※赤司姉

 
 さんは、優しく笑うんです。
「征十郎さんは、天使なんですよ」
 僕にはその笑顔が、ひどく度し難く恐ろしいものでした。
 ***
「姉さん、お待たせしてすみません」
「謝られるほど、待っていませんよ?」
 赤司くんは、なるほどさんにとっては天使だったのでしょう。溢れるほどの愛情と、いっそ崇拝じみた敬意。それをさんが怖がらないように常に自分の内に抑制しながら、さんに尽くして、純粋な好意と健気な慕情を装っていた。胸の奥底に完璧に隠された、おぞましいまでの情愛と狂気をさんが知ることは、きっと一生ないのでしょう。
「征十郎さん、走ってきてくれたんですね。そんなに汗を流して、急がずとも良かったんですよ?」
「練習が長引いたことで、姉さんを待たせたくはなかったんです。 ……けれど、不快に思われますよね。見苦しいところを見せてしまって、情けなく思います」
「いえ、征十郎さんが風邪をひいてしまうでしょう。少し、じっとしていてくださいね」
 鞄から取り出したハンカチで、白くか弱そうな手が赤司くんの額や頬に浮かぶ汗を拭っていきます。誰よりも愛おしい人の手に触れられて輝く赤司くんの目は、僕たちの知る赤司くんではありませんでした。
 ふと、僕のことを思い出したように赤司くんの視線がこちらに向きました。もう行っていいという目配せの奥に隠しもしない、邪魔だから失せてくれという嫉妬の色。影の薄い僕にさんの護衛じみたことを有無を言わせず頼んだくせに酷い態度だと思いながら、僕はその場から立ち去りました。
「……赤司くんは、悪魔よりタチが悪いと思いますよ」
 きっと赤司くんは、一生さんの完璧な弟でい続けるでしょう。けれど赤司くんは、さんに一生自分の姉でいることを求め続ける。無自覚に視野を狭めさせ、弟を優先させ続けて、どこにも行かせない飼い殺し。いっそ一方的にでも愛情を伝えてしまった方が救われるような、底無し沼より救われない地獄。自らの立っている場所を天国だと思ってふわふわと笑うさんの笑顔は、やはり度し難く恐ろしいものでした。
 
160430
BACK