「弟さんの写真ですか?」
 どこか面白がっているような声と共に、背後から腕を回される。恋愛の情など無いくせに、妙にサービスのいい男だった。彼の場合、もはや職業病かもしれないが。幼ささえ感じさせる顔のわりに、その腕は筋肉質で古傷が多く残っている。その腕にそっと手を添えれば、肌の色の違いが目に付いた。ホムラの肌は少し日焼けしているとはいえ、そもそもの人種的な差がある。肩に顎を乗せるようにして、ホムラが弄っていた端末を覗き込まれた。
「そういうのは訊かないのがマナーじゃない?」
「逢瀬の途中に他の男の写真を見ていたのは、あなたでしょう?」
「拗ねたの?」
「まさか。興味本位ですよ」
 降参するように両手を挙げたクーリエは、平たく言えばホムラのセフレだ。互いに嫉妬するような間柄でも、本気でその周囲の関係に興味を示すような仲でもない。今の会話だって、一種のポーズのようなものだ。ただ、恋人のそれを真似てじゃれているだけ。円滑に楽しい時間を過ごすための、意味の無い会話。ぬくもりと快楽を求めて、たまたま体を重ねる関係に至った。それだけだ。なくなれば寂しさを感じる程度の情はあるが、執着の類の情愛は湧かない。それでも、肌を擦り寄せれば心地良い。顔を軽く上げて浅黒い肌にキスをすると、とびきりの甘い笑顔を貼り付けてキスを返される。勝手に撮られていることに気付いて鋭い目をした弟の写真が映っている端末は、そっと枕元に押しやった。戯れるようなキスを何度も交わしながら、ふと思い出したことがあってホムラは瞼を開ける。
「ン……そういえば、ルール違反」
「ええ? 僕、そんなヘマしましたか?」
「この前、妹の前で話しかけてきた」
「妹? ああ……あの、誰かの愛人みたいな雰囲気の……」
「殴るよ」
「いたっ、もう、殴る前に言ってくれませんか? 謝りますから」
「どっちのことを?」
「両方」
 あまり手加減の感じられない拳に、クーリエは悪戯を叱られた少年のような顔で眉を下げた。一応は溜飲が下がったのか、じとりとした目付きになっていたホムラも撫でるように後頭部に手を添えてまたキスをする。そういえば意外とこの人は姉馬鹿だったなと、クーリエは啄むようにそのキスに応えながら思った。どのみち、二人の間にあるルールを破ったのはクーリエだ。ホムラの身内がいる前で、個人的な用件で話しかけたのだから。
「疲れてた?」
「……何が?」
「君が、そんなヘマをするような人間には、んっ……思えないから」
 燃え盛る炎のような瞳には、情欲の影にほんのりと心配の色が滲んでいる。愛情はなくとも案外情はあるらしい、とクーリエは営業スマイルではなく本心から少し笑った。
「ただのうっかりですよ」
 あまり深みに嵌らない方がいい女だと、クーリエは知っている。その身に宿す炎のように、烈しくて惹かれるものを持っている。生涯の忠誠を捧げた凍土とは、あまりに正反対すぎる。鋭い雪混じりの風に晒された身を温めるには良くても、近付きすぎれば万年氷に穴を穿たれる。半端なぬるま湯は、クーリエには必要ないものだ。それより温かくて気持ちよくて楽しいことをしようと、ぬるりと舌を絡める。その身の熱を貪るように、まだ濡れているソコに手を這わせて。ぐちゅぐちゅと指で掻き回せば、蠱惑に濡れた炎がクーリエを捉える。ねだるようなその視線に昂って、細い手首を掴んで組み敷いた。
「ピロートークは、ぁッ……もう、終わり?」
「お望みならば、後でゆっくりといくらでも」
 耳元に顔を近付けて、柔らかい耳朶を食む。耳に舌を這わせて、上も下もくちゅりといやらしい水音を立てて犯していく。しなやかな体が、快楽を求めるように腰をくねらせた。
(あの人たちは怒りそうだなあ)
 身内への執着が強い弟と、いい子ちゃんのような妹。弟の方にバレれば確実にあの刃を向けられるだろうし、妹の方は怒りはせずとも泣きそうだ。もっとも、いちばん面倒なのはホムラの嫌っている兄かもしれないが。ホムラが身内の前で話しかけるなと言った理由の九割は、あのおぞましい男に弱みになりそうなものをひとつも見せたくなかったからだろう。怒りはしないし、むしろ笑うだろうけれど。その笑みは絶対に、誰にとってもロクなものではない。クーリエの勘からいえば、あれは確実にそういう隠し事を的確に嗅ぎつけるタイプだ。関わり合いになりたくないという意味では、全く同感だった。
「温かい、な……っ、あなたの、中……」
「……ッ、きみも、あたたかい……」
「さっき、たくさん……食べさせてもらいましたから」
 この焔のような人から、時折無性に温もりを貪りたくなる。過酷なあの地で冷え切った体を暖めて、血を巡らせてほしくなる。砂漠で水が必要なように、あの地では何よりも温もりが必要だった。烈しい焔のようなこのひとは、熱いほどに温かい。気を抜けば焼かれてしまいそうなこの行為は、熱を求めるクーリエにはそれでも足りなかった。もっともっと、この温もりひとが欲しい。もっと腹の底から満たしてほしい。互いに奪い合うようなこの行為が、脳に焼き付きそうなほど気持ちよかった。
「いただきます、ホムラ」
 少し性急に解したソコにモノをあてがって、クーリエは笑わなかった。真剣そのものの眼差しで見下ろされて、ホムラはうっすらと笑う。奪えるものなら奪ってみろと言いたげなその笑みを前に、クーリエの理性はぶつんと焼き切れた。
 
210130
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