を『飼っている』男の名は、田崎といった。それが本当の名前なのかどうか知らなかったけれど、それが本名であろうと偽名であろうと、にはあまり関わりのないことだった。元よりには、田崎に与えられるもの以外何もなかった。
「……ぅ、にがい、やだ……」
「駄目だ、。この味を覚えないと」
 口腔に入り込む舌の煙草の味に顔を顰めて横を向けば、田崎は薄笑いを浮かべての顎を掴み、有無を言わせず舌を捩じ込んだ。独特の苦味が、無理矢理絡め合わされた舌を刺激する。溢れる唾液も、口を閉じられないように押し込まれている親指も嫌で、生理的な嫌悪感から涙が溢れてくる。一生懸命に身を捩らせようとするを、田崎は下腹部を膝で押さえつけるだけで身動きをとれなくした。ぴちゃぴちゃといやらしく響く水音は、耳まで真っ赤にして目を瞑るの羞恥心を嬲るために態とやっているのだと解っているから耳を塞ぎたくなる。それをすれば田崎が余計に愉しそうに嬲ってくるだけだと知っているから、ただぎゅっと握り締めた手の内側に爪を立てた。
「そういうことは、覚えが早いな」
「……はっ、」
 舌に残る嫌な苦さに険しい顔をしたまま、解放された唇を拭う。喜悦の滲んだ声に、努めて無反応を装う。この男に騙されて連れ込まれたのだったか、買われてやって来たのか、行き倒れていたところを拾われたのか、はもう覚えていなかった。がここにいる理由も、ここに来てどれくらい経ったのかも、田崎は毎回内容を変えてさも真実のように語るのだ。唯一確かなのはという名前ばかりで、けれどそれも田崎が与えたものなのだから救われない。幼子が少女になるまでの時間を田崎の元で経たけれど、は最早何を以て自分を定義したら良いのか、一体何が本当のことなのか、まったくわからなくなってしまっていた。
「『それ』も悪くない選択だが、最適解とも言えない。『もっと』と強請って、自分から舌を絡めるくらいはしないと」
 田崎は、観察しろと言う。を監禁し、幼い体が本来知らなくていいことを手ずから刻み込み、何に使うのかわからない知識ばかりを教え込む。そんな男を、もっと深く知れという。その嗜好を、性癖を、知り尽くして自らの武器にしろと。
「嗜虐心を煽って気を逸らすのもいいが、飼い慣らしたと錯覚させ油断を招くのも手だ。『私はあなたの所有物です。裏切るなどありえません』……そう、態度や言葉で示して男を手玉に取るんだ」
 簡素なワイシャツ一枚のの胸元に手を這わせ、ロクに膨らみもない乳房を撫でて田崎は笑う。
「男を誑し込むのに必要なのは、艶かしい肢体でも、絶世の美貌でも、煌びやかなドレスでもない。男の欲望を満たし、渇望させ、際限なく自分を追わせることだ」
 もっと。足りない。まだ欲しい。自分が相手のモノだと思わせつつ、手の鳴る方へと誘って。愛憎の泥沼へと、引きずり込む。
「もっと『俺』を覚えろ。俺を誑かせ。隙を作れ。囚われたと見せて、捕らえてみせろ」
 さもなくば、一生檻の中だと。生きるも死ぬも握られたままだと。そう、田崎は笑うのだった。
「悪女になるんだ、。それも、いっとう性悪のな」
 優しく頬を撫で、啄むだけの口付けを落とす。この悪魔のような男を出し抜く悪人になれるなど、には到底思えなかった。
 
170506
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