「おい、賢者様呼んでこい。ミスラが拗ねた」
「あんまりワガママばかり言ってると、賢者様に言いつけますよ!」
「ミスラは仕方のない子じゃのう、賢者を呼んできてやるから機嫌を直すのじゃ」
 何だか最近、ミスラの手綱を取るためにはを呼べという共通認識が賢者の魔法使いたちの間に広まっている気がする。台所にある料理を持って行こうとしてネロに阻まれたときは呼ばれてきたの頬を引っ張って気を収めたし、どうぞ好きに言いつけてくださいと返したらミチルは本当にを連れて来た(だからといってどうというわけもなく、の頭を掴んだらそれで気が済んで何を言い争っていたのかを忘れたのだが)。不眠にイライラとして部屋から一歩も出ずにいると双子がを呼んできたから、腕を掴んでどうにか眠ったものだ(足首を掴んでベッドに引きずり込んだら双子に叱られてやり直した)。それは魔法舎にいる皆が勝手にそう思って何かにつけてを呼ぶだけで、別にミスラがを呼べと要求しているわけではないのだが。
「ここのところお前は、賢者に甘えすぎなのではないか」
「はあ?」
 この男に、そんなことを言われる筋合いはないはずなのだ。
「あまり賢者に負担をかけるな」
「俺が『してください』と頼んでいるわけじゃありませんよ。皆が勝手にそうしているんです」
「だとしても、賢者が呼ばれないように行動を正そうとは思わないのか」
「なんで俺がそんなことを気にかけなければならないんです?」
 ミスラにとっては当然の返答に、オズは深いため息を吐く。ため息を吐きたいのはこっちだと、ミスラは眉を寄せた。
「頼んでいるわけではないのなら、お前が『いちいち賢者を呼ぶな』と言っておけばいいだけの話だ」
「それこそ、そんなことをする必要性を感じませんよ」
「何故」
「賢者様を呼ばれるの、別に嫌じゃありませんから」
 そう答えると、オズは妙な顔をした。呆れ、ではなく。苛立ちや怒りには似ても似つかない。変な顔、と思わず呟くと、「お前が奇妙なことを言うからだ」とオズは言った。
「変なこと? 言いましたか?」
「賢者を呼ばれるのは、嫌ではないと」
「当たり前じゃないですか」
「……お前は、本当にミスラか?」
 失礼極まりないことを言って、オズはミスラをまじまじと警戒混じりに見据える。魔力や気配を読めるオズにはミスラ本人であることなどわかりきっているはずなのに、オズの顔に浮かぶ疑念の色は濃かった。とはいえ当然ミスラはミスラでしかないので、オズもなおも疑わしそうな顔をしながら「……本物だな」と頷いたのだが。
「今更ですけどあなた、不躾な人ですね」
「お前が、自分の傍に誰かの存在を許すとは思わなかった」
「あなたがそれを言いますか」
 別にミスラは、孤独を愛してやまないというわけではない。自分がやりたいようにやっているだけで、その多くは隣に他者の存在を必要としないというだけの話だ。自分の思うように過ごすミスラの隣にがいても、邪魔ではない。ただそれだけの話だった。
「だが確かに、お前が自分から賢者の傍に赴くことはないのだな」
「……は?」
「賢者が赴かなければ、すぐに切れてしまう関係か」
 そう特別なことでもなかったかと、オズはひとり納得したように頷いてその場を去る。言いたいことだけ言っていなくなる勝手さは相変わらずだと思うものの、今はそんなことはどうでもよくて。
「あの人が来なくなったって、別に……」
 がミスラの元に来なくなったら、静けさが少し増すだけだ。双子や南の兄弟は相変わらず煩いかもしれないが、決して嫌いではない静寂が戻ってくる。かの大魔女と似たようなものだ。は勝手にやって来て、笑って、怯えて。ミスラの心を波立たせて、気が済んだら去っていく。それならいつかも大魔女と同じように勝手にいなくなるのかもしれないと思うと、ムッとした。それは面白くない。力の強い魔女で一応恩人ともいえるチレッタならともかく、なぜあんなちっぽけな存在にミスラが振り回されなければならないのか。好き勝手にしていいのはではない、強者であるミスラだ。オズがそれを勘違いしているらしいことにも、どうにもイラッとした。
 ***
「最近ミスラちゃん、大人しいよねー」
「大人しいっていうか、賢者様にべったりだよねー」
「……うるさいですよ、俺は寝るんです」
「でも、実際ミスラさんはずっと賢者様を独り占めしてるじゃないですか!」
「手伝いもしないのにキッチンにまでくっついて来るのはどうかと思うぞ」
「最近、いつもミスラさんが隣にいるから、クックロビンさんが話しかけづらそうにしてますし」
