その人について思い出すとき、いつも真っ先に感じるのは沈むような恐怖だ。弟に感じる、灼き尽くされそうな烈しい恐怖とは違う。冷たく暗い、真冬の海に独り沈んでいくような恐ろしさ。もがいても、もがいても、果ても底もない海から逃げ出すことなどできない。疲れて、寒くて、届かなくて、指の先さえ思うように動かせなくなる。そうして諦観が胸を満たして、沈んでいく。その昏い水底に何が潜んでいるのかも目にすることはないまま、呑まれるのだ。
 ――お前は可愛いね。無様な虫けらみたいで。
 兄にとっては、蜘蛛の巣にかかった虫を眺めているようなものだったのかもしれない。巣に囚われた獲物は、それが蜘蛛を呼ぶとも知らず命の限り暴れて糸を震わせる。眺めている側からすれば、愚かしくて滑稽だろう。無様にのたうち回って、体の内側を溶かされて、為す術もなく死んでいく。喰われるだけの存在という意味で、エンジュと虫の何が違うのだろう? 少なくともあの時、エンジュの命や尊厳など虫のそれより容易く奪われるものに違いなかった。
 ――兄さま、兄さま……たすけて、
 それでも兄は、助けを乞うたなら巣を壊して命を救ってくれる観測者でもあった。震える獲物の体から糸を取り払い、「怖かったな」と慈しむような声をかけてくれる。けれどそれが優しさなのか、エンジュにはわからない。だって獲物を捕まえて蜘蛛の巣に投げ入れたのは、他でもない兄だったのだから。
「――飽きたなぁ」
 兄は笑顔のままで、けれどその一言で部屋が深海に変わったような、そんな錯覚をエンジュは抱いた。ロドスの自室で、突然訪ねてきたマルクスをエンジュは戸惑いながらも部屋に通した。怖くても、過去に何があっても、兄は兄だ。追い返すような真似はできないと、紛い物の良心でマルクスを迎え入れてしまう愚かさを目にしたなら今この部屋にいないエンカクは「大概にしろ」と怒るだろう。そんな、良識や世間の目を気にして躊躇していられるような相手ではないだろうと。誰にどう思われようが拒絶して逃げるしかない人間の最悪のような男を、この愚かしい姉にして妹は部屋に入れてしまったのだ。だからその結果起こることは自業自得であるとエンジュを詰るには、この男は最悪すぎたけれど。
「お、お茶を淹れ直して……」
「ううん、いらないよ」
 怯えて立ち上がろうとしたエンジュを、マルクスはその一言だけで凍り付かせる。さっきまでは、薄っぺらいほど穏やかで和やかな時間を過ごしていたのだ。何を考えているのかわからない兄に怯えながらも、他愛ない話に応えた。明日の天気だとか最近噂になっているオリジムシの都市伝説だとか、そんなくだらなくてどうでもいい話にお互い笑顔を浮かべて。実に空虚で馬鹿馬鹿しい兄妹の語らいを打ち切ったのは、「飽きた」というマルクスの一言だった。こういう時は、だいたいエンジュにとって良くないことが起こる。今更後悔して逃げようとしたエンジュを、マルクスは言葉だけで抑えつけた。何年経とうが、体はよく躾を覚えているようだ。
「何か面白いことは知らないか? エンジュ」
「お、もしろい、こと……」
 顔の作りはよく似通っているのに、兄の笑顔はどこか下品なまでの軽薄さを孕んでいる。そんなことを思うのは良くないと思いながら、エンジュは真っ白な頭でぐるぐると考え込む。他人に合わせて笑うだけの妹が答えられるはずもないと知っていて、マルクスだけが笑っている。エンジュの顔に浮かんでいたぎこちない笑みはもはや剥がれ落ちて、不安と困惑だけがその綺麗な顔を彩っていた。黙り込んでしまったエンジュに、「お前は本当につまらないね」とマルクスは吐き捨てる。びくりと震えたエンジュに、「仕方がないから俺が面白い話をしてやろう」と慈悲深そうな笑みを向けた。
「この部屋に住んでいるサルカズの姉弟は、毎日のようにセックスしているんだそうだ」
「……え」
