無一郎の姉は、柔らかくてあたたかい。血の通う人間のぬくもりと、戦いを知らない手のたおやかさ。姉に触れられ、触れるたびに無一郎は、自分が姉を守る人間であることに安堵する。のような弱い人間を守るために、きっと無一郎は刀を振るい続けるのだろう。
「姉さん、」
けれどどうにも近頃は、に触れるとき安心だけではない感覚がするのだ。どきどきと胸がうるさく鳴って、お腹が熱くなる。それは決して嫌は感覚ではなく、それどころかもっと触れたいと思ってしまう。
「姉さん、さわっていい?」
「? いいよ、無一郎」
許しを得て、ぺたぺたと頬を触り、髪を撫でる。ふわりと香る仄かな甘い匂いにうずうずと落ち着かなくなって、の手や背中にも触れた。擽ったそうに笑うに、焦げ付くような熱を覚える。自らの頬をの頬にくっつけると、何だか少ししっくりとした感覚があった。ぎゅううっとくっつけて、それでもまだ足りない。すりすりと頬を擦り寄せると、ふとの頬に唇が触れて。ぴくりと震えたに、これがしたかったのだと本能的に気付いた。
「んっ、」
の唇を、ついばむように食む。ふにふにとした唇に自らの唇を重ねると、砂が水を吸うように胸に安堵が染みていく。柔らかくて、あまくて、もっと欲しい。自覚した瞬間に、乾いていると感じて。驚いたように固まっているの両肩を掴んで、息をねだるように口付ける。戸惑うように身じろいだはそっと無一郎の手に自らの手を重ねて、けれどそれ以上の力はこもらなかった。ただただ驚いて混乱しているに、しかし無一郎も言葉もなく甘えるように縋ってしまう。無一郎より僅かに背の高いだが、押さえつけてしまうことはあまりに容易だ。無一郎がただ縋っているつもりでも、弱いは動けない。動けたとしても拒絶しないでいてくれるだろうという確信めいた感情のままに、無一郎はの柔らかさを貪った。
「む、いちろ、」
が発したか細い声は、制止だったのか懇願だったのか。わからないけれど、声を発するために開かれた口に覗いた赤い舌に、ぞくりと欲を覚えて。きっととても甘い気がしたから、その舌を食む。びくりと震えたはとうとう仰け反ったけれど、無一郎はそれを許さずにかぷりとに深く口を重ねた。それがどうにもしっくりと来るものだから、無一郎は心のどこかですとんと理解する。自分たちはきっと、こういう形に収まるようにできているのだろうと。ちゅぷりと唾液が絡まるけれど、嫌な気はしなかった。無一郎の手を掴むの手にやっと力がこもったが、それは拠り所を求めるものだと無一郎にはわかって。嬉しくなった無一郎は、飴を舐めるように姉の舌を舐る。人の体が甘くもないことなど知っているはずなのに、の舌を食む蠱惑は、どんな砂糖菓子よりも甘かった。
「ねえさん、これ、何だろ」
呆然と目を見開いているに、息のかかる距離のまま問いかける。問うた無一郎の方が、むしろその答えを知っていた。この胸の中に落ちた感情の色も、名前も。すっかり魂が抜けたようになってしまっているを抱き締めて、心音を確かめる。どくどくと血の巡りの速くなっている脈は、無一郎と同じだ。「同じ音、」と口に出せば知らず頬が緩む。嬉しくて、口元が弧を描いて、体がぽかぽかと温かくなって。ああ、きっとこれは愛しいというのだ。そうに違いなかった。
「俺、これが好きだな」
「……うん、」
「姉さんも、きっと同じだよ」
俯いたの顔は流れるような髪に隠れて、よく見えない。けれどきっとも同じだ。たったひとりの姉は無一郎と同じ髪と目の色をしていて、同じ血が流れていて、同じ鼓動を刻んでいる。だからきっと一緒だ、この血に溶ける温かい愛しさも。なんだかとても胸の奥が優しい気持ちに包まれて、言い知れない幸福感に包まれる。触れ合う幸せを、満たされる幸せを知ったことを、無一郎を案じる姉は喜んでくれるだろうか。握り返してくれた小さな手の温もりが、その答えであるような気がした。
本当は、受け入れてはいけないとわかっていた。日に日に頻度を増していく無一郎の口付けを受けながら、は弟に悟られないように瞼をぎゅっと閉じる。可愛らしい弟の唇は柔らかくて、温かい。けれどこの熱は、弟が姉に抱いてはいけないものだ。そう諭さなければならないとわかっているのに、無一郎に手を握られれば握り返してしまう。拒絶してはいけないと、突き放してはいけないと、大して力が入っているわけでもないその手を振り解けずに。だっては無一郎を見放してはいけないのだ。もう二度と、の手の届かない場所に弟を行かせてはならない。記憶をなくして自我もあやふやになってしまった無一郎は、深い霧の中溺れる迷子のようで。放してしまえばそれが終わりのような気がして、いけないと鳴り響く警鐘に耳を塞いだ。は無一郎の手を離してはならない。もう二度と、弟を失ってはならないのだ。
「ん、」
けれど、どうしたって胸が痛い。お互いにとって初めての口付けが血を分けた姉弟だったというのは、きっとよくないことだ。とてそちらの知識に明るいわけではないけれど、それでも今こうして繰り返しの唇を求める無一郎の熱が引くことを願ってしまう。これはあやまちだ。何も知らない弟を間違わせたままでいるのは、姉として果たすべき責任を放棄している。教えなければと、諭さなければならないと、そう思うのに。
「姉さん、可愛い」
無一郎の手が、の頬を撫でる。息が足りない呼吸の危うさと羞恥で赤くなったを、愛おしげに弟は見つめるのだ。そんな瞳を姉に向けてはいけないと伝えなければならないのに、例えそう言ったとしても「どうして?」と憚りなく言ってしまいそうな危うさが無一郎にはある。
「すき、姉さんが好きだよ」
聡い弟は、先日自分が問うたことの答えを自分で掴んでしまったらしい。恋という名をそのあやまちに名付けて、無一郎はとても愛らしく微笑んだ。きっとこれが正解だと、無邪気に笑う。賢しくもそれが間違いだと言えるほど、は強くなかった。結局は臆病者なのだ。たったひとりの弟を失いたくなくて、喉を塞いで言葉を呑み込む。蓋をするように、無一郎の唇がの唇に重なって。柔らかさと温かさが、怖くなる。誰よりも大切な弟だからこそこの過ちを許してはならないと、自身が誰よりも解っていたのだった。
190524