 うるさいな、とミスラは眉を顰める。弱い人間がひとり困っていたところで、ミスラにはどうだっていい。談話室で何やら双子と語らっていたの首根っこを掴んで抱え込めば、驚き半分愉快半分といった様子で双子が首を傾げて。何やらに見せたいものがあったらしい南の兄弟と、新しい茶葉をに振る舞おうとやって来たネロも苦言を呈した。ミスラにがっちり捕獲される形になったは、少し困ったような顔をしているものの振り払おうとする様子は見せなくて。抵抗しても無駄と諦めているというよりも、どうせまたミスラのことを「普段素っ気ない猫が懐いている」くらいに思っているのだろう。単に抵抗する力も無いだけのくせにまるでがミスラを許しているようなその柔らかな視線は気に食わなかったが、同時にその眼差しを惜しんでもいた。
「賢者に甘えすぎるなと、言ったはずだが」
「立場をわからせているだけですけど」
「えっ、そうだったんですか?」
 しまいにはオズまでやって来て、を抱えるミスラに渋い顔を向ける。甘えているつもりは微塵もなかったのでそう答えれば、は驚いたようにミスラを振り仰いだ。何を意外そうにしているのかと、ミスラは少し強めにの頬を摘んで引っ張った。途端に双子やら兄弟やらネロやらオズやら(つまりは全員)から口々に「やめろ」と文句が飛んでくるので手を離したが、は無駄に慕われすぎではないだろうか。
「あなたと俺だと、俺が行動の主導権を握るべきですよね」
「そうなんですか?」
「だって、俺の方が強いじゃないですか」
「ミスラちゃん、そういうとこ」
「相変わらず、従うか従わせるかでしか物事を考えていないのだな」
「うるさいですよ」
 だから最近ミスラは隣にいて、行きたい方向に自分を引っ張ったりしていたのかとは納得した面持ちで頷く。そこに納得するだけでいいのかと、どこかズレたの反応にネロは内心呆れるが。それを口にしてとばっちりを食らうのは御免こうむると、東の魔法使いらしい思考で彼は口を噤んだ。
「あなた、勝手すぎるんですよ。朝から晩まであっちこっち、呼ばれればホイホイとついて行って」
「は、はあ……」
「ミスラに勝手と罵られる者がいるとはのう……」
「賢者様の方がミスラみたいな返事になってるぜ」
「呼ばれなくても顔を出すし、手伝いだの何だのとやることを探しているし……」
「賢者様は、ミスラさんと違って協調性があるんですよ」
「こら、ミチル。ミスラさんは、賢者様が勝手だって言いたいんじゃないと思いますよ」
「どういう意味です?」
「それは『寂しい』って言うんですよ、ミスラさん」
 の『勝手』がなければ、不眠で不機嫌になっているミスラの元へ様子を見に来ていたりはしていない。ミスラがの『勝手』に苛立つほど、に興味を抱くようにはなっていない。本当は勝手だなどと思っていないのだと、それは寂しさなのだと、ルチルは教師らしい態度でミスラを諭した。ミチルやオズはぽかんと呆気に取られたような表情をしていて、ネロは少し気まずそうにしている。双子は、面白がっているようにも見えた。けれどミスラが思わず視線を向けたのは、その誰でもなくに対してで。
「俺は、寂しいんですか?」
「ええっと、そうらしいですね?」
 お互いに首を傾げて、暫し見つめ合う。疲れたようにため息を吐いたネロが、「茶でも飲もうぜ」と話題の強制終了を図った。賢者はもちろん自分よりも長く生きている北の魔法使いが、寂しさも自覚せずにいたことに微笑ましさなど覚えられない。はキッチンにもよくネロの手伝いに来るから、ミスラがについて回るようになってからは北の魔法使いが自分の領域にいることに無駄なプレッシャーを感じていたというのに。ミスラといいオーエンといい、北の強い魔法使いたちはどうにも心がまともに育っていない。かつての相棒であるブラッドリーは本当に北では貴重な部類の魔法使いだったのだなと、改めて身にしみた。
「一緒に茶でも飲めば、寂しくなんてないだろ」
「ついて回ってるだけで賢者と同じことをせんから、疎外感など覚える羽目になるのじゃ」
 なけなしのネロのフォローに、ホワイトが茶々を入れてヒヤヒヤとさせられるが。何事か思案に耽り始めたミスラは、ひとまず気を悪くした様子はない。何も知らない赤ん坊よりタチが悪いと、ネロはひっそり二度目のため息を吐いたのだった。
 
200613
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