「血が繋がっている姉弟なのに、おかしいだろう? そんな楽しいことを二人だけでしているなんて、兄さまは知らなかったな」
 ガタガタと震え始めたエンジュに、マルクスは顔を近付ける。蛇が鎌首をもたげるようなその仕草にびくりと怯えて、エンジュは後ずさろうとするけれど。ぬるりと伸びてきた腕に手首を掴まれて、動けなくなる。どうして知っているのかと、そう問うことがいかに愚かなことかわかっていないのだろう。
「ああ、安心していいよ。知っているのは俺だけだ、当然ね。お前たちの可愛い隠しごとなんて、俺にはあまりに容易い」
「……に、にいさま、」
「仲間はずれは寂しいなあ、エンジュ。俺は傷付いたから、思わぬところで口を滑らせてしまうかもしれない」
 またびくっと震えたエンジュの眦から、ぼろりと涙が零れる。本当にいつもいつもすぐに泣き出して、みっともないほど可愛い妹だ。そして、哀れなほどに察しが悪い。何をすれば許してくれるのかと言いたげに見上げてくる妹に、「座りなさい」と自分の足元を指さした。
「は、はい……」
「もっと近く。そう、もっと」
 躊躇いなく床にぺたりと座り込んだエンジュの頭を、優しく撫でて。十分に近付いたエンジュに、笑顔のまま言い放った。
「咥えて、舐めろ」
「えっ……」
「鈍いな。今更純情ぶるのか?」
 呆れたようにため息を吐いて、仕方がないからベルトは自分で外してそこを寛げる。何を「咥えろ」と言われたのかようやく察したエンジュは、真っ青な顔で口を開いた。
「あの、私……したことが、ない、です……」
「おかしいな、エンジュ? 俺はしたことがあるかと聞いたんじゃなく、しろと言ったはずだよね」
「っ、」
 頭を撫でていた手が、軽く押さえ付けるように力を込める。エンカクは、エンジュに性交を強いたことはあっても自分のものを咥えさせたことはない。不慣れで消極的なエンジュにそういうことを求めなかったのは、やはり本人が言うようにエンジュのことを好いているからだったのだとエンジュは思い知った。本当にどうとでもできる相手に、慮ってやる必要など本来ないのだと兄の言葉を聞いてようやく理解した。皮肉にも今、弟に愛されていたことを知って。けれど、そんなことに気付いたところで意味は無い。顔にぺちりと当たったグロテスクなモノを、おそるおそる手で包み込む。直視するのも躊躇われるそれは、時折びくりと脈打って。生暖かくて、ぐにゃりとした感触の中に芯がある。怖がって口を開けては閉じるエンジュに、呆れたようにマルクスは笑いかけた。
「焦らされるのは好きじゃないよ」
「っ、ごめんなさい、」
 ぎゅっと目を瞑ったエンジュは、手の中にあるソレにそっと顔を近付ける。震える唇を開いて怯えながら舌を伸ばし、ぴとりと触れたモノの感触を怖がって思わず顔を逸らしてしまって。けれど、兄の要求を拒絶したとみなされれば本当に姉弟の関係を言いふらされてしまうかもしれない。エンジュが望んで始まった関係ではないことなど、『姉弟で行為をしている』という事実の前では何の意味も持たない。他人の目を気にするエンジュにとっては、ある意味で死より効果的な脅しだろう。だからこそエンジュは、吐き気をこらえてその先端を口の中に入れた。落ちてくる髪を耳にかけて、喉の奥までゆっくりと咥えこんでいく。独特の匂いが鼻について、じわりと涙が滲む。それでも健気に根元まで咥えていくエンジュの髪を優しい手つきで撫でながら、「ちゃんと舐めて」とマルクスは追い打ちをかけた。
「舐めて、吸って、しゃぶって。俺が気持ちよくなれるように、奉仕してくれ」
「ん、う……」
 必死に頷いて、言われた通り舌を這わせる。脅しなど必要なかったかもしれないと呆れるほど、妹は従順だ。もっとも、そういうふうに妹を仕上げたのは自分だけれど。あまりに下手で稚拙な奉仕に、「エンカクはこれで文句を言わなかったのか?」とマルクスは笑った。
「ああ、そういえば咥えたことがないんだったか。あれにも意外と優しいところがあるんだね」
