っ、は、……ちゃん……」
 どろりとした声、どろりとした熱。汗ばんだ大きな掌が、しがみつくように肩に回された。キバナの腕もの背中も汗ばんでいて、しっとりと吸いつくように重なり合う。このまま溶かされてキバナの中に取り込まれるのではないかと思うような、キバナの胸と腕に囲い込まれた中はそんな居心地だった。けれどキバナの褐色の肌はチョコレートではなく、の白い肌もまた砂糖菓子やらの類ではない。動きを止めたことで少しだけ冷えた体は、ただベタついて不快なだけだった。それでも、まだ熱はの体に滞って思考を鈍らせたままでいる。自分でも理由を知らないままに、ぽろぽろと涙が零れていた。の胸に顔を埋めて幸せそうに息をするキバナは、今度は涙を掬わない。愛おしそうに、ゆるゆるとの背中を撫で続けていた。頬を擦り寄せるためにキバナが身動ぎすると、ぬちゃっとどこか冷めた水音が繋がっていたそこから漏れる。こぷ、と僅かに「ソレ」が溢れ出す感覚に、吐き気を伴うほどの怖気を感じた。
「はぁ……」
 感極まったようなため息が、キバナが顔を埋めている胸元をくすぐった。ゆっくりと、もぞもぞと顔を動かしてキバナがを見上げる。その青い目は眠たそうに瞼を押し上げていたが、実際睡魔などキバナの元には訪れていない。欲を吐いたあとの気怠さも、既に新たな欲と獣性に押しのけられつつあった。泣いているを見て僅かに瞠目したキバナは、すぐにへらりと笑顔を浮かべての胸にキスを落とす。最初に押し倒して触れたときとは違って、ただ肌に唇を触れさせるだけの優しいキスだった。それでも敏感になった肌には擽ったくて耐えていれば、面白がるようにキスを繰り返していく。楽しんでいるようでも慈しんでいるようでもあるその動きは、胸から腕へ、腕から手首へと移っていって。の左手首を握って掌に唇を押し付けたキバナは、まだどこか茫然自失としているにちらりと流し目を向けた。子どものじゃれ合いのようなキスを落としていたその口が、ニッと獲物を前にした猛獣のごとく吊り上がる。べろりと、男の欲がの柔い掌を舐めた。ツツッと掌から指へと這っていったその舌は、薬指で輝くシンプルな指輪へと辿り着く。とっくに温くなっていたそのリングを、器用に舌先で押し上げて。ぼうっと放心してそれを見ていたが正気を取り戻すより、キバナがそれを咥えてしまうほうが早かった。べ、と舌先にプラチナの輝きを乗せたキバナは、無邪気だった少年のようにニコリと笑う。
「竜の腹に入ったモノは、一生返ってこないんだ」
「キバナ、くん、」
 かえして、と手を伸ばしたその瞬間、キバナは呆気なくそれを呑み込んでしまった。ごくん、と動いた喉を目にして、の顔からざあっと血の気が引く。行き場を失った手が、ふるふると宙をさまよって震えていた。その手を掴んだキバナは、「ダイヤって旨くはないな」と嘯きながら、薬指の付け根を撫でた。いたぶるようなその手付きは、無理強いだったくせにどこまでも優しく甘やかだった行為には似つかわしくない。
ちゃんが悪いんだ」
「…………」
「俺との約束を破るから。でも俺はちゃんの代わりに謝ってあげるし、全部どうにかしてやる。何にも心配いらないからな」
 優しい男が好きだって言ってたもんな、とキバナは歯を見せて笑った。言葉を失って震えているの手をぷらぷらと人形のように振って、がおーとおどけるようないつものポーズをとる。幼馴染のお姉ちゃんが好きだと言った子どもの頃のように無邪気なのに、否、無邪気だからこそなのかその姿はとても残酷に映った。
「子どもは何人欲しいんだっけ? きょうだいがいいって言ってたよな」
 その夢を思い描いた相手は、キバナではない。そんなことは知っているはずなのに、キバナはまたをぽすりと押し倒した。よりひと回りもふた回りも大きくなった青年は、鍛えられた体で優しくを押さえつける。けれどそれ以上にを動けなくしていたのは、きょうだいのように仲の良かった幼馴染にこんなことをされたショックだった。信じたくないと軋む心が、ぽろぽろと涙と共に零れ続ける。いつの間にかまた硬くなっていたそれが、ぐちゅりとまた胎の中で擦れた。あんなに苦しかったのに、今はもうぴったりと嵌め込まれてひとつになってしまっている。混ざりあった液体を奥に押し付けるように、ゆっくりとではあったが律動が再開される。キバナの腹に収められてしまったものを思って手を伸ばしても、その引き締まった腹筋に触れる前に絡め取られて手を繋がれた。両手ともそうして恋人繋ぎにされて、全身を押し付けるように覆い被さられてはキバナの胸元しか見えなくなった。シーツとキバナの間に挟み込まれて、汗ばんだ体が密着してはまた熱の中に閉じ込められる。さっきはゆるゆると動いていた腰が今は遠慮なくぱちゅぱちゅと打ち付けられていて、息苦しさは密着している体勢だけのせいではなかった。ぬるりと汗で滑る手のひらはお互いに不快なはずなのに、キバナは手を離そうとするどころか指まで犯すように絡めた指を擦り付けてくる。また何も言わなくなったキバナは、時折うわ言のようにの名を呼びながら腰を振る。熱い吐息がつむじにかかって、ぞわぞわと熱病のような悪寒が背筋を這い回った。
 もういっそ、頭から喰らってくれたらいい。そうしたら、は泣かなくて済むのだろう。ゆさゆさとキバナの動きに揺さぶられながら、生温い涙を飲み込んだ。
 
220611
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