姉は凄まじいまでに美しい人だと、エンジュは思っている。くっきりとした目鼻立ちと、きょうだいの中で最も濃い色をした瞳。感情が全て眼に集約されているのではないかと思うほど、ホムラの表情筋は変化に乏しく。けれど、その瞳には深く渦巻いた焔が宿っているのだ。その目が気に入らないと、兄は言う。篝火を厭う蝙蝠のように、マルクスはホムラを嫌っていた。
「食べないの?」
「あ、いえ……どれから食べようか、迷っていて」
「そう」
姉は静かで、それでいて決して無口ではない人だ。矛盾しているように聞こえるかもしれないが、実際そういう人なのだ。エンジュの様に耳障りな吃りもなく、すらすらと水の流れるように話す。聞く側に不快感を与えず、それでいて存在感のある声。一定の無関心さを保ちながら優しくしてくれるその声が好きで、ほんの少しだけ寂しかった。
(姉さま、本当はカモミールがお好きだったんだ……)
校門を出たところに停まっていたホムラのバイクに、エンジュだけ拉致されるように乗せられて。毎日一緒に登下校してくれている弟は、「女子会だから」の一言だけで置き去りにされていた。そうして連れて来られたアフタヌーンティーの専門店で、エンジュは以前姉が好きだと言っていたアールグレイをポットで頼んだのだ。けれど、ホムラは「アールグレイ、好きなの?」と小首を傾げて。今日はホムラがずっとカモミールを初めとしたハーブティーしか飲んでいないことに気付いて、エンジュはこっそりと肩を落としたものだ。姉の好きなものを先回りして頼もうとしたのに、空回ってしまった。実のところホムラはマルクスに好きな物を貶されることが幼少の頃から当たり前になりすぎていて、無意識に好き嫌いに関わる質問には適当に返すようになっていっただけなのだが。ホムラはホムラで、綺麗な女の子が好むと小耳に挟んでハーブティーを頼んだだけで本人にこだわりがあるわけでもない。優柔不断なエンジュがアールグレイに即決したのを見て、そんなにそれが好きだったなら悪いことをしたなと自分で頼んだものを消化することにしただけだった。つまるところ、互いに互いの好みそうなものを頼んだつもりでそれを口には出さず、相手のために選んだものを気遣いのつもりで自分で消費している。まったくもって、回りくどく滑稽で平和な姉妹だった。
妹はゾッとするほど綺麗だと、ホムラは思っている。柔和な顔付きに嫋やかな仕草、弟と揃いの可愛い橙の瞳。いつも何かに怯えるようにおどおどとしている姿は、小動物のようで可愛らしい。弱々しい生き物だと全身で訴えているかのようなこの妹は庇護欲と嗜虐心を煽るけれど、決して摘んではいけない花だと知っていた。
「姉さま?」
「……うん、おいしいね。エンジュ」
「はい、おいしいです」
こうしていると、まるで「普通」の姉妹のようだ。互いに刺青が入っていることなど、忘れてしまいそうなほどに。エンジュを可愛がるだけのこういう時間は、嫌いではない。自分の好みに照らして楽しいかどうかはともかく、当たり前の姉妹のような遊びをすることには心が満たされた。弟はこういう時間を過ごそうとするとだいたい即答で断ってくるし、兄に対してはそもそも普通の時間を共に過したいなどとは思わない。一緒にケーキを食べてくれる、可愛い妹。けれど、可愛いだけの妹ではない。ホムラの腕とデコルテに日輪と炎を象った刺青が入っているように、エンジュの腰には蓮の花の刺青がある。ホムラはむしろ兄に「道具になれないならこの家からさっさと出て行けよ」と疎まれていたのを、自分の意思で彫ったけれど。妹の刺青は、ただこの世界から逃がさないためだけに兄が入れさせた。だから、ホムラはエンジュを助けてやらねばならないと思っていたのだ。
――ぁ、ねえさま……?
折檻の後、地下室の床に無造作に転がされていたエンジュ。妹の世話をしようと、持ってきた大きなタオルを広げて裸の体を包もうとして。床に手をついてゆっくり上体を起こしたエンジュの腰を目にして、ぞくりと震えさせられたのだ。暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる、白い肌と蓮の花。刺青なんて似つかわしくないと思っていたはずの妹に、その紋様はあまりに馴染みすぎていた。泥の中に咲き、美しさも儚く数日で剥がれ落ちるように散っていく花。妹という花も、この昏い世界に生きるものなのだと。似合わなくなど、刻まれてはいけない傷などではないのだ。エンジュもまた、刺青に見合う昏いものをその身の内に抱えている人間なのだ。そう気付けば腕の中に抱いた妹が、美しい化け物のように思えてゾッとした。弱々しく自分に縋るその細い指が、薄く白い皮膚を通して甘く透き通った毒を伝わせてくるようで。それでもホムラは強い自制心を持っていたから、怖気のままに弱った妹を振り払うような愚行は犯さなかったけれど。
「おいしい? エンジュ」
その問いが既に二度目であることに、ホムラは気付いているのかいないのか。本心から家族との関わりに興味があるわけではなく、「普通」の上辺だけなぞっているから弟にはくだらない茶番だと一緒に過ごすことを断られるのだ。仮に今の問いがエンカクに向けられたものであれば、「聞く気もないくせに聞くな」と冷笑を浴びせられるだろうが。目の前にいるのは誰にでもいい顔をする妹だ。その問いが何度目であっても、「おいしいです」と柔らかくぎこちない笑みを浮かべるだろう。薄ら寒いまでに、噛み合わなくて平和で滑稽な姉妹だった。外見や性情はそれほど似ていない二人だが、欠点ばかりはそれなりに似ているのかもしれない。
「…………」
妹の皿にちょこんと並んだケーキを見て、どうしてか「養分」という言葉が思い浮かぶ。それを口に出さない良識はあっても、そう思うのは酷いことだと感じる良心のないホムラもまた、妹とは別の意味で怪物だった。
210129