「……ふッ、ぅ……」
「吐き出さないでくれよ。ほら、もっと頑張って」
 喉奥に異物が押し入ってくる感覚に、エンジュは嘔吐感がせり上がるけれど。涙を浮かべている妹にはお構いなしに硬くなったそれを奥まで押し込むマルクスは、エンカクのことを揶揄する。空気の混ざる下品な音を立ててしまってビクつくエンジュの髪を撫でて宥めながら、それでも容赦なく頭を押さえて顔を上げられないようにする。ちゅぷ、じゅ、と遠慮がちに口に含んだ陰茎を愛撫するエンジュは、その先端からじわじわと滲み出る液体の味に顔を顰めた。少ししょっぱくて、生臭くて、気持ち悪い。けれどそれを舐め取って吸い上げろと兄が言うから、恐る恐る舌を這わせたりちゅうっと吸ったりして口内に広がるそれを唾液とともにどうにか嚥下する。飲んではいけないものを飲んでしまったような心地に、今すぐ吐き出して口をゆすぎたくなるけれど。そんなことをして兄の機嫌を損ねた方が恐ろしいことになると知っているエンジュは、必死に舌を動かし続ける。呼吸もおぼつかない中、拙い奉仕を一生懸命続けるエンジュの姿は憐れでいじらしい。だが、そんな妹を可愛がって慈しんでやりたいという気持ちとともに、どうしようもなく傷付けてめちゃくちゃにしてやりたくなるのだ。両手でエンジュの頭を掴んだマルクスは、グッと奥の奥まで自身を押し付けた。
「む、ぐっ……!?」
「ああ、よく締まるな」
 苦しさに声を上げるエンジュの喉奥に、ぐりぐりと先端を押し付けて。恐怖と息苦しさできゅっと締まる口内に吐息を漏らし、ガツガツと腰を打ち付ける。エンジュがボロボロと泣いて、その口の端から唾液が伝うのもお構いなしだった。ただ刹那的な快楽のために、泣いている妹を玩具のように使う。舌や口腔に先端を擦り付けて、口いっぱいに自分のものを頬張らせる。耐え切れなくなったエンジュが喉の震えに耐えきれず吐き出すような音を上げても、その上から抑え込むように奥を突いて。じゅぷじゅぷと淫猥な水音を立てて、妹の口内を蹂躙する。マルクスの膝を掴んで律動に耐えるエンジュの泣き顔に、酷く疼いた。
「うっ、んン、ぐ……!」
「っ、は……」
 びゅる、と喉奥に生暖かい液体がかかる。熱を吐き出したマルクスは、白濁を拭き取らせるように口内で何度かモノを前後させてからずるりと引き抜いた。けほ、と口元を押さえて咳き込むエンジュの頭を掴んで顔を上げさせ、にこりと微笑む。口を押さえたまま動けなくなっているエンジュは、その笑みを見てびくりと震えた。
「飲んで、エンジュ」
「……っ、」
 逆らうという選択肢は、エンジュにはない。何とも言えない味と匂いの生ぬるい液体を、エンジュは何度も嘔吐きそうになりながらようやく飲み下した。ひぐひぐと泣きながら白濁を飲み込んだエンジュを見下ろして、マルクスは背筋をゾクゾクと震わせる。可哀想で可愛い妹が、綺麗な顔を涙や飛び散った液体でぐしゃぐしゃにして泣いている。まだ足りない、そう思ってエンジュを床に引き倒した。
「……に、いさま……?」
「また俺と遊ぶか、エンジュ。昔みたいに」
 顔が見える方がいいだろう。仰向けに転がした妹は、やはり愚かしくて綺麗だ。顔を青くして、許しを乞うように情けない表情を浮かべてマルクスを見上げている。この可愛いだけの妹を、昔は散々おもちゃにしたものだ。当時の恐怖を思い出したのだろう、血の気を引かせたエンジュが顔をくしゃくしゃにして幼子のように泣く。あの頃は行為の意味を知らなかったようだが、さすがに今は自分が何をされていたのか理解しているのだろう。「痩せっぽちの可愛い、エンジュ」とあの頃のように呼べばエンジュは面白いくらいに怯えて震え出す。弟と対のように生えている角を撫でて、マルクスはエンジュに覆い被さった。
 
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