「……、」
時々、こんな感覚に陥る。いったいどんな言葉を、自分は今紡ごうとしていたのか。喉の奥に滞る空気に、何という名前をつけたらいいのかわからない。悲しいというには曖昧で、虚しいというには優しすぎる。どうして自分がそんな感情を抱いたのかすら、わからないままに消えていく胸の奥の何か。
「…………」
はく、と何を言うでもなくただ唇が開閉する。迂闊に言葉を発するべきではないと、誰よりも自分がわかっているのに。いったい自分は何を言おうとしているのだろう。奇妙な空虚感を振り払い、顔を上げる。なんてことない、日常の一部だ。夏らしく、濃い青のキャンバスを白い雲が塗り潰していく空。ジリジリと煩い蝉の鳴き声。影の色が濃い。深く息を吸うと、うんざりするほど熱い空気が肺を満たしていく。どこにでもある夏の一日。何も異常はない。それを肯定するかのように、「わん」と犬が鳴いた。
「……おかか」
その、クリーム色ともたんぽぽ色ともつかない、淡い茶色の毛並み。どうしてか、否定の言葉を紡いでいた。何を否定しようとしているのだろう。そこに、赤いランドセルはいない。
(……?)
何か。何かを。忘れてしまっている気がする。何かがおかしい。そこに笑っている××はいない。誰もいない。誰もいなかった。最初から?
――いなくなっちゃえ。
なんてことない、日常の一部だ。夏らしく、濃い青のキャンバスを白い雲が塗り潰していく空。ジリジリと煩い蝉の鳴き声。影の色が濃い。深く息を吸うと、うんざりするほど熱い空気が肺を満たしていく。どこにでもある夏の一日。何も異常はない。激情も哀切もきっと、陽炎が見せた幻だ。どこにも、「もう」いない。
「………」
ランドセルは、赤かっただろうか。どうしてそんなことを考えたのか、歩き出したときにはもう忘れてしまっていた。
201028
かずらさんちの棘満に感謝を込めて。